第8話 そのカフェの女店主が体調を崩したら
翌日の朝。
いつも通りの時間に目覚めて、起きあがる。
「ああ~!
一番に思ったのは、そんなことだ。
あの後、夕食の時も何となく気まずくなり、あまり会話も無かったのだ。
『気まずい』
二人の関係で一番嫌なことだ。
「う~ん、う~ん、う~ん・・・」
部屋の中をグルグル回り考えた。
わからん!
もういい。仕事だ。考えてもしょうがないじゃないか!
僕は、着替えて部屋を出て階下に降りる。
キッチンダイニングに思い切って入った。
「おはようございます。あれ?」
泉天さんがいなかった。いつもなら、朝食を作ってくれていて、笑顔を向けてくれるのに。
これは・・・。
泉天さんがキッチンに来た形跡もないようだ。僕は思い切って、禁断の泉天さんの部屋に行ってみた。
そこは、今まで足を踏み入れたことが無かった聖地だ!
ドキドキする。
コンコン
緊張しながら、ノックする。
「泉天さん、おはようございます」
「・・・・」
反応がない。
コンコン
もう一度ドアを叩く。
「泉天さん、いませんか?」
いないのかな?
すると、ごそごそと中で音がした。
そして、ドアが少し開いて、泉天さんが顔を出した。
「ゴホ、ゴホ、ゴホ・・。すいません」
辛そうな声だ。顔が赤くなっているのがわかる。
「どうしました?」
「どうもちょっと熱っぽくて・・。少し寝ていれば治ると思うんですけど」
「え?」
僕は、泉天さんの額に手を当てた。
熱い!
「もう、何を言ってるんですか!すごい熱じゃないですか」
僕は、半開きのドアを開けると、泉天さんを抱えた。
「きゃ、○○君!」
「寝てないとダメですよ」
僕は、ベッドに泉天さんを置き、寝かせ、布団をかける。
「○○君、そんな、少しだけ寝れば大丈夫だと思うから」
泉天さんは強がるが、呼吸も辛そうで安静が必要なのは、一見してわかる。
「ダメです。泉天さんは、無理しないでください」
「わ、わかりましたから。お客様には申し訳ないですけれど、今日は、お店は閉めましょう」
「はい。後で休みの表示しますから、今は、治すことに専念してください。ここに風邪薬とかありますか?」
「常備薬はダイニングに置いてあります」
「わかりました。取ってきます。でも、何かお腹に入れないと・・・。食べやすいもの用意しますね」
僕は、急いでダイニングに行き、常備薬用の箱を見つけた。ラッキーだ。額に貼り、熱を冷ますシートがあった。体温も測らないといけないが、体温計もあった。効きそうな風邪薬も見つけた。風邪薬は、お腹に何か入れてからだ。体温計と熱を冷ます額当てシートを持って急いで泉天さんの部屋に戻る。
「これで少し楽になりますよ」
僕は、泉天さんの額にシートを貼った。
「ありがとうございます」
「熱も測りましょうね」
僕は、体温計を渡そうとする。
「いいです。寝ていれば治りますから」
「測った方がいいですよ。顔赤いですよ」
「嫌です」
泉天さんは、横を向いてしまった。
「ええ・・」
弱ったな。もしかしたら、僕に見られるのが恥ずかしいのかな?
「じゃあ、ここに置いておきますので自分で測ってみてくださいね」
そう言って、僕は席を立った。
泉天さんが食べられるものを用意しないといけない。
風邪を引いた時の定番は、おかゆだろう。玉子の入ったやつだ。あとは、ビタミンだな。幸い果物はお店で使うからある。ただ、あの状態だ。食欲はないだろう。
「う~ん」
悩んだ末、僕はお店からキウイフルーツとバナナを取って来た。これにバジルとミントに牛乳を加えてスムージーを作るのだ。僕は同時並行でおかゆとスムージーを作った。
そして、泉天さんの元に持って行く。
「泉天さん。少しお腹に入れて薬を飲みましょう」
「食べたくありません」
「少しで良いですから。さあ、起きてください」
「はい。おかゆです。少し冷ましましたので安心してください」
おかゆを差し出すが、泉天さんは辛いためか器を受け取ろうとしない。
「しょうがいなですね。はい、アーンしてください」
「え?」
「いいから、アーンして」
「私、子供じゃないです」
「関係ないですよ。アーンして」
「・・・」
泉天さんは、渋々口を開けた。僕は、そっとスプーンを口に入れる。泉天さんは、口をもごもごして飲み込んだ。
すると、何故か泉天さんの眼が潤んでくるのがわかった。
「ごめんなさい。ごめんなさい・・」
「あれ?どうしました?」
僕は、慌てた。
「○○君のおかゆが美味しくて、あったかくて・・・」
「そうですか、良かったです。なら、もう少し食べてもらえますね」
僕は、また泉天さんの口にスプーンを運ぶ。
「う、うう・・。おいしい」
涙を流しながら、泉天さんは食べてくれた。
「スムージーも飲んでもらえますか?すいません。お店の食材拝借しちゃいました」
太いストローを指した緑色のスムージーを泉天さんの顔の下に差し出すと、泉天さんはストローを吸った。
「これ、とても美味しいです。ヒック」
「はい」
泉天さんは、そう言うとスムージーは全部飲んでくれた。
「さあ、後は薬を飲んでゆっくり休んでいればすぐに良くなりますよ」
僕は、泉天さんに錠剤の風邪薬を飲んでもらおうと、3錠の薬を差し出すが、受け取らない。
「ダメですよ。飲まないと」
「私、錠剤は、苦手で喉を通らないんです」
「はあ・・。じゃあ、1錠づつゆっくり飲みましょう。ね」
泉天さんは、薬を一つ渋々口に入れ、水を飲み込むと、渋い顔をする。そして、もう一錠を同じように飲んだ。
「もういいです」
そう言って横になろうとする。
「だ、ダメすよ」
「だって、苦くて喉を通りません」
「泉天さんって、薬嫌いなんですね・・。でもダメです。アーンしてください」
「いいです」
「これが最後ですから、お願いします」
僕は、泉天さんに思いっきり顔を近づけて言った。
「わ、わかりました。・・。じゃあ、○○君が、の、飲ませてください」
「はい」
泉天さんが、目を閉じて口を開けた。
これって、何かドキドキするんだが・・・。
僕は、小さく開けたその潤んだ唇の中にそっと薬を入れた。そして、水を飲ませた。
「うう、苦い・・・。寝ます」
「はい。おやすみなさい」
ふう、やっと終わった。
泉天さんがこんなに手がかかるとは思わなかった。
僕は、額の汗を拭う。
泉天さんの先ほどの涙は収まっているように見えた。
体調を崩していつもの気丈な泉天さんにも弱い部分が出たのだろうか?
もっと僕に頼ってくれて構わないのにな。
そんなことを想っていると・・・。
「○○君、ありがとう。○○君がいてくれて助かりました」
泉天さんが、背中越しにそう言ってくれた。
「いえ、ゆっくり休んでください。僕は、お店に行って休日の貼り紙をしておきますね」
「すいません」
横になった泉天さんの肩が微かに震えているように見えた。
今日は、あいにくの雨だ。これならお客様もあまり来ないかな。
Cafe・プリマヴェーラに、開店1時間ほど前に一人入った。
「これでよし」
『誠に申し訳ありませんが、本日は、都合により閉店します』
僕は、『close』の看板とともに、カフェのドアに貼り紙をした。それと、申し訳ないので、来られたお客さんにお詫びするつもりで、カフェに待機するつもりだ。
すると、いつも最初のお客さんになることが多い野木さんがやって来た。閉店の看板を見て残念そうにしているのが、中から見えた。僕は、カフェのドアを開けた。
「すいません。せっかく来ていただいたのに、今日は、泉天さんが体調を崩してしまい、カフェは休ませていただきたいと思いまして」
「あら、残念ね。泉天ちゃん、大丈夫なの?」
「風邪ですので、本人は寝ていれば治ると言っています」
「まあ、泉天ちゃん頑張り屋だから、無理しちゃったのかな」
「そうかもしれません」
「せっかく来たけど仕方ないわね。○○君が淹れてくれたコーヒー飲みたかったけど・・」
「・・・」
僕は、天気の悪い中わざわざ来てくれた常連の野木さんをそのまま返すことがしのびなかった。
「わかりました。ちょっと待っていてください。今準備しますから」
僕は、決意した。
せっかく来ていただくお客様のために、店を開こうと。
全てのメニューの調理ができるわけではないが、泉天さんにも確認してもらっていて、日替わり定食やパスタなどは、提供しても問題ないと思った。
急いで、カフェの灯を付け、テラス席のテーブルを拭いたりして準備した。
「野木さん、お待たせいたしました。ご案内いたします」
「本当に大丈夫?無理しなくていいのよ」
「いえ、僕も野木さんに僕が淹れたコーヒー飲んでもらえたら嬉しいので。お菓子は、いつものママレードジャムのスコーンでよろしいですか?」
「そうね。じゃあ、お願いね」
僕は、元々コーヒーが好きなので、自宅でも暇があれば、豆を買って自分で挽いて淹れていた。けれで、『Cafe・プリマヴェーラ』にはプリマヴェーラの味があるので、泉天さんに教わった淹れ方でここの味を壊さないように意識している。
何より僕は泉天さんが最初に淹れてくれたコーヒーの味を忘れることができない。
絶望の中、口に入れたあの香りと苦みがある中にもとても優しさが含まれる味を今でも再現できるとは思っていない。
近くはなったが、何かが足りない気がするのだ。
そこを泉天さんに話しても、『○○君には教えているのは、あの時と同じものですよ』と言われる。自分で意識して淹れる度に、『何でだろう?』と疑問が湧くのだ。
雨は、シトシトと降る感じだ。夏の深緑が深く見える。すぐ近くに流れる滝の音が雨の音をかき消す。少し肌寒いが、スーッとした清々しい空気が気持ちを落ち着かせる。野木さんは、多少冷えても店内でなく、テラス席に座る。
「お待たせしました」
僕は、コーヒーとスコーンを給仕する。
「ありがとう」
そう言って、野木さんはコーヒーをすぐに手に取り啜る。
「○○君のコーヒーは、どんどん泉天ちゃんの味に近づいているわね」
「え、本当ですか!」
「うん。でも、どちらかと言うと泉天ちゃんのご主人だった○○さんの味に近いかしら」
「○○さん?泉天さんのご主人が○○?それって僕と同じ名前ですね」
「あら~、親戚なのに知らなかったのかしら?」
からかうように野木さんが言う。
「あ、いえいえ、知ってました、知ってましたよ。ハハハハ」
しまった!見え透いているだろ。この反応は!
「うふふふ。いいのよ。泉天ちゃんには黙ってあげるから。泉天ちゃんと親戚なんて嘘なんでしょ?」
観念するしなかい。
「はい、すいません・・・」
僕は頭を下げた。僕は、野木さんに事実を告げた。絶望した僕を泉天さんが救ってくれたことを。
「まあ、泉天ちゃんらしいわね」
「泉天さんは、僕がご主人と同じ名前だから、ここにおいてくれているのでしょうか?忙しくなっても他の人は決して置かなかったと聞きます」
「それは関係ないとは言わないけど、それは、○○君だからよ」
「え?それってどういう意味ですか?」
「泉天ちゃんは、前のご主人のことを本当に愛していたのよ。だから、周りから声をかけられても、紹介の話を持って来られても上手くかわしていたの。でも、○○君は違った。態度には出さなくても、○○君は彼女にとって特別なのかもね」
「僕が、特別?」
「それに、最近の泉天ちゃんは、すごく楽しそうよ。前は空元気と感じる時もあったけど。それは、間違いなく〇〇君のおかげね」
「・・・」
カラン、カラン
どうやら、他のお客さんがやって来たようだ。時刻が正午近くになっていた。
「あれ、今日はやってないの?」
入り口から男性の声が聞こえて来た。常連の泉天さん目当ての男性客のようだ。
「すいません。野木さん、ありがとうございました。僕、頑張ってみます」
「頑張れ!」
野木さんは、拳を軽く上げる。
「すいません。お待たせしいたしました」
「あれ、泉天ちゃんは、どうしたの?」
男性客は、泉天さんファンの関さんだった。ほぼ毎日やって来る。
「えーと、風邪を引きまして、今休んでます」
「えー!それは大変だ。俺お見舞いに行こうかな?」
「あ、いえ、それは・・。今寝ていますので、止めた方がいいですね」
「えー、そうかな?」
「女性は、化粧してないところとか見られるのを嫌がりますよ」
「そうかあ?」
「はい。そうです」
「わかった。で、今日はやってるのか?」
「はい。申し訳ないですが、店主不在のためメニューは限られますけれど」
「そうか。泉天ちゃんに会えないのは残念だけど、昼飯は食わないとな。日替わり頼めるか?」
「はい。少々お待ちください」
今日の日替わり定食は、チキンカツ定食だ。ソースはプリマヴェーラ特性の甘辛いソースを使う。
その間に、また別の男性客がやって来た。いつもパスタを頼む常連の近藤さんだ。もちろん泉天さんファンだ。
「○○君だけ?泉天さんは?」
「すいません。風邪を引いて寝込んでます」
「なんと!で、大丈夫なの?」
「本人は、寝れば治ると言ってますので大丈夫かと」
「いや、風邪を甘くみてはいけないよ。ここは、私が薬と栄養ドリンクを持って行こうかな?」
そう言うと、鞄から風邪薬と栄養ドリンクが出て来た。
何だ!この人!何でそんなものを持ち歩いているの!
「あのー、今泉天さんは寝ていますので。そんな所にいきなり行ったら嫌われちゃいますよ」
「う~ん、確かに。それもそうか。じゃあ、○○君から渡して置いてよ」
「はい。わかりました。近藤さん、注文何にしますか?」
「じゃあ、ミートソースのパスタセットで」
だよねー。それしか頼むの見たこと無いし。
「はい。関さんの日替わり定食です」
「・・・・」
「近藤さんのミートソースのパスタセットです」
「・・・・」
二人が、まじまじと僕が作った料理を見つめている。
「あのー、何かまずかったでしょうか?」
「あ、いや。注文が合ってるからさ」
嫌、それ普通だから!
「そう、泉天さんは、3回に1回位は違うの出て来るからね」
「そうそう、それがドキドキハラハラして楽しいんだよねー」
「私なんか、ミートソースしか頼んでないのにここのパスタ全部制覇してるからね」
それは、明らかにおかしいって!プリマヴェーラのパスタ7種類あるんだよ!
「ハハハハ」
「でも不思議なんだよな。泉天ちゃんが間違えて出してくれたものって、これもいいかなって思っていたものだったりするんだよな」
「そうそう。あと健康に気を使ってくれたんだと思ったりするね」
「うんうん」
え?言われて見ればその通りだ。
もしかして、泉天さんは意図的にその日お客様に合ったものを出そうとしているのか!
いやいや、それは考え過ぎだろう。
「おお、このチキンカツ美味いよ。プリマヴェーラの味だわ。○○君やるな」
「このミートソースのパスタも美味しいよ。十分合格の味だね」
「あ、ありがとうございます!」
僕は、本当に嬉しかった。常連のお客様に味を認めてもらえて。
それも泉天さんラブの男性のお客様に認めてもらえたことが余計嬉しかった。
(つづきます)
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