技術開示と王子の提案

 レオンハルトによるアイク島の説明も一段落し、再び皆で果実水をすすっていると、貴賓室きひんしつの扉が叩かれた。秘書官のラングルムが扉に近付き、レオンハルトやサーマイヤーフには届かない声でやり取りすると扉を開ける。

「閣下、失礼いたします。ルーチェ殿をお連れしました」

 開けられた扉からルーチェに同道した兵士、と言ってもレオンハルトは顔を良く覚えていなかった、がルーチェの到着を知らせる。

「待ちかねたぜ。レオンハルトが阿呆なせいで、一番知りたいあのでかい船の作り方が聞けなかったからな」

 どうやら本気で言っているようで、サーマイヤーフは相好を崩している。しかし何度も阿呆呼ばわりされたレオンハルトは当然面白くないので、思わず皮肉を返してしまう。

「閣下がお聞きになっても、結局は技術者が改めて話を聞きに来るのでしょう?」

「お、生意気なことを言うじゃねぇか。疲れただろうから先に一休みさせてやろうと思ったが、付き合わせてやるぜ」

 サーマイヤーフに無礼な口を利くのはある程度親しい者なら珍しくもないのだろう。ロギュートフもラングルムも上官への皮肉を素知らぬ顔で聞き流している。兵士に至ってもこの風潮は変わらないようで、最高責任者と客人がはたから見れば揉めているにもかかわらず、平然と割り込んでくる。

「ではルーチェ殿、こちらのソファへおかけください」

「ありがとう、ございます…わ、フカフカ!中に何か詰めてあるのかな…?」

「ん?アイク島には綿が無いのか?」

「あ、綿なん、ですか。有りますけど、贅沢品ぜいたくひんなので騎士、の、衣服くらいでしか…」

 ここに来るまでにサーマイヤーフの気性については説明が有っただろうが、ルーチェは親しい人間以外には極端に人見知りをする。レオンハルトに向ける闊達かったつな面影は完全に影を潜めてしまって、まるで借りてきた猫のようだ。

「はぁ、綿が贅沢品ねぇ…交易には期待できそうに無いな。まぁ、俺が聞きたいのはあの船の作り方でな。レオンハルトが言うには一世代前くらいに大きな変化が有ったって事だったが」

「それくらい前、で間違いない…です。えっと…大陸には魔物って…?」

「魔物?あの一抱え位のサイズの物騒な粘液の事か?」

「はい…あの、それを撃退すると一滴位の大きさになるんですけど、こっちでは重力水って言って…」

 話が自分の専門分野に入った事で、人見知りを放り出したらしい少女は先程よりも流暢りゅうちょうに話し出した。が、すぐに言葉を止めてレオンハルトの顔を伺う。大陸で知られていない技術ならば取引材料にすべきだとの判断だろうが、レオンハルトはサーマイヤーフが信頼に足る男で、しかもアイユーヴ王国の中では孤立と表裏一体の独立した地位を確立している事を既に知っている。王国にならばともかく、サーマイヤーフには駆け引きするよりも素直に明かして、その意を迎える方が得策だろうと思っている。

「ルーチェ、続けてくれ」

「え、うん。じゃぁ…その重力水には引力や斥力、を、操作する力が有るんですけど、大陸ではその事は…?」

「ほぉ、聞いたことねぇ話だ。この辺りじゃ精製水って呼んで、別の使い方をしてるぜ。まぁこっちに居ついちまえばすぐに知れる事よ、後でうちの技術者と意見交換できるように話は付けてやる。それで?その力で浮かしてるって話か?別にそんな事しなくても形がちゃんとしてりゃ鉄でも浮くだろ?」

「えっと、浮く事自体はそうですが、あれほど大きく、重くなると帆にはらむ風やかいの力で動かすのは無理で、それを重力水で軽くする事で解決してるんです。後は喫水が浅くなるから、浅い場所でも走れる様になったり…」

「成程な。大体は解った…それで、その精製水、じゃなかった重力水か。それの使い方は俺達でも真似できるのか?」

「ある程度の鍛冶の技術、が必要です、けど…多分レテンド大陸の方が、技術そのものは進んでるんじゃ、ないかなって…その、サーマイヤーフ様の船が、あたし達を脅迫した、あれ…とか」

「様はやめろ、小娘。司令か閣下と呼べ」

「はい…その、すいま、せん」

「脅してるわけじゃねぇんだ、そんなに縮こまるな」

「す、すいません。よく知らない人と話す、のはちょっと…怖い訳、では」

 目を伏せてつっかえつっかえしながら話す姿は、レオンハルトの目からも怯えているようにしか見えなかったが、実際単に人見知りが激しいだけだと知っている。助け舟を出すべきかとも思案したが、サーマイヤーフはどうやら納得したらしい。それ以上の追及は無く、船から航海の記録へと話題が移る。

 あくまでシムレー号に設置した特殊装備の開発者であったルーチェにも、船長と言っても名ばかりで航法は水夫たちに任せきりだったレオンハルトにも、当然船医のジークにも、荷の重い話になったが、それでも船が一丸となって乗り切った航海の記憶は誰の頭脳にも焼き付いている。

 三人がそれぞれ記憶を補い合いながら、出航から今日までの出来事を振り返りながら語るのを、サーマイヤーフだけではなく、ロギュートフもラングルムも真剣に聴いている。レオンハルトはその手応えに思ったより早くアイク島への帰還と両国の国交開通が叶うかと期待したが、その質問への答えは否だった。

「俺個人としては興味が有るがな、準備は必要だ。特にお前らの言う難所、岩礁の海域を通るには重力水とやらの技術を会得する必要が有るだろうし、いくら何でも勝手に外交を開いたと有っちゃ王宮が黙ってねぇ。そこは手順を踏んでもらうぜ」

「仰る通りです。焦りが過ぎたようで、申し訳ありません」

「別に謝ってもらうような事でもねえ。で、いい機会だから今後の手順って奴を簡単に話しておくか」

 手順も何も、単に自分達の来訪を中央政府に報告するだけではないかと思ったが、それでは問題が生じるらしい。辺境に封じられた妾腹の王子が率直に伝えると、単なる難民扱いされる可能性が高いらしい。サーマイヤーフの全くの好意で、シムレー号乗組員の地位を押し上げるのだという。具体的には彼の保有する財力で、アイク島を遥か遠くに有るが富の溢れる強国に見せかけるのだそうだ。

「しかし、それは完全な噓ではないでしょうか。アイク島では金銀といった希少金属はほとんど産出しませんし…」

「なに、お前たちが何か言う必要はねぇ。王宮へと上がる段になったらちょいと着飾るだけの事よ。それに丸っきり下心無しってんでもねぇ。アイク島なる”強大な他国”の後ろ盾があると思わせれば、俺も今よりは気分良く過ごせるって寸法よ」

「はぁ…」

 わざわざ危ない橋を渡るほどの見返りがサーマイヤーフには無いような気がして、レオンハルトが首肯しゅこうできずにいると、控えていた秘書官のラングルムが口を挟む。

「レオンハルト卿、閣下の心遣いをお受けくださいませ。失礼を承知で申し上げますが、シムレー号の皆様のご様子を拝見する限り、アイユーヴ王国はアイク島の存在を握りつぶすことすら有りうるのでございます」

「握りつぶす?」

「アイク島と国交を開くと見せかけて、アイク島からこちらへと渡ってきた皆様の同胞を、罪を犯した奴隷として他国に売り払う、という事でございます」

 世間知らずのルーチェだけでなく、レオンハルトもジークも知らない言葉が出てきた。会話のニュアンスから低い身分を指すらしいとは察したが、自分たちがそうなるかもしれないとなれば、詳しく知っておくに越したことはない。

「奴隷?というのは?」

「その生命そのものを他人の所有物にされた人間の事です。所有者の許しなくしては生き方を定める事すらままなりませぬ。公的には禁忌とされていますが…借金を重ねた者がその弁済の代わりに一生を他人に従属して生きるというのは、未だに無くなりは致しません」

「なるほど、閣下のお立場ではアイク島の存在をこの大陸の他の勢力に知らしめるのは難しい。アイユーヴ王国が公認し、他国に周知しない限りはアイク島の島民はレテンド大陸に来た途端、何の背景も持たない流民同然…」

「そういうこった。ま、確かに多少無理筋ではあるがな、最初に堂々としてりゃ勝手に向こうで勘違いして話が流れていくだろ」

 そう言ってサーマイヤーフは手元のグラスに口を付け、中身が空になっているのに気付いて兵士に合図する。恐らく照れているのだろうが、恩義を受けた身で指摘するのは躊躇ためらわれ、アイク島生まれの三人も同じようにグラスの果実水をすすって場を持たせる。

「後はまぁ…お前だけじゃなく、全員上辺だけでなく、中身も立派な国の勇者らしくなってもらうぞ。こっちから報告を上げて、王宮から呼び出されるまでの間、俺の部下の調練に混ぜてやる。まぁ幕僚からは忙しい時に余計な仕事を増やすなってどやされるだろうが…」

「忙しいのですか?」

「河向こうの様子がどうもここんとこ慌ただしくてな…今までの小競り合いのつもりでは無い様な気がするんだが、正直本気で攻めてきた所でうちをどうにかできるはずは無くてな…」

「はぁ…?」

「まぁ、ずっと孤独に生きてきた連中に戦争の機微を話しても判らんだろうが、隣の国は都市連合って言ってな。小さな国が周りに潰されるのは御免だってんで集まったような感じでよ、一応ひとまとまりになっちゃいるが、お互いが本当の意味での仲良しじゃねえんだ。おかげで周りからはうかがい知れねぇ理由で動き出すって事が有るのよ」

「それで戦争…人が死ぬかもしれないのにですか?」

「馬鹿々々しいだろうがそんなもんよ。まぁそんな訳で今日の宴はパーッとやるが、その後はしばらく俺はお前さんたちの相手はしてやれねぇ。基本的にはロギュートフに話を通しな」

 サーマイヤーフが視線を向けると、心得た様子で副官が無言で頭を下げる。これから何かと世話になるだろうレオンハルトも深い礼を返した。

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