第3話 そのカフェの女店主
ジリリリリリリイリリリリリリ・・・・!
僕は、スマホのアラームの音で目が覚めた。手を伸ばし、スマホのアラーム音を止める。
眼を開けると、白い天井が目に入る。
あれ?
僕は、見慣れない部屋のベッドの上にいたのだ。
そうだ。
ここは、森のカフェとは別棟の住居用の家屋だ。僕は、その2階の一室を借りていたのだ。
昨日は、あの後、
昨日の夜も、うるさい上司からのメッセージや電話がたくさん入っていたが、幾分トーンが大人しくなっていたように思った。そこで、僕は、ここでしばらく働くことを踏まえ無駄だとは思ったが、休職願いを出しておいた。まあ、クビになるならそれも覚悟はしている。
僕は、着替えを済ませると、と言っても昨日と同じ服だ。下着などは、予備があったが、服は無いからどこかで買わないと。
仕事が終わったら買いに行けるかな?
「さて、今日からお手伝いをお願いします」
朝食後、泉天さんが頭を下げた。
「こちらこそ。できる限りお役に立てるよう頑張りますので、色々教えてください」
泉天さんが、ジーっと僕の顔を見ている。
「あの、どうかしましたか?」
「○○君って、本当に礼儀正しくて素直で良い性格ですね」
「そうでしょうか?職場では上司に叱られてばかりです」
僕は、ちょっと嫌な感情を思い出した。
「それは、○○君に問題があるのではなく、その上司の方に問題があるのでしょう」
「でも、仕事でミスすれば、叱られても仕方ないと思っています」
「失敗って許されないことでしょうか?犯してはいけない失敗もあると思います。でも、ほとんどの失敗は、後で何とかできるものです。○○君の失敗の多くは、後でリカバーできたでしょう?」
「まあ、そう言われてみれば、そうですけど・・」
「失敗は、成功するための経験と思います。私も数多く失敗していますが、立ち止またりしませんよう」
泉天さんは、拳に力を込めた。
「そんなことを言われたのは初めてです」
そして、僕は、泉天さんのこの言葉の意味を実感することになるのだ。
「先ずは、お店で使う野菜を収穫しましょう」
「はい」
僕たちは、裏庭にある菜園にやって来た。それほど広いわけではないが、種類ごとに畑を分け、野菜が植えられている。トマト、キュウリ、ナス、ズッキーニなどの野菜を収穫した。採れたて野菜は、
「僕が持ちますよ。重そうですから」
「大丈夫です。いつもやっていますので」
そう言って、泉天さんが籠を両手で持ち歩き始めた。
ドテっ!
泉天さんがこけた!
それも、両手でホームベースにスライディングタッチするように派手に・・。
「だ、大丈夫ですか?」
僕は、慌てて泉天さんを助け起こす。
「平気、平気でふっ」
痛そうだが、本当に大丈夫だろうか?
「やはり僕が持ちますね」
急いで落ちた野菜をかき集めて籠につめる。
「まあ、恥ずかしいところを見られちゃいました」
泉天さんは、ちょっと恥ずかしそうにしていたが、笑っていた。
しかし、しっかり者に見えた泉天さんにもこんなドジな一面があるのだと、僕は、親しみが沸いた。
「さあ、『Cafe・プリマヴェーラ』の開店です」
10時になり、お店の看板を『open』に替えた。
開店時に来るお客は少ないようだ。年配の女性が数人ちらほらやってきてお茶を楽しんでいる。そして、僕は一人の上品な服装をした年配の女性の接客をしていた。いつも決まって滝がよく見えるテラス席に座るという。
「ここは、滝の音と澄んだ空気で癒されるのよね。道路から歩いて来るのは大変だけど、健康にもなるから苦にならないのよ。おまけに、ここの紅茶とお菓子は美味しいの。つい、長居しちゃうわ。ホホホホ」
「そうですか」
「でも、良かったわ。泉天ちゃん一人でいつも大変そうだったから、あなたみたいな若い人に手伝ってもらえて。彼女、頑張り過ぎなのよ。支えてあげて頂戴ね」
「はい」
泉天さんが常連のお客さんから慕われているのだと僕は感じ、うれしかった。
そして、昼にかけてお客がドッとやって来て、12時頃には、ほぼ一杯になっていた。
「泉天ちゃん、『今日のおすすめランチ』でお願い」
「泉天ちゃん。俺もそれで」
「はーい。いつもありがとうございます」
2人組の男性客がカウンター席に座った。
「泉天ちゃん。カレーでソーセージをトッピングして。大盛ね」
「はーい。関さん、いつもありがとうございます」
別の男性客もカウンター席に加わる。
「泉天さん。私は、ミートソースのパスタセットをお願い」
また別の男性客もカウンター席に陣取る。
「はい。近藤さん、いつも来てくれてありがとうございます」」
いつの間にか、男性客でカウンター席がいっぱいになっていた。
カランカラン
「いらっしゃいませ」
「あれ、カウンター席いっぱいか。出遅れたか・・」
「ごめんなさいね。空いているテーブル席でお願いします」
「残念、残念」
そう言いながら、二人組の常連客と思われる男性客がテーブル席に座った。
「ご注文はお決まりですか?」
僕は、レモンの香りの付いたグラス
「・・・」
「・・・」
二人は、僕をジッと見ている。一体こいつは何者だろうという眼だ。
「君って、まさかここで働いているの?」
「はい。今日から暫くお世話になります」
笑顔で答えた。
「え?えーーーーーーーーー!」
カウンター席の男性客も含めて、大声を上げた。
「ひっ!」
僕は、驚いて情けない声を上げた。
「い、泉天ちゃんこれは、どういうことだ?」
「そうだよ、どういうことなの?」
男性客が一斉に泉天さんに詰め寄る。
「忙しくなったので、手伝ってもらうことにしたんですよ」
泉天さんは、動揺することなく、ニッコリと答える。
「でも、俺が紹介すると言った時は、乗り気じゃなかっただろ?」
「そうだよ。俺なんか手伝うよって言ったの断ったじゃない」
「え、ええ。他の人を雇う気は今でもないですよ。その子は親戚の子です。夏の間だけ手伝って貰ってるんですよ」
「○○と言います。今日から働いていますので、よろしくお願いします」
泉天さんに視線を向けられ、僕はそれに応えるようにお辞儀をした。
「そうか、親戚の子か。よかっ・・。」
「ああ、親戚の子。君、よろしく」
「あ、えーと、注文だったね。『今日のおすすめランチ』でお願い」
「はい。暫くお待ちください」
危ない、危ない。
実は、僕が親戚じゃなく住み込みでこのカフェを手伝っていると知られたら、この男性客等は、暴動を起こすんじゃないかと思うと冷や汗が流れた。
しかし、泉天さんの男性客からのこの人気は何なのだろう? 確かにきれいで魅力的な
「はい。『今日のおすすめランチ』で~す」
そう言って、泉天さんは最初に注文したカウンター席のお客にポークソテーとサラダにスープを出した。
「うん?泉天ちゃん、今日のランチは、生姜焼きって外の看板に出ていたけど・・」
「え?今日って、水曜日ですよね?」
「木曜だけど」
「うそ、嫌だ。私ったら勘違いして・・。すいません。作り直します!」
「あ、大丈夫、大丈夫。同じ豚肉だし。俺等泉天ちゃんのポークソテー大好きだから」
「うん、問題ない問題ない。うん、美味い!」
「本当にごめんなさい」
「・・・・」
「はい、関さんのカレーで~す。ちょっと太り気味なので、サラダ多めにしておきました」
泉天さんは、ワンプレートに大きなベーコンとサラダをトッピングしたカレーを出した。
「おお、ありがとう。あれ?」
「えーと、私またなんかやっちゃいました?」
「いや、トッピングは、ソーセージのつもりだったんだけど」
「あー、すいません。私ったらまたやらかしてしまって!」
「いいよ。ベーコンか迷っていたからちょうどいいから」
「うう・・。すいません」
「・・・・」
「はーい。近藤さんのパスタで~す」
そう言って泉天さんは、ナポリタンのパスタを出した。確か、注文はミートソースだったと思うのだが・・。
近藤さんは、少しジーっとパスタを見ていたが、フォークを取り食べ始めた。
「うん、泉天さんのミートソースはいつも美味しい」
「え?近藤さん、もしかして、ミートソースでした?」
「え?これ、ミートソースでしょ?」
「すいません・・。ナポリタンです」
「そうなの?まあ、両方似てるからいいよね。はははは」
わかってなかったんかい!
うーむ、しかし、ことごとく注文を間違えるなんて・・・。
すごくしっかりしていると思った泉天さんのへなちょこぶりに僕は驚いた。
でも、それと同時に・・・・。
普通は、注文を間違えたりすれば、険悪な空気になりがちだと思うのだが・・・。
「もう、嫌ですよ。関さんったら。うふふふ」
「まあ、近藤さん、午後から東京まで出張ですか?気をつけて行ってきてください」
それでも、カウンター席の男性客等は、泉天さんと話しができて楽しそうだ。泉美さんは、暇を見ては、テーブル席のお客にも話かける。
「もう無理して運転しちゃだめですよ。」
「泉天ちゃん、心配してくれるの?」
「当たり前です。無理はしないでくださいね」
「う、うん。あー、元気沸いて来たぞ!」
しかし、泉天さんがすごい美人なこともあるが、彼女の真っ直ぐな性格と心からの気遣いが、お客の心を掴んで離さないのかな、と思った。
見ていて、本当に不思議な魅力のある人だ。
だから、尚一層、自分が親戚ではないと知れた時が恐ろしいと思う。
ゴクリ
僕は鍔を飲み、この秘密だけは、ここのバイトを辞めるまでは守り通さなければならないと思った。
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