一章の四

 小さな手を握る。そんなに寒くもない季節なのに冷え切っていた。

 オバケって……と、思いはするも怯えていること自体は間違いないらしい。


「……落ち着いたか?」

「う、うん。ありがとう。……えっと」

「白川。白川ヒロ。そっちは……」


 見覚えはないが、騒がしい声に聞き覚えがあった。


「たしか、ねこねこドラゴンだったか……?」

「な、なんで私の真の名前を……さてはアンチですね」

「せめてファンだろ。いやファンでもないけど」

「私のチャンネルにはアンチしかいないので」

「それはもはや配信チャンネルではなくアンチスレだ。いや、さっき学校の廊下で騒いでいたのを見て、知り合いから名前を聞いたんだ」


 少女は「お恥ずかしいところを……」と、唐突にマトモなことを言い出し、誤魔化すようにへらりと笑う。


「……本名なのか、ねこねこドラゴンって、配信とかに使ってるユーザー名じゃなくて」

「配信では山田ココを名乗っている……けど、本名はねこねこドラゴンだよ」

「……こう、初対面の相手に言うことじゃないんだけど、なんでそうなったんだ」

「画数が良かったそうです」

「何があったら、ねこねこドラゴンの画数が良いことに気づくんだよ。ないだろ、画数の良さに気づくタイミング」

「……白川さん、白川さんからしたら初めてのことかもしれないけど、私は既に名前へのツッコミを無限に受け続けているんだ」

「あ、ごめん」


 いや……うん、そりゃそうだよな。きらきらネームとはまた別のなにかである。

 そろそろ手を離して……と思うときゅっと手を握られる。


 知らない相手で話すような内容もないなかで手を握られているという謎の状況。


 ほんの少し、目は潤んでいて長いまつ毛がまばたきに合わせて揺れる。

 無言でかわいい女の子と手を握り合っているということに妙な居心地の悪さを感じていると、彼女はゆっくりと口を開いた。


「……もしかしてなんですけど、私、めちゃくちゃ恥ずかしいことをしてませんか?」

「割としてるな」

「……ご迷惑をおかけしてますよね」

「あー、いや、どうかな」


 どうせ気晴らしに散歩をするぐらいのつもりだったし、用事があるわけでもないので問題はない。


 それに……まぁ、いつもだったら嫌だっただろうが、今日に限ればこういう面倒ごとも嫌ではない。


 いつのまにか春らしい風が吹いていて、赤い夕暮れの日は眩しいぐらいだ。


「まぁ、いいよ。これぐらいなら。……それで、何があったんだ?」

「お、オバケが出たの。学校まで逃げたんだけど、カメラを落としていることに気がついて……とりあえずスマホのカメラで配信しながら取りにいったんだけど、まだいて」

「心霊動画で戻るパターンってあるんだ」

「高校生にはカメラ高いからね」

「それはそうなんだけども。……持ってないってことは回収出来なかったのか。どこに落としたんだ?」


 俺が尋ねると、少女は首をブンブンと横に振る。


「と、取りに行くつもり? だ、ダメだよ! 幽霊だよ?」

「大丈夫だって。大切なものなんだろ。名前に突っ込んでしまったお詫びに」

「大丈夫ですよ! 名前、そこまで嫌ってるわけでもないから。ほら、確かに変な名前だけど……」


 やっぱり親からもらった名前だから大切なのだろうか。


「ねこねこドラゴン……確かに、ずっとからかわれてきました「えっ、本名?」とか「ハンドルネームじゃなくて……」と言われた回数は数知れません。常に複数の身分証を携帯する習慣がつくような、そんな名前です。でも……ちょっとぐらい欠点がないと完璧美少女すぎるのでむしろちょうど良いかもしれないです」

「……カメラ取りにいっていいか?」

「白川さんも、私がねこねこドラゴンでなければメロメロになってしまったことでしょうし、モテすぎないようにこの名前で良かったんです」


 いや、まぁかわいいことは否定しないし、顔立ちも綺麗だけど、完璧ではないだろ。今のところ欠点まみれというか欠点しか見てない。


「妹にも言われてしまってね。「お姉ちゃんの名前を改名させることにより唯一の弱点を克服し、この私の手で完全無敵の究極生命体を生み出すのだ! この私の手で! フハハハハ!」って」

「妹さん、マッドサイエンティスト?」

「違うよ?」

「ちなみに妹さんの名前は?」

「葵ちゃんだよ」


 俺はその場で頭を抱える。


「なん……でだよ! そこは……いぬいぬワイバーンとかであれよ……!」

「画数が良かったらしいよ」

「画数は万能の言い訳じゃないんだよ……!」


 俺は息を切らせながらねこねこドラゴンの方に目を向けて、名前を呼ぼうとする。


 ……突然だが、俺はあまり明るかったり人とすぐに距離を詰めるようなタイプではない。

 当然……明らかな変人とは言えど、女子の名前を簡単に呼べるような人間ではない。


 けれども、今、大変な問題があった。


 ……苗字分かんねえ。……いや、絶対に聞きはしたんだ。

 フルネームで聞いたはずだけど……ねこねこドラゴンの印象が強すぎて全然思い出せない。


 いや、だってねこねこドラゴンって言われたら「ねこねこドラゴン!?」ってなって前後の文が飛ぶだろ。


「……あ、あー、呼び方、ねこさんでいいか?」

「えっ、あ、うん。大丈夫……ですけど」

「それで……あー、声が聞こえた方からしてあっちの橋の下か? ちょっと取ってくるな」

「えっ、だ、ダメだよ! 呪われるよ! キラキラネームになるよ!」

「その呪いはちょっと嫌だな……まあ、カメラ大切なんだろ。安いもんだ、俺の名前ぐらい」


 そう言いながら橋の下の方に向かう。

 確かに少し鬱蒼としていて幽霊が出そうにも見えるが……正直、幽霊よりも蛇とかいそうで怖いな。


 人が入った形跡のある方に向かいながら落としたカメラを探していると、夥しい数の髪の毛が石と草の中に紛れていた。


 思わず息を飲むが……オバケの本体はなく髪の毛だけだ。

 タバコの吸い殻などが落ちている中、少し大きな石の上に本格的なカメラが落ちているのを見つける。


「よりによって、草の上じゃなくて石の上か……これは壊れてるんじゃ……」


 と思いながら拾い上げると特に壊れた様子などはなく多少土の汚れはあるが綺麗なものだった。


 大量に髪は散らばっているが特にオバケらしき存在はいないな、と思いながらねこねこドラゴンの元に戻る。


「おーい、あったぞ」

「わ、あ、ありがとうございます! だ、大丈夫? 呪われてない!? えっと……白川たぬたぬリンドブルムさん!」

「キラキラネームの呪いをかけるな。ほら」


 カメラをねこさんに渡すと、彼女は心底ホッとしたようにへたりと地面に座り込んでカメラを抱きしめる。


「……ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」

「……近くにあるものを拾っただけなんだけどなぁ。……壊れてないか?」

「うん、ちゃんと使えるよ。……その、色々ご迷惑をおかけして」

「いや、本当に大したことしてないから。気にするな」


 ねこさんは何度か頭を下げたあと、わざと態度を切り替えるようにニッコリと笑顔を浮かべる。


「山田ココチャンネルってチャンネル名で配信してるから見にきてね」

「ああ、まあ、分かった。…………配信者か」


 そう言えば、アコの小説のヒロインが有名配信者なんだっけか。


 …………いや、この子はどう考えても配信者ではない部分でキャラ立ってるから別枠だな、別枠。


「あ、そうだ。今度一緒に配信しようよ。カップルチャンネルを立ち上げて、若い視聴者を爆増させて今の視聴者を全滅させよう」

「自分の視聴者をもっと大切にしろ」


 というか、カップルチャンネルって……いや、どんなのか見たことないが。


 ねこさんは転けて草が乗ったままの頭を楽しそうに動かして、ニコリとかわいい笑みを俺に向ける。


「……怖いんだろ。家まで送るよ」


 単に俺が家に帰りにくい日だからか、それとも単純に心配だからか、面倒と思いながらそんなことを口にした。

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