ヨルムベルトの難詰
「首府艦隊司令官閣下、サーマイヤーフ・サエ=アナン・アイユーヴ殿下をお連れいたしました」
「入っていただけ」
案内の官僚がドアをノックして呼びかけると、待ち構えていたように‐実際待ち侘びていただろうが‐中から返答があり、丁寧に磨かれてはいるが
サーマイヤーフが副官二人を伴って入室すると、年齢のわりに黒々とした髪を丁寧に撫で付けた、とてもお飾りの艦隊の司令官とは思えない鋭い眼光が三人を出迎えた。サーマイヤーフは彼の普段の言動を知るものが見たら
副官二人は礼などはせず、直立不動でサーマイヤーフの背後に控える。彼らはこの場では言ってみればサーマイヤーフの従者、気配を殺して居ない者であるかのように振舞う事こそ作法である。
サーマイヤーフの敬礼に答礼したヨルムベルトは、その鋭い眼光に似合わない穏やかな口調で、サーマイヤーフに楽にするよう命じる。その口調の優しさに、ラングルムとコンライレンは事前の予測通り、ヨルムベルトがサーマイヤーフに対して好意的な人物と思って気を許した。
だがサーマイヤーフは違った。幼い頃、王族とは名ばかりの下女の生んだ子と
「本来軍人である私がいう事ではないが、まずはアイク島、という異国からの使者を迎え入れて歓待したサーマイヤーフ殿下の労をいただきましょうぞ」
「
「うむ、何より言葉が通じると言いうのが有難いことです。法務部の友人の話では、遠方から訪れる冒険商人や交易商人との間の取引では、お互いに誠実な取引をしているつもりでも互いの交渉が食い違って
そこまではいくらか
「さて殿下、ここからは首府艦隊司令官兼アイユーヴ王国海軍総司令、つまり軍部における殿下の上官として幾つかの確認と殿下にとって有意義と思われる提案をさせていただきます」
「提案、ですか?」
「その内容については後程。まずはこの度のロッテントロット都市連合の艦隊との戦闘についての
「もちろん正確な報告と、この度の、敢えて申し上げますが
「ほう、新たな知見。しかしまずは正確な報告からですな。その情報が無ければその知見とやらについての検討も不可能です」
ここで単に負けただけでは無い。今後
「まず大前提として、王宮からは友邦たるロッテントロット都市連合との間に、要らぬ
「それは…」
準備不足の所を突かれてしまった。都市連合との間での戦闘を控える、という判断はサーマイヤーフに武功を立てさせたくない王太子からの要求だったので、第二王子派のヨルムベルトから
「誠に申し訳ありません。アイク島の使節団を歓待するにあたって都市連合の文物を取り寄せたのですが、ご存じの通り都市連合は一枚岩ではなく、各都市間で複雑な外交力学が働いています。その輸入が巡り巡ってもっとも我が国に近く、関係が良くない都市ヴィセングルの暴発を誘発したようです。もちろん激発を抑える外交努力はいたしましたが、力及ばず…」
「ふぅむ。私も殿下の、いや貴官の前任としてレイシン河方面の軍を束ねていた。かの国の複雑な事情は知っている」
一旦は同情的な言葉を示してみせたが、ヨルムベルトは遂にサーマイヤーフを王族ではなく、単なる部下として呼びかけた。これから牙を
「しかし使節団を歓待するならば、むしろ我が国の品々を取り寄せるべき。何故わざわざ危険を冒してまで都市連合に手を伸ばしたのか、理解に苦しむ」
「申し訳ありません。レイシン河方面地域はいかなる理由かはわかりませんが、王国の他の地域との物流が
「貴官らとアイク島の使節団をビーニーグルまで護送したゾイゾットの艦長が、使節団の華美で整った外見について言及している。しかしアイク島は報告によれば他と孤立した、しかも小さな島だと聞く。物質的に裕福だとは信じがたい」
「それは…」
「まあ確かにレイシン河方面は貴官の
この局面は完敗だ。本人が辿り着いた答えなのか、同じく第二王子を支持する誰かの入れ知恵が有ったのか、サーマイヤーフがアイク島が富に
サーマイヤーフが思った以上に、元は政治的な言動の無かったと聞いていたヨルムベルトを甘く見ていたことを認めざるを得ない。レイシン河方面艦隊司令から首府艦隊司令へと転身し、王宮で10年生き抜く中で政治的なセンスも磨き抜いてきたのだろう。上昇志向そのものは強かったヨルムベルトが戦場に出ることのない首府艦隊司令となった以上、そうするしか更に上、恐らくは貴族位を獲得するには他に道が無かったという事だ。
「閣下の
「いや、言わずとも承知している。危険な発言は控えたまえ。その言葉を実際に聞いてしまえば第二王子派も
更に踏み込んできた。敢えて王位継承権第一位である王太子と呼ばず、名前で呼んで見せた。ラボーラルは自分が兄にとって代わるつもりが有り、アイク島を後ろ盾と見せかけることができるのならば、その力をいつか訪れる継承権争いで自分に味方するように求めてきた。
先ほど白旗を挙げてしまった以上、今の盤面でサーマイヤーフが生き残る道はそれしかないことを承知の上でだ。思わず舌打ちをしかけたサーマイヤーフは慌てて咳払いをしてごまかす。
「さらに貴官のアイク島との友好関係についての思惑についてだが、次の議題を精査してからでなくては認めるかどうかも決められぬな」
「次の議題?」
「もちろん、実際の戦場での無様な敗北についてだ」
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