二章

王都への航海

 アイユーヴ王国の沿岸を、常識外れの巨艦が荒れ狂う波にまれながら東へと進んでいる。その威容は時折冬の頼りない日差しを反射して鈍く光り、その船体が金属製であることを表している。にもかかわらずその喫水は浅く、一方で外海の高い波があちらこちらから打ち付けても小揺るぎもしない。

「実際乗ってみると大したもんだな、このシムレー号は」

 アイユーヴ王国第三王子にしてレイシン河方面地域の実質的な領主であり、方面軍総司令官でもあるサーマイヤーフ・サエ=アナン・アイユーヴは初めて乗った異国の巨艦を率直に称賛しょうさんした。だがその裏にはこの技術を是非とも自分たちの物にしたいという思いが有り、開発者であるルーチェは迂闊うかつに対応して軍艦に採用されることを未だに危険視している。レオンハルトの後押しやサーマイヤーフの内縁の妻ライナとの交流など、サーマイヤーフを近しく感じるようにはなっているが、今回王宮へ入るのに先んじてロッテントロット都市連合との戦争で記録的な大敗を喫して、立場の危うくなった男の言動を見極めてから協力するかどうかを判断するつもりでいる。逆にサーマイヤーフとしては今危うくなっている立場を補強するために、異国で生まれた新技術を獲得したいのだが。

 双方の事情をわきまえているレオンハルトとしては、この件でそれぞれに信頼関係を結んだ両者が角突き合わせる事を望んでいない。事なかれ主義に属する発想だが、サーマイヤーフが踏み込む前に話題を変えようとして、同乗したサーマイヤーフの政務における副官ラングルム・セルバンテスと軍での副官コンライレン・シュードクリフに水を向ける。

「ラングルム殿とコンライレン殿は乗り心地など、いかが思われます?」

「そうですな。私などは船などほとんど乗りませんが、酔う心配のない安定性が助かります」

「確かに。軍人としては並の大砲など弾き返しそうな鋼板でできている船を、こんなに軽々と扱えるというのも魅力です」

 ラングルムはレオンハルトの思惑に乗ってくれそうだったが、コンライレンはやはり軍人であることから離れられないのか、あるいはレオンハルトの意図に気付かなかったのかまさしく率直に技術を求める意見を提示した。

「か、軽々と言えば!この大陸式の三角帆と言うのは見事ですね、風上に向かって船が走るとは思いもしませんでした」

「大分苦しく誤魔化しやがったな。実際俺もその辺の理屈はいまいち判ってねぇんだがな。逆に完全に風任せの四角帆でよくこの大陸まで来れたって航海士は驚いてやがったが」

「う、うう…何でもかんで、も。浮揚、板の…話、に…でも、その、重力…じゃ、なくて、精製水、にこだわってる…レべ、ル…じゃ、ない、です…その、今度、の戦争、の話…」

「あん?もう二度とあんな奇策でやられやしねぇぜ、俺たちは」

「あの…奇策、なんか、じゃ…無い、です」

 そのルーチェの断言にサーマイヤーフもコンライレンも驚く。彼らの認識では今までにない奇想天外な戦法に翻弄ほんろうされた、という認識だったのだが。

「えっと…目が合うとあれなんで、ちょっと失礼します」

 そう言ったルーチェは無礼は承知で話題とは無関係な海図に目を落として話し始める。目が合わなければ大分流暢りゅうちょうに会話できるようにはなってきたのだ。

「まず、両軍の位置取った距離なんですが、何を基準に決めた物ですか?」

「そりゃあ、マッコミヤット砲…都市連合ではレンブラント砲って呼んでるが、その射程だぜ」

「それでマッコミヤット砲は連発出来ますか?」

 当然無理だ。精製水を火薬代わりに使うマッコミヤット砲、あるいはレンブラント砲はその絶大な長射程を生み出す爆発力に、砲身がとても保たない。更に発射とともに失われる精製水の消費も膨大ぼうだいなので、一戦で二発撃つことはまず無い。

 その辺りは恐らく技術者として何度も説明を受けただろうルーチェだけでなく、レオンハルトも話を聞いている。それだけにレオンハルトはルーチェが当たり前のことを再確認しているだけのように聞こえる。

「ルーチェ、それはもう閣下も良くご存知だと思うのだが」

「レオンハルトは黙って。この当たり前の事実を積み重ねるのが大事なのよ。二発撃てない、それに貴重品。帰結するところ、旗艦以外に向けて撃つ事はほぼ有りません」

「まあ、そりゃそうだな」

「つまり実際にはマッコミヤット砲は戦力としては考えない方が良いのです」

「…ん?」

 マッコミヤット砲の威力、今回の戦ではまさにそれで九死に一生を得たサーマイヤーフはその結論に驚くが、ルーチェの言い分は改めて考慮こうりょすれば理解できる。確かに今までの戦でも、お互いの旗艦を牽制けんせいする以外の使い方をしたことは滅多に無い。今回は圧倒的優位に油断したらしいリーゼンバーグが注意を怠っていたが、この十年で実際に撃つ機会など無かった。

「でも一発で戦況を覆すその威力を警戒しなければいけないし、いざとなればと言う気持ちも生まれます。結果として火薬式の大砲を基準にするよりも遠距離で作戦を立てるのに慣れてしまっていたんです」

「つまり嬢ちゃんの言い分はこうか。本当なら今回のように砲撃をかいくぐって艦に乗り込んで、銃を撃ち合うほうが自然な戦い方だ…」

「そうです。サーマイヤーフ様は剣術は得意だけど戦場では役に立たない、とおっしゃったそうですけど、ひょっとしたらそれも間違いかも知れません」

「…証明できるか?」

「それは私にはちょっと無理です。前にロギュートフさんに聞いた話だと、剣術も馬術も軍で訓練はしているそうですから、専門にした部隊を作って活躍させるのはできるかも?」

 もしルーチェの理論を形にできれば、敗戦から戦訓を得てきたとしてサーマイヤーフの苦境は和らぐかもしれない。騎馬兵や剣兵をロッテントロットとの艦隊戦に活かすことはできないだろうが、王国にとってより伝統的な敵国シンドゥムとの戦いは陸戦であり、銃列兵に対して優位に立つ部隊を構築できれば大きな手柄となるだろう。

「それに、大砲の改良もちょっと…」

「ん?それはありがてぇが、専門外だし、兵器の開発は嫌だったんじゃねぇのか?」

「兵器って言うか、人殺しの道具が嫌だからで…今の戦場だと砲撃戦ならむしろ戦死者は出ないって聞いて」

「そういう物なのかい、ルーチェ?」

 レオンハルトにとっては、大砲と言う恐るべき兵器を使う戦いの方が戦死者が少ないというのは意外な意見だ。それを口にしたルーチェに疑問をぶつけるが、この話は専門ではないルーチェはその視線をサーマイヤーフへとバトンタッチする。

「大砲の弾はただの鉄のかたまりだからな。運悪く直撃しちまったやつとか、命中した時に火薬が爆発して火災が起きたとかでなきゃぁ、動かなくなって少しずつ沈む艦からボートで脱出できる」

 簡単に説明した後、サーマイヤーフは本題へと話を戻す。

「で、嬢ちゃんの改良ってのは?」

「大砲の弾、丸いですよね」

「んぁ?」

「ほら、ミーネロート君たちに作ったあの玩具の時、液体の抵抗の話しましたよね。抵抗が有るのは空気も同じで…だから、くさびみたいに切り裂く形にしたら今よりずっと速く遠くに飛ばせるはずなんです」

「結局長射程の方が有利なんじゃねぇか、何だったんだ最初の話は」

「それは、だからその、今の大砲の射程や精度ならそうではないという話で…」

「ルーチェ、閣下は冗談でおっしゃっている」

「へ?」

「うん、頑張って目を見られるようになろう」

 ルーチェがちゃんとサーマイヤーフを直視していたら、年齢に似合わない悪戯いたずらっぽい表情が見えていただろう。別にサーマイヤーフはルーチェに人見知りの解消に向けた努力をうながしたわけではないが、良いようにあしらわれて自分の欠点を自覚したのだろう。それまで自信ありげに説明に回っていたのも恥ずかしくなって、航海室から退散することにしたらしい。

「甲板でカイトさんたちの様子を見てきます」

「それは構わないけど、外は寒いから暖かくしていってくれ」

「…子ども扱いしないで」

 今まさに子供の様な態度に出た15歳をどうさとしたものか、祖父に勝るとも劣らぬ賢者の顔と傷つきやすい年頃の少女の顔を持つ、自分に最も近しい女性の不安定さを今更ながらに確認しながら、レオンハルトはようやく首が隠れるほどまで伸びてきた金髪が揺れる後姿を見送った。

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