第14話:限界熱狂①

 滋賀県高島市・白髭神社。

 大昔から長生きの神様を祭る社として地元の人々から愛されてきたこの神社であるが、近年は湖中に建てられた鳥居がインスタ映えするという理由で、県内はおろか県外からも注目を集める存在である。


 だが気を付けて欲しい。神社と鳥居の間に走る国道161号線を渡るのは大変危険だ。

 鳥居の撮影なら神社に設営された展望台「藍湖白髭台」を使おう。高島市からのお願いである。

 

 さて、そんな湖中大鳥居を見るのに最適な藍湖白髭台ではあるが、兄川高鳴の処刑に当たって今は紳田島助しんた・しますけ率いる京都軍が独占している。

 いや、展望台だけではない。

 神社をはじめ、国道161号線も本日は区間通行止め規制を敷き、京都の軍勢がずらりと並んでいた。

 

 まさに蟻一匹通さぬ鉄壁の布陣である。

 故に滋賀勢は寒風が吹き通る近くの山々に身を隠すしかなかった。

 

「なんですと!? 黙って見ていろと言うのですか!?」


 その滋賀勢のひとつ、神社から100メートルほど離れた山中に兵を忍ばせていた滋賀県草津市市長・出屋敷大地でやしき・だいちは、身を隠しているにも関わらず大きな声で憤った。

 

「うむ。手を出してはならぬ」


 そんな出屋敷を諫めることもなく、再び厳命するのは同じく草津市出身の県議会議員・草津隆くさつ・たかし

 連続当選7回を誇る、草津市を代表する政治家である。

 出屋敷は確かに市長ではあるが、政治家としての格は草津の方がはるかに上であった。

 

「何故です!? 兄川知事を助ける為に兵を集めたのではないのですか!?」

「……いいや、私が兵を集めたのは皆で知事の最後の雄姿を見届けるためだ」

「馬鹿な! ここで知事を助け出さなければ再び滋賀は京都の属国に成り下がるのですぞ!?」

「……それが本来の姿だ」


 草津が遠い目をしながら、眼下遠くの湖中大鳥居を見つめる。

 本来なら琵琶湖の中から鳥居だけがぽっかりと顔を覗かせているのであるが、今は鳥居と一緒に五メートル四方ほどの正方形なステージが設置されていた。

 

「長く我ら滋賀県民は京都の下人として生きてきた。が、そんな我らでも都人みやこびとと肩を並べることが出来ると兄川知事は示してくれた。本当に、本当に素晴らしい、夢のような出来事であった」

「夢のような、ではございませぬ! 夢で終わらせてはならぬのです!」

「いや、やはり夢はいつか覚めるもの。政治家たる者、夢に溺れてはならぬ。現実を見なくてはならぬぞ、出屋敷」


 無論、草津とて兄川を救いたい気持ちは強くある。

 だが、上手くいった時はいいが、いかなかったらどうなるか。滋賀県南部に位置する草津市は、大津市と並んでとりわけ京都への依存率が高い。住人の多くが京都にある会社に勤めている。

 そんな彼らが自分たちの愚かな行動で職を失う……それだけは決して避けなければならない。

 

 故に忸怩たる思いを抱きながら、草津は英雄・兄川高鳴の最後を、夢の終わりを見守ると決めた。



 

 一方、藍湖白髭台に陣取る紳田島助はダウンコートに身を包みながら、余裕の表情でもって湖中に佇む大鳥居を眺めていた。

 白髭神社の背後に聳え立つ山々に、大勢の滋賀軍勢が潜んでいるのは分かっている。

 それでも島助はあえて白髭神社の展望台に陣を張った。

 滋賀作は動きたくても動けない、兄川を助け、敵将を討つ絶好のチャンスでありながら、彼らの背負うものが指の一本すらも動かせはしまいと知っているのだ。


「とは言え生きた心地がしまへんなァ、紳田殿」

「ん? なんでや? どうせあいつらはなんも出来へんのやで?」

「そやけど怨念というものがありますやん。あいつら、兄川がやられるのを指を咥えて見ているだけやおまへん。兄川を倒す紳田殿を憎々しく思っているに違いありませんでェ」


 実際チリチリとした視線を背後の山々から感じる。

 凡人であればいくら安全だとは分かっていても、逃げ出したくなることだろう。

 

「はっ! しょーもな!」


 しかし、島助はあっさり笑い飛ばした。

 

「人間、何をしても恨んでくる者はおるもんや。いちいち気にしてたら何も出来へんでぇ」

「それはそうかもしれへんけど……」

「それにオレを恨むんやったら兄川を助けてやったらええやん? な、そやろ、お前ら?」


 そう言って島助が話を振ったのは滋賀勢にして唯一展望台での観覧を許された者たち――滋賀出身のお笑いタレントたちであった。

 お笑いの世界に身を置く彼らは、急に話を振られるのは慣れている。

 が、それでもさすがにこれは無茶ぶりが過ぎた。気の利いた返事も出来ず、ただ愛想笑いを浮かべるばかりである。

 

「な? こんなもんや、気にすることあらへん」


 もっとも島助としてはそれこそが期待していた反応だったらしい。

 満面の笑みを浮かべると、山に背を向けて湖中大鳥居へと視線を戻す。

 まさに沖から一隻の屋形船が鳥居へ近づいてくるところであった。




 滋賀軍、京都軍、そのどちらが固唾を飲んで見守る中、最初に屋形船から現れた人物にどよめきの声が上がる。

 なんと、前京都府知事・八つ橋旨麻呂やつはし・うままろである。パレードの最中に滋賀で召し取られたかの男は、まさに京都崩落の象徴とも呼べる存在であった。


 その八つ橋がここで登場したということは、彼が兄川を逆に召し取ることで雪辱を期すとともに、京都の復権を高々と宣言するつもりなのであろう。

 島助らしい上手い演出である。

  

 八つ橋が大鳥居の傍に設置された特設ステージに跳び移ってからもしばらくどよめきは続いていた。

 が、

 

「知事!」

「兄川知事!」


 続いて現れた兄川高鳴の姿に思わず上げた滋賀勢の悲鳴が、どよめきを飲み込み、山々を揺るがした。

 両腕を左右の黒服に拘束された兄川は猿轡を噛ませられ、二月の冷え込む湖上なのに身を包むのは革製の黒いホットパンツのみ。裸の上半身と太ももから下にかけては黒いビニールテープのようなものが巻きつけられている。

 

「知事! ああっ、なんて痛ましい姿に!」

「このような姿にして貶めるとは許さんぞ、紳田島助!!」

「だが、不思議と……」

「ああ、妙に似合っている!!」


 騒然とするも家臣を束ねる各地区の有力議員が抑えつけているのだろう、滋賀勢に動きはない。

 紳田島助のにやけ顔がますます愉悦に歪み、背後の山々を一瞥しようとした丁度その時。

 

「待ちやがれ、てめぇら!」


 滋賀の希望は山からではなく、琵琶湖うみから来た!

 

「あ、あれは野洲のレジェンド、戌井戸武司いぬいど・たけし!!」

「と言うことは後ろに続く連中も野洲の奴らか!」


 戌井戸たちが十数台のジェットスキーに分乗して凄まじい勢いで鳥居へと迫る。

 昨日、公開処刑の一報を受けた彼ら野洲レジスタンスは、そうはさせるかと懸命に兄川の居場所を探した。

 が、夜が明けても依然として情報が集まらず、かくなる上は当日の奪還作戦へと切り替えたのである。

 

「しかし一体どこからやってきた? まさか対岸からジェットスキーで来たわけではあるまい」

「む、あれを見ろ! 沖に浮かぶあの船体は……まさか、うみのこ!?」

「そうか! うみのこにジェットスキーを積み込んでここまでやってきたのだな!」


 第三話で少し触れたが「うみのこ」とは、滋賀県の小学五年生が乗り込んで琵琶湖を体験学習する船である。年間を通して滋賀県中の各小学校の五年生を順に乗せる渡航スケジュールがきっちりと組まれている。 

 故に今回の兄川処刑にあたって一般船舶は周囲の渡航を禁止されていたが、うみのこだけは許可されていた。だって天候不良とかならまだ仕方ないと諦められるが、こんな理由で待ちに待ったうみのこを延期されたら搭乗予定だった子供たちが暴動を起こすもの。それだけ滋賀県の子供たちにとってうみのこに乗ることは大きな憧れなのだ。

 

「しかも今日うみのこに乗る予定だったのは野洲の三上小学校だ!」

「おお、三上小と言えば兄川知事の母校! ならば今回、野洲の連中まで乗り込んだのもあながち無法とは言えまい!」

「さすがは兄川知事、強運の持ち主持っておられるな!」


 俄かに周囲の山々に潜んでいた滋賀勢が活気づいた。

 皆、黙って兄川が処刑されるのを見守らなくてはならない状況にフラストレーションが溜まっていた。

 そこに野洲の連中が殴り込みをかけてきたのだ。いまだ手を出してはならぬと厳命されてはいるが、応援してはならぬとは言われていない。

 あくまで身を潜めているので大きな声は出せないが、それでも多くの者が心の中で野洲の奮戦にエールを送った。

 

「野洲め、自棄やけになりおったか」


 だが、中には草津のように戦況を冷徹に見つめる者もいる。


「草津殿! いくら草津殿とは言え、さすがにその言葉は聞き捨てなりませぬぞ! 彼らは自らの未来をも投げ出して知事を救い出そうと!」 

「確かに野洲は兄川知事の生まれ故郷。このまま座して見守っていても知事処刑後に見せしめとして解体されるであろう。守山に併合されるか、近江八幡の一角になるかは分からぬが、な。しかし」


 喰ってかかる出屋敷に草津は諭すように語り掛ける。

 

「それでもまだ京都での就職は認められたことであろうよ。が、それも今回のことで無理となった」

「で、ですが、ここで彼らが知事を救い出すことが出来れば」

「たかが十数名で何が出来る? それに京都にはアレがある。出屋敷よ、よく見てみよ」


 草津が指差す方向に目をやると、湖岸を渡る国道161号線にずらりと並べられた京都軍が何やら黒い筒を持っているのが出屋敷にも見えた。

 

「まさか、あれはライフル銃!? そんな、京都の連中は実弾を使うつもりですか!?」

「それこそまさかよ。いいか出屋敷、京都の菓子と言えばおたべや八つ橋などが有名ではあるものの、その一方で昔ながらの職人芸で作られる、きらびやかな、まるで工芸品のような銘菓も存在する」

「銘菓をライフル銃で飛ばす!? そんなことが可能なのですか!?」

「うむ。丹念に煮詰められ、職人の手によってひとつひとつ丁寧に作られた菓子……京飴ならば可能だ」


 その言葉と同時に京都兵による一斉射撃の轟音が高島の山々に鳴り響く。驚いた鳥たちが一斉に飛び立ち、琵琶湖の上を舞う。

 

「ああっ!!」


 誰からともなく嘆息の声が漏れた。

 ジェットスキーに乗った野洲の一群のうち数名が、先ほどの京飴一斉射撃で召し取られてしまったのだ。

 さらに追い打ちをかけるように京都兵が次々と京飴を連射する。

 さしもの戌井戸たちもこれには容易にステージへ近づくことが出来ず、京飴が届かない水域でジェットスキーを左右に操縦するばかりであった。

 

「さすがは紳田殿よの、おたべのあんこではあそこまで飛ばせは出来ぬうえに威力もなく、さらには琵琶湖も汚す。しかし京飴ならばそれら問題も全て解消オールオッケーということよ」

「草津殿、感心している場合ではございませぬぞ! 野洲を助けなければ!」

「ああ、そうだな……」


 頷く草津に、出屋敷はついに出陣の覚悟を決めたのかと思った。

 しかし、草むらから立ち上がった草津は背後に潜む同胞たちを見やると、出屋敷の期待していたものとは正反対の言葉を放つ。

 

「草津兵全員に告ぐ。兄川知事の最期をその瞼に焼き付けよ! あれこそまさしく滋賀の魂! 我らの前にこれから苦難の道が続こうとも、その雄姿を胸に刻んで生きていくのだ!」


 大鳥居の傍のステージではまさに八つ橋が兄川の口におたべを突っ込もうとしているところであった。

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