伏魔殿に向かう前のひと時の安らぎ
それから数日、王宮への最後の
ルーチェの発明品が完成したのは王宮へと旅立つ前日、ルーチェはレオンハルトとサーマイヤーフを引き連れてサーマイヤーフ邸を訪れた。両手に細長い箱を抱えている。
「しかし嬢ちゃん、二人に何かくれるってのはありがてぇが、貴重な精製水を玩具にされてもちょいと困るぜ」
「だいじょう、ぶ…です。使う、のは…一滴で、す。それ、に…その、作る、ための…せいみ、つな、計算は…他の、ぎじゅ、つてんよ、う…にも…」
「一滴?…で物の役に立つような使い方?それは確かに面白そうだな」
「そう言えば、レテンド大陸式の使用法だと、精製水は大量に集めて一気に消費するのでしたね」
「ああ、一滴ごとに使うって発想そのものが無かった。そこにメスを入れてくれるだけでも、確かに有り難いかもしれねぇ」
ルーチェの言葉を呼び水にさかんに議論を始めた男たちの前を歩きながら、ルーチェは誇らしさと不安が7対3くらいの表情で歩いていた。応用が利くかどうかはともかく、精製水を平和利用することを思いついたのは嬉しい。しかしルーチェはこの玩具を本当にミーネロートたちが喜んでくれるだろうか不安に感じる。何しろ今まで直ぐ何かの役に立つ事ばかりを目指していたのだ。特別役には立たないが、なんとなく楽しい、などという物に目を向けた事は無かった。レオンハルトとの外出で見た玩具に触発されたが、他人が何を喜ぶかとなると全く想像の
しかし少女の若干の不安をよそに三人は目的地に辿り着く。手のふさがっているルーチェの代わりに、サーマイヤーフがドアノッカーを叩く。
「は~い!…あら、珍しい組み合わせね、あなた」
「おう、ミーネロートとシュワライムに贈り物って嬢ちゃんがな」
「ルーチェさんが?明日は出港で忙しいでしょうに、良かったの?」
「あ、はい。…ひょっとしたら王宮から帰ってからになるかな、と思ったけど、間に合いました」
レオンハルトはルーチェがスラスラと話しているのに内心驚く。先日二人で訪ねた時はまだたどたどしかった気がするが、忙しくなる合間を
「これ、ミーネロート君とシュワライム君にプレゼント、です」
「まぁ!とにかく上がって上がって」
レイシン河方面地域軍総司令官の内縁の妻に
「なんじゃ小僧、こんな時間に。サボりか?」
「二人の引率だよ、クソジジイ」
早速憎まれ口の
「今日はこれを二人に渡したくって。中はガラス細工だから、そっと開けてね」
「なあに?」
「それは開けてのお楽しみ」
「兄さん、早く早く」
「うん。よいしょっと…ガラスの筒?」
中身を見たミーネロートは不思議そうな顔をする。それはガラス筒の中に何か液体が充満して、ほんの一滴複雑に色づいた液体が入っているだけに見える。
「そっと床に置いてしばらく見てて」
ルーチェの言葉に従って、ミーネロートは慎重にガラスを床に置く。すると比重が周りより大きいのだろう、色の付いた液体がゆっくりと下に落ちていき…突然泡になって、勢いよく上に登っていき、水面を飛び出すとガラスの表面でカラフルな花が開いた。
花となった液体は筒の大部分を占める無色透明な方の液体の表面に集まり、再びゆっくり沈んでいく。そしてまた泡となって立ち上った。
「すごい!水のお花が咲いたよ!」
「ルーチェお姉ちゃん、何これ何これ?」
少年たちは大喜びだ。レオンハルトもサーマイヤーフも興味深くそのガラス筒を見つめる。
「この色が付いてるのが精製水か?しかし、こりゃどうなってんだ?」
「封入されている液体はほとんど全て、精製水の
あくまでサーマイヤーフの息子たちの方を見ているためか、ルーチェはすらすらと説明できている。
「いくつかの染料を混ぜて色を付けた精製水は、油の中を落ちていく中で熱を帯びて
レオンハルトはその説明に少し不安になる。
「精製水を
「一滴だけだから。ガラスも熱に強い特別製。一番苦労したのは依頼したガラス職人さんかも」
「ところで熱くなるってのはどういう訳だ?」
「流体の抵抗…うーんと、何かを手で
ミーネロートもシュワライムも、ルーチェの説明は全くわからない様子で、ただじっと時折ガラス面に咲く色とりどりの花を見つめている。それでルーチェにも満足してくれたと判るのだろう。自慢げに二人の様子を見守っている。
サーマイヤーフは息子たちの様子を楽しげに見守っていたが、やがて咳ばらいをすると話しかける。
「ミーネロート、シュワライム」
「どうしたの、お父さん」
「父さんな、しばらく出張でこの街を離れるんだ。母さんを頼むぞ」
「お父さん、お出かけ?お土産買ってきてくれる?」
「…うん…」
真剣な様子にミーネロートは何かを察したのだろう、はしゃぐ弟とは対照的に神妙な顔をしている。今回の敗戦での死者の数字は、歴史的なものだ。サーマイヤーフの立ち位置では、詰め腹を切らされるという事も有り得ないではない。そこまでの事は想像がつかないだろうが、幼いながらにミーネロートは真剣だ。
「任せてお父さん、ちゃんとお母さんを助けて、毎日頑張るから」
「ああ、頼むぞ…お土産も楽しみにしてろ、嬢ちゃんのよりすげえ奴は思いつかねぇが、
「僕はお父さんの絵、好きだよ。なんだかあったかい」
ミーネロートが気持ちを受け取った所で、サーマイヤーフは周りも神妙になっているのに気付いて明るい話題を出す。父が笑ってくれたので、ミーネロートも嬉しそうだ。まだ幼いシュワライムには空気が異様さは判らない様子だったが、皆それが逆に自分たちの心の重さが
サーマイヤーフの宣言通り、レオンハルト達は明日このシルマンテの街を発ち、港からシムレー号に乗り込んで王都を目指す。それはアイク島から此処までの航海とは比較にならない穏やかな海路だが、その先には伏魔殿が待っている。季節はまだ冬、木々は寒風に耐えながら寂しい姿を
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