宰相と客人

 王都の入り口から整然と列をなして王宮にまで入ってきた使節団が無事に控えの間へと入ったとの連絡を受けて、他国ならば単に宰相とだけ呼ばれていただろう、アイユーヴ王国殿上てんじょう許可・書類閲覧えつらん許可局政務部部長という長い肩書の持ち主リンデン・ライガハッハは、無事儀式が一段階進んだことに胸をなでおろした。

 遠方から、しかも他国の客人である。粗相そそうが有るなど絶対に許されないが、特に王太子と彼を支持する若い貴族は兎角第三王子が関わると視野が狭く短くなる傾向がある。一旦第三王子のもとに身を寄せたアイク島なる見知らぬ土地の住民を、彼の党派と看做みなして王への謁見えっけんを妨害する恐れがあった。だが流石に王の御前ともいえる王宮に入ってしまえば問題は起こさないだろう。

 実際には国務の多くを管掌かんしょうしているが、貴族ではないリンデンにはこれからの儀礼に関与することはない。その先の、全く未知の国家との外交について、同席していたこれも遥か遠方からの客人レイ・ウンリョクヨクに意見を聞いてみた。

「レイ殿はアイク島なる土地についてどう思われますかな?」

「そうですね。まず今まで全く存在すら知られていなかった国、というのに興味をかれますが、同時に怪しさも感じますね」

「この外交使節そのものがサーマイヤーフ殿下の狂言だと?」

「そこまでは流石に。殿下は理知的な人柄のご様子。全くの未知の国と称して他国の勢力を引き入れるような危険な賭けには出ないでしょう」

 穏やかな口調で事態をそう分析する男は単に細面というだけではない、遠く離れた土地出身ならではの独特の風貌ふうぼうをしている。特にまるで常に目を閉じているかのような細い目が印象的で、この辺りではまず見られない銀髪と相俟あいまってどことなく神秘的な雰囲気を感じさせる。彼と初めて会った時、その風貌ふうぼうに遠来の旅人であることに一目で納得し、その次にあまりにも流暢りゅうちょうな王国語に驚かされたものだ。30歳にもならない若さで大陸中を旅して、十数か国語を操る、という触れ込みは多少の誇張は有っても全くの噓ではあるまい。

 秀麗な容姿に加えて多彩な話題で多くの貴婦人を夢中にさせているとも聞いている。もっとも本人はさほど女性に関心が無いようで、特定の相手との浮いた噂が宮廷人たちの口のに上ったことはない。

「しかし殿下からのアイク島に関する報告が意図的に情報を隠蔽いんぺいされていることは間違いないでしょう。殿下によればアイク島からのお客人の母船は常識外れの巨艦だったとか」

「そのようですな。港に入ることもできないので移乗用の船を手配いたしました。実際港へ送った私の手の者が明らかに桁違いの大きさの影を目視しております。何か不審ですかな?」

「ええ。荒海を越えてきたというのです、常識外れの巨艦をもってして、というのは問題ありません。ですが彼らはその巨艦を操艦するにはあまりにも少人数だ。あの人数では逆風に見舞われた時に推力を得るための漕ぎ手が足りるとはとても思えません」

「む…いかにも」

 言われてみればその通り。アイク島人は何か大海を越えるための特別な技術を備えているに違いない。それは船の工夫か、あるいは島の民ならではの特殊な操船技術か。

「サーマイヤーフ殿下はその秘密をもって、今回の敗戦の責任を免れるつもりだ、とレイ殿はお考えですか?」

「現在はそのおつもりでしょうが、元からそうだったというのはおかしい。アイク島に関しての報告があったのは今回の都市連合との戦の前でしたから」

「ふむ…元々殿下は王宮に隔意をお持ちですからな。なにかアイク島との国交を開くことに関して、秘密を持っていらっしゃっても不思議はありませんが」

「殿下の思惑に限らず、アイク島という場所に関して多大な興味がありますね。彼らと実際に語り合う機会を得るために、ライガハッハ殿のお力添えをいただきたいところです」

「それはこちらとしても望むところ。異国人同士ということで心を開かせて、殿下の秘密を解き明かして欲しいところですな」

 リンデンは快諾かいだくしたが、あまりその効果に期待はしていない。ウンリョクヨクは今までのところは王国上層部に対して好意的にふるまっていたが、王国に忠誠心などを持っているわけではなく、あくまでも今の境遇で自分の益になる相手に対して義理を欠かさなかっただけ。アイク島やレイシン側方面地域への興味が上回れば、あっさりと王宮で得た知己との友誼ゆうぎを捨てるだろう。

 だが今は彼の好奇心を満たす事に多少の便宜を図っておいて良いだろう。アイク島からの使節も今苦境にある第三王子とは別に王宮とのつながりを持ちたいとは思っているはずだ。勿論もちろん外交部からそのための人材は出すが、王国の公的な人間では得られない情報を探り出してくれる可能性は大いにある。それをこちらに流してくれるかは別の話となるが。

「それにしてもこの度の謁見えっけんで使節が陛下に好印象を抱いてくださると良いのですが」

「ライガハッハ殿は何かご懸念けねんでも?陛下はまず大抵の方を敬服させる威厳の持ち主のようにも思いますが」

「しかしサーマイヤーフ殿下からは陛下の悪癖について説明を受けていることでしょうからな」

「悪癖?」

「左様。とても臣下の身では口に出せないような欠点をお持ちでいらっしゃる。誰かから既に聞いておいでかと思っておりましたぞ」

「はて、心当たりが有りませんね」

 やはり他国人であるレイ・ウンリョクヨクに王の恥をさらしたくはないと誰もが考えたのだろうか。第三王子についてはよく調べているようだから、その中で誰かしら口を滑らせるものだとリンデンは思っていたが。あるいは国政に関わるようなことではないので問題視していないということもあるのだろうか。女性からの人気のわりに身辺に女の気配がないが、王国人とは女性について相容れない感性を持っているということも有るかもしれない。いずれにせよ相手が知らないのであればリンデンからこの話題を続けるつもりはなかった。

「敢えてお伝えするような事でもありませんからな。先ほどの愚痴ぐちは忘れてくだされ」

「ライガハッハ殿がそうおっしゃるのであれば」

 多少に落ちないという表情はしているが、話したくないというリンデンの雰囲気を感じ取ったのだろう、ウンリョクヨクはそれ以上追及してこなかった。

「それにしても使節の方とお話しするのが楽しみですね。一国の代表でもあり、未知の旅路を切り開いてきた冒険家でもあるのですから、アイク島という土地のことに限らず個人的な人柄にも関心が湧きます」

「それは確かに。私も一国の行く末を預かる身でなければ胸襟きょうきんを開いて語り明かしてみたいものです。レイ殿が正直うらやましい」

「私自身は実は好奇心だけで四方八方を旅しているのではなく、故郷に対しての使命を帯びているのですがね」

「ほう、それは初耳ですな」

「興味本位で、という部分が大きいのは事実ですが。正直この国には長逗留とうりゅうが過ぎました。ほとんど記録の残っていない古の帝国というのはロマンが有りますからね」

「ではこの後はシンドゥムへ?」

 わずかな警戒心をにじませつつリンデンは尋ねる。この国の内情を少しでも仮想敵国に持ち込まれるというのは正直歓迎できない。もしもそのつもりが有るなら拘束することも考えに入れなければいけない。この客人とは良い関係のままでいたかったが、国益のためとなれば切り捨てるのもやむを得ない。

「どうしましょうね。このタイミングで全くの未知の国の存在を知ったのも運命かもしれません」

 リンデンの若干のおどしに気付いているのかいないのか、ウンリョクヨクはさらりとはぐらかす。サーマイヤーフ王子は王宮に隔意があるという意味で政敵とも言えるが、いまさらに叛逆はんぎゃくするとも思われずレイシン河方面へ向かうというなら強硬手段をとるほどのことではない。

 アイク島へと渡るというのならば、実際にそこがいかなる地であったかを土産話にしてくれるかもしれない。それは歓迎すべきことだろう。

「船旅の経験はレイ殿はお持ちでしたかな?」

「いえ全く。もしも船を動かすのに役に立たない者は乗せられない、などと言われてしまったら諦める他ありませんね」

「レイ殿の知恵にはその価値があるような気は致しますがな」

「ライガハッハ殿は嬉しいことを言ってくださる。故郷の話が船賃になるのであれば是非ともそうしたいところですね。いずれにしても先ずは使節団の代表の方にお目にかかってからのことです」

「確かに先走りすぎたかもしれませんな。謁見えっけんが終わってお会いするのが楽しみです」

 サーマイヤーフ王子との関係が気になるところだが、例えひと月以上待機させた中で友情を芽生えさせていたにしても、外交の場にそれを持ち込むほど愚かな者が一国の代表となるとも思えない。使節団をどう懐柔かいじゅうすれば王国の利益になるような関係を作れるのか、ウンリョクヨクが語ったような特別な秘密があるのか、有ったとしてそれを明かすほどに王国との関係を築くことに意欲的なのか。様々な事態を想定しながら、リンデンは客分との会話を続けた。

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