ヨルムベルトの難詰

「首府艦隊司令官閣下、サーマイヤーフ・サエ=アナン・アイユーヴ殿下をお連れいたしました」

「入っていただけ」

 案内の官僚がドアをノックして呼びかけると、待ち構えていたように‐実際待ち侘びていただろうが‐中から返答があり、丁寧に磨かれてはいるがつやの無い材質の扉が、わずかにきしんで開かれた。

 サーマイヤーフが副官二人を伴って入室すると、年齢のわりに黒々とした髪を丁寧に撫で付けた、とてもお飾りの艦隊の司令官とは思えない鋭い眼光が三人を出迎えた。サーマイヤーフは彼の普段の言動を知るものが見たら唖然あぜんとするようなうやうやしい仕草で右拳を胸の前に固定するアイユーヴ王国の敬礼を決めた。もっともこれからのサーマイヤーフの立場はヨルムベルトの胸先三寸で決まるのだから、礼儀を尽くすのは当然の話ではある。

 副官二人は礼などはせず、直立不動でサーマイヤーフの背後に控える。彼らはこの場では言ってみればサーマイヤーフの従者、気配を殺して居ない者であるかのように振舞う事こそ作法である。

 サーマイヤーフの敬礼に答礼したヨルムベルトは、その鋭い眼光に似合わない穏やかな口調で、サーマイヤーフに楽にするよう命じる。その口調の優しさに、ラングルムとコンライレンは事前の予測通り、ヨルムベルトがサーマイヤーフに対して好意的な人物と思って気を許した。

 だがサーマイヤーフは違った。幼い頃、王族とは名ばかりの下女の生んだ子とさげすまれ、一挙手一投足に注意を払うことを要求されて磨かれた嗅覚が、目の前の男が自分に何か含む所が有る、と警鐘けいしょうを鳴らしていた。

「本来軍人である私がいう事ではないが、まずはアイク島、という異国からの使者を迎え入れて歓待したサーマイヤーフ殿下の労をいただきましょうぞ」

恐縮きょうしゅくです。報告には上げさせていただきましたが、彼らもエモル帝国のすえ、良い関係を築くことができれば彼らと友誼ゆうぎを結んだ私の判断も報われると思っております」

「うむ、何より言葉が通じると言いうのが有難いことです。法務部の友人の話では、遠方から訪れる冒険商人や交易商人との間の取引では、お互いに誠実な取引をしているつもりでも互いの交渉が食い違って訴訟そしょう騒ぎが起こるそうでございます」

 そこまではいくらか背凭せもたれに寄りかかって雑談の雰囲気をかもし出していたヨルムベルトがやや前のめりになった。ここからが本題という事だろう。

「さて殿下、ここからは首府艦隊司令官兼アイユーヴ王国海軍総司令、つまり軍部における殿下の上官として幾つかの確認と殿下にとって有意義と思われる提案をさせていただきます」

「提案、ですか?」

「その内容については後程。まずはこの度のロッテントロット都市連合の艦隊との戦闘についての詳報しょうほうを伺いたく存じます」

「もちろん正確な報告と、この度の、敢えて申し上げますが屈辱的くつじょくてきな敗北によって得られた新たな知見について、軍部全体に周知願いたい」

「ほう、新たな知見。しかしまずは正確な報告からですな。その情報が無ければその知見とやらについての検討も不可能です」

 ここで単に負けただけでは無い。今後挽回ばんかいする可能性について示唆しさしておく。ヨルムベルトがなんらかの策謀を以て今回サーマイヤーフに対するならば、手札が有ると示しておく必要があると感じた。もちろん相手の思考も読めぬまま切り札の存在を明かすのは愚策かもしれない。しかし王族ゆえに丁寧な口調で相対しているが、ヨルムベルトはサーマイヤーフにとっては上位者。会話の流れによっては手札を切る暇もなく処置を決められてしまう可能性が有るのだ。

「まず大前提として、王宮からは友邦たるロッテントロット都市連合との間に、要らぬ軋轢あつれきを生まないよう再三注意を呼びかけられていたにもかかわらず、今回戦端を開くことになった経緯について、申し開き願えますかな?」

「それは…」

 準備不足の所を突かれてしまった。都市連合との間での戦闘を控える、という判断はサーマイヤーフに武功を立てさせたくない王太子からの要求だったので、第二王子派のヨルムベルトから詰問きつもんされるとは思っていなかったが、甘かったようだ。あるいはここを突くのは突然アイク島との外交に本腰を入れることになった事について、王太子派への第二王子派からの一種の義理立てなのかもしれない。

「誠に申し訳ありません。アイク島の使節団を歓待するにあたって都市連合の文物を取り寄せたのですが、ご存じの通り都市連合は一枚岩ではなく、各都市間で複雑な外交力学が働いています。その輸入が巡り巡ってもっとも我が国に近く、関係が良くない都市ヴィセングルの暴発を誘発したようです。もちろん激発を抑える外交努力はいたしましたが、力及ばず…」

「ふぅむ。私も殿下の、いや貴官の前任としてレイシン河方面の軍を束ねていた。かの国の複雑な事情は知っている」

 一旦は同情的な言葉を示してみせたが、ヨルムベルトは遂にサーマイヤーフを王族ではなく、単なる部下として呼びかけた。これから牙をくぞ、という合図だろうなとサーマイヤーフは想像した。

「しかし使節団を歓待するならば、むしろ我が国の品々を取り寄せるべき。何故わざわざ危険を冒してまで都市連合に手を伸ばしたのか、理解に苦しむ」

「申し訳ありません。レイシン河方面地域はいかなる理由かはわかりませんが、王国の他の地域との物流がとどこおりがちなのと、アイク島の起源が我々と同じくエモル帝国にあるという情報から、敢えて馴染みのない文化を紹介すべきだと判断いたしました」

「貴官らとアイク島の使節団をビーニーグルまで護送したゾイゾットの艦長が、使節団の華美で整った外見について言及している。しかしアイク島は報告によれば他と孤立した、しかも小さな島だと聞く。物質的に裕福だとは信じがたい」

「それは…」

「まあ確かにレイシン河方面は貴官の赴任ふにん以降、王太子派の手でほとんど封鎖されている。都市連合との交易に頼るしかないという事情は理解できるがね」

 この局面は完敗だ。本人が辿り着いた答えなのか、同じく第二王子を支持する誰かの入れ知恵が有ったのか、サーマイヤーフがアイク島が富にあふれた土地であると偽装するために、都市連合との無理な交易に手を出したことをヨルムベルトは知っている。そして少なくとも第二王子派とヨルムベルトの統率する軍部はそれを王太子派の責任として、サーマイヤーフを追及ついきゅうするつもりが無い、という貸しまで付けられてしまった。

 サーマイヤーフが思った以上に、元は政治的な言動の無かったと聞いていたヨルムベルトを甘く見ていたことを認めざるを得ない。レイシン河方面艦隊司令から首府艦隊司令へと転身し、王宮で10年生き抜く中で政治的なセンスも磨き抜いてきたのだろう。上昇志向そのものは強かったヨルムベルトが戦場に出ることのない首府艦隊司令となった以上、そうするしか更に上、恐らくは貴族位を獲得するには他に道が無かったという事だ。

「閣下の慧眼けいがん、恐れ入ります。腹を割るしかないでしょう。私は王太子にいつまでも抑えられる立場に甘んじるつもりが無く、そのために全く未知の異国であるアイク島を後ろ盾となる勢力と仕立てるべく…」

「いや、言わずとも承知している。危険な発言は控えたまえ。その言葉を実際に聞いてしまえば第二王子派も旗幟きしを鮮明にせざるを得なくなる。あるいは貴官にとってはその方が望ましいのだろうが、ラボーラル殿下は今はまだイェーリエフ殿下と事を構えるつもりは無い」

 更に踏み込んできた。敢えて王位継承権第一位である王太子と呼ばず、名前で呼んで見せた。ラボーラルは自分が兄にとって代わるつもりが有り、アイク島を後ろ盾と見せかけることができるのならば、その力をいつか訪れる継承権争いで自分に味方するように求めてきた。

 先ほど白旗を挙げてしまった以上、今の盤面でサーマイヤーフが生き残る道はそれしかないことを承知の上でだ。思わず舌打ちをしかけたサーマイヤーフは慌てて咳払いをしてごまかす。

「さらに貴官のアイク島との友好関係についての思惑についてだが、次の議題を精査してからでなくては認めるかどうかも決められぬな」

「次の議題?」

「もちろん、実際の戦場での無様な敗北についてだ」

 ほとんど詰められているが、寄せはこれからという事だ。ルーチェからの助言がどこまで通用するか。サーマイヤーフは快適な室温にもかかわらず額に汗がにじむのを感じた。

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