悲しみの記憶

 レオンハルトの立場が降伏した捕虜から司令官の客分へと大幅に格上げされたことで、シムレー号も航行能力を奪われることなく入港を許可された。とは言っても常識外れの巨体を収めるスペースが無いので近海に錨を下ろし、乗組員はボートで少人数ずつ陸に上がる事になる。

 そもそも巨大すぎるあの艦でレオンハルト達が難所をどう切り抜けたのか、とサーマイヤーフは興味津々の様子だった。自分が忠誠を捧げた王とは全く異なる個性に奇妙に惹かれるレオンハルトだったが、個人的な好悪で交渉の切り札を切ることはできない。また手の内をさらすことについて、ルーチェの意見も聞きたかったレオンハルトは、自分はあくまでも名目上の指揮官なので艦に残った技術監督官あに聞いて欲しい、と逃げた。航海に関する技術については素人も良いところなので嘘ではない、と自分に言い聞かせたが、レオンハルトの倍以上を生きたサーマイヤーフは、こちらの誤魔化しなど分かった上で泳がせているようにも感じた。

 レオンハルトはルーチェと善後策を練る為に、乗組員の上陸の為にサーマイヤーフが貸し出してくれた、自分達が乗ってきた物よりやや大きな10人程度は乗れるボートでシムレー号へ戻った。


「レオンハルト、無事だったんだね!」

 シムレー号に戻るとルーチェが弾ける様な笑顔で出迎えてくれる。ルーチェの喜ぶ顔に強張った心がほぐれていくが、それはそれとして船員たちのニヤニヤ顔がレオンハルトには気恥しい。誰もが妻をアイク島に残している中、たった一人乗り込んだ女性であるルーチェとに振り回される、普段は堅物の船長として毅然きぜんと振舞うレオンハルトの奥手さは、乗員たちの格好の笑いの種だった。

「ゴホン、みんな、この地はアイユーヴ王国と言う。ここからでもうっすらと見える大河がレイシン河。王国は川を挟んだロッテントロット都市連合との間に長く緊張状態を保っているそうだ。先の威嚇いかく攻撃を行ったシューラリス号の艦長にして王国のレイシン河方面軍司令、サーマイヤーフ王子殿下は我々の上陸を許可してくださった。殿下のご厚意で小舟を貸し出していただいたので、順に陸地へ上がってくれ。それと殿下はご自分の身分を嫌っておいでだ。呼び掛ける時は王子ではなく司令、または提督とお呼びするように」

「うぅ…よく知らない人が増えるのか…ヤダなぁ」

「そう言やぁ、お嬢は最初の頃はえらく縮こまってやがりましたね。今じゃポンポン憎まれ口が飛び出してきやすが」

「うん、仲良くなるまではちょっとね…って憎まれ口って事は無いでしょ!」

「はっはっは。まぁかぶった猫が脱げても大丈夫って事なら安心でやしょう」

「うむ…まぁ、司令は荒くれ者を束ねる為というかなんというか、そう言った態度の方がむしろ好みな様子だ。だが私が王国の中枢部と交渉を持ってアイク島とアイユーヴ王国の間に国交を開くまでは、私たちの身分はあくまでも司令預かりの客人だ。節度は守ってくれ」

「合点でさぁ」

 レオンハルトがシューラリス号に乗り込んでからさほど時間が経っていないので、予想はしていたのだろうが、ルーチェはまだ交渉が決着する前にレオンハルトが一度帰還してきた事を指摘する。

「それにしても、まだちゃんと交渉が終わってないのに、レオンハルト戻って来ちゃったの?」

「あぁ、それなんだが…司令が客として扱ってくれるのは私がアイク島との国交に利が有ると諭した訳ではなく、単に孤立した島の現状に対する同情でね。今後例えば重力水について素直に明かすか、とかその辺りの事が話題になる前にルーチェに相談しておきたくて。そんな訳でルーチェは一番最後の便で陸に上がってもらうよ」

「ギリギリまで王国の人には内緒の話って事ね。しょうがないなぁ」

「実際の話、交渉の材料にできるような何かは有るかな?」

「アイク島の存在そのものは私達への好意で引き換えになるけど、ここまでの航路、特にあの群島海域についての情報は充分興味をけるんじゃないかな?」

 ルーチェが話題に挙げたのはこの航海において最大の難所であった、島というよりも岩山が乱立していると言った方が良いような海域だった。真っ白い身体に比して大きな羽が印象的な鳥類の群生地となっていて、もし安全に入る事が出来ればさぞかし目を楽しませたと思われたが、島と島との間隔が狭く、更に水深も浅いので座礁の危険と戦いながらの航行になった。おまけに島によって生まれる複雑な海流が重力水を刺激するらしく、始終魔物が艦の壁に打ち付けて皆に冷や汗をかかせた。幸い鋼板を魔物が食い破る事は無かったが、シムレー号に浮揚板によって限界まで喫水を浅くするという手段が無ければ、冒険行はそこで行き止まり。次は小型の艦による船団方式での挑戦になったろう。

 二人が話し合う間にも何度もボートが横付けされ、その度に船員が軽く挨拶を交わすと最低限の手荷物だけを持って乗り移って行く。年単位での冒険行が予想されたシムレー号には、まだ大量の食糧や薪、医薬品などが貯蔵されているが、それは今後改めて運び出すしかないだろう。

「重力水についての情報はどうなんだろうなぁ。大陸に魔物が居るなら誰かが開発に着手してると思うんだよね…威嚇いかくで撃ち込まれた何かの事を考えると向こうの方が技術はずっと進んでる気がする。海域を越えた手段の説明で明かすしか無いと思うな」

「そうか…下手に隠し立てするより、アイク島での生活などを細かに話して、海産物や習俗で好奇心を刺激した方が良いかもしれないね」

「そうね。それに王子様でもある司令官さんが直々に客人と明言してくれたんでしょ?軍関係に近付きさえしなければ、比較的自由に過ごさせてもらえるかも。最悪、全員ばらばらに監禁生活なんてのも有り得たから、予想より大分気楽に過ごせそうね」

「そうだね。そういう意味では楽観的になれるけど…司令は王子だが妾腹である、と仰っていた」

 レオンハルトがサーマイヤーフの正式な身分にまつわる話を出すと、ルーチェの知識には無い言葉だったようでキョトンとする。ルーチェは技術開発に必要な様々な分野に深い知識を持っている一方で、社会性に関する部分にはレオンハルトがびっくりするほどうとい所が有る。ただし今回はそれほど不思議でも無かった。なにしろ、アイク島では滅多に生じない現象なのだ、非嫡出子というのは。

「ショウフク?何それ?」

「妾…つまり本来の妻以外の女性との間に生まれた、という事だ」

「え?奥さん以外の人とその…そういう事するの?」

「アイク島では最も不道徳なこととして禁じられていたが…司令の口ぶりでは不道徳ではあるが、権力者ならばその辺りの禁忌を踏み越えるのは難しくない、という様子だったな。まぁ大陸での道徳観については、正直言って私達が触れるような事でもない。問題は司令の後ろ盾が王国において頼りない物になるかもしれない、という点だ」

「へ?アイク島の王様だってそう言うのとは違うけど、四人と結婚するし、どの女の人から生まれても王太子になる人はともかく皆対等でしょ?」

「私も妾という物は話に聞いた事しか無い訳だが、正式な結婚と比べると様々な面で不利になるそうだよ。司令が王族としての身分を嫌うのもその辺りが理由だろう」

「ふ~ん、難しいのね。でも結局あたし達はそのサーマイヤーフ様の後ろ盾を頼りにするしか無いじゃない?考えてもしょうがないよ」

「結局そこに戻ってきてしまうか。まぁ司令からなにがしか聞けると思おう」

 ルーチェが考えてもしょうがない、と言ったからにはこれ以上実のある話はできないと思ったレオンハルトが話題を転換しようとすると、結婚の話から連想された一人の女性が脳裏に浮かぶ。

みちならぬ恋、か…いや、すまない、忘れてくれ」

「シャーリーン様の事?」

「それは、その…隠そうとしても仕方ないか」

「別に忘れろなんて言わないよ…婚約者、だったんだもんね…」


 シペリュズ神殿の叛逆はんぎゃくという大事件を未然に防ぎ、当時は王太子だったロシュエイミーの信任を得て、未だ16歳でありながら異例の騎士団入団を果たしたレオンハルトに対しては、それまでのカシウス家への冷遇を打ち消すべくつなぎを付けようという有形無形の動きが有った。

 その中でも最大の物が政務局の重鎮ラヴィナント家との縁談だった。アイク島の慣習を破って、レオンハルトにめあわされた一回りも年上の女性は、ロシュエイミーとレオンハルトが急進的な改革を起こそうとするのを妨げる為に、実家ラヴィナント家から送り込まれた刺客の様なものだった。

 女性の機微にうとかったレオンハルトにも、シャーリーンに純粋な縁談以外の目的が有るのは感じ取れたが、丁重にいずれ妻となる女性として扱って、政治向きの話はしなければそれで良いと受け止めていた。その頃既にルーチェに対して単に親愛の情以外の想いを自覚していたレオンハルトは、その気持ちを押し留めるので精一杯で、他の女性にまで真情を込めて対する程の余裕が無かった事も有る。

 誰にとっても予定外だったのは、篭絡ろうらくする筈だったシャーリーンの方が、改革への熱意に溢れる少年と呼んで良い歳の婚約者を愛するようになった事。実家への忠誠、レオンハルトへの思慕、そしてルーチェへのどうにもならない嫉妬からの懊悩おうのうの果てに、彼女は毒をあおった。

 その後、ロシュエイミーの股肱ここうとして奔走し、シムレー号の建造計画、そして危険満ち溢れる航海と難題が押し寄せる中で、彼女の壮絶な思慕はレオンハルトの思考から追いやられ、いつの間にかという具合でルーチェと結ばれて、しばし思い出す事も無くなっていた。

「今更の話になるけど、あの頃君への気持ちを自分の中で素直に受け入れて、それはそれとして騎士の家を継いでいく義務を果たしていけば、シャーリーンはあんなやるせない選択をしなくて済んだんじゃないか、とも思うんだ」

「それは愛が無くても最初の子供を育てて、離婚するって話?でもレオンハルトがそんな風だったら、あたしレオンハルトを男として受け入れたりしなかったって思うな」

「そうなのか?」

「多分。シャーリーンさまは憎いはずの、それも平民のあたしにだって優しかったもの。その人を単なる騎士の体裁の道具として扱ったら許せなかったと思うよ。レオンハルトがそれまでの妹扱いとは違う風になってたの気付いてて、それでも鍛冶と発明で精一杯で見ないふりして…でも味方になってくれたレオンハルトの事はちょっと大事に思ってたから、余計に」

「…上手くいかないな」

「悪いのは結婚に政とか謀略とか余計な物を持ち込む人だよ。レオンハルトもシャーリーンさまも一生懸命だったんだから、悲しいけどそれで良いんだよ」

「君はきっぱりしているな。神殿の事件が無くてシムレー号が作られる事が無ければ、きっと一生独り身だったろうな」

「その代わりおじいちゃん以上の天才発明家になって、弟子だって山ほど取ってたけどね。あ、あれが最後のボートじゃないかな」

「うん、人数的にはそうだろうな。私も部屋からデュラディウスと指揮杖だけは持ち出しておくか。君も手放せない物はボートの到着前に取って来ておいた方が良い」

「う~ん、シムレー号の設計図は持って行こうかな、後は念の為に重力水の見本とか。それじゃまた後で」

 二人がそれぞれにシムレー号に与えられた部屋から荷物を持ち出して戻ってくると、ちょうど辿り着いたボートから船員が呼び掛けてきた。返事をしてレオンハルト達はボートの乗客になった。

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