第15話:限界熱狂②
西川、墜つ。
ついにその時がやって来た。
「うひゃひゃひゃ。この時が来るのをどれだけ夢見たことでごじゃろう」
八つ橋が下卑た笑いを浮かべながら、ふたりの黒服に両肩を拘束され、ステージに跪く兄川を見下ろす。
「あの忌々しい
八つ橋が召し取られた時、ゲリラ吹雪のおかげもあってその瞬間はテレビに収められなかった。
が、今回は違う。事前に通達があった為に多くのテレビ局が駆けつけ、さらには天気も良好。今まさに時代の風雲児・兄川高鳴が召し取られる瞬間を捉えようと準備万端待ち構えているのであった。
「さぁ、今からこのおたべを口の中に突っ込んでやるでごじゃるよ。おい、兄川の猿轡を早く外すでごじゃる」
八つ橋が右手におたべを掲げ、黒服のひとりが兄川の猿轡に手を掛けようとした。
黒服の拘束する手がかすかに緩む。
その隙を兄川は逃さなかった。
「むごっ!」
それまで脱力していた腕に力を入れて肩を押さえていた黒服の手を弾き飛ばすと、猿轡を外そうと覗き込んでいた顔面目掛けて肘を叩きこむ。
さらにのけぞった黒服の顎へ勢いよく立ち上がった頭でかちあげた。
この強襲で意識を失った黒服は派手に水しぶきをあげて琵琶湖へ落下。この間、わずか一呼吸。もう片方の黒服が「なっ!?」と驚きの声を上げる暇もない。
「うげっ!?」
代わりにあげた声と言えば、したたかに顔面を兄川の裏拳で打ちつけられた際の呻き声であった。
そこへ兄川の後ろ回し蹴りが後頭部にクリーンヒットしては、これまた失神は必定。相方同様、糸の切れた操り人形のように琵琶湖へ落下しては、ふたり仲良く顔を水面から出した状態でぷかぷか浮かぶのであった。
「な、な、なんでごじゃるかーっ!?」
あっという間にお供のふたりをやられて、八つ橋の脳裏にあの時の記憶が蘇る。
あの時も圧倒的余裕からの大敗北であった。まさか今回もそうなってしまうのか?
しかも今度は周りからの視線を遮るゲリラ吹雪もない。ここにいる者たちどころか、テレビを通じて全国のお茶の間の皆様にまで鮒寿司を口いっぱい突っ込まれて
「ふっふっふ……」
俯く八つ橋の口から不意に笑いが漏れた。
あまりのことに気でも触れたか、八つ橋旨麻呂!?
「くっくっく……あーはっはっ!」
いや、そうではない。
漏れ出た笑い声はやがて辺りに響くほど大きくなり、同時に八つ橋は顔をあげた。
勝利を確信した満面の笑みであった。
「ははは、さすがは兄川高鳴、あっぱれでごじゃる! しかし、それでは麻呂には絶対勝てぬでごじゃるぞ!」
八つ橋が両手におたべを持つ。
背後には山盛りのおたべ。兄川を召し取るに余りある量だ。
「何故なら今のおぬしには鮒寿司がないでごじゃるからなぁ!」
対して兄川高鳴は徒手空拳、その手には勿論、背後にも鮒寿司はない。
かろうじて琵琶湖に生きた鮒が泳いでいることもあろう。が、それを八つ橋の口に突っ込むのはさすがに躊躇われた。
「黒服への暴力はまだ許されよう。あのふたりはおぬしの身体を拘束しておったでごじゃるからなぁ。が、麻呂は違う。麻呂は正当なルールに則って、おぬしを召し取ろうとしてるでごじゃる。そんな麻呂への暴力は御法度。もしやれば大炎上は必至でごじゃるぞ」
八つ橋がそのまんまると太った体躯からは想像も出来ぬほど素早く兄川へと迫り、手にしたおたべを顔面めがけて押し付けてきた。
依然として兄川は猿轡をしている。これではおたべを口の中に突っ込むことが出来ない。
ならば口ではなく鼻へ押し込んでやろうと考えての行動である。
「つまり鮒寿司を持たぬおぬしに麻呂は好き放題攻撃出来るというわけでごじゃる!」
初手をひらりと躱されてしまったものの、八つ橋に焦りはない。
やはり状況は間違いなく圧倒的、それどころか一方的に攻撃出来るのだ。焦る必要なんてこれっぽっちもない。
むしろ時間をかけてたっぷり攻撃出来た方が、これまでのうっ憤を晴らし、嗜虐心を満足させられる。
八つ橋の脳裏に体中の穴と言う穴におたべのあんこを詰められて失神する兄川の姿が浮かぶ。
そうすることに躊躇いなど微塵もなかった。
湖上のステージにて、八つ橋による一方的な攻撃が始まる。
兄川はただひたすらこれを躱すしかない。
例えば八つ橋の突き出したおたべを、頭の上で両腕をクロスさせて躱す兄川。
続いて繰り出されたおたべ連撃に、兄川は下ろした両腕を順次L字型にして左右へいなし、ガッツポーズのような態勢を取る。
そこへ八つ橋がすかさずおたべ頭突きを見舞ってくるが、これまた兄川は素早く胸の前で両腕を組んでガード。どうにか八つ橋を跳ね返し、両手を前方やや斜め上へと突き出して距離を取り、投げつけてくるおたべを左右へのステップで躱してみせると、こんな具合である。
一見すると兄川がなんとか八つ橋の攻撃をしのいでいるように京都軍には見える。
故に彼らに焦りはない。
兄川を助けに来た戌井戸率いる野洲レジスタンスは京飴スナイプにて足止めし、近づくことすら許さない。
加えていくら耐え忍ぼうが兄川には反撃する
今は余裕でもいずれ終わる時がくる……やはり兄川高鳴の命運は風前の灯だと信じてやまなかった。
が、しかし、滋賀勢は全く異なる感慨を兄川の抵抗に抱いていた!
「おおっ、知事、貴方と言う人は……」
草葉の陰で草津が感動に咽び泣く。
「ああ、知事の声が聞こえる……最後まで諦めるなというその声が……」
それは出屋敷も同じ、いや草津兵のみならずこの場に集まった滋賀勢全員が落涙していた。
実際、彼らには兄川の声が聞こえていた。
猿轡をされ、実際に声は出なくても、幾多の戦場で兄川の歌声に導かれた彼らには聞こえる……
大鳥居の傍に設置された特設ステージで曲に合わせて踊る兄川の歌声が!
ロックミュージシャンである兄川の代表曲の中には激しい振り付けのものもある。それを歌わずとも踊って見せることで兄川をよく知る滋賀勢の頭の中に歌を展開、「諦めるな!」とメッセージを送っていたのだ。
そう、つまり兄川は八つ橋の攻撃を躱すように見せかけて、実際は踊っていたのだった!!
「ええい、もう我慢ならねぇ! 俺は行くぞ!」
と、そこへひとりの男がいきり立つと大声をあげて山を駈け下りて行った。
湖南市の市議会議員・
当然、湖南軍を率いる湖南市長の命令は出ておらず、命令無視の一騎駈けであった。
「石部……」
「知っておるのか、出屋敷?」
「はい、彼とは守山高校で同学年でした」
不意打ちならいざしらず、滋賀軍の強襲もあるやもと山側に向けても陣を敷いている京都軍にひとり立ち向かっても勝ち目などない。
今はまだ大柄な体躯と甲賀米紛たい焼きでなんとか善戦しているものの、手持ちのたい焼きが切れた時が石部の運の尽きだ。
勿論ここで石部に同調する者が現れたら話は変わってくるが、滋賀勢は皆、戦後のペナルティが足かせとなって動けないでいた。
「私が高校生の頃、石部と野洲の連中はなにかとやりあっていました」
そんな石部の孤軍奮闘ぶりを見ながら、出屋敷がぽつりと呟く。
「ん? こんな時に一体何の話だ?」
「石部は当時まだ湖南市ではなく甲賀郡に属したド田舎に住んでいましてね。それに野洲もまだサッカー全国優勝はおろか兄川知事の名前すら誰も知らない、それどころか駅前に平和堂すらない田舎町でした。ですから私たちはそんな石部と野洲連中のやり取りを見て、田舎者同士が目くそ鼻くその争いをしているぜって笑っていたもんです」
「まぁ、よくあることだ」
「ですが今、その目くそ鼻くそと笑っていた連中が兄川知事を助けるべく、自らの未来を捨ててまで戦っている。ねぇ草津殿、本当に目くそ鼻くそなのは彼らではなく、今この場に至ってもただ見守るだけの我らの方ではありませぬか!」
もはや出屋敷は座して姿を隠す気などさらさらなかった。
勢いよく立ち上がると、眼下にて京都兵に囲まれた仲間に向かって「石部、俺が行くまで持ちこたえろ!」と激を飛ばす。
「出屋敷! お前!」
「止めても無駄ですぞ、草津殿。私はもう覚悟を決めました。ここで黙って友や兄か知事を見捨てなどしたら、草津市100万の民に笑われることでしょう!」
出屋敷は振り返ることなく、後ろ手に草津名物うばがもちを取ろうとする。
「待て、出屋敷」
だが、その手を大津が握りしめた。
「待ちませぬ!」
「愚か者! 一時の情に流されて我を忘れるな!」
「しかし、このままでは!」
「京都の大軍相手にうばがもちだけで戦えると本当に思うておるのか!?」
「……なんですと?」
「これを持ていけい!」
草津が懐から白くほっこりとした餅を取り出す。
「ま、まさかこれは、叶匠寿庵(かのうしょうじゅあん)と兄川知事がコラボした滋賀の新銘菓・兄川餅!」
「いかにも!」
「あまりの人気に入手不可能と言われている幻の菓子ではありませぬか! どうしてこれを!?」
「ふっ、こういうこともあろうかと秘密裡に手配をお願いしておったのだ」
驚く出屋敷を尻目に草津が左手を上げる。
すると右手にうばがもち、左手に叶匠寿庵の兄川餅を装備した草津兵たちが一斉に立ち上がった。
ちなみに叶匠寿庵は滋賀県は大津市に本社を置く和菓子の会社である。
しかし草津市にも支店があり、その味は多くの草津市民に昔から愛されていた。
「行け、出屋敷。草津、いや滋賀の未来をお前に託す!」
「草津殿!」
「知事を、滋賀を頼んだぞ!」
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