サーマイヤーフの立場と分断時代の歴史

 政務用の執務室へと足を踏み入れたレオンハルトは、用途が違えども主が同じであれば大して変わらないだろう、という予想をくつがえされて驚いた。最初に案内というよりは連行されたシューラリス号の執務室は、華やかさと無縁のいかにもサーマイヤーフの好みそうな部屋だった。この部屋も調度類に大きな変化はない。違いは大きな出窓と、そこに置かれた優美な花ぐらいだろう。

 ただ、あちこちに山の様に書類が積まれているのだ。サーマイヤーフの物だろう良く磨かれて光る木製の机はおろか、床に腰程の高さまで直接積まれた物まで有る。

「率直に申し上げますが、酷い有様ですね」

「まあな。だが、これでも俺が赴任した当初と比べれば大分ましになったんだぜ。何もかも一からの出発だったからな」

「一から?それまではこの土地はどう管理されていたのです?」

「どこに出しても恥ずかしくない立派な政庁だったさ。我が愛しの兄君が俺をここに封じ込めるまではな」

「封じ込める?」

「先にも言ったが、俺は三男でつまり二人兄が居る。それが正妻の子でな。特に王太子様は身分の低い妾から産まれたけがらわしい弟が、王宮に居座って王族面しているのが見るのも不愉快で、田舎の軍隊に押し込めて、しかも関係ないはずの政庁から役人を引き上げさせたって訳だ。おかげで俺は配下に居た頼れる武官の一部を畑違いの役人に転職させて、空っぽの政庁を立て直す所から始めたのよ」

 そこでサーマイヤーフの苦労話をさえぎるように、最初から部屋に控えていた二人の内、髪に白い物が混じっている方の男が咳払いする。

「閣下、雑談はその辺りで。お客様をいつまでも立っていただいたままにするものではございません」

「素直に信用できないよそ者に書類を見られるのを防ぎたいって言ってしまえよ、ロギュートフ。紹介するぜ、レオンハルト。老けてる方が政務次官のロギュートフ・コンラッド、もう一人は秘書のラングルム・セルバンテスだ」

「アイク島王宮騎士団所属、レオンハルト・カシウスです。シムレー号乗組員並びにアイク島国民を代表してこの地に参りました。今後、よろしくお願いします。こちらはシムレー号の船医でジークと申します」

 レオンハルトが右手を左胸に当てて騎士の礼を取り、ジークが追随して深く頭を下げると、ロギュートフとラングルムも深いお辞儀で答礼する。医者がアイユーブ王国でどのような地位にあるのか、平民を紹介するのが礼儀にかなうのか、少し不安だったが二人とも少なくとも怪訝けげんな素振りは見せなかった。もっともそれはサーマイヤーフの影響を受けた結果だという可能性も有る。式典での振る舞いについても注意される事は無かったが、王国流の礼儀作法を細かな部分まで学んで、王宮では些細な瑕疵かしも作らないように努めるべきだろうとレオンハルトは考えた。

「あと一人、乗組員の中でもお二人に紹介したい者が居たのですが、ここに来るまでに少々問題が発生しまして」

「問題ですか。閣下は何かご存じで?」

「この高貴な騎士様は愛剣をそのままこの建物の中まで持ち込もうとなさってな。取り扱いにも注意が必要だと仰って、その紹介したかったらしい小娘が有難くも直に武器庫まで搬入して下さっているのよ」

「小娘…女性が乗組員に?」

「その女は特別なんだと。まぁ詳しい話は場所を変えてからにしようぜ」

「はあ。それではレオンハルト卿、ジーク殿、貴賓室きひんしつへご案内します」

 まだ困惑したような表情を浮かべながらロギュートフが応じ、七人に増えた一行は兵士の一方に先導されて、また政庁の天井の高い廊下を歩きだした。


 貴賓室は執務室からはいささか離れた場所に有った。と言うよりも、執務室が政庁のほぼ最奥、貴賓室は客人を迎える目的の為かかなり入り口に近く、五人はほとんど半分以上も行きつ戻りつした事になる。一見して段取りの甘さのように思えるが、故郷で似たような手妻てづまを用いたこともあるレオンハルトには、サーマイヤーフの思惑がおおよそ察しが付く。次官への信頼とはまた別の話で、彼の所見を交えない状態でレオンハルトを見定めたかったのだろう。

 ただ、意図した物でなく純粋な不手際だったが、愛剣を持ち込もうとした一幕はおそらくサーマイヤーフに、レオンハルトを実際以上に世慣れない純朴な田舎者に見せた事だろう。反乱鎮圧の大功から約三年の間、それまでの人生では無縁だったかび臭い陰謀劇に辟易へきえきしてきたレオンハルトには、生まれ持った宮廷での立場に汲々きゅうきゅうとしない妾腹の王子の人柄は好感の持てるものだった。それでもアイク島の未来を背負ってこの地にあるレオンハルトとしては、アイユーヴ王国との交渉の手札は多ければ多いほど良い。今回の手落ちは事有る毎にサーマイヤーフへの負債とされるだろうが、その返済の都度に少しずつこのアイユーヴ王国、ひいてはレテンド大陸への足掛かりを築く努力をする事で、失態はかえって与し易しと見せる奇運となるだろう。


 貴賓室は二つの執務室の装飾から計ると、必要以上に華美なものに思えた。たっぷりと空間を取った天井からは王宮の大広間に下がっていてもおかしくない豪奢ごうしゃなシャンデリアが下がり、部屋の中央に陣取る猫足の卓子テーブルには、隅々まで空白を作るまいとの執念すら感じさせる精緻せいちな細工が施されている。壁にかかった絵画は恐らく一つ一つは名のある大家の作であろう優美さを感じさせるが、どう考えても単体の作品のみを視界に収めて心を和ませるには、お互いの間隔が迫りすぎている。

 総じてこの部屋には客の心を解きほぐそうという視点が感じられない。むしろこの部屋に通された何某かは敵陣で威圧されているかの様な錯覚を感じるのではないだろうか。

「どうだレオンハルト、悪趣味だろう?」

 サーマイヤーフはまるで気の利いた冗談かのように自慢してくるが、レオンハルトにはどう答えたら良いものやらさっぱり判らない。正解を求めて視線を彷徨さまよわせると、同情の色を含んだロギュートフのそれにぶつかる。

「レオンハルト卿、基本的にこの部屋を使うのは閣下にとっては政敵となる王太子殿下の手の者か、あるいは仮想敵国であるロッテントロット都市連合の使者なのです。それで普段からむしろ居心地が悪くなるように調えられておりまして…レオンハルト卿のお人柄によっては軍の庁舎に移動してからの会談となったのでしょうが、悪い意味でも閣下に気に入られましたな」

「まぁそういう事だ。だが単に悪戯心ってんでもねえぞ。此処がどういう場所か、直ぐわかっただろ?」

 サーマイヤーフの言う此処とはこの庁舎や貴賓室きひんしつでなく、王国或いは川を挟んだ隣にある連合にとってのレイシン河方面地域の事だろう。端的に言えば、アイク島が絶海に浮かぶ孤島であるのと同じように、この地も敵対地域に囲まれた陸の孤島であるという事だ。

 冗談めかして政庁の書類を見られたくないなどと言っていたが、レオンハルトが政敵である正妃の王子に情報を手土産に下る、という事態をある程度警戒しているのは真実なのだろう。えて厳しい立場である事を宣言するのは裏切りを警戒していることの暗示であるが、同時にその選択肢が有る事の示唆しさでもある。

 純朴な若者には遠ざけたい結論だが、故郷の命運を左右する判断なのだから、好悪だけでは決められない。勿論後ろ指を差される選択だが、それでも機会があれば船を乗り換える覚悟だけはしておかなければ。そう考えながら秘書のラングルムに勧められるままに会談の席に着いた。


「それじゃ、まずはお前らの歴史から聞かせて貰おうか。できれば大陸を脱出する経緯から念入りに頼むぜ」

 運ばれてきた果実水で舌を湿らせたサーマイヤーフがまず口火を切る。アイク島には無い酸味の強い黄色いそれ‐運んできた従僕はオレンジと説明した‐を味わったレオンハルトは妥当な要求だと感じて素直に答えた。

「始まりは500年ほど前です。アイク島民の祖先にあたる帝国の東部の砂漠には、ほぼ同じ言葉を使いながらも反目しあっていたいくつもの部族が有ったそうです。ある時その小部族を束ねる英雄王が現れて大規模な侵攻が行われたと。国力で考えれば防ぐ事は容易だったようですが、それまで通りの小競り合いのつもりでいた祖先はあえなく国土の大半を侵されました。蛮族と忌み嫌っていた砂漠の民に支配される事を嫌った王族と従った貴族、平民がそれに従って船団を組んで北の海へ漕ぎ出したのだと」

「その話は心当たりが有るなぁ。アイユーヴ王国とその東のシンドゥム王国は、東の砂漠の民に滅ぼされた大帝国の末裔まつえいだって事になってる。言葉も通じるし、どうやらお前らの先祖は俺たちの親類なんだろうな」

 話はアイク島の歴史の起源かられ、どうやら元を辿ればアイク島と同じ過去に行き着くらしいアイユーヴ王国の歴史がサーマイヤーフの口から語られた。レオンハルトはその話題を興味深く感じ、本題ではないと知りつつも突っ込んで聞いてしまう。

「砂漠の民はその後引き揚げたのでしょうか?」

「いんや、もちろん帝国を破壊し尽くして居座ったぜ。ただ結局全く生活の違う異民族だからな。反乱が起きて、奴隷の身分に落とされた俺たちの先祖は支配者を打ち倒し、砂漠へと追い返したって事だが…まぁ普通に此処に馴染んだ連中も居て、少し血が混ざり合った新しい民族が生まれて小国乱立、200年くらい前に二つの王国に統一されて、それからは正統な後継者の座を争いながらも仲良くやってるって寸法だ」

「なるほど…話を逸らしてしまいました。海に出た我らの祖先は荒波や食糧難などの艱難辛苦かんなんしんくの果てに、わずかに数隻のみが無事にアイク島に辿り着き、奇跡的に残った王族や貴族を中心に島を開拓していったとの事です」

「直ぐにレテンド大陸に帰ろうとはしなかったのか?」

「幸か不幸か島で生きられる程度の人数しか辿り着けなかったのと…距離以外にもあまりも危険な海域が横たわっていて、現実的な案とは扱われなかったようです」

「それが急に途方もない巨艦を建造して帰還するってのはどんな流れだ?」

「25年ほど前になるでしょうか、島で技術革新があり…先ほどのルーチェがもともと閉塞へいそくした島の未来を悲観していた事も有り、その技術を応用した船を作って、大陸と連絡する方法を模索した結果ですね」

「ふん…その新技術の方は小娘が戻って来るまではお預けか。アイク島の詳しい歴史についての方を聞かせてもらうぜ」


 それからはルーチェがデュラディウスを運んで戻ってくるのを待ちながら、レオンハルトはアイク島開拓の経緯や、その中で新たに創設された騎士階級という新たな身分、その他島での農工業や食生活、禁忌とされた行動など細かなアイク島の文化について語って聞かせた。

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