二章の四 

 正面に座るアコは見た目は年相応よりも幼く、仕草は俺よりも歳上のように感じる。


 諦念や罪悪感。

 いたいけな弱々しい彼女が負うには重そうに思えるそれを感じた。


 ゆっくり視線をあげて三秒。吐息を空調の風に溶かして二秒。アコは俺を見つめて、口を開く。


「……先輩が話してくれたのに、自分のことばかり隠しているのはずるっこなので、少しだけ、話してもいいですか?」


 俺が頷くと、アコはそれでも迷いがちに言葉を手繰るように選んでいく。


「僕は……小説が嫌いです。……それは、特に深い意味があるわけではなく、小説で苦しんでいる祖父を見たからです。「もう何年も書けていない」と悩んでいる姿をずっと見ていたからです」

「ああ」


 ……結構、長いこと定期的に出してると思うが……ああ、新しく書いたわけではなく昔書いた未発表作を出したということだろうか。


 本来知るはずもない文豪の苦悩。アコは自分のズボンを両手で握りしめて、それから言葉を吐き出す。


「……小説を書くのは、これで、最後にしたいのです」

「……これで? あれ、書いたことあるんだったか?」

「あ、い、いえ、言葉の綾です。……北倉アコが書く小説は、これが最初で最後です」


 どこかぎこちないアコを見ていると、ポケットに入れていたスマホが震える。


『白川さんどこにいますか? 今、ここですけど』とねこさんが写真を送ってくるが……別のショッピングモールである。


「……ねこさん、店を間違えてるからあと一時間はかかりそうだ」

「あー、えっとじゃあ、ゲームセンター行きますか?」

「そうするか」


 開店したばかりのはずなのにもうガヤガヤと騒がしいゲームセンター。ショッピングモールの中にあるため子供向けが少し多いが、案外若い子も多く見える。


 うるさいのは少し苦手だと思いながら見回していると、アコの目がクレーンゲームの枠の方に寄っていたのでそちらに向かう。


「うわ、あの幽霊のアニメのやつある」

「人気アニメですからね。……挑戦してもいいですか?」

「ああ、やったことあるのか?」

「いえ……初めてです」


 アコはクレーンゲームの端にある簡単な説明を読んでから、子供っぽい財布を出してそこからペリペリと小銭を取り出す。


「……いざ」


 クレーンが揺れながらフィギュアの箱に近づき、ガスッと直撃するも、クレーンのアームがフニャフニャと動いてほとんど動かせずにクレーンが戻っていく。


 アコの目が俺の方を見つめる。


「……これ、果たして本当に取れるんですか?」

「一応、取れるようにはなってるはず。確率でアームの力が強くなるとか、ちょっとずつ動かすとかで。あー、でも、たぶん欲しいなら普通に買ったとかの方が安く済むはず」

「……いえ、これはここで取らないとダメです」

「……平気か? お金」

「とりあえず、さっき500円入れた分はやってみます」


 アコは真剣な表情でクレーンを動かしていくも、あまり動いた様子もなく少し場所がズレていくだけだ。


 ほとんど無意味に終わり、アコは自分の財布をペリペリと開けて中身を確かめる。


「……俺が挑戦してもいいか?」

「だ、ダメです!」

「ダメなんだ」

「い、いえ、ダメではないんですけど……その、えっと、このフィギュアが欲しいわけじゃないんですよね。その、自意識過剰じゃなければえっと、僕のためみたいな……」


 恥ずかしそうにしているアコの言葉に頷くと、アコは安心したように首を横に振る。


「……岩間さんに渡そうかと思いまして」

「岩間って……あの不登校の?」

「はい。このアニメのことが好きみたいなので。これをプレゼントして「仲良くなりたいです」って伝えようと思って、そうしたら、学校に来やすくなるかなって」

「……新谷は大丈夫なのか? 苦手っぽいけど」

「…………わ、悪い人ではないと思うので」


 まぁ……止めるものではないか。

 怖くても、ほとんど知らない子のために頑張るって本当にいい子だな。……なんで友達いないのだろうか。


「というか、なんで俺が取ったらダメなんだ?」

「あ、その、僕に渡したものを岩間さんに渡すことになるので……。もらったプレゼントを他の人にプレゼントするのは良くないと思いまして」


 ああ、なるほど、と思いなかがら、硬貨をクレーンのゲーム機に入れる。


「なら、俺とアコのふたりで取ったのを渡すってことでいいんじゃないか?」

「それなら……えへへ、先輩は本当に優しいですね」


 そうでもないだろうと思いながらクレーンゲームを動かすも思ったよりも難しくてほとんど動かない。


 何度かプレイをして小銭が尽きたので両替をしにその場をアコに任せていたところ……遠目で、アコのことをジッと見ている男の姿を見つける。


 ……ナンパ目的……ではなさそうだ。

 アコがプレイしている間にその男の元に向かう。


 年齢は三十代半ばぐらいだろうか。ラフな格好をしているが、髪は普段しっかり固めているだろう癖が残っていて、服も小綺麗なものだ。


 不審者というにはしっかりしていそうだが、怪しいのには間違いない。

 万が一ストーカーとかだったら危ないと思い声をかける。


「すみません……何か用ですか? ウチの連れに」

「ん? ああ、君は……あ、アコちゃんの彼氏さん?」


 俺が否定も肯定もせずにいると、男は気にした様子もなくへらりと笑う。


「ああ、知り合いの子だったから挨拶しようかと思ったけど、アコちゃんからしたらよく知らないおじさんから声をかけられるのはイヤかな、と考えていたところで……あ、こういうものだよ」


 男が取り出した名刺を見ると、どうやら有名な出版社の編集らしい。


「ああ……北倉先生の編集さんなんですね。失礼しました」

「そうそう。長年お世話になってたからお孫さんのことも知ってるけど、おじさんが声をかけるのもなぁって。ごめんね、驚かせて」


 杞憂だったと安心しながら頭を下げる。


「アコちゃん、元気そう? 北倉先生のこともあったけど」

「あー、知り合ったばかりなので元の性格なのか、落ち込んでいるのかは分からないですね」

「そっか。まぁ、こんなところに来れるぐらいは元気ならよかったよ」


 別にトゲのある言葉ではない。心配やら安心を感じるはずの言葉なのに……少し、一瞬だけ意識が詰まる。


 別に、アコは祖父の死をなんとも思っていないわけじゃない。と言い返したくなるが、悪気があるわけだろう。


「……あ、というか、きみのことなんか見たことある気がするけど……彼氏じゃなくてイトコとか親戚? お葬式で見たのかな」

「いや……数年前、連日ニュースで顔が出てたんでそれじゃないですか。誘拐の話で」

「……あー! ヒロくんだ! やってたやってた!」


 ……名前まで出てくるのか。ずいぶんと記憶力がいいんだなと思っていると、彼はへらりと笑う。


「いやー、実は俺が担当してる作家が影響を受けた話を書いてさ、もしかしたら炎上しちゃうかもなーって印象に残ってて。あ、ごめんね、こんな話、気はよくないよね」

「いえ、別に誘拐が出てくる話なんて珍しくもないでしょう」

「いや、結構まんまでさー。ラノベ作家の矢吹一歩っていう人なんだけど、あ、分からないか。その人がニュースを元に書いちゃってさー」


 言わなければ気にもならないことを……。と思うが、たぶん悪気はないのだろうと思って首を横に振る。


「いや、気にする必要は……」

「いやー、でも犯人、逮捕されてよかったね」


 ……一瞬、思考が止まる。騒がしいゲームセンターの中で、「逮捕されてよかったね」という言葉が頭の中に響く。


 …………悪気はないのだろう。悪気はない。だから、この人は悪くない。繰り返し、繰り返す。


 ……その誘拐犯を、幼い頃からずっと親と思って育った……なんてこと、この人は知る故もないのだ。


 呼吸を意識的に整えて合わせるように笑おうとしたそのとき、ガコン、という音が後ろから聞こえた。


「わっ! 取れました、取れましたよ! 先輩!」


 そう喜ぶアコがキョロキョロと見回して俺たちの方にきて、編集の男の顔を見て表情を固める。


「……あ、石原……さん。……あ、えっと……」


 アコは驚き……というよりも、恐怖のような表情を浮かべる。

 それはへらりと笑う編集の男の表情とは対照的で、自分の抱いていた悪感情を忘れるには十分なものだった。


「アコちゃん、先生のお葬式ぶりだね。元気そうでよかった。また・・小説を書いたら、読ませてよ」


 ……「また?」と一瞬だけ思ったが、それも男の言葉を聞いて顔を青ざめさせているアコを見て意識から離れる。


 「アコ、平気か?」と呼びかけるも返事はない。


 へらりと男は笑い「じゃあまたね」とだけ言って去っていく。アコの手からフィギュアの箱が落ちて、乾いた音を立てた。


 アコはその音にも気づかないまま、立ち尽くしていた。

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