一章の二
「いや……ラノベじゃん……! 文豪……ラノベじゃねえか!? 書いたことないだろ!」
「死ぬ間際、その瞬間にこそ人の本質が浮かび上がるのでしょう」
「デスゲーム主催者の理屈……! いいのか? 祖父の本質がエロかわ美少女ハーレムマンで」
散々ツッコミを入れはするが……目の前の少女、北倉アコが文豪の孫なのは間違いない。あのメモ帳も本物だろう。
……灯りもつけず、座ることもしていなかった。おそらくは違う教室だから気を遣ったのだろう。
それほど気を遣う性格の性格なのに、初対面の男にこうして頼みに来ているのだから……まぁ、多分、きっと大切な弔いなのだろう。
数秒考えて、不安そうな少女の瞳を見る。
「……俺に手伝えることなら」
「ほ、本当ですか? その、自分で言うのもアレですけど、アレですよ?」
「よく分からないけど、大切なことなんだろ。時間もあるし手伝いくらいなら……と、言っても、大したこと出来ないぞ? 小説なんて書いたことないし」
見るからに安心した様子の少女はこくこくと頷く。
「あ、僕、北倉アコです。北倉と呼び捨てにするとおじいちゃんの呼び方と同じになるので、アコとお呼びください」
「いや北倉 譲先生を北倉と呼び捨てにしないぞ。何で被ると思った」
「アコとお呼びください」
「意外と押しがつよいなこの子……。アコ」
少女は照れくさそうにはにかみながら頷く。
「ああ、じゃあ連絡先とか聞いていいか?」
「はい。えっと、こちらにお願いします」
北倉……アコは鞄から取り出したメモを俺に渡す。手書きで名前と住所、電話番号、メールアドレスにメッセージアプリのIDが書いてある。
「……あんまり初対面の男に住所教えるの良くないぞ?」
「えっ、えっと?」
よく分かっていなさそうなアコを見ながらそれをポケットにしまう。
「そろそろ始業時間だから教室に戻るか」
「は、はい」
「引き受けておいて今更だが、何で俺なんだ? 文芸部とかいったら絶対に歓迎されると思うぞ」
ペコリと頭を下げて教室に戻ろうとしていた少女の体が止まり、長い綺麗な髪が風に揺らされ、太陽の光を浴びてキラキラと輝く。
二人しかいない中庭だが、近くの廊下には生徒たちが談笑しながら歩いているため、少し騒がしい。
きっと、普段はあまりたくさん話す方ではないのだろう。
口の開き方はあまり大きくなく、声量は小さくどこかたどたどしい。
大人しく物静か、そんな印象を覚える彼女は俺の目を見て、それから目を逸らして、恥じらうように小さく唇をうごかした。
「……ラブコメなのに、僕には恋愛経験がなかったので」
彼女はそれだけを言い残して、とててて、と走り去っていく。
……超がつくほど有名人の孫娘で可愛く綺麗な容姿をしている。
そんな情報に反して、物静かで大人しそうな少女。……けれども、突然の告白紛いの言葉。
静かそうでうるさいもの、のどかな田園風景。
反対にうるさそうでいて静かなもの、爆弾。
けれども爆弾はやっぱり突然爆発する。
北倉アコは爆弾によく似ていた。
◇
うるさい音が嫌いだ。
目を閉じれば、パトカーの音が耳の中に弾けるように響く。
……俺が10歳のころ、母親が警察に捕まり俺は保護された。
その頃の俺は知らなかったが……俺が「お母さん」と呼び、大好きだった人は本当は母ではなく誘拐犯だったらしい。
本当の父母の元に帰されて、親とは到底思えない彼等に気を遣って「お父さん」「お母さん」と呼んでいたころ……俺が母と思っていた、真実を知った今でも……母と思ってしまっている誘拐犯が死んだ。
自殺だったらしい。
理由は説明されていないが、自分の元から俺がいなくなったことが原因であることは幼い俺にも容易に分かった。
ピーポー、と、どこか間抜けにも聞こえるパトカーの音。うるさく響くそれが嫌いだ。
母の弔いに行くことは出来なかった。
当然なのだと分かっている。
けれども、けれど、俺はお母さんの死に目を見ることも葬式に出ることも出来なかった。
命日に冥福を祈ることも……本当の、今の親のことを思うと出来やしない。
…………たぶん、今日が母の命日でなければ、北倉アコの話を聞いていないだろう。
北倉アコの願いが祖父の弔いでないなら「面倒」と断っていただろう。
北倉アコの祖父の弔いを手助けしたところで、母の弔いになるはずもない。
そんなことは分かっているけれど、だからこそ、今日という日に祈ることを許されるようで……ほんの少し、救われる気がした。
放課後、クラスでぼーっとしているとアコが扉から覗き込み、人が少ないことを確認して入ってくる。
「あ、すみません。朝のことでちょっと……今、お忙しいですか?」
「いや、平気だ。ここだと話しにくいだろうし、場所変えるか?」
「は、はい」
どこに行くべきか。
ファミレス……今日ぐらいなら大丈夫だけど、頻繁にとなると金が足りないから金のかからない場所を考えるべきだろう。
お互いの家は論外。となると、やはり校内で探すべきだろうか。
とりあえず教室から出て、空き教室の多そうな部室棟の方へと向かう。
「……あ、あの、先輩、ご迷惑じゃないですか?」
「んー、いや、まぁ部活とかに入ってなくて暇だしな。それで、どんな話なんだ?」
アコはパラリと祖父のメモ帳を開き、数ページ読んでいく。
「簡単に説明をしますと、心に傷を負った男の子が女の子と仲良くなっていく過程で少しずつ心の傷を癒していくという話ですね」
「案外マトモなストーリーだ……。タイトルがエロから始まるのに。……でも、やっぱり北倉先生らしくないな。何か思うところでもあったのだろうか。……まぁ、人間生きていたら傷つくことぐらいあるものか」
俺の方を見ていたアコは心配そうに俺を見る。
「……そういうものなんですか?」
「あー、いや、まぁ、俺は大したのないけどな」
傷ついた……というほどのものでもない。
むしろその逆で、人を傷つけてしまったかもしれないという罪悪感があるだけだ。
よくある話で特に気にするようなものでもない。
俺の言葉を聞いてもどこか心配そうなアコを見て少し笑う。
「それで、まずそこから困ってるのか?」
「……フラれて悲しい。というのはなんとなく分かるんですけど。文字にするにはどこか抽象的な理解しかないんです」
「そこはボカシちゃダメなのか? あんまり重要でもないと思うけど」
「……祖父のためのものなので」
ああ、そういえばそうか。わざわざメモに残しているということは、北倉先生にとっては重要な内容なのだろう。
「……精神的な傷、か」
真面目に考えると案外難しい題材だ。
俺の人生経験が浅いからかもしれないが。
窓から入り込む風を頬に受けながら廊下を歩き、隣に歩く少女の目を見る。
「そもそも、どういう関係なんだ、その幼馴染とは」
「そんなに具体的な内容はないですね。たぶんお互いに恋愛感情を持っていたのだと思いますが」
「……幼馴染で付き合っていたけど他の男に取られたって感じか? ……付き合いが長い分だけ自分の人生に深く根ざしているだろうからかなり辛そうだな。幼馴染が浮気した理由も考えないとな」
「主人公が後から立ち直ってハッピーエンドなので、立ち直るだけでいいということは問題は幼馴染側にあるんだと思います」
「……まぁ確かに、複数の女の子から言い寄られるということはそこそこ魅力的な主人公なわけだしな」
真面目に考えると結構難しいな。
「……ラブコメ版の再起の物語という理解でいいのでしょうか」
「まぁでも、イチャイチャがメインだと思う。タイトル的に。重点を置くならそこなんじゃないか?」
「ふむ……イチャイチャしたことないです。先輩は……詳しそうですね」
「いや、したことないけど」
俺が否定すると、アコは驚いた表情で俺を見ていた。えっ、何その反応。
「さっきの……お、お友達? は?」
「坂根のことか? いや、そういうんじゃないぞ。席が隣だから話しかけられることが多いだけで」
「で、でも、イチャイチャしてなかったですか?」
「いや、してないしてない。イチャイチャってのは、なんかもっと、こう……イチャーって感じだろ」
「それはよく分からないんですけど。……あ、ああ、あの! その、参考に、参考として、僕といっ、イチャイチャ……してもらえないでしょうか!」
アコは足を止めて、顔を真っ赤に染めながらそう言う。
いや……まぁ、それはいいけど。……イチャイチャしたことない二人でするのは難しいのではないだろうか。
俺が頷くとアコは「おほん」と言ってから薄桃の唇を開く。
「いちゃー」
「……い、いちゃー?」
「いちゃー」
「……いちゃー」
…………?
「よし」
これでいいんだ。
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