第17話:岐阜襲来

 滋賀県高島市白髭神社での滋賀・京都の衝突、通称・高島の戦いで滋賀は京都を失った。

 しかし代わりに滋賀は得難いものを得た。

 自信である。

 自分たちは出来る、どんなに困難なものであっても自分たちなら必ずや成し遂げることが出来ると、あの絶体絶命の危機を乗り越えた滋賀県民たちは自分たちに眠る大いなる力に目覚めたのである。

 

 かくして滋賀は日本で一番活気のある県へと生まれ変わった。

 兄川高鳴の知事就任、新安土城の建城、京都制圧、瀬戸内海の琵琶湖化、鎌倉遠征、ニューびわ湖タワーの開園など、これまで何かと話題先行の感のあった滋賀県であるが、ここに来てついに県民全員が地に足をつけた改革の道を歩き始めたのだ。

 

 そこにかつて兄川不在で仕事が進まず、ただただ文句を言うばかりであった県民の姿はもうない。

 兄川がいなくても自分たちで判断し、動くことが出来る。

 何故なら目指す方向はただひとつ、より良い滋賀の未来だけ目指せばいいのだ。


 日本人と言えば商談をしても「では一度持ち帰らせていただきまして、上と詳しく検討を」などと優柔不断な民族として有名だが、滋賀県民はその鎖から一足早く解き放たれた。

 結果、なにもかもがスピーディーに決まって動いていく滋賀県が、全国都道府県成長率第一位に一躍躍り出るなど至極当たり前のことであった。

 

 

 

「雨降って地固まるとはよく言ったもんよ」


 6月上旬。

 新安土城の天守閣知事室にて、比古は壁に貼った観光ポスターを見ながら独りごちた。

 ポスターには雨に煙る比叡山延暦寺と共に「そうだ、滋賀にも寄ろう」のキャッチコピーが踊っている。言うまでもなくこれは「そうだ、京都へ行こう」のパクリだが、紙面の片隅に本家の画像も載っているように京都とコラボレーションしたポスターだから問題ない。

 おかげで梅雨に入って毎日のように雨が降ったりやんだりするはっきりしない日が続くが、このポスターの影響もあって延暦寺は連日多くの観光客で賑わっているそうだ。

 

 ほんの少し前なら京都と滋賀がこうして手を組むなんて考えられなかったことだ。

 それもこれも先の戦の結果である。

 しかし、こうも上手く行きすぎると、もしやするとあの一連の騒動はこうなるように仕組まれたのではないかと疑いたくもなる。

 

「こらー! なにサボってボケーっとしてるポコか!」


 そこへ大きな段ボールを抱えてきたタヌ子が目を真ん丸に見開いて叱責してきた。

 

「サボってはいないぞ。今は貼ったポスターが歪んでないか丹念にチェックをしていたところよ」

「絶対に嘘ポコ! てか、ポスター一枚張るだけでどれだけ時間をかけているポコか!」


 床にはタヌ子が今運んできた段ボール以外にも既に三つ置かれている。

 中には信楽焼の最新作や、明日の滋賀の名物を狙う新作などがぎっしり詰められていた。二時間後に予定されている兄川の定例記者会見にて紹介する予定の品々だ。

 これらをタヌ子から知事室に飾り立てるよう、これと言って仕事がなくぶらぶらしていたところを捕まえられてお願いされた比古であったが、正直、やる気はなかった。

 

「ほら、早くやらないと知事や記者さんたちがやってくるポコよ! 私だってこれから湖岸の補強工事について業者と打ち合わせが入っているポコ!」

「ああ、予算に組み込まれていたアレかぁ。でも、例年に比べてそりゃあ雨は降っている方だが氾濫するほどじゃねぇだろ?」

「ふっふっふ! 比古さんには知事の深い考えなんていくら考えても分からないポコ。だから比古さんは何も考えずに手を動かすポコね」

「なんだタヌキのくせして偉そうに……てか、こんなもん、高鳴が段ボールから出してその都度記者にアピールすればいいじゃねぇか」


 比古が無作為に段ボールの中の品物を取り出した。

 黒のホットパンツに黒のビニールテープだけを身に纏った、例の湖中大鳥居での兄川高鳴の姿を再現したアクションフィギュアだった。仕事が早いな、おい。

 

「それよりも知事室に飾っておけば、興味を持った記者さんたちの方から質問が飛ぶポコ。そのほうが流れが自然で話が弾むポコよ」

「そんなもんかねぇ」

「これら滋賀の産業が活発化していることを知ってもらいつつ、琵琶湖の環境まで回復していることを今日の会見で知事に話してもらうポコ。環境省誘致の絶好のアピールになるポコ!」


 現在国会で行われている本会議において、長年噂されていた省庁の地方分散が本格的に討議、議決されようとしている。

 となれば各都道府県での激しい誘致合戦が繰り広げられるのは必定。誘致できるかできないかでその県の未来が大きく変わってくる。

 

「高鳴が知事に就任以降、琵琶湖の環境改善を目指して調査に力を入れているのは有名だからな。その結果が出てきて、しかも地場産業まで潤っているとなれば中央のお偉いさんも考え始める、か」

「そうポコ!」

「しかし、あの高鳴がそんな遠回しなことを…………おっと、すまねぇ、電話だ」


 比古が兄川フィギュアをテーブルに置いて胸ポケットからスマホを取り出す。

 電話なんてかかってきてないのにサボる為の演技じゃないだろうなという疑いを隠そうともしないタヌ子の眼差しが痛い。嘘じゃねぇっつーの。

 

「おう、どうした? ……は? 悪い、もう一度言ってくれ」


 電話の向こうで部下が大慌てで言ってくる話があまりに突拍子もないことだったので、比古は再度確認を要した。

 それぐらい俄かには信じられない、まずありえない、冗談にしても出来が悪い報告だったのだ。

 しかし、電話口の部下の口ぶりは真に迫っており、二度目の報告でどうやら本当のことらしいと認識した。

 

「……分かった。俺が行ってやるからそれまで適当にあしらっていてくれ」


 まだ信じられない気分のまま電話を切る。

 と、タヌ子がジト目で睨んできているのに気付いた。

 どうやらまださっきの電話が演技だと思っているらしい。仕方がない、ここは正直に先ほどの電話の話を言い聞かせて抜けさせてもらおう。

 

「すまん、タヌ子。なんか岐阜が攻めてきたらしいのでちょっと行ってくるわ」

「絶対嘘ポコ!!!」


 即答だった。


「嘘をつくにしてももうちょっとまともな嘘を考えるポコよ!」 

「嘘じゃねぇって! 部下が言うにはいきなり岐阜の軍勢が県境を跨いでだなぁ」


 言っていて比古自身もまた嘘くせぇと思わずにはいられなかった。

 なんせ岐阜である。

 京都ならともなく、どうして岐阜が滋賀を攻めて来るのか全くわけが分からない。

 

 中部地方最西端の県・岐阜。

 対して近畿地方最東端の県・滋賀。

 つまりこのふたつは隣同士ではあるが、実は全くと言っていいほど交流がない。

 何故なら滋賀は京都や大阪に仕事の場を求めたり、買い物に出かけたりするのに対して、岐阜は名古屋にそれを求めるからだ。

 だからわざわざ滋賀県民が岐阜方面に行く理由がないように、岐阜県民もまた滋賀方面に行く用事なんてまるでない。

 近くて遠い関係、それが滋賀と岐阜であった。


「とにかくまぁちょっと確認してくるぜ」

「こら! サボるポコか!」

「だからサボりじゃねぇっての!」


 とは言え、とち狂って攻めてきた岐阜を撃退することなど比古にとってはサボりに等しい、簡単な仕事だった。

 そう、比古は岐阜を舐めていた。

 いや、正直に言えば、滋賀県民そのものが岐阜を舐めている。

 京都や大阪に長く馬鹿にされてきた滋賀県民であるが、何故か岐阜に対しては自分たちの方が勝っているという根拠のない自信が昔からあった。

 

 だから比古はこの時、よもやあのようなことになるとは夢にも思っていなかった。

 

 

 

 タヌ子が頑張ってこさえた知事室の記者会見場であるが、残念ながら使われることはなかった。

 滋賀に突然侵攻してきた岐阜軍が国道21号を西進。これに比古が軍を率いて撃退に向かったものの、その勢いを止められず、一時岐阜軍は滋賀県米原市を占拠するまでに至ったからだ。

 この緊急事態に記者会見なんて悠長なことをしている暇などなく、それどころか東京から戻ってくる途中だった兄川が乗る新幹線も一時名古屋で足止めをくらったのである。

 

 結局、滋賀が反撃の準備を整える前に岐阜は米原を放棄して領地へと戻っていったが、国道21号線には岐阜軍の主戦兵器・飛騨牛サンドで召し取られた滋賀兵の無残な満腹姿があちらこちらに散見されたのであった。

 

「現在、岐阜軍は県境の関ヶ原に陣を敷き、いつでも再侵攻が可能な模様」

「岐阜め、一体何が目的なのだ?」

「我らとは暗黙の了解で不可侵条約お互い無関心が結ばれているものだとばかり思っておったが」


 もっとも思いもよらぬ岐阜の侵攻に、滋賀の混乱はいまだ続いている。

 これが京都なら分かる。今でこそ良好な間柄だが、長く敵対してきた歴史が何かの拍子で再発してもおかしくはない。

 また、同じく県境を並べる三重県でも、まぁ分からなくはない。かつては滋賀の甲賀勢、三重の伊賀勢で戦ってきた経緯がある。

 

 だが岐阜となると全く見当がつかない。

 攻められる理由も、また岐阜が攻め込んでくる理由も、まるで分からないのだ。

 

「ええい、せめて奴らの目的さえ分かればなんとかなるものを! おい比古、戦ってみて奴らの目的が何か見当はないのか?」

「……すまねぇ、まるで分からねぇ」

「情けない!」

「知事の懐刀が聞いて呆れるわ!」


 会議室に飛び交う怒号、叱責、嘲笑。だが、何を言われても比古は言い返せなかった。

 京都にならばともかく、滋賀が岐阜に負けたのだ。その責任は全て自分にある。言い訳など出来るはずもない。

 それに比古は本当に何も分からなかった。

 わけが分からぬまま部下を次々と召し取られ、撤退に撤退を繰り返して米原まで押し寄られてしまったのである。

 

 比古をしてここまで混乱させる岐阜の戦術とは、一体どのようなものであったのか……。

 

「おおっ、知事がお帰りになったぞ!」


 止まっていた新幹線が運行を再開し、兄川が新安土城に姿を見せたのは夜遅くのことであった。

 名古屋で長時間の足止めを喰らったこともあって、兄川の表情にもさすがに疲労は隠しきれていない。

 それでも皆がこうべを下げて迎える中しっかりした足取りで自分の席に座ると「比古兄やん」とその名を呼んだ。

 

「はっ!」

「岐阜との交戦、ご苦労だった。報告を頼む」

「報告と言われても、正直、負けたという結果以外のことは俺にもよく分からねぇ」

「比古兄やんほどの者が負けたのだ。さぞかし岐阜は強かったんだろうな?」

「いや、それがそうでもねぇ」


 事実、比古が倒した連中は拍子抜けするぐらい弱かった。

 長さ一メートルほどにもなる特撰近江牛サラミを手に比古は先頭に立って次々と岐阜兵を召し取って敵の兵力を削ぎ、打ち漏らしたのを背後の部下が叩くというお得意の戦法が今回もばっちり機能していたはずだった。

 

「が、気が付けばやられていたのは俺の部下の方だった」


 敵は弱く、伏兵に回り込まれた気配も感じなかった。

 にもかかわらず、比古の背後で部下が召し取られていく。

 慌てて態勢を整えるがそんなことが何度も続き、まるで狐に化かされたかのような感覚のまま、比古はずるずると撤退したのであった。

 

「うーむ、面妖な話よのぉ」

「比古の兵は日本三大和牛のひとつ近江牛を得物とする屈強な強者揃い。なのに打ち漏らした飛騨牛の岐阜ごときに後れをとるとは」

「まさかあやつら、A5ランクの飛騨牛を使いおったのか?」


 ならば比古の兵が負けたのも頷けるが、基本的にA5ランクは商業用であり、戦で使用するなど聞いたことがなかった。

 

「いや、そもそも俺の戦った記憶では奴ら肉なんか持ってなかったように思う」


 加えて比古が否定する。

 しかしならば一体どうして比古の兵は召し取られてしまったのであろうか?

 

「本当にわけがわからねぇ。俺はいつものように敵の陣地深くまで踏み込んで次々と倒していったんだ。そして本当なら後ろは仲間が制圧しているはずなんだよ」

「それが今回は逆だったと」

「もしや仲間に裏切者、もしくは間者がいたのではないか?」

「ああ。こうもわけがわかんねぇと戦っているうちにそう疑心暗鬼になった。誰が敵で、誰が味方か。黒か白か分からなく……」

 

 比古が疲れたようにかぶりを振る。

 仲間に裏切者がいる……考えたくもないが、かくも無残に敗北した以上、避けることが出来ない事案だ。早急に手をうたねばならない。


黒か白かBlack or White……」


 が、兄川はぽつりと呟くと、続けて皆を見まわたしながら「岐阜の狙いが分かったぞ」と妖艶な笑みを浮かべた。

 

「なんと! 本当でござるか!?」

「今の比古の話だけで奴らの目的を察するとは! さすがは知事!」

「それで岐阜の狙いとは一体!?」


 近江牛から三大和牛の誉れを飛騨牛に奪い取るためか。

 滋賀を制圧し、母なるうみ・琵琶湖を我がものとする為か。

 あるいは滋賀への影響力を強め、滋賀の飲食店のメニューに岐阜名物「けいちゃん」を追加させる目的か。


「奴らの狙いは――」

 

 だが、兄川の見解はそのどれとも違った。

 

「この俺だ!」

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