ショームード3世

 ショームードにささやかれた式部官は予定にない国王の言葉にしばし目を白黒させていたが、謁見の間の視線が自分に集まったのに気付くと、国王の言葉の増幅装置である自分の役割に目覚めた。あるいはそれは単なる思考停止かもしれなかったが、それこそこの場にいる誰もが望んだこと。

「アイク島使節団代表レオンハルト・カシウス卿、歓談の時間を設けたいのだが良いかね?」

 事前の準備で知らされたのとは違う言葉に泡を食ったのはレオンハルトも同じだが、式部官の様子から謁見を経て自分に直接語りかけてみたいという欲求が生まれていたのは察していたので即座に覚悟を決める。もとより王の言葉に歯向かうには立場が弱すぎるし、アイユーヴ王国の複雑な政治力学を飛び越えて最上位者と交渉が叶うのであればアイク島にとって最良の結果が期待できる。

「なんなりと、陛下」

「うむ…今回貴卿らが経験した冒険行について、今後幾度もこの王宮で過ごす間に質問されると思うが、その嚆矢こうしをこの国の頂点に座す余自らが放ってみたいと思ってな」

「陛下が我々の経験談に関心を持っていただけたこと、誠に光栄に存じます」

「そうさな。余がかつて引見した他国の冒険商人たちは、珍しいとはいえ幾度も同じ土地から訪れておってな。多少彼らの故郷からの地形は余ら王国にも伝わっておるのだが、そなたらはその意味で初めての客。その道程にいかなる困難が立ちはだかっておったのかなどは全く知らぬ。良ければ特に記憶に残る土地など教えてはくれぬか」

「喜んで」

 即座に返答したもののレオンハルトの額にはかすかに冷や汗が浮かんでいる。あまり実利のある行為では無いので10年やそこらはアイユーヴ王国側からの使者がアイク島を訪れるとも思えないが、もしもの場合を考えると航路について嘘をつくのはリスクが高すぎる。となるとどうしてもこの場での話題はあの島嶼とうしょ地域にならざるを得ない。

 あの海域について語りつつ、そこを踏破するための重力水についての技術に関しては秘匿したい。アイク島の王宮で三年かけて身に付けたレオンハルト渾身の腹芸を披露する場面となってしまったようだ。

「アイク島を出発してから大陸に到達するまでの間での最大の問題はやはり到達地点がわからないという心理的な苦痛でした。しかし航路という意味での難所を挙げるならば、大小さまざまの岩礁が東西にどこまでも続く海域の存在でしょう」

 どのように語れば隠すべき事と語りたい事を切り分けられるかを思案しながら、表面上はにこやかに繕って潜り抜けた苦難を懐かし気に振り返っているような顔を保つ。

「ほう、陸地が近くにあるのに危険なのかね?」

 ショームードは思った以上に会話上手だ。レオンハルトがひと呼吸おきたいと思った間に合わせるように相槌を打ってきた。しかもその内容はおそらく実際に船に乗ったことにない者‐国王だけでなくこの場にいる多くの貴族‐についての共通の疑問だろう。

「船という物は、私も乗り込むまで知らなかったのですが、完全に水上に浮いているという物ではございません。その全体の重さに応じて沈んでいる部分があって初めて浮くことができるのです」

「なるほど、シムレー号は桁外れの巨体だと聞いている。となれば水面下に沈む部分も大きいのだろうな」

「左様です。すると陸に近い浅瀬の部分を通ることができないという次第でございまして…」

「ふむ。それでそれを貴卿らは如何な工夫によって乗り越えたのかな?」

 ここがポイントだ。王の鋭い視線は武勇伝を楽しんで聞く好奇心だけのものでは無くなっている。おそらくここに重力水というシムレー号最大の秘密が隠れていることに直感が働いたのだろう。レオンハルトに運命が味方したとすれば、国王はサーマイヤーフが忌み嫌う様から想像していたような単純な愚者とは程遠いが、航海者としては完全に素人だという事だ。レオンハルトはシムレー号の秘密を船員の技術にすり替えて説明することにした。ついでに微妙に話題を逸らすための工夫も言葉に盛り込む。

「それは何と言っても船員みなの熟練の見極めが大きく物を言いました。アイク島の近辺にもやや水深が浅くその代わり海産物豊かな海域がいくつか有り、それらの海で波の気配を察することのできる練達の水夫たちは危険な場所を的確に説明してくれました。また付け加えるとその岩礁は危険なだけではありませんでした」

「ほほう?」

「それらの岩場は人里離れた場所だからこその珍しい鳥が生息しているようでした。翼を広げれば人の背丈よりも大きいかと思われる、全身が輝くような白い鳥でした」

 話題はその海鳥を近くで眺める事の出来た幸運へと徐々に移っていく。乗組員の一人が偶然手に入れた羽根の話題から航海の苦難よりもその途上で見かけた珍しい文物や、南下するにしたがって慣れ親しんだ星空がレテンド大陸のものへと変わっていく感動など、国王を含め見知らぬ国から訪れた珍客の存在に好奇心を刺激された貴族たちが感嘆するような話題で航海の記憶を締めくくる事が出来た。

 レオンハルトの拙い冒険譚に満足したらしいショームードは、一行の帰還に合わせてアイク島国王ロシュエイミー8世への親書をしたためる事を約して玉座を去った。

 イェーリエフを中心とする一団を除き、特に国王の気まぐれで綿密に式次第を定めたはずが予定の大幅な変更がありながら、歓迎ムードのうちに儀典を終わらせる事の出来た式部官一同は特別な満足の内に謁見は終了した。


 その後もロレンツォの指導通りにきびきびと振舞い、式典に有終の美を飾ったシムレー号一行は型通りの歓迎の宴の誘いにだくいらえをかえして、再び大扉から退室した。

「ふぅ…謁見はレオンハルトに任せきりで済んだけど、宴は私もしゃっきりしないとなぁ…」

 先ほどの控室に再びぞろぞろと帰還しながら、ルーチェが今夜の苦難を思って愚痴をこぼす。

「ははは、何度も練習したじゃないか。基本的には大陸流の舞踏さえこなせば後はすんなり進むと思うよ」

「それが頭が痛いのよ。レオンハルトは良いよね、剣術を皆に見られるので慣れてるんでしょ」

「相変わらず酷い言い草だな…」

 なんだかんだでひと仕事終えた達成感からか全員表情も口調も軽い。再び案内を務めるシュナングルも苦笑いしている。なごやかな雰囲気のまま数分歩いて平民向けのエリアまで戻って来ると、今度はロレンツォではない外務部の職員が出迎えた。さすがに平民の官僚にまではレオンハルトの紳士録は網羅しておらず、この相手がどういった思惑での人選かはわからない。

「でも王様かぁ…やっぱり迫力が違うよね…お祖父じいちゃんとは別の意味で目を逸らせないって感じだった」

「ルーチェ、敬称に注意してくれ。陛下、と」

「あ、ごめん」

「でも確かにサーマイヤーフかっ…殿下の語るお方とは別人のような雰囲気だったな」

「んんっ」

 レオンハルトがショームードの威容を思い返して述懐すると外務部職員が咳払いする。

「?」

 青年と従う一同がそちらを見やると気まずそうな様子で目を逸らされてしまった。どうやらショームードには表では語る事の出来ない何かが有るらしい。今の好意的なムードの中では話せないという事はあまりかんばしからざる問題なのだろうか。サーマイヤーフに会う事が叶えば確認しようと頭の中にメモして、皆で揃って控室へと入って行った。


 控室へ戻ったレオンハルトを待っていたのは檻の中の熊‐まだレオンハルトは実物を見た事が無い‐のように不機嫌そうに部屋の中をウロウロと行き来するサーマイヤーフだった。ラングルムとコンライレンは処置無し、といった風情で一つ席を空けて椅子に腰掛けてヨルムベルトと別れてからもう1時間以上になるのに怒りの収まらない主を見やっている。

「おう、もど…いや、お戻りですか」

「はい、儀式は滞りなく…と言って良いのかどうか」

「なにか問題が?」

 外部の官僚の耳が有るので再びサーマイヤーフは猫をかぶっている。そして謁見前と同じくシムレー号の乗組員たちがクスクスと笑っているのも変わらない。副官二人が平然としているのは慣れているという事なんだろうなぁとレオンハルトは想像し、そしてやや下らない方向にも知恵が回っている事で先程まで極度の緊張状態だったことを改めて自覚する。

「むしろ良い方への逸脱でした。陛下は私に親しくお声がけくださり、直接航海の話をご所望になりました」

「ふむ…すると国王陛下は兄上たちとは違って国交を開く方向に乗り気という事になりますな、ささやかですが朗報です」

「芳しくない話題も有るという事ですね。察するに殿下をシンドゥム戦線へと送るという…?」

「卿もご存知でしたか。その通りです。実際のところ後任人事もあやふやな話の様には感じたのですが。少なくとも首府艦隊司令にして王国軍艦隊総司令殿は本気のご様子」

 後任人事と聞いて未熟な騎士はハッとする。話を聞いた時は内容の衝撃でそこまで理解が行き届かなかったが、サーマイヤーフを別の任所におもむかせる以上新たにその任を授かる者が居なくてはならない。

 だがそれがあやふやだとやや色の濃い栗毛を編み込んだ妾腹の王子は言う。それは単純に今サーマイヤーフの麾下きかにいる提督を昇格させるという尋常の手段ではないという事なのか。疑問に思ったレオンハルトは率直に尋ねてみる。

「それができれば話は簡単ですが、実際には今まで同格で協力してきた部下の一人だけを無理やり上の立場に乗せるというのは難しい。それを理由に別の処分をお願いしようとしたのですが…総司令ご本人がレイシン河方面艦隊司令の座を占めようとおっしゃって」

 それが現実的な解決策でないのはレオンハルトだけでなく政治向きの事には見識のとぼしいルーチェやジーク、それどころか末端の乗組員にも判る。大過なく勤め上げたので昇級させるというならともかく、順調に任をこなしてきた者を降格させるのはそれこそ川の流れをさかしまにする様なものだ。大体その場合空いた首府艦隊司令の座には誰が座るというのか。誰を候補に挙げても誰も納得はするまい。

 誰もが不可解に思う懲罰ちょうばつ人事の内容について、本来部外者の筈の外務部の官僚までも興味深げにサーマイヤーフを囲んで検討会が始まった。

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