祝宴

 その日の夜は式典での宣告通り、レイシン河方面政庁および軍には突発的な事態だったにも関わらず、盛大な宴が催された。

 百人以上が一堂に会することのできる大広間に、精緻せいち刺繡ししゅうの施された月光をかすかに通してきらめいている様にも見えるカーテン、何の毛を使っているのか足首まで沈み込む真っ赤な絨毯じゅうたん豪奢ごうしゃなシャンデリアなど、アイク島では漁師に過ぎなかった水夫たちだけではなく、王宮への出入りを許されていたレオンハルトも目を見張るようなきらびやかな会場は、シムレー号の乗員にレテンド大陸が希望に満ちた新天地との思いを強くさせた。

 そしてその広い空間の壁際には、クリームホワイトの生地が掛けられたテーブルが会場をぐるりと囲むように並べられ、その上には見た事もない色どり鮮やかな料理と、真っ白い陶器に青の釉薬ゆうやく蔓文様つるもんようを描かれた取り皿が並べられている。緞帳どんちょうで小さく仕切られ、レオンハルト達の視線を遮った向こうから、恐らく管楽器と弦楽器だろうとのみ感じる豊かな音色が静かな音楽を奏で、華やかさの中に落ち着いた空気を作り出す。

 この別天地へと踏み入るに相応しい華美な装いをサーマイヤーフから借り受けたシムレー号一行は、自分たちが蝶ネクタイを遊び半分で締められた鼠か何かであるように、コソコソと会場の片隅に集まろうとした。だが、本来今日の主賓である彼らにそんな態度は許されない。黒を基調としてあちこちに金糸を縫い込んだスーツを着せられたレオンハルトと、たった一人の女性とあって政庁からき集められたドレスを一着一着あてがわれ、生まれて初めての化粧も経験して既に疲労困憊ひろうこんんぱいのルーチェは、臨時でホスト役を任されたロギュートフに連れられて、上座で待ち構えるサーマイヤーフの下へと連れ立つ。

 さらに二人の顔を熱くさせるのが、それが作法だからとレオンハルトの肘を張った左腕に軽く腕を絡め、大きく広がったドレスのスカートをちょこんと摘まむルーチェの姿勢。まるでままごとだな、とレオンハルトは半ば現実逃避気味に考えながら、早く自由に過ごせる段階が訪れるのを待ち望む。

 社交の場だからだろう、今はブルネットの髪を簡単に結ったサーマイヤーフの隣には、薄青のシンプルなドレスを身にまとった女性が親し気な笑顔を浮かべて待っている。女性は王子のそれよりもやや濃い色の髪を高く結い上げ、銀の輝きの髪留めを差している。サーマイヤーフは妻帯していないと言っていたが、わざわざ形式に合わせて女官を伴ったのだろうか。華やかな社交の場にしては、軽く紅を引いているだけであまり化粧っ気を感じさせない。

「サーマイヤーフ・サエ=アナン・アイユーヴレイシン河方面軍司令官閣下、アイク島王国大使、レオンハルト・カシウス卿をご案内しました」

「ご苦労、ロギュートフ・コンラッド卿。ようこそいらっしゃった、レオンハルト卿。今宵は両国の今後の友好を確固たるものにする宴、存分に楽しんでゆかれよ」

「アイユーヴ王国の友情に感謝して、レオンハルト・カシウス以下シムレー号乗員は今夜の記憶を永遠の物とするでしょう」

 今更レオンハルトとサーマイヤーフの間で形式ばったやり取りなどしても仕方が無いのだが、これもアイク島のメンバーをアイユーヴ王国の社交に馴染ませる為の苦労の一環である。具体的にはレオンハルトではなく、今後社交の場で華となる予定のルーチェの訓練である。

「サーマイヤーフ、閣下。今夜はすて、きな夜会へのお招き、まこ…とに。ありがとうございます。隣のレディ、をご紹介、いただけます、か」

 予め決められた文句を復誦するだけで精一杯。言葉はつっかえつっかえ、笑顔はガチガチで前もって説明されていた、レオンハルトに絡めていた手を解いてサーマイヤーフに差し出すのはすっかり忘れている。

「30点、だな。まぁ追々慣れるだろう。ルーチェ嬢。こちらはレイシン河方面政庁の政務官の一人で、ライナ・ローレンツ嬢。今宵は共に語らって欲しい」

 そう言ったサーマイヤーフは無理やりルーチェの手を取ってその甲に口付け、その手を女性の方へと渡す。

「ライナと申します。ルーチェさん、お話を聞かせてくださいませ」

「よ、よ、喜んで!」

 声は裏返っていたが、優しげなライナの微笑みに促されてルーチェは女同士、少し離れた場所へと歩み去っていく。どうやら落ち着いてリードしてもらえるようだと安堵したレオンハルトはサーマイヤーフに向き直る。

「わざわざ政庁舎の職員をこのために呼んでくださったのですね」

「あ~…いやぁ、な。公式な立場としては役人の一人って事にしてるが、まぁつまり俺の情婦だ。俺は王族のめんどくさい立場を子に継がせたくなくて結婚してないが、子も何人か産まれてる」

「…では、実際には奥方と思って接すれば?」

「そうだな、今後も何度となく顔を合わせるだろうから、見知りおいてくれ」

「お子様もいらっしゃったとは思いませんでした」

「俺の歳ならおかしなこともあるめぇ。だがなぁ、せっかく自由な立場にしてやったのに、軍に入りたいとかぬかしてるらしい」

「尊敬していらっしゃるのですよ、父親を」

 父の話題となると、相変わらず苦い物がよぎる。出航にあたって素直に旅路を祝福してくれた父に申し訳ないとも思うが、5年間ほど、それはレオンハルトの短い半生にとっては殆ど、の間ギクシャクした記憶は体に染みついている。その表情をとらえて、年長の友人とも保護者ともいえる海の男は面白そうに喰いついてくる。

「なんだ、おめぇは親父さんが嫌いか?」

「とんでもない。愛していますし、尊敬もしています。ただ父は大きな業績を上げた方だったので、それに相応しい息子かどうかがいつも気になってしまって…」

「ふん、それじゃこの航海が終わって帰るころには円満だな、つまらん。他人のお家騒動は楽しめるんだが」

「…控えめに言ってもろくでなしの言い分ですよ、それは」

「気にすんな。それより昼間少し話したろう。航海中の武勇伝でも聞かせて貰おうじゃねぇか」

「そうですね…やはりまずは陛下からの祝福を受けた出航式からでしょうか…」

 生きた時間も船と向き合った時間も、気性も育った環境もバラバラの二人だが、不思議と馬が合う。会場を見渡せば、おっかなびっくり会場入りしたシムレー号の乗員たちも、少しずつばらけてそれぞれにアイユーヴ王国の招待客-政庁の役人、軍の将校に加えてそれらと取引のある大商人や寺院の聖職者など-にそれぞれに航海の自慢話などをしているようだ。

 初めて味わう料理や酒の旨さも彼らの心を解きほぐすのに一役買っているだろう。

(ようやく安心できる場所に辿り着いたのだものな…これから先、アイク島のために面倒な政に関わっていかねばならないとしても、今夜だけは皆心穏やかに過ごして欲しいものだ)

 旅は長く、道は遠く険しい。だが今日の和やかな宴が乗組員たちの心のひと時の慰めになる事を願いながら、レオンハルトはサーマイヤーフに岩礁海域で現れた巨大な魔物の脅威について少し大げさに語って聞かせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る