二章の十
ねこさんと同じ顔に同じ体。
けれども、表情の作り方は全く違う。
可愛らしく整った顔だけどふにゃふにゃとした柔らかい表情と明るい笑みが可愛いねこさんに対して、表情の幅が小さく落ち着いた印象を受ける。
……美人の真顔は怖いという話を聞いたことがあるが、確かにその通りらしい。
スッとした視線が俺を向き、小さく唇が動く姿を注視してしまう。
「……ねこ。この人が彼氏?」
「あ、いや、俺は……」
「ねこ」
俺が答えようとしたのを遮って、ねこさんの姉……緑さんがねこさんの名前を呼ぶ。微妙な緊張感の中、アコが俺の方に身を寄せる。
「もー、違うよ。色々と手伝ってもらってたの。たくさん言いたいことはあるけど……おかえり」
ニコリと笑うねこさんの雰囲気に負けて、緑は荷物をポンと置く。
「……ただいま」
「お姉ちゃん、ちょっと臭うからとりあえずお風呂入って着替えてきてタオルとか着替えとか出しておくから」
「えっ、そんなに臭う?」
「ほらほら、行った行った」
登場した緑は速攻でねこさんに部屋から追い出されて、しばらくしてねこさんが戻ってくる。
そのままクローゼットやタンスから緑さんの着替えらしきものを取り出していく。
「お恥ずかしいところをお見せしました」
「いえ……お姉さん、すごく綺麗な人ですね」
「そうかなー。まぁ私と同じ顔をしてるわけだしね」
「アコの言う通り、お姉さん美人だったな」
「なんか私は綺麗じゃない言い方になってません? 気のせいです?」
「気のせいだろ。同じ顔をしてるわけだし」
けど……まぁ、雰囲気というか、受ける印象はなんというかねこさんはやっぱり「可愛い」という感じだ。
何はともあれ……。
「見つかったな。案外、あっさり」
「えへへ、安心しました。元気だったので、あっ、ありがとうございます。……白川さん、北倉さん」
軽く笑い返しながら外を見るとすでに太陽は赤くなっていた。
……目的は果たしたわけだし、アコの門限もあるのだから送って帰るべきだろう。
窓は網ガラスになっていて、夕焼けの街並みは完成したパズルのピースのように見えた。
下から微かに聞こえるシャワーの音、人が帰路に着き始める街並み。
「……そろそろ帰るか」
風景のパズルに俺がいるような隙間はなく、目を逸らすように立ち上がる。
「えっ、もう帰るんですか?」
「お姉さん、風呂上がりに自分の部屋に男がいるのは落ち着かないだろ」
「あ、僕もそろそろ帰らないとです」
ねこさんは「もっとちゃんとお礼したかったのに……」と言いながら立って俺たちを送り出す。
玄関で手を振っているねこさんを見てからアコの家まで送る。
「先輩はすぐに事件を解決してすごいですね」
「……いや、大したことはないだろ。どっちも、たまたま運よく上手くいっただけだ」
「そんなことないですよ。先輩が……とても優しい人だから、です」
そういうのではない。
アコの家の前で別れてから、来た道を引き返して駅の方に向かう。
……変に褒められたり感謝をされると俺の実態との乖離があって素直に喜べないな。
俺も家に帰らないとな。……あんまり、帰りたくないけど、両親を心配させるわけにもいかない。
ねこさんの家の前まで戻ってきてそのまま通り過ぎようとする。
……ねこさんとの関係もここでなくなったのだろうか。頼みはもう解決したし、そもそも別に友達だとか本当に恋人だとか、そういう仲でもない。
なんとなく関わって頼みを引き受けただけで、他に接点はない。……だから、たぶん終わりだな。
風は少し冷たくて、強がるように吐き出した吐息はすぐに攫われる。
唇の渇きを誤魔化すように前を向いた。
「あ、白川さーん! へいへーい!」
俺がピースをはめ終えたジグソーパズルみたいだと思っていた網ガラスの窓がパッと開いて、ねこさんがニョッと体を飛び出させる。
「……ねこさん」
「送ってきた帰りですか? ちょっと降りるのでそこを待っててください」
いや、降りて出てくる意味あるか……? と思っていると、湯上がりなのかパジャマ姿でサンダルを履いたねこさんがバタバタと玄関から出てくる。
「あれ、なんか忘れ物とかしてたか?」
「えっ、そういうのじゃないですよ?」
ねこさんは心底不思議そうに首を傾げる。
黄色いパジャマは歳の割にも子供っぽく、なんとなくねこさんっぽいなと思う。
「あ、ご飯食べていきます?」
「いや……久しぶりの家族の団欒を邪魔するのは」
「そんなの気にしませんよ。それに、ほら、今日話していた……白川先輩の大切な人に会いに行く話もしたいですし」
ねこさんの手が俺の手を握る。柔らかい笑みがそこにあって、思わずフラリとそちらにいってしまいそうになりながらも足を止める。
「……もう死んでるんだ。あの人」
冷たい風が吹いて、ハッとする。
こんなことを言ってもねこさんが気まずいだけだろう。
「あ、あー、夜は冷えるから、湯冷めする前に家に戻りな」
「……」
ねこさんの手は俺の手を握ったままだ。
俺を見上げる目もそのままだった。
「悪い。微妙に言いにくくて。……一緒に会いに行こうって言ってくれたの、本当に嬉しくてさ」
「白川さん」
「だから、またな。また、学校とかで」
俺が抜け出そうとした手をきゅっと両手で掴みなおして、ねこさんの目はじっと俺を見つめる。
冷たい夜風の中で手の先だけは暖かくて、月明かりと電灯の色がねこさんを照らす。
うにゃー、と、騒ぐ昼間の姿からは見えないような慈しむような悲しむような表情。
「湯冷めするぞ?」
「……手を合わせにいきましょう。一緒に」
落ち着いた、静かな声だった。
「お線香立てて、お花を飾って。好きだった物を備えて」
「……好きだったもの、知らないんだ。いつも……俺が好きなものを作ってくれるか、俺が嫌いな野菜を食べれるようにってしてくれてたから。料理もお菓子も、ずっと俺に合わせていて」
俺はなんでこんな話を漏らしているのだろうか。
今まで、今の今まで……誰にも話していない、墓まで持っていくつもりだった。
「じゃあ、白川先輩の好きなものを持っていきましょう。……きっと、喜んでくれるよ」
「……」
ねこさんはもう一度言う。
「一緒に行きましょう」
何故だろうか。寄りかかってはいけないと分かっていたのに、こくりと頷いてしまっていたのは。
ねこさんの瞳から目が離せないでいる。
とくり、と、自分の心臓の音を自覚する。
「……ねこさん」
「んー?」
「ありがとう」
「それはこっちのセリフ。えへへ、ありがと」
するりとねこさんの手が離れる。
冷えた夜風に当たってるはずなのに冷める様子はない。
ねこさんの顔を見る。
湯にあたって上気した頬、優しい瞳、笑顔を絶やさない口元。
とくり、とくり、心臓の音が鳴っていた。
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