森と滝と妖精のカフェ

@izun28

第1話 そこは森の中にあるカフェ

「死のう・・・」


 口から苦も無く吐き出される言葉はこれしかなかった。


 僕は価値の無い人間だ。上司には叱られてばかりだし、結果を出しても褒められることはない。すぐに、また次の仕事を与えられるだけ。もう何も考えられないし、考えたくもない。


「だから、死ぬ」


 僕は、雨の残る林道をふらふらしながら歩いている。

 この先にある滝に向かって。


 滝壺に飛び降りる。


 そうしたら楽に死ねるだろうか?


「はあ、はあ、はあ・・」

 思ったよりも底までの道のりは遠く、息が上がる。


 ザーーッ。


 突然、滝の落ちる音が聞こえて来た。


 そして、僕は、に転がるようにたどり着いた。


「え?」


 僕は、目を疑った。


「カフェ・・・」

 

 見上げると、目の前に小洒落た白い木造の建物があり、『Cafe・プリマヴェーラ』と看板が見えた。


「何でこんな森の中にカフェが?」


「いらっしゃいませ」


 その時、後ろから透き通るような女性の声がした。

「あの、大丈夫ですか?もしかして段差で転んじゃいましたか?」

 身をかがめて美しい女の人が僕を心配そうに見ている。

 僕は、言葉が出ない。

 代わりに首を横に振った。


「そうですか。良かった。立てますか?」

 その美しい女性は僕を起そうとする。

 僕は、触られたくなかったので、自分で立ち上がり、お辞儀をした。

「良かったら、中に入ってコーヒーでもいかがですか?」

 女性が、優しい笑顔で扉を開けてくれた。


 僕が躊躇っていると、女性は、『さあ、どうぞ』という風に笑顔を向ける。


 僕は黙って、店の中に入った。


「お好きな席にかけてくださいね」


 店の中には、お客は誰もいない。


 僕は、奥の角の席に腰かけた。

 言われるままにカフェに入ったが、沈んだままで落ち込んだ僕の心は、晴れはしないのだ。


 憂鬱だけが、僕を支配する。


「どうぞ」


 置かれたコーヒーを手に取る。


と思った。


 それは、コーヒーの熱というよりも彼女の心の温かさなのかもしれない。

 僕は、黙ってコーヒーを啜る。


「美味しい・・・」

 僕の口から自然と出た言葉。


「よかった。やっと話してくれましたね」 

「・・・」

 しかし、自然と出たその言葉の後は続かない。


「そうだ。お客様は、このカフェを目当てで来たのではないのでしょう?」

「・・・」

「よくあるんです。を目当てで来られて、ここにカフェがあることにビックリされるんですよ。うふふふ」

「・・・」

「あ、日が差してきましたね。雨も止んだみたいです」

「・・・」

「良かったら、滝の傍まで案内しましょう」 

 そう言って、このカフェの美しい女店主は微笑んだ。


 僕は、この美しい女店主について行くことにした。そして、目の前に大きな滝水が頭上から勢いよく流れ落ちるのを見て思った。


 ここなら死ねる。

 この重苦しい陰鬱から僕は解放されるんだ。

 

 そう、もう少し前に出て、一歩踏み出せばいい。

 

 それだけだ。


「お客様!お客様!ダメです。それ以上前に出ちゃ!」

 遠くから女の人の声が聞こえる感じだった。


 そして、急に腕を勢いよく掴まれ引き戻されると、僕は尻もちをついた。


 ザザーーーーーーーーーーーーーーーッ・・・・・・!


 急に滝の流れ落ちる大きな音が、僕の耳に響いて来た。


「大丈夫ですか?」

 美しい女店主が僕を心配そうに見下ろしていた。

 僕は、頷いた。

「お客様、何か苦しいことでもおありなんですか?」

「・・・・・・」

 滝の大きな音で聞きづらいがそう言っているのがわかった。


 僕は俯き唇を噛む。


 美しい女店主は手を差し出してくれるが、僕は、その手を取るのが怖く、ジッとしていた。


 すると、女店主は、屈み僕の手を取った。とても暖かい手だと思った。

 瞬間、

 女店主は、勢いよく僕の手を引っ張り立ち上がらせた。


「お客様、ここはなんですよ。さあ、感じましょう!全身で感じてください。眼から、耳から、肌からここの空気を目一杯感じましょう。硬くならず、深い呼吸をしてみてください」

 

 女性店主は、眼を閉じて深呼吸をする。

 僕は、呆気にとられたままだ。 

「ほら、やってみてください」

 優しい笑顔を向けられ、僕も同じようにしてみた。

 女店主の深呼吸に合わせて、何度か繰り返す。


 その瞬間、パッと時が動き出したように感じた。


 滝のザーッと言う音が響いて来るだけでなく、圧倒的な水の流れる光景、肌を突き抜けて行くような涼感。僕と言う個体が、覚醒されていくように感じた。


「う、ううっ・・」

 僕の眼から急に止めども無く涙が溢れて来た。。


「大丈夫ですよ。大丈夫」

 美しい女店主は、僕の肩を優しく撫でてくれた。

 そして、僕が泣いている間彼女はずっとそうしてくれた。


 しばらくそうしていると、僕の言葉が戻って来るのを感じた。


「もう、大丈夫です。すいません」

「そうですか。良かったです」

 美しい女店主は、優しい笑顔を向けてくれた。

 

 この時、本当にこの女性ひとがとても美しい人であると、僕の心に刻まれた。


 店の庭まで来ると、空はすっかり晴れ渡っていた。

「もう梅雨も明けそうですね。今年は雨の日が多かったですけれど、カラッとした夏がやって来る。そう思うと嬉しいことですね」

 優しくとても美しい柔和な微笑みが僕に向けられた。


 この女性ひとはお見通しなんだ。

 今なら話せる。


「あ、ありがとうございます。もし良かったら僕の話を聞いていただけますか?」

「ええ、是非。でも、どうせならお店の中でしましょう」

「はい」


 先ほどは、気が付かなかったが、店内は、結構広々している。天井が高く木製の立派な梁も見えていて古民家風の作りだ、大きめの窓と天窓により日当たりが良い。茶色い木製のテーブルと椅子、床、壁と統一感のある店内は、温かみを感じさせる。


「はい。どうぞ。紅茶です。ミルクティーは苦手ですか?」

「あまり飲みませんが、大丈夫です」

「このディンブラの茶葉はミルクティーにすると、きれいで香りの良い爽やかな味になるんです。ミルクも地元の新鮮な牛乳を使用しているので本当美味しいんですよ」

 そう言って、奇麗な薄いオレンジ色のミルクティーを出してくれた。

 僕は、ティーカップを口に運ぶ。


「美味しい・・」

 僕はホッとする味に正直そう思った。

「気に入ってもらえたなら、良かったです」


 美人店主は、さあ、どうぞと言わんばかりに僕の方を見て、真剣に聞いてくれるという態勢だ。


 そして、僕は話し始めた。

「僕は、大学を卒業後就職して、2年になりますが、仕事でとても辛いことが多かったんです。いくら頑張っても報われない、誰にも褒められないし評価もされない。上司にも叱られてばかり。それでも次々と新たな仕事が止めども無くやって来る・・・。


 残業続きで家に帰るのは寝るためだけでした。そして、疲れやストレスからだと思うんですが、仕事で失敗してしまい、上司にこっぴどく叱られたんです。家に帰っても眠れず悶々としていたら、ふと、僕は、一体何なんだろうと思ったんです。


 そしたら、どこでも良いからどこか遠くに行こうと思って、仕事を放って、ここに来ました。特に何も考えず、駅からバスに乗りました。看板で滝があると見えたので、近くのバス停で降りました。


 滝から落ちれば苦しまずに死ねるかな、と思ったんです。僕は、滝を目指して無我夢中で歩きました。そうしたら、この森の中にあるカフェにたどり着きました。

  

 そして、何故こんな森にカフェがあるのって思っていたら、店主さんに声かけられて。すいません、名前がわからないので・・」


泉天いずみです」


「い、泉天さんにお会いして、泉天さんが止めてくれなければ、僕は滝に飛び込み死んでいたでしょう・・・」


「でも、言われたとおり滝の傍で深呼吸をしたら、ぼんやりしていた意識がハッキリと戻って来て、自分を取り戻せました。自分は一体何をしていたんだろうと思い、急に涙が出てきたんです」

 思い出すと、また涙が溢れてきそうになり俯いた。


「そうですか。お客様のお名前を教えていただけますか?」

「〇〇です」

「〇〇さん。スーっ」

 泉天さんは、息を大きく吸い込むと、止めども無い言葉を返して来た。


「どうして死のうと何て考えるんですか!死んだら終わりなんです。本当に終わりなんです!○○さんが死んだら悲しむ人のことを考えてください。残された人がどれだけ悲しむかわかりますか?それは、胸が張り裂けそうになる位苦しいんですよ。本当です。親や恋人、あなたを想っている人を大切にしてください。

 

 仕事が何ですか!


 仕事が命より大事ですか?○○さんの人生は○○さんが決めるんです。仕事じゃないんですよ。そんなもののために大切な命を無駄にしてはダメです!」


 ここで、泉天さんは、立ち上がり、僕の眼前に人差し指を突きつける。


「いいですか!絶対死のうと何て思ったらダメです。いいですね!」

「・・・・・」

 僕は、呆気に取られて言葉が出て来ない。


「い、い、で、す、ね!」

「は、はい!」

 

 こうして、僕は、『死のう』という気持ちを半ば強制的に諦めることができた。

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