一章の五

 一転、昨日のことは嘘みたいにいつもの日常である。

 もしかして日常に退屈しすぎた俺が見た妄想なのでは……? いや、それにしてはアコの方はまだしもドラゴンの方は俺のタイプから大きく離れているので違うだろう。


 朝早くの教室。ジュースを飲みながらのんびりと本でも読もうとしていると、ガラリと扉が開く音が聞こえる。


「白川さんいますかー」

「……いない」

「あ、いたいたー」


 パタパタとねこさんが俺の前にやってきて、俺の机に手をついて「ふにゃー」とした笑みを浮かべる。


「これ、あげる」

「……グミ?」


 半分くらい残った食べかけのグミの袋を渡される。


「ああ、お礼なんていいのに……。いや、マジで。半分くらい食った後のグミ渡されても。なんか生ぬるいし」

「制服のポッケに入れてたからね」

「絶妙に嫌な温度感だ……。それで、何か用?」

「生存確認です。オバケに呪われてないかと……。あと、その、白川さんが私に会いたいだろうと」


 ……いや、なんで……?

 と思っていると、ねこさんは照れたような笑みを浮かべて俺の机の前でしゃがみ込む。


「……まったく、仕方ない人だよ。初対面だったのにあんなにアプローチして」

「ねこさん、身に覚えがないんだけど……」

「えっ、でも、助けてくれたり名前で呼んでいいかって聞いたり……あっ、照れてるね。仕方ない人だー」


 ……いや、それは名前のインパクトのせいで苗字を覚えられていないからである。


 機嫌良さそうにニヨニヨとした笑みを浮かべたねこさんはそれから少し雑談したあと、俺のクラスメイトが教室に入ってきたのを見て早足に去っていく。


 いつのまにかアプローチしていたことにされてる……。


 生ぬるいフルーツグミを口に含み、気がつく。

 アイツ、レモン味だけ残してる……。


 猫だからか、猫だから柑橘系の匂いが苦手なのか。

 なんか雰囲気が猫っぽいしなぁ。などと無駄なことを考えているうちに生徒が続々ときて、授業が始まる。


 騒がしさから一転、当然ながら授業はいつも通りだ。

 微妙に落ち着かなさを感じる。まぁ、アコの手伝いとか大変そうだしな。


 落ち着かなさを誤魔化すためにスマホをいじってアコの連絡先を登録して文を打ち込む。


「あれ、白川くん、授業中にスマホなんていじって悪いんだー。賄賂をくれたら密告は勘弁してやろう」


 いたずらな声色で隣の席の女子生徒が俺の顔を覗き込む。


「あー、それはいいんだけど、後輩の女の子と連絡先交換したんだけど、まずなんて連絡するべきだと思う?」

「んー? 白川くんもなかなかやるねぇ。まぁ任せておきなさい。女心を知るのはいつだって女自身よ」


 俺がコソコソとグミを渡すと女子生徒は満足そうに頷く。


「あのね、まず女の子は可愛いものが好き」

「ああー、なんかそういうイメージあるな」

「なので、まず最初にするべきメッセージは「ダンゴムシいる?」だね」

「可愛いものの価値観が幼稚園児。グミ返せ」


 渡したグミが口の中に放り込まれてしまう。


「まぁ、まぁ、落ち着きたまえ。私は恋愛の達人だよ?」

「初手がダンゴムシの奴が恋愛を語るな。二度と語るな」

「まぁ落ち着きなよ。……他は共通の話題とか……つまり、ダンゴムシの話だね」

「ダンゴムシの話題で盛り上がれるのは幼稚園児だけなんだよ」


 グミを損した……いや、元々そんなに食べたいものでもなかったけども。と思いながら女子生徒の方を見る。


「そもそも恋愛とかそういうのじゃないぞ、たぶん」

「じゃあどんな関係なの?」

「……あー、なんというか」


 少し考える。あまり具体的なことは言わない方がいいかと思い、指先でスマホの画面を弄る。


「まぁ、葬式の参列仲間?」

「お葬式でナンパはダメだよ」

「いや、お互いそういうのじゃなく」


 適当に書いた文言を送る。

 それから授業中に送るべきじゃなかったかと思っていると、昼休みになってからメッセージが返ってくる。


『ご連絡いただきありがとうございます。お忙しい中、大変恐縮なのですが、本日の放課後にお時間をいただくことは可能でしょうか? もちろん白川先輩にご予定があるなどお時間の都合が合わない場合はご予定の方を優先していただければと──』


 ……真面目だ。


 適当に流し読み、それから「大丈夫。何時に迎えに行けばいい?」と送ると「迎えに行くから教室で待っていてほしい」と返ってくる。


 まあ、なんでもいいか。

 ……アコみたいな可愛い子が来たら目立ちそうだな、などと思っていると隣の女子生徒がヒョイっと顔を覗き込ませる。


「あれ、どうしたの?」

「あー、さっき言ってた子が迎えに来るらしいから待ってる」

「へー、どんな子? 可愛い?」

「まぁ可愛い子だな」

「この私、坂根ヒナちゃんよりも?」


 女子生徒は自分のほっぺに指を当てて、きゃぴっとかわい子ぶる。


「いや、可愛いけどダンゴムシ系女子だしな」

「わー、白川くんにかわいいって言われちゃったー。まぁそれもそのはず、私はこの高校の三美姫とも噂されるほどの美少女……」

「他二人は?」


 俺が尋ねると坂根はキョロキョロと周りを見回し、たまたま残って本を読んでいた眼鏡をかけた女子を指差す。


「和田さん、だね」

「ふえっ! わ、私!?」


 絶対いま決めただろ。

 ワタワタと慌てている女子を見ていると、坂根はにやーと面白そうに笑う。


「なんだよ白川ー、文句あるのかー?」

「いや……別に、和田さんもかわいいと思うぞ」

「ええっ!?」

「和田さん、ダメだよ、騙されたら、この男は誰にでもかわいいって言うから、悪い男だから」


 顔を赤くしている女子に坂根が言う。

 本にしおりを挟んだ彼女は恥じらうようにチラチラと俺を見る。


「坂根が振ったんだろ」

「なんなら往年のプロレスラーにも「かわいいかわいい」って言うから。そういうタイプだから」

「あ、そうなんですか……」

「いや、言わねえよ」

「ほとんどギャルだから、白川くんは」

「ギャルも往年のプロレスラーにはかわいいと言わないだろ」


 俺はそうツッコミを入れていると、扉がカラリと開いてひょこりとアコが顔を覗かせる。


「あ、せ、先輩。おまたせしました」

「あ、三美姫の三人目が来たね」

「絶対適当言ってるだろ。揃ったぞ、この場に」


 そう言ってると無関係の女子生徒が同時に入ってくる。


「四人目も来たね」

「三美姫なのに四人いるんだ」

「世の中そういうもんなんだよ。ほら、千手観音だって42本の腕だけど千手でしょ。そこら辺の足りない数をこっちで補ってるの。そうやって世の中回ってるんだよ」

「どういうシステム?」

「みんなで助け合う、世界はそうやって動いているんだね」


 無理矢理いい話にするな。

 俺と坂根が話していると、アコがおずおずと俺の方に来てペコリと頭を下げる。


「えっと、出直した方がいいですか?」

「いや、大丈夫。けど、まぁ場所は変えるか」

「はい。じゃあ、行きましょうか」


 アコがそう言ったときだった。扉がカラリと開き、ねこさんが顔をひょこりと覗かせる。


「白川さん、いますかー? って、えっ……」


 ……ややこしいやつが、ややこしいタイミングで現れた。

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