三章のニ

 彼女は渡されたお茶に口を付けて、ニコリと俺に笑いかける。


「流石は名探偵。割と、まぁ、そこまで言語化してはないけど、そんなところかもね」

「絶対ねこさんに伝わってないぞ」

「いいんだよ。それで、言いたいけど伝わってほしくないことってあるでしょ?」

「……まぁ」


 緑はペットボトルのお茶を触って、指についた結露を見つめる。


「もしかして、白川くんは優しいやつだね。ねこが気にいるのも分かるよ」

「今のやりとりでなんでそう思ったんだよ……」

「でも気にしなくていいよ。私が退屈してるのは、ただ単に私がつまらなくて弱い人間だからで、同情されるようなものではないので」


 ……話聞かないな、この子。

 でも今の話で聞きたいことは増えた。


「あー、まぁ、ねこさんが心配してるから、連絡ぐらいはしてあげてほしい。というか、危ないからちゃんと家に帰りな」

「いやー、お父さんとお母さんが苦手で」

「あんまりそう言うこと言うなよ……」

「娘にねこねこドラゴンって名付ける親だよ?」

「それを言われると100%親が悪いんだろうなって気がしてくる」


 ねこさんが「自由人」と評していた緑だが、飲み物を遠慮したり、落ち着かない様子でペットボトルについた結露を撫でている姿からはむしろ気が弱そうに思える。


 話し方やコスプレをして学校に侵入してくるのは聞いていた姿と合致するが……。


「……親元を離れるってどんな感じだ?」

「えっ、家を出たいの? 白川くんも」

「高校二年生だし、そろそろ進路を決めないとな、と思って。まぁ雑談がてら」

「んー、参考にはならないと思うよ? ホテル暮らしだし。まぁ、気楽かな。人と会わなくていい時間が多いのは」


 ……やっぱり、どこか内気さを感じる。

 ねこさんが気づいてなさそうなのは家族だからこそ内気なところが出ていないからだろうか。


「……それとも、ちょっと試してみる? 家出……というほどでもないけど、私のホテルの部屋だったらきてもいいよ?」


 ……いや、ねこさんの見立ての方が正しいかも。

 ほんの少しいたずらにそう言うのはねこさんと似ている。


「やめとく。家族に不満はないしな。というか、妹といい仲と疑ってる相手を自分の部屋に誘うなよ」

「大丈夫だよ。その時はちゃんとねこも呼ぶから」

「そうなると俺が大丈夫じゃない」


 緑さんは不思議そうな表情で俺を見る。……いや、普通に年頃の男女が同じ部屋で寝泊まりはまずいだろう。


 警戒心が高いのか低いのか分からないな。


 ……変わり者で、家や学校に馴染めなさそうというのは分かる。


 会話が途切れて間が空いて、若干だけ緑は気まずそうな表情をする。


「連絡先聞いてもいいか?」

「えっ、いいけど、あんまり返事しないよ?」

「いや、してくれ」

「ええー……いや、でも……」


 緑は「何だこの人……」みたいな目で見てくる。


「家に帰れとか、学校に行けとか言わないから、それならいいだろ?」

「……えっ、いいの?」

「まぁ、保護者でもないし」


 ねこさんを安心させるために連絡を取れるようにしたいというだけなので、うるさい小言を言う必要もない。


 戸惑う緑と連絡先を交換する。……なんか、緑と俺でお互いに変な奴だと思い合ってそうだな。


 緑は手に握ったスマホに映る俺の名前を見てポツリと呟くように言う。


「……手慣れてる」

「手慣れてない。……何か悩みがあるとかなら、話ぐらいなら聞くぞ。聞くだけだけど」

「……手慣れてる。ねこに報告する」

「手慣れてないです。やめてください」


 緑はペットボトルを見つめて数秒、俺の方を見ることなく口を開く。


「私の悩みなんて、悩みとも言えないようなつまらないもので……大した理由じゃないんだ。中学生のころ、クラスに太っている女の子がいたんだ。その子をクラスの女の子たちが「かわいい、かわいい」と囃して、男の子に「田中さんってかわいいよね?」と聞くんだ。……彼女は自分の容姿が優れていないことを自覚していて思ってもいない「かわいい」なんてことを言われるのをすごく嫌がってた」


 よく分からない話だな、と思いながら頷く。

 てっきり高校に進学していない理由や、親と上手くいっていない話をするものかと思っていたが。


「当然だよね。どう見ても「かわいくない子をからかってやろう」という意思や「男の子にかわいくないと否定させてやろう」という意図が見て取れるんだから。「かわいい」というのはいい言葉かもしれないけど、明らかに嫌がらせ……イジメに使われていたし、それはイジメだったよ」


 こういう話は友達ではなく自分の話というのがよくあるが……まぁ、緑の話ではないだろう。

 どちらかと言うと細身だし、容姿も整っている。


 その割には、随分と感情を寄せているようだが。


「けど、そのクラスの女の子達は叱られることはないし、それどころか「田中さんに優しくしてあげてる」みたいな自認を持ってて。……逆にそれを止めるように言った正義感の強い男の子が「田中さんを虐めた」として先生に怒られてたよ」


 まぁ、その理由は何となく想像がつく。

 あまり性格は似ていないけれど、彼女はねこさんの姉妹なのだ。


「わりとさ、わりと、そういうイジメ方をする女の子って多くて。……教師も、それを怒らないんだよね。……田中さんと仲良かったわけじゃないけど。そういう卑怯で意地悪な子が、普通に彼氏作って幸せそうにして。……私は、この街があんまり好きじゃない」


 人一倍に優しいから、理不尽に耐えられないのだろう。

 彼女は俺を見て、誤魔化すように笑う。


「白川くんならどうしてた? そういうときはさ」

「俺は女の子の容姿について尋ねられたら全員に可愛いと答えてるしな」

「て、手慣れてる……」

「手慣れてない。……普通に、手を握って一緒に出て行ってやればよかったんじゃないか?」


 俺がそう言うと緑は俯く。


「嫌がられるかも」

「嫌がられても。そもそも、人助けなんて嫌がられて当然なんだよ、普通。人には多かれ少なかれプライドがあるんだから助けられるのは前提として嫌なものだ」

「……」

「緑さんもお茶を受け取るのを嫌がったろ。そういうものだし、その上でどうするかを選べばいいと思う。……まぁ、偉そうに言っても、俺も人助けや親切なんて全然しないけど」


 緑は俺の方を見て、その瞳を揺らせる。


「流石は名探偵」

「茶化すなよ。とりあえず、そろそろねこさんとかのところにいくか」


 少しだけねこさんのところに行くのが嫌そうな緑の手を持つと、彼女は苦笑しながら俺を見る。


「……何が全然しないだよ。手慣れてる」

「手慣れてない。ほら、行くぞ」


 立ち上がったのを見て手を離す。

 ……どこの家も悩みはあるものだな。

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