三章の四

 そのライトノベルを見てからの記憶が薄い。

 まだ思考を巡らせてすらいなかったが、けれども「これは今、アコに見せるべきではない」とアコを本屋から連れ出した。


 何か話したような記憶はあるが、話した内容はよく覚えていない。


 ただ、何をおいてもやらなければならないことが出来たのだと自覚した。


 翌日、俺は学校を休んだ。


「……あっつい」


 昼間だというのに電車はそこそこ混んでいて、普段使わない路線ということもあり気を抜けば迷ってしまいそうだった。


 だから、というわけでもないが電車の中でもスマホを弄ることはせずに、北倉譲と仕事をしていた編集者の名刺を見る。


「石原 力」……か。


 一度、もらった日に握りつぶしていたそれの中に書かれている社名と電話番号に目を通す。


 一瞬、乗り過ごしてしまいそうになりながら目的の駅で出て、暑い日差しを感じながらその会社まで歩き、背の高いビルを見る。


 四階にあるのか……と案内の看板を確かめながら入る。


 自動ドアの少し先にまたオートロックのドアがあった。


 当然、電子カードなど持っていないので内線で呼び出してもらおうとボタンを押しているその途中、背後から「あれ?」という一度聞いた覚えのある声が聞こえた。


「白川くん? 奇遇……あ、いや、俺に会いに来たのかな?」

「……石原さん。すみません、急に押しかけて」

「いやいや、いいよいいよ。あ、外暑いし中に入ろうか。白川くんも入る?」

「失礼します」


 ほんの少し、驚いたように石原は表情を変えてカードキーを使って扉を開ける。


 普通、ほとんど知らない仲の人間が訪ねてきて「何の用だ」と聞くこともせずに中に通すものだろうか。


 分かってきているが、当然仕事中なわけだし……普通の対応なのだろうか? そう思いながら中に入る。


 空調は効いているがあまり人はいないのか、どこか乾いた冷たさが汗に濡れた服を乾かして俺の体を冷やす。


 無言でエレベーターに入り、目的の階に着くと小洒落たオフィスの中に人がまばらにいた。


 俺のような年齢が来ることは珍しいのか数人から視線を向けられて、それを確かめたような石原は俺に向き直る。


「それで、何の用?」


 その言葉に言い淀みそうになり、自分の言葉が詰まったことで石原の狙いが分かる。


 彼の同僚の目の前では切り出しにくい話だ。その話を自然に切り出しにくくするために、この場所に来るまで話をしなかったのだろう。


 俺が何の話をするかも分かっていないだろうが、万が一……それに備えて、その話を出来ないように。


 ゆっくりと息を吸って、それから空調の風の音よりもほんの少し強い程度の語調で言う。


「犯人はあなただ」


 と、テンプレすぎて、直球すぎて、使い古された言葉を。

 石原の反応を確かめる前に言葉を続ける。


「文豪、北倉譲を殺した。その犯人はあなただ」


 周りの人にも聞こえたのだろう。こちらに向く目の数が増えたわけでも表情が変わったわけでもないが、なんとなくピリと頰に緊張を感じる。


「……へ? えっ、北倉先生? 何の話? 先生は病死だけど……」

「病状が悪化していたときに人工呼吸器を外すことで殺害した。目的は口封じだ」

「へ? だから何の話? 急に来たと思ったら……やめてよ、変な噂が立つとこっちも困るしさ」


 まぁ、認めるわけがないだろう。こんな反応は分かりきっていた。


「まず、前提として北倉譲の死は他殺だ。人工呼吸器を自分で外したのではなく、人の手によって外されたことにより亡くなった。病院では「今際の際に執念で小説を書こうとして自分についた呼吸器を外してメモ帳に書き記しているうちに亡くなった」と思われていた。だが、明らかにおかしい」

「……あのー、聞いてる? そんな推理ごっこをここでされても、すごく迷惑だし、あんまり気分も良くないんだけど」

「北倉譲のメモ帳にあった小説のプロット、その仮タイトルの【エロかわ美少女達に愛されてるけど幼馴染を寝取られたことがトラウマな件〜女性不信でオタクな俺も何度フラれても告白し続けてくる女の子には揺れてしまう〜】なんだが、本屋で発売されていた。これがその北倉先生のメモ帳だ」


 立ち止まっている石原の前を数歩進み、ゆっくりと息を吐く。


「発売されたライトノベルの作者は矢吹一歩。石原さんが今担当しているライトノベル作品の作家だ。……何故、矢吹一歩という作家の作ったプロットが北倉譲のメモ帳にあったのか。もちろん「同じアイデアがたまたま浮かんだ」なんてことはない。……誰かが書いたんだ、矢吹一歩のアイデアを北倉譲のメモ帳に」


 俺が取り出した古びたメモ帳を見て石原の表情がほんの少しだけ変わる。


「ならば何故、北倉先生のメモ帳に【エロかわ美少女】というラノベのプロットを描く必要があったのか。病気で死の淵に立たされた大御所にイタズラをしたなんてことはないだろう。メモ帳にプロットを書いた犯人はそれをする必要があった」

「……必要?」


 石原がマトモに俺の話を聞こうとしているのは、俺がメモ帳という動かない現物を持ってきたからだろう。

 推理のアラを探そうという目をしていた。


「文豪、北倉譲が人工呼吸器を外す理由が必要だった。普通、ひとりでに外れるものじゃない以上誰かが外す必要がある。当然自分が外したとバレてはいけないから誰かに押し付ける必要があるが、そもそも殺人事件となるとマズい。北倉先生自身が外したと思わせる必要があった」

「……へー」

「犯人は発売前である新作ライトノベルのタイトルとプロットを知っている人物。かつ、病室に入ることが出来た人物」


 ゆっくり息を吸って、男を見る。


「犯人はお前だ。石原 力」

「……なるほど、そう考えたのは分かった……けど、僕はそんなことやってないから勘違いだと思うよ? そもそも、そんなのするわけないじゃんか」

「動機はある。……北倉先生のゴーストライター、その口封じだ」


 石原は、今日、初めて目を開く。

 俺が知っているはずが……アコが「自分のせいで祖父が長年苦しんで死んだ」と話すはずがないと思ったのだろう。


 あの日ゲームセンターで石原は、アコに話させないためにあんなことを言ったのだ。


 感情的に「アコをナメるな」と言いそうになるのを喉奥で飲み込む。


「文豪北倉譲はスランプに陥り、文才のある身内に書かせていた。……死の間際にそれを公表しようと考えたが……そのゴーストライターの共犯者である人物からすれば非常にまずい。ただの年齢からくる病死であの騒ぎだ。そんな爆弾が爆ぜれば困ることになるだろうし、口封じは簡単だ」

「……」

「もう一度、繰り返す。犯人はお前だ」


 石原は俺を見て笑う。


「……なるほど、まぁ面白いけど違うよ。そもそも、証拠がないからこんな風に脅しをかけてきてるんでしょ? 普通、殺人犯と思ってる人に直接尋ねてきたりはしないでしょ」

「このメモ帳を筆跡鑑定すれば多少の証拠にはなるが……まぁ、起訴まではいかないだろうな。もう数ヶ月前の事件だし、これ以上の証拠は残されていないだろう」

「でしょ? そんな思い込みを話されても迷惑……」

「けど、ゴーストライターの件ならいくらでも証拠がある。親族が証拠を揃えて記者やら雑誌に売り込めば報道はさせられるだろう」


 石原の表情が固まる。


「それは、アコちゃんが可哀想だとは思わないの?」

「思わない。……北倉アコは誇り高い。華々しい人生の最期に、誇りのために汚名を被りにいった北倉譲と同じように。……不起訴にはなるだろうけど、警察に通報させてもらうし、記者にタレ込ませてもらう。……が、通報は確定だけど、タレ込みの方はそちら次第だ」


 石原から離れて数歩進み、その場にいた人の顔を見渡す。


「この出版社から、ゴーストライターの件について公表するならタレ込みはしない。後日、証拠を揃えてこちらに郵送させてもらうが、今のうちに要求を言っておく」


 息を吐いて、吸う。



「北倉譲、北倉アコ。二人の言葉を届けてください。お願いします。……お願いします」

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