第13話 影の諜報
数日前まで時は遡る。
浩平から命令を受けた『影』は、標的である中田順平を追いかけ、狭い路地を速いスピードで移動していた。
追いつくのは容易であった。始末するのも彼の力をもってすれば一秒とかからない。
ではなぜ追いかけるのに留まっているのか。
理由はシンプルだった。気分転換もかねて遊んでいるのだ。
「はぁはぁ、さっきからずっと追いかけてくる。なんなんだよあれ」
順平は影に気づきながらひたすら逃げの一手しか打てないでいた。
ブラックハウンドを武器とする彼には強力な武器は必要ない。持ってもせいぜいナイフ程度だ。これまで一度たりとも使役する魔物を傍から離したことがなかった彼にとって、正体不明の謎の魔物と正面切って戦う勇気はなかった。
「もうすぐ僕らの城だ。戻ったら必ず戦力を整えあいつらに復讐してやる。くそっ、しつこいな。城にいる古巻に追い払って貰おうかな」
影は順平の発言をしっかり聞いていた。
元来、異世界の生物である彼らにとって日本語は意味不明な音でしかない。しかし、影は非常に高い知能を有する故、浩平の助けも借りつつほぼ自力で習得していた。
順平の発言に疑問を抱いた影は、思考を遊びから現実的な問題へと切り替えた。
追いかける目の前の少年は、主である浩平の敵に変わりはない。
命令に従い始末するのも決定事項だ。しかし、個人か勢力のどちらかを調べてから消しても遅くはない。もしかすれば主の行く手を大きく阻む障害になり得ぬ止む知れぬ。ならばここで少しでも多くの得ておくべきではないか、影はそう考え先の行動を一部修正した。
(良き情報を得られたならば主はお褒めくださるだろうか)
影は順平が目を離した隙に、彼の足下の影へ素早く入った。
再び振り返った順平は、足を止め怪訝な表情で周囲を警戒した。
「消えた・・・・・・? 諦めたのか?」
謎の影の消失に順平は安堵する。
十中八九モンスターであっただろう。食えないと分かって別の獲物を探しに行ったのかもしれない。そう納得した彼の足下で影はあくびをしていた。
◆
柳坂区に存在する大型商業施設。
順平はポケットに両手を突っ込み建物の入り口へと向かう。
入り口では、体長二メートル以上もある灰毛の狼が門番として待ち構えていた。
種族はグレースタンウルフ。
魔力を帯びた鳴き声によって対象を一時的に麻痺状態にする。持続効果は十秒ほど。しかし、戦闘時においてたった十秒が生死を分ける。魔物としての格こそ低いもののその固有能力は馬鹿にできない。
そして、この二頭も順平が使役する従魔であった。
「良い子にしてたか。あとでたっぷり餌をやるからさ」
「ワゥン」
「クゥゥン」
頭を撫でられ二頭は甘えるような声を出す。
彼の足下にいる影には一切気がつかず二頭はすんなりと主を中へと通した。
(たいした戦力ではないな。我が主の敵ではない。だがしかし、油断は慢心へ繋がり敗北へと通じる。曇りなき眼にて事実のみ記憶すべし。今は諜報のみ)
闇に沈みながら影は憶測を一蹴した。
大量の品物が並ぶ大型商業施設内を順平は進み続ける。
その足でエレベーターに乗ると、屋上である最上階を目指した。
(電気とやらがまだ通っているのか。主が知ったら喜びそうだ)
影は動き続けるエレベーターの中で喜んでいた。
多くの建物は巨樹と魔物によって通電が絶たれていたが、この大型商業施設を含めた周辺のエリアでは比較的損壊が少なく現在も電気が運ばれていた。
ドアが開くと順平は迷わずエレベータから降りる。
外に通じる扉の前では屈強な男が立ち、彼の顔を見るなり自ら扉を開けた。
「ご苦労」
「うすっ」
短いやりとりのみで屋根がない室外の屋上へと出た。
屋上には夏に向けて準備されていたビアガーデン用の屋台が並び、その中心では複数の男女が和気藹々と食事をしていた。
「戻りました」
「よぉ順平。なんだか浮かない顔じゃないか」
返事をしたのは順平が声をかけた男性ではなく別の男性だった。
男性の名は『
四十二歳。バツイチありの独身男性。
日村はビールの入ったジョッキを片手に、真横にいる水着姿の若い女性をベタベタなで回していた。その様子に順平はあからさまに不機嫌となった。
「ペットを殺されたんだよ。散々だ」
「ぶはははっ、自慢の犬っころをなくしておめおめ逃げ帰ってきたってか。こいつは傑作だ。レベルアップしてくるつって自信満々に出て行ったらこれだぜ。面白すぎんだろ」
「うるせぇな! あんな奴らと出会うなんて予想外だったんだよ!」
「あ、奴ら?」
ぴん、と場の空気が緊張する。
薄笑いを浮かべていた日村はスイッチが入ったように真顔になる。
空気を察した女性は彼のそばから逃げるように離れた。
「古巻はどこだよ。仕事を頼むつもりだったのに」
「あの着火馬鹿なら奴隷捜しに出かけてるわ。で、あんたどういう奴らにやられたわけ?」
日村の斜め前に座る薄着の女性が発言する。
名前は『
セフレ持ち(多数)の彼氏なし。独身。
彼女は手が加えられた目力強めの目で順平に問いかける。
「まぁまぁ英子ちゃん。詳しく聞かせてよ順平君」
「はい。来栖さん」
中央の席に居座る若い男性が滑塚にウィンクを投げなだめる。
金色に染められた長髪。端正な顔立ちに常に人懐っこい笑顔を湛え、明るいオーラを放っている。こんがり焼けた小麦色の肌はほどよく引き締まっており、体脂肪率少なめの中肉中背であった。
ハーフパンツタイプの水着に、素肌の上から前開きのパーカーを羽織った姿は、大型商業施設には似つかわしくなく異様な空気を生んでいた。
彼の名は『
このデビルクロスの名実ともに支配者であった。
「おっさんをぶっ殺そうとしてたところに、男一人と女二人が突然現れて、その場にいた僕のペットを理由もなく皆殺しにしたんですよ。許せないと思いませんか!?」
「うんうん。そうだねぇ、順平君はどの子もとても可愛がってたから」
「マジむかつきますよ。意味分かんねぇ。来栖さん、これは僕達デビルクロスに喧嘩を売っているって考えていいんじゃないですかね。奴らを狩らないときっともっと被害が出ますよ」
「そっか、そうだねぇ、じゃあそいつらを狩ろうか」
来栖はへラっと軽薄な笑みでさらりと決断した。
リーダーの決定に順平は顔をほころばせる。
「二人ともいいよね」
「ウチはかまわないけど、それってウチらの知らない覚醒者じゃないの? レベル的に戦って負けるとは思えないけど。余所の区の幹部だったら戦争になるよ、これ」
「柳坂高校の勝元もそろそろ放置しておくにゃ限界だぜ。ステータスに気がつかれたら厄介なことになる。あっちは現役自衛隊員、戦闘技術だけなら向こうが上だ。もう仲間に引き入れたいとか悠長なことを言ってる場合じゃねえよ」
日村と滑塚のさらなる発言を来栖は手で制した。
「もし覚醒者で他の区から差し向けられた人間なら、なおさらこの三人をやる必要がある。柳坂高校の連中に余計な知恵を授けられると非常に都合が悪い。現状、拡大しつつある支配域を縮める必要性も出てくる。順平君、三人の行き先はわかるかい?」
「あのおっさん多分だけど柳坂高校の人間だ。もしあの後、助けて運んだとしたら」
「すでに柳坂高校にいると。嫌なペースで事態が進んでいるみたいだね」
足下に潜む影は会話を聞きながら、それぞれを主の敵として顔と名前を記憶していた。
この場で皆殺しにするのは容易であった。だが、あえてそれをしないのは彼なりの浩平への忠誠心であり万が一の不都合を考えてだった。
命令はあくまで順平の始末。
すでに手土産としては十二分に得ていた。
来栖はビールの入ったジョッキを握ったまま、正面斜めにいる日村へ視線で指名した。
「俺ぇ? 俺が行くの? 武闘派の古巻にやらせろよぉ。こっちは
「二、三回寝たくらいで英子って呼ばないでくれる。それをいうならちょー若い現役女子高生がわんさかいるかもよ」
「女子高生か・・・・・・ヤル気出てきた」
一転して日村はすくっと立ち上がる。
彼は「準備してくる。順平は邪魔だから来るな」とだけ言い残しエレベーターの方へと向かった。
「僕も行かせてください」
「悪いけどそれはできない。君は今まで通り駆除係を頼むよ。順平君のペットは城の安全を確保するのにとても便利だからね」
「・・・・・・分かりました」
渋々承諾した順平もエレベーターへと向かう。
「くそっ、くそくそっ! やられたのは僕だぞ! どうして外されなきゃいけないんだ! 復讐する権利は僕にこそあるんだ!」
バックヤードで殴り続ける。
彼の足下には顔を大きく腫らせた男女が倒れていた。
彼らはここで強制労働を強いられているLv1の人々だ。
逆らう力もなく意思もなく、来栖を筆頭とする覚醒者達に守られることを望んだ弱者であった。順平はいつものようにストレス発散として彼らを殴る。
「なんと醜く愚か。異なる世界の者も我らと変わらぬということか」
「誰だ!?」
闇が溜まった通路の奥で赤い眼が輝いた。
それは人の形をなし、確かな物体として足音を鳴らす。
白い頭蓋骨にぼんやりと赤い光が
その身に纏うのはボロボロの漆黒のローブであった。
肉のない右手は見事な細工が施された杖を握る。
「ひぃ、ひぃいい!?」
「我が主の命により、貴殿の命をもらい受けに来た」
影は杖を向けるだけで順平の頭部を吹き飛ばした。
「さらばだ」
静かに再び闇へと消えた。
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