開戦間近のレイシン河方面
サーマイヤーフはじめレイシン河方面政庁上層部の外交努力虚しく、ロッテントロット都市連合、と言うよりヴィセングルとの関係は日に日に悪化の一途を辿っていた。
最早聞く耳を持たない相手を粘り強く
そして一週間前、ついに正式な文面で宣戦布告が行われた。
「これがその布告書ですか…それにしてもレテンド大陸にはアイク島と違って、正式な文書として使っても恥ずかしくないような上質な紙が有るのに、わざわざ動物の毛皮を使うのですね」
「まぁ、これが都市連合との外交の作法だからな。今どき羊皮紙なんざ作る方が面倒だが、作法を変えるには必要な物が有る」
「それは?」
「力さ。無作法な振る舞いでもお前程度には充分だ、と言ってのける実力差が無けりゃ、後で責められる材料になる」
レオンハルトはとうとう開戦が目の前に迫ってきたという事実と、その要因の一つが自分たちに有る、という事から現実逃避するように
アイク島で使われていた、草を縦横に編んで叩いて延ばして作った代用紙に比べれば遥かにましだが、大陸では南方の国家から伝わった木の皮を材料にした大量生産にも使用にも便利な紙が有る。その進歩を無視して古めかしい様式を、恐らく相手も馬鹿々々しいと感じながら、それでも続けているのには呆れる他ない。
しかもインクは時代を下るに従って改良を重ねていると言うのだから、紙だけは古式に則るというのでは形式主義も極まっている。
そんな事を考えながらレオンハルトは改めて文面に目を通す。今度の一件はほぼヴィセングルの暴走だが、それでは大義名分とはなり得ない。代わりに両国間で定められたレイシン河での漁業権が云々かんぬんと文面が飛び込んできた。
「魚を獲るのに権利など必要なのですか?」
「他の川だとどうだか知らんがな。レイシン川の河口付近にはその辺でしか獲れねぇ魚ってのが居るんだよ。しかもそれが中々美味い。で、ヴィセングルが都市連合に加わったり、アイユーブ王国が建国後の混乱を乗り切って美食に手を出したりで、この辺の名産品としてパカパカ獲りまくってるうちに、魚の数が減ってきてな。お互い毎年何尾しか獲らねぇって協定を結んだのよ。で、秘密裏に調査したら俺たちがこっそり獲り過ぎてるから何とかしろ、とまぁそんな内容だな」
「はぁ…」
「ま、密漁者はどっちの国にも居る訳でよ、勿論火種にされたら面倒だし取り締まっちゃいるが、そんな訳で全くの言いがかりってんでもねぇのさ。こっちだって適当な言い訳が思いつかないけど攻めたい時にゃぁ、大抵この話題で押し切ってるんで、文句も言えねぇな」
「いえ、協定違反が大義名分になるという理屈は解るのですが、そもそもたかが魚の生き死にのために国家間で協定を結ぶという感覚がいまいち
「ん?そりゃぁおめぇ、高級品になるからなんて理由で滅ぼしちまう訳にはいくまい」
サーマイヤーフは種を保存する事は当然のように話すが、やはりレオンハルトにはその発想は感得できない。アイク島の開拓期には島に文明を根付かせるために何種類もの獣を絶滅させたと聞いている。敢えて滅ぼす必要も無いのだから保護するというのは解らないでもないが、その理屈のために戦争が起こるのであれば、魚の為に人命が失われる事になりはしないだろうか。
異郷の騎士が疑問を
「シマダイについての協定があるから戦争が起こるわけじゃねぇ。使いやすいから戦争の度に理由にされてるだけでな。シマダイを食わなけりゃ
確かにアイク島の歴史に意識を
戦争に対してあまりに
「それはそれとして、忘れないうちに渡しておくか」
「渡す?何か…」
「何かも何もこの羊皮紙だよ。前にロギュートフが知識はともかく、大陸とアイク島で微妙に正しい形が変わった文字の習得に苦戦してるって言ってたんでな。この布告書、外交に使われるだけあってお手本にピッタリなんでな」
「はぁ、外交文書なのでしょう?よろしいのですか?」
「勿論よろしくねぇ。だがまぁ、機密には程遠い訳だしな。ただ、向こうから仕掛けてきたって王宮に対する証拠書類にもなるから、間違ってインクを零すなよ」
隠し切れぬ貴種の香りとは何だったか、とレオンハルトがしばし思考を遊ばせていると、いつまで経っても受け取ろうとしない青年に業を煮やしたか、
レオンハルトが羊皮紙を改めて友好使節団の団長に相応しい(とロギュートフが主張した)礼服のポケットに収め直すと、満足そうに軽く肩を叩いてサーマイヤーフは去って行った。
それから
発案した技術者の名を取ってマッコミヤット砲と王国では呼ばれている、精製水を利用したシューラリス号の主砲は一発分のみ準備された。相手には搭載されていないだろう、敵旗艦を一撃で粉砕して戦況を一変することのできる強力な兵器だが、効果以上に膨大な消費が必要で、これを使えば戦場で勝利しても戦争に勝利したとは言えなくなる可能性が有る。
シューラリス号以外には旗艦と同規模の砲撃を主とする大型艦が5隻、敵艦に乗り込んでの銃撃戦を担当する小型艦が30隻用意された。通常の砲を一発撃って下がる運用をする中型の艦艇もあるが、今回の戦場には不要と判断して出さない。
文明圏を分かつほどの大河を埋め尽くす艦隊の威容は、直々に指揮する方面軍司令をすら圧倒する。自らの職責の重さを改めて確認したサーマイヤーフは旗艦艦橋の窓から部屋に視線を移し、集まった中級指揮官たちを見回す。彼らは大型艦に司令部を置き、サーマイヤーフの作戦に沿って、戦況に応じて司令座艦に随行する小型艦を指揮する。
「今度の戦いで都市連合が出して来る大型艦クラスは3隻、砲艦が10隻、小型の艦艇は50隻と情報部は報告してきた。向こうとしては砲撃戦は牽制、直接切った張ったで事を決めたいらしい」
「意外ですな。歴史的にヴィセングルは大型艦の運用を好む傾向が見られましたが」
「都市連合、だ。今回奴らはより上流の都市、ランダルグルから出航してくる。ヴィセングルの暴走と見ていたが、それなりに連合内で統制が取れてるって事だろう。乗員も船もヴィセングル出身のようだがな」
「なるほど、こちらより河上を取る事で近接戦の有利を手にしましたか。しかもヴィセングルの兵なら士気も高そうだ」
「応。ま、今後こういう状況の為に、こっちもより上流に都市や軍港を築くかは政の判断だ。今は関係ねぇ」
政の判断も下すのはサーマイヤーフだと判り切っている隊司令たちから低い笑いが起きる。思えばこの程度の冗談口も赴任した当初は利けない雰囲気だった。それまで大功こそ無いものの、過不足なくヴィセングルに
その憂さを晴らすためのお忍びでの街歩きが情婦ライナとの出会いのきっかけだったが、誰に感謝できるような事でもない。
「で、相手の嫌がる事をやるのが戦場の習いって奴よ。こっちは砲撃でケリを付けてしまいてぇ。狙い目は砲撃艦よ」
「相手の艦砲射撃の列を乱すのですな」
「おうよ。とは言え、こっちの狙いは向こうも承知の上だろう。どうしたもんか、と考えてみたんだが…やはりこっちの隊を小刻みに動かしてってのが常道だろうな」
「マッコミヤット砲は?」
「一応準備だけはしてあるが、割に合わねぇ」
「閣下のお客人、シムレー号と言いましたか、あれを見せるだけで泡を食ってくれそうなものですが」
「それは無しだ。万が一にも沈められたら仁義に
「「了解」」
決意も露わに総司令官が命じれば否やは無い。異口同音に力強く返答した隊司令たちは握った右拳を胸の前で水平に固定する、アイク島とは僅かに違った頼もしい敬礼を示す。サーマイヤーフが答礼すると、一同はそれぞれの司令座艦へと移乗して行った。
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