第13話:血よりも濃きもの

 唐突だが滋賀県立野洲高等学校にはふたつの自慢がある。

 

 ひとつは御存じロックミュージシャンであり、滋賀県知事でもある兄川高鳴を輩出したこと。

 まぁ正確には中退しているのだが、それでも母校であることには変わりがない。

 

 そしてもうひとつは今を遡ること20年前、野洲高校の名前が全国に鳴り響いたこと。

 そう、第八十四回高校サッカー選手権において初出場の野洲高校が名門鹿児島実業を延長の末に下して、滋賀県勢初の優勝を飾ったのである!


 しかもただ優勝したのではなく、当時の野洲高校はみんなテクニシャン揃いで、その華麗なるプレイはセクシーフットボールとまで呼ばれるほど。事実、決勝で優勝を決めた延長戦でのゴールは「高校サッカー史上最も美しいゴール」として今も語り継がれるほどだ。

 

「で、その時の優勝メンバーのひとりがこの俺、戌井戸武司いぬいど・たけしだ!」


 米原駅でタヌ子が絶体絶命になっているところを救った男・戌井戸が車を運転しながら改めて自己紹介するのを、タヌ子はぼんやりと眺めていた。

 落ち着いて見ると、確かに戌井戸武司だ。滋賀の英雄のひとりであり、プロになってからも海外やワールドカップでも数々の活躍をするなど、今では日本の英雄でもある。


 その顔を見間違えるわけがないが、米原では動揺するあまり気が付くことが出来なかった。

 よく考えたら跳ね返ってきたボールを接着剤でくっついたように止めることが出来る男なんて、日本にどれだけいるだろう。

 それどころかセグウェイドリブルやら、蹴りあげたボールに乗って空中移動するなんて桃白白みたいなことが出来るなんて、戌井戸武司以外考えられなかった。

 

 今も現役を続ける彼がどうしてあの場に助けにきてくれたのだろうか?

 サインをねだってもいいのだろうか?

 それらも聞きたいことであったが、タヌ子にはそれ以上に今はもっと尋ねたいことがあった。

 

「米原で言った『みんな知事を裏切った』ってどういう意味ポコか?」

「……敵が最悪すぎた。紳田島助しんた・しますけ、芸能界を引退して十年以上経っていると言っても、いまだにその影響力は絶大。奴に逆らっては滋賀のお笑い芸人たちなんてみんな首が飛ぶだろうよ」


 それどころかさしもの下町小僧のふたりでも、紳田島助が相手ならばそう簡単に協力はしてくれないだろう。

 

「それでも知事を支持してくれる多くの議員たちがいるポコ!」

「だから最悪だって言ったろ。仮に相手が三重や奈良ならいくらでも奴らは戦うさ。が、いくら対等の立場になったとはいえ、いまだ多くの滋賀県民が京都で働いている状態だ。ここで下手に動いて京都の怒りを買う議員がいれば、そいつを輩出した地区から来ている社員はたちまち解雇されちまう。となれば当然だがそいつの次回選挙での当選は相当に危うくなる」

「そんな理由で知事を見捨てるってポコか!?」

「……奴らだって助けられるなら助けてやりたいだろうよ」


 戌井戸が苦虫を噛みしめるように言葉を振り絞る様子を見て、タヌ子は彼もまた決して納得しているわけではないことを理解した。

 そうだ、議員たちだって本当は兄川の為に働きたいだろう。が、彼らにも自分の議員人生があり、彼らの選挙区の生活を守る義務がある。それを考えれば、彼らの行動を頭ごなしに否定することは出来ない。

 口惜しいが現実とはえてしてそういうものなのだ。


「だったらもう知事は……」


 仲間はいない。頼れる人もいない。しかも敵は強力無比。

 米原駅で戌井戸は「必ず助け出す」と言ったが、状況は絶望的だ。いくら戌井戸が優れたサッカー選手であろうとも、多勢に無勢がすぎる。

 

 ああ、琵琶湖は今日も光り輝いているのに、タヌ子の心はどんどん暗雲が立ち込めていく。

 はらりと一筋の涙も流れた。だって女の子なんだもん。

 

「さぁ、着いたぞ!」


 そんなタヌ子を見てか見らずか、戌井戸は妙に大きな声を上げて車を停めた。

 

「……ここは?」

「おいおい、兄川パイセンの秘書なのに知らないのか? ここはな」


 戌井戸が車から降り、助手席の方に回るとドアを開けてタヌ子をエスコートする。

 

「俺たちの母校、野洲高だよ!」


 そう言われてもタヌ子にはいまいちピンっとこなかった。

 もちろん、滋賀県立野洲高等学校が兄川や戌井戸の出身校なのは知っている。が、だからなんだと言うのか。この危機的状況に母校訪問なんて一体何の意味があるのだろう?

 

「さぁ、こっちだ!」


 それでも戌井戸はタヌ子の手を取り、敷地を歩き始める。

 目指す先は体育館だった。


「冴え渡る?」

「近江の富士」

「よし入れ」


 暗号であろう言葉のやりとりを経て、野洲高体育館の扉が開かれる。

 

「ああっ!」


 しかして目の前に飛び込んでくる光景に、タヌ子は驚きの声を上げるのを禁じ得なかった。

 それどころか目から熱い雫すらこみあげてくる。


 タヌ子は諦めかけていた。

 京都の逆襲に議員たちはおろか県民さえもあてにできない。紳田島助の前では滋賀のお笑い芸人たちどころか、下町小僧の力も頼れない。

 あまりにも無力。あまりにも孤立無援。そのような状況で兄川奪還なんてあまりにも夢のまた夢。

 そう思っていた。絶望していた。希望はもう残されていないと思っていた。

 

 だがそれは間違っていた。

 野洲高の体育館に集う、大勢の野洲市民たち。

 屈強な男たちもいれば、年老いた者、子供、おねーさんもいる。みんな、兄川の窮地に居ても立ってもおられずに駆けつけてくれたのだ。

 彼らは言う、野洲で生まれた者、野洲で育った者は皆家族だ、と。その絆は血よりも濃い、と。

 

 そう、最後の希望はまだここに残っていた!

 

「武司、よくやったな!」


 と、感極まるタヌ子の前へひとりの偉丈夫が声をかけて歩み寄ってきた。

 

「比古さん!?」

「おう、タヌキ。無事でなによりだ」

「タヌキじゃなくてタヌ子だポコ! てか、どうして比古さんがここに? 比古さんも野洲出身だったポコか?」

「いや、俺は彦根出身だ。まぁ、それでもちょっと縁があってな、武司たちとは以前から連絡を取り合っていた」

「すまねぇ、比古さん。兄川パイセンを救い出せなかった」

「いや、タヌキの捕獲だけで上等。よくやってくれた」


 もともとは兄川と合流するため、京都駅にて待機していた比古。

 しかし、紳田島助の黒服たちが琵琶湖線新快速米原行きに乗り込むのを見て嫌な予感がした。

 何故なら京都人が琵琶湖線に乗ることは滅多にない。一般的に京都人が滋賀県に用があるなんてことは一生に一度あるかないかだと言われているほどだ。

 

 とは言え、この時はさすがの比古もタヌ子たち同様、紳田島助が新幹線を停めてまで兄川を捕獲するとは思ってもいなかった。

 だから念のために戌井戸だけを米原へ急行させたのだ。

 ただし万が一にも兄川たちが捕まった時は、なによりもタヌ子の救出を優先するように言いくるめて。

 

「なんで私ポコ!? 私じゃなくて知事を優先するべきだったポコよ!」

「落ち着け、タヌ子。よく考えてみろ。もし仮にお前だけが捕まったら高鳴はどうすると思う?」

「……あ」

「そうだ、あいつはお前を解放させる代わりに自分が捕まるのも厭わぬ男だ。おまけに正当な交換取引であった以上、その後の俺たちの救出すら拒むだろう」


 どこまでも優しく、どこまでも自分の正義を貫く。それが兄川高鳴という男の生き様であった。

 

「だからお前の救出を最優先させたんだ。分かってくれ」

「……分かったポコ。でも、早く知事も助けてあげないと」

「ああ。現在、仲間たちが必死になって高鳴がどこに連行されたか情報を探っている。場所さえ分かれば早急に救出作戦を立てて」


 その時であった。

 今朝から兄川拘束の速報を伝えていたBBCびわ湖放送のアナウンサーが、ADから手渡された原稿に目を見開くと、わなわなと口を震わせながら読み始めた。


『今入った情報をお知らせいたします。今朝早く滋賀県知事・兄川高鳴氏を米原駅で拘束した紳田島助氏が、明日、滋賀県高島市の白髭神社湖中大鳥居にて兄川氏を処刑すると発表しました。繰り返します、紳田島助氏が兄川高鳴氏を明日――』

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