第5話 そのカフェと女店主の秘密

 日曜日。


 『Cafe・プリマヴェーラ』の定休日だ。観光地にあるが、地元のお客様を大切にしたいため、日曜日を定休日にしているようだ。


 僕は、昨日届いた通販で購入した服に袖を通した。白いシャツに薄青いジーンズとパーカーだ。僕は、シンプルな服が好きだ。鏡を見て中々良いと思った。

「あら、似合っていますね」

 届いた服を泉天さんに見てもらう。

「僕も気に入りました」

「ところで、〇〇君は、今日は何か予定がありますか?」

「いえ、特には。周辺を散歩してみようと思っていた位ですね」

「お休みで申し訳ないのですが、買い物に付き合ってもらえますか?」

「僕で良ければ、ご一緒させてください」


 そうして、泉天さんの運転で買い物に向かうことになった。


 今日は、梅雨も明け、晴れていて清々しい陽気だ。ここは山の高原だけに空気も澄んでいる。夏に入ったが、気温は日中でも30度を超えることもなく空気もカラっとしていて快適だ。車でも窓を開けていれば冷房を入れる必要もなく、風が気持ちいい。

 僕たちは、泉天さんの車で木々が両端に並ぶ県道を走っていた。時々牧場なども見え、牛が草を食んでいるのが見える。

「どこに向かっているんですか?」

「この先にですねえ。小さいですけどショッピングモールがあるんです。そこに向かっていますね~」

「何を買うんですか?」

「お店で使える食材とかですねえ。地元の食材も集まる市場があるんです。観光客が来られる日に行く方が、品物も多くなるのでチャンスです」

「へえ。泉天さんはいつもお店のことを考えているんですね」

「どうでしょうか。どちらかと言うとお店に来てくれるお客さんが喜んでくれるものは、何かなあと思っちゃいますねえ」

「すごいなあ・・」

 僕は、窓の外を見ながらぼそりと言った。仕事に追われるばかりで何も考えずにいた自分を顧みると情けなくなった。

「あれ、どうかしましたか?」

「あ、ごめんなさい。えっとそれから他には?」

「荷物持ちもいますので、いっぱい買っちゃいますよ。お洋服とかショッピングもしますから。それと、美味しいお気に入りのカフェがあるんですよ。そこでランチしましょうねえ」

「はい」

 なんか良い一日になりそうだ。


 そして、ショッピングモールに着くと、泉天さんは、市場でお店で使えそうな珍しい野菜などの食材をたくさん買った。僕は、荷物持ちだ。

「荷物を持ってくれる人がいると助かりますね」

「はい。全然まだまだ持てますよ」

「うふふふ」 

 それから、アウトレットのお店なども巡り、服や雑貨、日用品、お店の飾りになりそうな物などたくさんの買い物をした。すると、僕の両手は荷物だけでなく、両肩にも荷物がかけられるほどの量となった。泉天さんも両手に荷物を持っている。

「あらあら、さすがに買い過ぎてしまったかしら」

 僕を見て泉天さんが、困惑している。

「何の・・。これしき・・。全然・・・平気ですよ」

 僕の顔に余裕が見られなかったのだろう。

「あまり無理をしないでくださいね。もうお昼過ぎましたね。カフェでランチにしましょうねえ」

「は、はい」

 が、頑張れ。僕!



「ふう」

 僕は、荷物を置いて一息ついた。僕たちは、カフェのテラス席に陣取った。

「ごめんなさいね。いっぱい持たせてしまって。ここは、何でも美味しいですよ。好きな物を食べてくださ~い」

「あら、泉天さん。来てくれたのね。いらっしゃい」

「薫さん、また食べに来ちゃいました。ショッピングモールに来るとここの料理はいつも楽しみなので。うふふふ」

「嬉しいわ。泉天さんに褒めて頂けるなんて。あら、珍しい。今日はお連れさんがいるんですね」

「はい。の子なんです。しばらくこっちに来ていて仕事を手伝ってもらっています。

「○○と言います。よろしくお願いいたします」

「まあ、こんな素敵な方が親戚だなんて。やはり血筋なのかしら?」

「そ、そんな僕なんて、泉天さんに遠く及びません」

「あら、ご謙遜なのね。うふふふ」

「えーと、今日は何がお勧めですか?」

「『スパイスカレーと季節の野菜セット』はいかがですか?」

「美味しそう。それでお願いします」

「では、僕もそれでお願いします」


「ふう、美味しかった~」

「はい、美味しかったですね」

 二人とも、食後のコーヒーとデザートを楽しんでいた。リラックスしているところで、僕は泉天さんに前から疑問に思っていて聞きたかったことを切り出した。


「あの、泉天さんに前から聞きたかったんですけど、泉天さんは、何故一人であんな森の中でカフェをやってるんですか?正直とても不思議だったんです」

 泉天さんは、思いがけない質問だったみたいで、キョトンとしている。そして、少し間をおいて口を開いた


「それを話すのは、少し辛い・・かもですねえ」

「あ、嫌ならいいんです!」

 僕は慌てて手を振る。

「いえ、嫌とかじゃなくて、あまり人に話したことないから、上手く話せるかどうか・・。でも、〇〇君になら話せそうな気がします」


 そして、泉天さんは、ふうと一呼吸をすると話し始めた。 

「私には。夫がいたんです」

「え?結婚していたんですか!」

 少し大きな声が出てしまった。

「えーと、そんなに意外ですか?」

「あ、すいません。いたってことは・・・」

「ええ、亡くなりました」

 泉天さんの眼が、僕を透り過ぎて遠くを見ているような気がした。

「あのカフェは、夫が建てたものなんですよ。夫は、一人でどこでも行っちゃう人でした。ここもそんな一人旅の時に見つけたようです。ある日暫くぶりに家に帰って来ると、山の中に土地を買って来たと言われてビックリしてしまいました。うふふふ」

「それは、ビックリしますね。泉天さんは怒らなかったんですか?」

「とても怒りましたよ~。それはそれは、烈火のごとくです。うふふふ」


 とても目の前のほんわかした泉天さんが烈火のごとく怒る姿は想像できなかったが。ここは突っ込むのを止めておこう。


「でもですね。一緒に来て土地を見て欲しいって言われて、すぐに連れて行かれました。そこは、みちらしい路も無く、森の木々の中を進んで行きました~。本当に大変で夫の手を取りながら進みました。でも、急に森を抜けて開けたその土地に着いた時に、目の前のを見て、とても感動してしまいました。当時、私は大手企業で忙しく働いていて大変だったんですよう。滝の水音とそこの透き透った空気が嫌なことを洗い流してくれるように感じましたねえ」

「泉天さんのその気持ちとてもわかります。あの滝を見て、空気に触れて、それと泉天さんが、我を忘れた自分を引き戻してくれました。泉天さんがいなければ、恐らく僕は・・・。あの場所と泉天さんには、感謝しています」

「本当ですよ。もうああいうことは許しませんよう」

 泉天さんは、あの時のことを思い出したのか、目が少し吊り上がっている。

「は、はい」


「ならいいです。話を戻しますね、この後、夫が言った言葉に私は絶句したんです」

「ご主人は何て言ったんですか?」 

「『泉天、俺は、この場所にを作るぞ』って」


「私は、ポカンとしてしまい開いた口が塞がりませんでした。道も通じてない場所ですよ。山小屋ならまだしも、を作るって言うんですもの」

「それは、確かに驚きますよね」

「私は、当然反対しました。そんなお金どこにあるのーって。夫は、それでもそんなの何とかなるって笑いながら言うですよう。そして、夫は言ったんです・・」


 泉天さんはここで目をつぶり、胸の前で手を合わせた。そして目を開けた。

「『考えてみてくれよ。ここにカフェを構えたら、みんな癒される憩いの場にできるんだ。それは、とても素敵なことじゃないか。みんなが幸せな気持ちになれると思わないかい?』って。そう目を輝かせて身振り手振りを交えてうれしそうに語る夫を見ていたら、私はとても反対できなくなりました。それに・・・」

「それに?」

「この夫なら、本当にやってしまうかもしれないと思いました。言い出したら聞かない人だったので、あきらめました。うふふふ」

 泉天さんは、ここで声色を変える。 

「その代り・・。私は仕事があるから手伝わないことと家計からお金は出さないことを条件にしたんです」

「厳しいですね」

「夢だけでは食べていけませんので」

 泉天さんは首を横に振った。


「それから、夫は、すぐにこっちの建築土木屋さんで働き始めて、技術を学びながら少しづつカフェ造りをしていきました。私は、自分の仕事が忙しくて、ここに来れなかったんです。それでも、夫は、ほとんど一人で森を切り開いて道と庭園を造り、建物も必要な所は、働いていた建築土木屋さんに協力を依頼して建てたようです。そして5年が経った時、夫からついにカフェが完成したので、来てくれと連絡がありました」

「本当にほとんど一人でここを作ったんですか・・」

「ええ。驚きました。まさか本当にこんな道路からかなり離れた所にカフェを作ってしまうなんて」


 泉天さんは少し間を置いて続ける。

「私は、5年ぶりにここに来ました~。まず、森に道が出来ていて整備されているのに驚きました。その道を進み、森を抜けた先まで行くと、あの素敵なカフェが見えて、私はとても感動したんです。庭にも花が植えられ、きれいに手入れがされていました。カフェと庭園を驚きの眼で眺めていると、夫が庭の奥から現れたんです。それはほぼ5年ぶりの再会でした。夫はうれしそうに私の傍までやって来て私の手を取って言ったんです。


『泉天、ついに完成したんだ。このカフェを見てくれ。僕は、いよいよカフェを始めるよ。でも、まず君に見て欲しくてね。さあ、中に入ってくれ』

 そしてテラス席に案内され、滝が目の前にあり、サーっと言う音とひんやりした空気に触れ、癒されるのを感じました。暫くそうして、滝や周りの景色を眺めていると夫がコーヒーを持ってきてくれました。

『君が一番目のお客さんだよ。はい。ここで飲むコーヒーは格別さ。水も違うからね』

『美味しいわあ』

 私は、本当にそう思ったんです。でも、すぐに気になっていたことを口にしました。

『あなた、酷く痩せたわね』

『そうかい?』

『そうよ。どこか悪いところはない?』

『大丈夫だよ。泉天は心配性だな。ほら、元気、元気。ハハハハハ』 

 元気そうに振舞う夫を見て私は、それ以上何も言えませんでした。でもこの時私は、思ったんです。


 仕事を辞めて夫と一緒にこのカフェをやろう。


 ここまでやった夫を支えたいと思いました。でも、すぐに仕事を辞めることはできませんでした。私は、あるプロジェクトの主要な役職だったし、そのプロジェクトが終わるまではと、慰留されました。私も区切りのいい所で辞めたかったから、同意しました。夫も無理しないでゆっくり来ればいいよと言ってくれましたので」


 泉天さんは、ここで俯いてジッとしていたが、肩が震え始めた。


「泉天さん?」


「ごめんなさい。思い出してしまって」

 泉天さんの眼が潤み始め、頬を涙が伝わった。


「辛いなら、話さない方がいいですよ」

 僕は、ハンカチを差し出すと、泉天さんは受け取り、涙を拭った。


「ありがとう。でも聞いて欲しいんですよ。結局私が仕事を辞めるまでに1年も経ってしまいました。その間に夫はカフェを開業したんです。最初お客さんはてんで来なかったようだけど、仕事の仲間やら夫が手助けした人達からの口コミなどもあって、地元のお客さんが集まりだしたんですよ。夫はそれを喜んでいました。そして、仕事を辞めて、私も夫と共にカフェをやり始めました。

 でも、久しぶりに会った夫は、益々痩せていて顔色も良くなくなっていました。そして、私がカフェの仕事にもやっと慣れてきた頃に夫は倒れてしまった・・・。そして、そのまま夫は、帰らぬ人となって・・・」

 泉天さんは、ここで言葉が詰まってしまう。

「・・・」

 僕は、泉天さんの手に自分の手を重ねた。


「ありがとう。でも、大丈夫です。


 夫は、過労死でした。

 私は、自責の念に駆られた。夫を死なせたのは、私だと。もっと早く仕事を辞めて夫を手伝っていれば、夫は死ぬことは無かったと。その後悔は、今も続いています。


 夫の葬儀を済ませても、私は、暫く立ち直れませんでした。お店を続ける気も起きなかったんです。そんな時、お店を整理していると、あるノートを見つけました。それは、数冊ありました。カフェのレシピ、お店と庭のレイアウトなどが書かれていました。そこには、既に実現しているものもあったけど、まだ出来ていないものもたくさんあったんです。それを見て夫の夢は、まだ途中だったんだと気付いたんです。そして、ノートに書かれた夫の夢を引き継ごうと私は決意しました。

 それから、私は、レシピと格闘しました。それまでは、夫が作った料理やドリンクを出すのと、経理位しかやっていなかったから。暫くそうして、レシピの実現に取り組んでいると、常連だったお客さんがやって来てくれました。


 そのお客さんは、私に言ってくれたんです。

『お店が、潰れてしまうのが心配でね。こんな良い所が無くなるのはとても残念で仕方ない。何とかならないものかねえ?』


 私は、咄嗟に応えました。

『安心してください。このお店は続けます。私がやります。少ししたら再開しますので、お越しをお待ちしております』


 そして、暫くしてお店を再開ししました。お店の再開を聞きつけた常連のお客さんが戻って来てくれたんですよ。うれしかったのと同時に夫は、これを一人でやっていたんだとその大変さも身に染みてわかりました」


 感慨深げに横を向いて話す泉天さんの横顔がとても美しいと僕は、思った。


「ごめんなさいね。つまらない話を長々と聞かせてしまって」

「いえ、泉天さんが何故あそこでカフェをしているのか聞けて良かったです」


 

 食事を終えて、僕たちは、来た道を泉美さんの運転で車を走らせていた。深緑の中、木漏れ日が差していた。僕は、サングラスをかけた泉天さんの横顔をチラッと見た。それに気づくと、彼女はニコリと微笑み返してくれる。僕は、恥ずかしくなり視線を逸らした。

「さっきからずっと黙ってどうしたんですか?」

「あ、いえ・・」

 

 僕は、この時考えていた。

 泉天さんからご主人の話を聴いて、僕が自殺しようとした時に泉天さんが何故あんなにも真剣に止めてくれたのかがわかったのだ。


「泉天さん、僕明日から頑張りますので、こき使ってください!」

「え?そ、そんなことしませんよ。できる範囲で頑張ってください」

「はい。では、そうします」

「頼りにしてますよう。うふふふ」

「頼られました。あははは」

 

 僕は、泉天このひとを頑張って支えようと決意をした。

 そして、僕は、泉天このひとが好きなんだと気付いた。

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