第9話嫌な夢のち早朝の散歩

あの日の夢を見ている。

バーで出会った外見のいい男。

彼方との将来に悩んでいる私の心の隙間をついた彼の手練手管で私はまんまと誘いに乗っかり一夜を共にする。

ベッドで彼に抱かれている時には既に後悔していた。

だけど何処かどうでもいい様な、なるようになれという投げやりな気持ちを抱いていたのも確かだ。

結果的に彼はクズだったし彼方を完全に裏切った私も同類だ。

それは分かっている…けれど…。


ハッと夢から覚めて全身にうっとおしい寝汗がこびり付いているのが異様に気に触った。

おでこの汗を掌で拭うとベッドから這い出る。

脱衣所に向かい寝巻きを脱ぐとお腹に手を当てる。

お腹にいる新しい生命を感じながら夢の中で抱いた後悔を払拭するように頭を振った。

ただお腹の子が彼方の子じゃないことだけが激しい後悔だった。

シャワーで汗を流し全身を洗うと脱衣所に再び戻る。

鏡に写る私は以前と変わりないだろうか。

心の中の私は今でも彼方を想っているはずだ。

けれど私にはもう彼方の隣りにいる資格など無い。

この先はお腹の子と二人で生きていくのだ。

そんなどうしようもない決意にも似た覚悟を抱きながら再び自室に戻る。

バスタオルで髪を拭きながらスマホを手にする。

何気なしにSNSを開くと彼方に好意を抱く同僚達のページを眺めていた。

(旅行に行ってるんだ…私…何してるんだろう…)

無造作に床に置かれているドライヤーに手を伸ばすと長い髪を乾かしていく。

(彼方に連絡取りたいな…)

自分を正当化するような言い訳をいくつも考えながら今更、彼方と復縁できないかを考えていた。

しかしながら、それだけは許されないことだと自分を律してスマホをテーブルの上に置く。

(彼方には幸せになって欲しいな…私も幸せになれるかな…)

そんな身勝手な思考が脳裏をかすめて再びあの日の過ちを後悔した。

そろそろ街には日が昇る頃だった。

テレビを付けて早朝のニュースに目を向ける。

世間の情勢や天気予報に目を向けながら出社の支度を整えるのであった。



ハッと目が覚めてここが何処か一瞬見失う。

(皆と旅行に来てるんだった…)

見慣れない天井と寝慣れないベッドの感触を全身で感じながら目を覚ます。

クーラーのタイマーが切れていたが室内には何処か涼し気な空気が流れていた。

寝苦しかったわけでも枕が合わなかったわけでもない。

それなのにこんな早朝に目を覚ますのは普段の出社時間のルーティンが身体から抜けないからだろうか。

一度シャワールームに向かうと全身を流していった。

かいていたであろう寝汗を流すと再び脱衣所に戻る。

バスタオルで全身を拭くと着替えを済ませてスマホとルームキーを手にした。

部屋を出て早朝の散歩でもしようかとホテルの外に出ると…。

「おはよう。朝早いんだね」

ホテルを出てすぐの場所で鏡子がストレッチをしていた。

「おはよう。鏡子も早いね」

世間話をするように会話を始めると鏡子は軽く微笑んだ。

「瑠璃のいびきがうるさくて起きちゃった」

冗談を言うように戯けた表情を浮かべる鏡子に倣うように微笑むと揃って早朝の街を歩き出す。

「彼方は良く寝れた?」

「まぁ。ちょっと寝起きは良くなかったけど…」

歯切れの悪い言葉を耳にした鏡子は何かを察したのか僕の背中に手を当てる。

そのまま優しい手付きで背中を擦ると昇ってきている朝日を指さした。

「陽は毎日昇るよ。嫌なことがあっても毎日朝はやってきて全ての人を祝福してくれる。世界はどんな人にも平等に陽を照らしてくれる…」

鏡子は急にポエミーな言葉を口にすると彼女なりに僕を励ましてくれているようだった。

「でもまぁ。平等に仄暗い夜も届けてくるのが世界なんだけどね」

などと最後はジョークのような事実を口にして満面の笑みを浮かべる。

「今日こそは楽しい一日にするって気持ちが大切だよ。私達も彼方を癒やしてあげたいし幸せにしてあげたいって思ってるけど。彼方自身が心を塞いでいたらどうにも出来ないからね。それだけは覚えておいて」

鏡子の言葉を全身で浴びながら早朝の街を二人で歩き続ける。

「戻ったら皆起こして早朝バイキングに行こう。ここのオレンジジュースは最高だから。嫌な気分も吹っ飛ぶよ」

鏡子なりの励ましの言葉を受けながら、僕らはその後も他愛のない会話を繰り返して早朝の散歩を続けるのであった。

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