三章の六

「──というわけで、アコが泣いていたのはお爺さんのことなんです。な、アコ」

「はい。せんぱいは、悪くないです」

「そうか……。てっきり、彼氏に泣かされてるのかと、彼氏とかそういうのじゃないんだな」


「……」


 やめろアコ、微妙な間を開けるんじゃない。ガチっぽくなるから、お父さんすごい顔してるから。


「あ、その、そのことで先輩がお父さんとお母さんに話したいことがあるらしくて」

「交際のことで!? ちょ、ちょっと待って、あ、いや……り、リビングに……いや、君が良ければちょっと外で食事でもしながら……」

「いえ……そのことというのは、交際とかではなく、お爺さんのことです。交際はしてません。本当に、してないので」


 出来る限りアコから距離を取りながらそう言うと、アコの父親は「父さんの?」と不思議そうな表情をしてから頷く。


「とりあえず、あー、妻も帰ってくると思うから……少しリビングで待っていてくれないか? 大切な話なんだな」

「はい。すみません、平日に」

「いや、今日はたまたま早く帰れたから大丈夫だよ」


 アコの父親は俺に気を遣わせないためか、アコにリビングに連れて行くように言う。


 俺は本とアコの用意してくれたお茶を持ってアコの後ろを付いていき、案内されたままリビングの席に座る。


「ええと、お茶でいい?」


 と言いながらアコの父親は俺の前にお茶を置こうとして既にお茶があることに気がつく。


「あ、すみません。ふたつともいただきます」

「あー、ごめんね。飲まなくてもいいからね」


 三人で座っていると微妙な間が開き、俺がとりあえず自己紹介をしようとしたところでガチャリと玄関から音が聞こえる。


「あれ? 知らない靴……誰かお客さん来てるの?」

「あ、母さん、アコの……お友達が来てるよ」

「えっ、本当? 珍しい。ちょっと待ってて」


 パタパタと玄関の方からアコの母親がやってきて、手際よくお茶を用意して俺の前に置く。


 お茶が三つ揃った。そういうパターンあるんだ。


「お忙しい中すみません。お邪魔しています。白川ヒロです」

「わー、男の子! アコの彼氏? わー、すごいすごい! えー、どうしよ、どうしよ。あ、白川くん、お寿司嫌いじゃないよね?」

「いや……その、彼氏ではないです。あと、あまりお邪魔するのも悪いのでお話をしたら帰ります」

「そう? ふふふー」


 アコはまぁ、予想通り友達が少なく家に人を呼ぶような人もいないからか妙に母親が上機嫌だ。


 この状況で話しにくいな。と、思いながらアコの父親に北倉先生のメモ帳を見せる。


 おそらく、北倉先生と血の繋がりがあるのは父親の方らしいので彼に見せるべきだろう。


「……これは、父さんの」

「はい。この最後に書かれた小説のプロットなのですが──」


 アコや石原にしたような説明をしていく。


 父親はアコが何をしていたのかも薄っすらとしか知っていなかったらしく、思っていたのよりも説明に時間がかかる。


 けれど、彼は至って真剣に俺の話を聞き、時折質問をしながら冷静に話を聞いていく。


「…………そうか。父さんは」

「はい。……おそらくこれ以上の証拠は出ませんし、これだけだと証拠は不十分です」

「まぁ、そうだろうね」

「すみません。……力になれもしないのに、掘り返すような真似をして」


 俺が頭を下げると、彼はアコの方を見てから首を横に振る。


「いや、娘のためのことなんだろう。ありがとう。……それに、それでも、父さんは寿命だったよ。それがなかったとしても、あと数日もなかった。一応、義務として警察には行くけど、おじさん達のことを心配しなくても大丈夫だよ」

「……すみません」

「いやいや、ありがとう。……もう暗いし、車で送っていくよ」

「いえ、大丈夫です。お疲れのところ押しかけてすみません」


 出されたお茶を飲み干してから立ち上がると、アコが俺を追うように立つ。


「お、送ります」

「いや。……あー、じゃあ、玄関まで」


 玄関の前まで来て、そのまま帰ろうとしたらアコは小さく俺に手を振る。まだ目は充血していて、泣いた跡が残っていた。


「先輩。先輩は、どうして気がついたんですか? あの本を見つけたとしても、そこまで考えが及ばないと思うんです」

「……俺は、人を見るのが上手い名探偵らしいから」

「……?」

「ねこさんのお姉さんが言ってた。……石原さ、あんまり優しくないんだよな。心配してるとか、安心したとか、そういう言葉を使っているけど、定型文として使ってるというか」

「……」

「土曜日、アコのことを脅しているように見えた。このまま自責の念に潰されてほしいという意志を。……だから」


 アコの方を見て、それから首を横に振る。


「いや、違うな。そうじゃない。……アコがあまりにカッコいいから、きっとお爺さんもカッコいいんだと思った。それが決め手だ」


 アコは思ってもなかったことを言われたように呆気に取られて、それから口元を隠してクスクスと笑う。


「なんですか、それ」

「嘘じゃないからな? また明日」

「はい。また明日。……おやすみなさい」


 軽く手を振ってアコの家から出て、暗くなっている夜道を歩く。


 ……なんだか、不思議とスッキリしている。

 長年の憑き物が落ちたような。


 今日買ったライトノベルをアコの家に忘れてきたことを思い出したが、まぁ別にいいか。


 道を歩いているとアコから電話がかかってきて、歩きながら電話に出る。


「アコ、どうしたんだ?」

「あ、いえ、お礼を言い忘れてたなって」

「いや……お礼が言われるようなことはしてないと思う。迷惑はかけたけど」

「いえ、ありがとうございます。その、お父さんも感謝しているみたいです。……お母さんは……めちゃくちゃ「彼氏なの?」と聞いてきます」

「ああ……すごく喜んでたな」

「……なんて答えたらいいですか?」


 ……それ、俺に選ばせるのか。

 いくらか歩いて信号の前で立ち止まる。


「……アコ、俺さ、どうしても暴く気になれないことがあってな」

「……んぅ? はい」

「ねこさんの名前、どういうつもりでねこさんの両親が付けたのかって。……あんまりいい意味はなさそうだし、今はねこさんと両親の仲も悪くないみたいだし」

「それがどうしたんですか?」

「……暴いた方がいいものと、悪いもの、両方あると思うんだ」


 車が通り過ぎて行くのを見ながらアコの声を待つ。


「……先輩は、どうしようと思っているんですか?」

「ねこさんにさ、誘拐犯の墓参りについて行ってあげるって言われていて。迷ってた」

「……僕もご一緒していいですか?」

「あー、かなり遠方なんだよな。しかも田舎でアクセスが悪いから、日帰りは無理だ」

「はい。一緒に行きたいです」


 青信号になって、それから数秒、やっと重い足を前に踏み出す。

 暗い夜道のはずなのに駅に近づいて少しずつ明るくなっていく。


「じゃあ、行くか。面白くもなくて時間がかかるだけだけど」

「はい。行きましょう。……ちょっとお父さんの説得が大変ですけど」

「そりゃな……。あー、ねこさんのことも話したらまだ男とふたりよりかは少しマシなんじゃないか?」

「そうですね。……ねこさん来られますでしょうか?」

「とりあえず、明日また話してみるよ」


 そう口にしてから、自分の言葉に自分で驚く。

 当然のように、事件がなくなった明日もふたりと一緒にいると思っているのだ。


「急に笑ってどうしたんですか?」

「いや、別に大したことじゃない。……けど、なんというか、ありがとう、アコ」


 アコは電話越しに伝わるくらい不思議そうな声を出してから、それから楽しそうに返事をする。


「どうしたしまして、先輩」


 夜の風を感じながら、駅の灯りを浴びる。


「そろそろ駅だから切るな。おやすみ」

「はい。おやすみなさい」


 電話を切って、電車に乗って、歩いて駅に帰る。


 久しぶりに、数年ぶりに「ただいま」と、自然に口に出来た。

 ただそれだけのことを、やっと出来るようになったのだった。

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