若き騎士の狼狽

(さて、閣下には努力すると言ったものの、どうしたら良いだろう…?)

 ルーチェの技術開発への参加に口添えするとサーマイヤーフには告げたが、レオンハルトには実際にルーチェを説得する妙案があるわけではない。そんな物が有るのならばお茶会の時になにかアドバイスできていた。いつもの事ながら清潔さを保った廊下を、頭から吹き出した煙ですすまみれにしそうなほど悩みながら、このひと月で慣れた足取りで艦長待遇で与えられた個室へと戻ると、真っ直ぐ壁際に寄せられたベッドへ歩み寄って寝っ転がった。

 故郷であったら絶対にしなかった無作法だが、海上をく間は艦長室と言っても執務用の机など無かったので、ベッドに転がって考え事をする習慣が付いてしまった。

(ルーチェが忌避きひしているのは自分の発想が人を傷付ける技術に利用されることなのだから、平和利用するしかない技術の開発を促せばよいのか?いや最先端の技術は閣下の部下である軍の技術者が保有している。いくらルーチェと言えども彼らの協力なしに、今まで学んできたのとは全く異なる技術を学び取って新しい技術を生み出すなど無理だろう)

 何度もルーチェを説得しようとする度に確認した基本に立ち返って考えを進めていく。迂遠うえんなようだがこの思考法がレオンハルトには合っているというか、以前はここまで考案した。では次は、という風に思案を進めようとすると必ず何かを見落としてしまう。

(ルーチェの考えた技術は軍事転用される。それで戦況を優位に進めることは味方の命を守ること…駄目だな、そんな当たり前のすり替えで納得できるはずもない)

 それで納得するようなら兵器ではなく後方支援に寄与するような発明を行えば済む。それでも結局は効率よく兵士を運用して、敵兵を大量に殺すことになるからルーチェは二の足を踏んでいるのだ。ルーチェが技術開発することで敵味方に関わらず戦死者を減らす…そんな方法が有るのだろうか?

 またいつもと同じところで思考は迷路に入り込んでしまった。だがここで立ち止まっては普段と変わらない。自分では無理、で諦めてはサーマイヤーフに申し訳が立たない。そもそもレオンハルト、いやアイク島民とサーマイヤーフとの貸し借りの収支は、大きく借りの方に傾いているのだ。ルーチェが人命を重視するのも人の道ならば、サーマイヤーフに対する大きな恩義を返そうと自分のこだわりを捨てることも人の道ではないだろうか。

(この論法で話したことは無かったはずだが…とはいえ、ルーチェの信条をげるほどの強い理由ではないな。同じ人の道の問題だというなら各々のバランス感覚という物が有る…ではなぜ私はルーチェが人命を尊重する事よりも閣下への恩義にこだわっている?)

 考えてみたがそれは理屈というよりは、最初にサーマイヤーフに出会った時から感じていた、この男とは馬が合う、という直感によるものが大きい。そしてそれは実際に付き合っていく中で深まって行った。性格などはとても似ても似つかないのだが、彼の豪放磊落ごうほうらいらくさはなぜかレオンハルトに胸のすくような思いを抱かせる。

 ではルーチェにはそんな相手がいるかと言えば答えは否だ。元々人見知りする性格も有って、このアイユーヴ王国にはほとんど馴染なじめていない。作法指南役のロギュートフと、どうやら宴の時にリードしてくれたライナにだけは、とにかく話す程度の事は出来ているようだが…

「よし!」

 ルーチェにこのシルマンテの街に愛着を抱かせよう。それでもしかしたら、敵兵よりも味方の命を重く感じてくれる結果が生まれるかもしれない。

 方針が決まって気が楽になると眠気が襲ってきた。実際に戦場に出ていたサーマイヤーフに聞かれたら笑われるだろうが、大敗した総司令官を迎えるのに思った以上に気疲れしていたらしい。

 クローゼットから楽に着られるように少し大きめに仕立てられた寝間着を取り出して着替えると、今度は本当に眠るためにベッドに横になった。


「ルーチェは昨夜街に出て、それから帰っていない?」

「左様ですレオンハルト様、ルーチェ様は昨晩、戦闘の結果とサーマイヤーフ様のご無事をライナ様にお伝えするとおっしゃって市街へおいでになり、それからこちらの部屋には戻っていらっしゃいませんでした」

 翌朝、早速シルマンテの街に二人で出かけようとしたレオンハルトは、見事に出鼻をくじかれた。ルーチェに割り当てられた部屋を訪ねると、ルーチェの部屋を世話する使用人から昨晩からルーチェが戻ってきていない、という事実を知らされたのだ。

 ルーチェはライナを訪ねた後、夜遅くなってそのままサーマイヤーフ邸の厄介になったのだが、そうとは知らないレオンハルトはルーチェの身に何か起こったのではないか、と心配になる。

「ありがとう、ルーチェが戻ったら私に連絡するよう手配してほしい」

 一先ずそれだけ言葉を残し、捜索の手筈てはずを整えるために街の警邏に当たる兵士に依頼する事に決め、隣に建つ軍庁舎に向かった。


 レオンハルトは毎日の鍛錬を欠かさないために、倉庫に必ず預ける事になっているデュラディウスを受け取りに毎日軍庁舎を訪れてはいるが、それはいつも夕刻の事である。既に顔馴染なじみになっている門衛は、昼前に現れたレオンハルトを見て怪訝な顔をした。しかしスケジュールが変わることも有るのだろう、と直ぐに自分の中で納得したようで親し気に声をかけてくる。

「よう、珍しい時間の来訪だな」

「ああ、おはよう。今日は別の要件なんだ。人捜しの依頼はどの窓口に頼めばいいのだろう?」

「市民の駆け込み口はいつもの受付のあるホールの奥の部屋だが、どちらにしてもまず総合受付の案内を受けなきゃならんぜ。あんたは閣下の客人だが、その辺で融通は利かんだろう」

「そうか、ありがとう。確かに特別扱いを求めるわけにはいかないな。急ぎだから失礼するよ」

 急く気持ちのまま、詳細を問いたげな顔にびて、受付へと大股で歩み寄る。これまた良く知った顔の受付が先導するままに扉を一つくぐり、市民の依頼を受け付ける部署で事情を説明する。

「背の高さは私より頭一つ分低いくらい、短く切り揃えられた金髪に翠色のパッチリした瞳、肌は浅黒くて…」

「なるほど、わかりました。閣下のお宅を中心に聞き込みを始めましょう」

「それと私自身も独自に捜索に出ても構いませんか?」

「連絡が行き違いになるのも困りますし、政庁舎に与えられた部屋でお待ちいただいた方が良いかと。お気持ちはお察しいたしますが、捜索は我々を信頼いただきたい」

「確かに。無理を言って申し訳ない。よろしくお願いします」

 気持ちは焦るが、土地勘もない自分が走り回った所で役には立たないだろう。それに専門家である警邏けいらの部隊の誇りを汚す事にもなる。自分に言い聞かせてレオンハルトは一旦政庁舎に戻った。


「レオンハルト卿、少し落ち着かれてはいかがですか?」

 軍庁舎では兵士の意見を聞き入れて兎に角政庁舎に戻ったのだが、ロギュートフに事情を説明した後、レオンハルトは檻に閉じ込められた熊のように部屋をうろうろしていた。

「はぁ、しかし…」

「ルーチェ殿が心配なのはわかりますが、レオンハルト卿がここで焦っていても何の解決にもなりませんよ」

「わかっているのですが、もし何か事件に巻き込まれているのかもと考えると、どうしても落ち着かなくて…」

「取り敢えず気持ちを落ち着かせる効果のある薬草茶でもれましょう」

 そう言ったロギュートフは普段とは違う小瓶から、ティーポットに二人分の茶葉を入れると、予め沸かしてあったお湯を注ぐ。その優しい香りは確かにささくれだったレオンハルトの気持ちを落ち着ける効果があるようだ。

 今の自分にできるのはルーチェの無事を信じる事だ、そう自分の無力を再確認したレオンハルトが薬草茶を音を立てないように、そして口の中を火傷しないように慎重に口に含んでいると、突然ドアが開いて愉快そうな大声が響き渡った。

「はっははは!心配性の騎士様の下へ、姫君をエスコートしてまいったぞ!」

 それは昨夜の意気消沈ぶりが嘘のようなレイシン河方面軍総司令官の姿だった。後ろには護衛らしき兵士と、普段以上に肩を小さくすぼめているレオンハルトの想い人もいる。

「ルーチェ、無事だったのか!」

「無事も無事よ!昨夜は遅くなったからサーマイヤーフ様のお家に泊めて貰ったの!捜索願が出てるって兵士さんたちがサーマイヤーフ様の家に来て、顔から火が出ると思ったんだからね!レオンハルトの馬鹿!」

 言いたいことを言うと、ルーチェはさっと身をひるがえして廊下を走り去ってしまう。

「はっはっは、そういう訳だ。気持ちは判るが早とちりして方々に迷惑をかけたものだな、レオンハルト」

「あ…え…?あ、はい…申し訳ありませんが失礼します。ルーチェと話しておきたい事が有るので…」

「おぅ、女に恥をかせないのは大事なことだ、構わんから行け行け」

 もしもの事態を想像して青くなっていたのが馬鹿らしい結末に脱力しかけたが、昨夜思い決めたルーチェにアイヤーヴ王国への愛着を持ってもらう計画のために、レオンハルトは思いがけない経緯で闊達かったつさを取り戻した年長の友人のもとを辞した。

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