思いがけぬ特攻と苦戦

「レーゼングリュナム1、2、ミルメラディオ2、敵小型艦に取りつかれました!!」

「無事な全小型艦を下がらせろ!それと隊司令たちに早まって撃たないよう旗信号を!」

「ジルミニートラ5にも敵小型艦が喰いついたようです!」

 レイシン河方面軍司令官座乗艦にしてレイシン河方面艦隊旗艦、シューラリス号の艦橋は混乱の只中にあった。

 隊司令官たちがそれぞれの座乗艦に移り、整然と艦隊が本拠地としている都市・レミレイスを出発してから三十分程進んで、ロッテントロット都市連合艦隊と会敵したのは一時間ほど前のこと。儀礼的な降伏勧告の使者をお互いに交換して予定通りに拒否し合った後、両軍は大型艦に追随していた小型艦を前面に展開し、都市の軍は更にその前に艦首に大型艦に搭載される物より口径の小さな大砲を装備した砲艦を横列に展開した。

 これから都市連合軍は砲艦で王国軍艦隊を釣瓶打ちにし、充分に数を減らした所で数において優位に立つ小型艦が各艦を取り囲み、四方八方から接舷して王国軍にとどめを刺すという戦法だろうと、サーマイヤーフは都市連合艦隊の編成の情報を掴んだ時から判断していた。

 これに対するに、レイシン河方面軍艦隊はまず小型艦が砲艦の射程付近に展開してジグザグに回避軌道を取り、砲艦の弾薬の浪費と深追いさせる事により陣形を攪乱かくらんする作戦だ。砲艦が横列陣形を崩したところで、大型艦が前に出て砲艦と後ろで機をうかがう小型艦の群れを砲撃によって撃破する事を目指す。大河の河口付近で比較的流れが緩やかとはいえ上流へとさかのぼること、小型艦の退避に手間取れば砲撃の餌食となりかねないことが不安材料だ。しかし都市連合の主軸戦力である都市ヴィセングルはこれまでも砲撃戦を主たる戦術としてきた為、レイシン河方面軍はその対応に充分な訓練時間を割いてきている。末端の兵卒に至るまでが技量に対する自信に加え、総司令官直々の出動により否が応にも士気は高まり、各艦の動きの良さにつながっていた。サーマイヤーフも部下の働きに全く疑問を抱いておらず、シューラリス号に置かれた司令部には不謹慎なほどの楽観ムードが漂っていた。


 その自信が崩れたのは小型艦が、敵砲艦の予想される射程圏内に差し掛かり、各個に回避機動を開始した直後。てっきり砲艦が役目を果たすまで沈黙を守ると思っていた、都市連合の小型艦がレイシン河の流れに乗って急速に突撃してきたのだ。

 それを遠目に確認した時点では予想が外れた焦りは浮かんだものの、劇的に不利な状況になるとはサーマイヤーフもその幕僚たちも思わなかった。河面は陸地と違い常に揺らいでいるのだから、接舷するのもそう簡単ではない。急ぎ大型艦を前に出して、鍵縄なり梯子なりを掛けようとして動きの止まった相手を砲撃させようと手旗信号で五隻に伝えようとすると、いかなる魔術か突っ込んできた敵小型艦があっさりとこちらの小型艦に取りついたのだ。完全に密着されては誤射の危険から砲撃するわけにもいかない。

 この状況では敵兵に乗り込まれた小型艦は見捨て、無事な小型艦を下がらせて砲撃戦に持ち込むしかない。断腸の思いで改めて命令を下す。予期せぬ事態に自主的に後退している艦も多いし、こちらも川を下るのだから、先程までのように簡単に接近される事は無いだろうが、それでもあと幾らかは犠牲になる艦が出るだろう。

「完全にしてやられたな。だが、いくら何でもあんなに簡単に接舷できるものか?」

船縁ふなべりの高さが近いもの同士でもあの手際の良さは尋常ではありません。しかし今はその事は置いて、今後の作戦を練らねば」

 全くの予想外の事態へのサーマイヤーフの呟きに、幕僚の一人からたしなめるような返事が返ってくる。そうだ、今は相手の手の内を探っている場合ではない。とはいえ、奇計奇策の類がそんな簡単に出せるほどの天賦の才がサーマイヤーフに有れば、今頃レイシン河方面は国境の辺境の座を返上し、ヴィセングルはアイユーヴ王国の新参者に成り果てていたであろう。

 まして今まではヴィセングルとの直接対決に終始していたサーマイヤーフ達は、この河域の流れの速い遅いや川底の深さなどを、戦況分析に活用できるほど知悉ちしつしている訳ではない。今は先程の命令通り、小型艦を下げて突撃してきた敵艦を砲撃で叩いていくしかない。だが問題になるのは最初に囮役を務めた砲艦とここまで全く動いていない大型艦の存在だ。小型艦による突撃が主の作戦だったとはいえ、まるっきり張子の虎だという事はあり得ない。兵員の浪費を避けるためにもどこかで砲撃戦に移行してくるだろう。敵の細かい動きを見逃さず、的確な指示を出すためになるべく戦場近くにシューラリス号を配置したい。

 だがこれまで予想外の戦術を続けてきた敵だ。事前には費用対効果が見合わない筈だと判断した、精製水式の大砲を準備している可能性が出てきた。あまり近付きすぎると旗艦を狙い撃ちされる恐れがある。船体の小さい砲艦には発射時の衝撃を吸収できないため装備できない。流されないようこちらと正対している大型艦が発射体勢に入るためには、横腹を向けなければいけないので察知できる。では三隻の内どの艦が装備しているのか。順当に考えれば中央の艦が旗艦であり、精製水式の大砲を積んでいるはずだが…

「いかんな。何もかもが罠のように思えてくる」

「全く予想外の戦術ですからな。閣下の胸のうちも敵の標的なのでしょう」

「だろうな。惑わされずに基本に忠実に対処すべきだろう」

 疑心暗鬼に囚われている心を明かし、副官になだめられることで腹が座った。今更ながらに焦りで普段のべらんめぇ口調まで引っ込んでいる事に気付く。

「よし。改めてレンデンマーニ、レーゼングリュナム、ミルメラディオ、ジルミニートラ、ホッタートットに各艦の判断で砲撃させな。それと艦長、向こうの中央の大型艦に対してレンデンマーニが盾になる位置取りでシューラリスを前に出せ!」

「閣下、それは危険すぎます。敵にマッコミヤット砲があった場合を考えて、この艦は射程圏外を維持すべきです」

「危険は承知よ。それより兵の士気が心配だ。敗色が濃いのに裁量を投げちゃ、俺が逃げるかと思うかもしれん」

「それは気の回しすぎかと存じますが…」

「かもな。だが今は前に出ろ。戦況を間近で確認したいのも…」

「ミルメラディオ2、ロッテントロットの旗章が揚がりました!」

 戦況を変えるべく旗艦に危険を承知で積極的な行動をさせようとしたところで、最初に制圧されて敵の旗が掲げられた艦が出た。

「っとぉ、制圧された艦が出たか。報告のあった四隻以外でやばい艦はあるか?」

「半数近くの艦が敵艦に囲まれています。また、退避してくる小型艦が障害物になって、各艦砲撃に手間取っている様子です」

「獲物が半分ってのが向こうの予想より上か下か…さて、どうしたもんかねぇ」

 余裕ぶった物言いをしたが、別にアイデアが有る訳ではない。というよりも作戦を練るのは本来幕僚の役割。司令官の仕事は出された作戦案に対して決断の責任を取る事だ。あくまでも総司令官が落ち着きを取り戻した、というポーズに過ぎない。

 大袈裟な演技の甲斐は有ったようで、幕僚たちは自分の役目を思い出して相談を始めた。艦の指揮を邪魔しないように低い声でああでもないこうでもない、と議論を交わす司令部の面々を横目に、サーマイヤーフは先程は一旦脇に追いやった敵の素早い襲撃作戦のタネについて考え始めた。


 レーゼングリュナム2の水夫‐敵の激突の衝撃で転落し、そのまま艦を見捨てた以上元水夫と呼ぶべきかもしれない‐レンムは必死で、体温を奪い去ろうとする、レイシン河が河底へと誘う声を無視して隊司令部の下へと練達の泳ぎで向かっていた。艦を離れたのは決して臆病風に吹かれたからではない。敵の戦術の秘密を知ったので、この情報を一刻も早く伝える為だった。

 お互いが協力しているならともかく、艦から艦へと乗り移るのは容易ではない。その常識を破って僚艦レーゼングリュナム1が三隻の敵艦にあっさりと接舷されたのを目の当たりにした、レーゼングリュナム2の乗組員はみな固唾かたずを飲んで自分たちの艦に押し寄せる敵艦の群れを待ち構えた。既に回避は不可能という判断の下、漕ぎ手たちも腰掛の脇に置いてあるマスケット銃を手に取って甲板に出て、銃列に加わっている。だが、不埒ふらちな乱入者に鉛玉をぶち込んでやろうという乗組員たちを嘲笑あざわらうかのように、とんでもない衝撃がレーゼングリュナム2を襲った。レンムを含む何人かは水面に投げ出され、迫りくる敵艦の舳先へさきで待機するヴィセングルの兵を狙っていたはずの銃口はてんでばらばらの方角に乱れてしまった。

 だがレンムは艦から落ちてしまったのと引き換えに、敵艦が水面の下に備えていた、現代では時代遅れとなっているそれを見たのだ。

 この発見が戦況を変える事ができるのか、それは一兵卒の考える事ではない。水を吸い込んで体の動きを邪魔する軍服を器用に脱ぎ捨てながら、レーゼングリュナムを目指して泳ぎ続けた。


「思ったよりも逃げのびた艦が多いようですなぁ。総司令官はんも逃げ出さずに踏みとどまっとるし、なかなか上手くは行きまへんなぁ」

「軍師殿はなかなか強欲ですな。にくきアイユーヴの王子めも一廉ひとかどの武人。部下を見捨てて逃げる事はありますまい。軍師殿もそうにらんだからこそ、レンブラント砲の搭載を主張なさったのでしょう?」

 一方ロッテントロット都市連合艦隊の旗艦ウィルヘルムでは、予想ほどの戦果を挙げられなかったにもかかわらず状況に満足げな二人の男がのんびりと会話をしていた。

 片方は身長2メードになんなんとする長身に、その背丈が普通に思えるほど鍛えた筋肉を付けた巨漢だ。短く刈り込んだ焦げ茶色の髪、ロッテントロットの伝統にならって頬や鼻の下は綺麗に剃り、髪と同色の顎髭あごひげのみを豊かにたくわえた、如何にも都市連合の軍艦に有るのに相応しい姿。名はリーゼンバーグ・フォン・ラインズマン。長年に渡って、小競り合いを含めれば100回以上もサーマイヤーフとレイシン河の領有権を争ってきた好敵手だ。

 もう一人は本人の名乗ったところによれば用兵研究家のヨウ・ウンヒョウ。大陸の遥か南方から戦場を求めて旅をしてきたという胡乱うろんな男で、この辺りの出身でない証拠にヨウの方が姓であったり、不自由する程ではないが奇妙ななまりが抜けなかったりしている。リーゼンバーグと比べずともどちらかと言えば小兵で身体つきも細い。屋根のある艦橋なのに目深にフードを被っていて、瞳や髪の色は判らない。

 戦が順調だから二人とも穏やかに会話しているが、親交があるわけではない。ウンヒョウは才覚を買われて、ヴィセングルの都市長によって数年前に個人的に雇われた流れ者であるという立場を崩さず、専門である戦史研究の場でもヴィセングルの誰にも本音を明かさないし誰とも打ち解けようとしない。

 リーゼンバーグはウンヒョウに対して怪しげなよそ者という評価を隠しもしない。両軍のこれまでの戦訓をあっという間に取り込み、思いもよらない教導を施した‐その成果は今目の前にある‐恩師とも呼べる男だが、この戦いで多大な戦果を挙げたとしても、自分の理論が証明された事を確認すれば、誰とも喜びを分かち合わずにふらりと姿をくらましそうだと感じている。

「ま、王子はんもうすうす察してはるやろけど、本番はこのまま敵小型艦の退避に船足合わせて大型艦に切り込んでからや。ぼちぼちいきまひょ」

 怪しげな南方出身の男が総括するのに返答せず、リーゼンバーグはこのままサーマイヤーフに勝ったとして自分は満足できるか、などと少し先走った空想に耽った。

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