第12話:米原事変

『京都、奪還!!』

 

 翌日、そんな見出しの新聞紙が大量に突き刺さった売店を横目に、兄川とタヌ子は東京発新大阪行きのぞみ287号に乗り込んだ。

 

「おじいさん、足元を気を付けるポコ……じゃなかった気を付けなされ」

「おお、ありがとうや、おばあさん」


 ふたりとも正体がバレないよう老夫婦に扮している。

 昨夜のうちに特殊メイクのプロを呼び、さらには演技指導も受けた。ただ、俳優もこなす兄川はさすがになりきっているが、単なる秘書にすぎないタヌ子は口調にまだ不安が残る。

 

 しかし、どうして滋賀へ戻るのにここまでしなくてはならないのか!?

 理由は数行前に書かれている。

 

 そう、ふたりが乗り込んだのは滋賀県にある唯一の新幹線駅・米原にはのぞみなのだ!!

 

 京都が奪還された今、のんびりしていたら京都への侵入が難しくなるのは自明の理。米原で降りて、そこから在来線で京都へ向かったところで厳しい検問が待ち構えているのは間違いない。


 ならばいきなり新幹線のぞみで京都へ乗り込んだらどうか?


 敵もまさか昨日の今日で兄川が直接京都へ乗り込んでくるとは考えていないだろう。慌てて戻ってくるにしても米原に止まる新幹線ひかりやこだまのはずだと考えるに違いない。

 

 敵の裏をかいた大胆な作戦と言える。

が、同時に敵の本拠地へいきなり乗り込むということは、下手したらあっさり捕まる可能性もあり得る諸刃の剣。故にこれを実行するには完璧な変装が必要だったのである。

 

 昨夜のうちに比古へ連絡を取り、反転攻勢に出る準備を整えさせている。

 あとは無事京都に着くだけ。そうすればたとえ相手があの紳田島助しんた・しますけと言えども十年以上も前に芸能界を引退した身、兄川の敵ではない。

 



 だが、事態は既にふたりの想像する遥か先に行っていた!!

 

 


「貴様、兄川高鳴だな?」


 黒服の男が老人に扮して席へ腰かけている兄川に問いかけた。

 なんとなく嫌な予感がしていた。

 本来なら米原駅に停まるはずがない新幹線のぞみ、それが何故か駅のプラットホームに入る直前でスピードを緩めたかと思うとそのまま停まってしまったのだ。


 車内トラブル発生とその点検により緊急停車いたしますとアナウンスがあったのは、プラットホームに待ち構えていた黒服の男たちが乗り込むのと同時であった。

 

「はて、何を言っておられる? 私はしがない越後のちりめん問屋ですが?」

「ふっふっふ、変装しても無駄だ。お前からは一流芸能人のオーラがだだ洩れよ!」


 見れば黒服の男たちのひとりが目にスカウターを付けている。

 うかつ、変装でごまかそうとするあまり、芸能人オーラを抑えるのを忘れていたとは。

 

「ほう。ですがそのスカウターが故障している、ということもあるのではありませんかな?」

「まだシラを切るか。ならばこれならどうだ?」


 黒服が懐から何やら写真を取り出すと、ひらりと新幹線の床に落とした。 

 

「そ、それは……」

「くっくっく。兄川ではないのなら踏めるであろう?」


 黒服が落とした写真にはひとりの女性……そう、兄川の元妻であり、女性二人組ユニットParfaitパフェ吉本由美未よしもと・ゆみみが写っていた。

 

「離婚したとはいえ兄川と吉本の仲は良好だと聞く。さぁこれを踏め。踏んで兄川ではないと証明してみせろ!」


 驚きながらもまだ落ち着いて席に深く腰掛ける兄川と違い、隣に座るタヌ子は気が気ではなかった。

 まったくもって想定外だった。

 兄川が芸能人パワーを抑えていなかったもそうだが、なにより京都駅ならばともかくまだ滋賀県の米原駅でこんなことになるとは全く考えてもいなかった。


だって新幹線に限らず鉄道の運航を停止させると膨大な賠償金が発生するのだ。

まさか紳田島助はそれを楽々払える資産を有しているというのか!? 引退して十年以上も経っているというのに!?

  

 しかし、まだだ。まだバレたわけではない。

 シラを押し通し、写真も踏んでしまえばまだチャンスはある。


「……さすがにそれは踏めないな」

 

 が、兄川は踏まなかった。

 何故なら兄川高鳴であるからだ。

どこまでも誠実で、大切な人を侮辱するぐらいなら自らの命を投げ出すことを選ぶ男、それが兄川高鳴であった。

 

「それはつまり認めたということか?」

「ああ、私が兄川高鳴だ」


 兄川は写真を拾い上げて席を立つと、自らべりっと顔を隠していた特殊メイクを剥がしてみせた。

 その様子に黒服連中のみならず、車両にいた乗客全員の視線が兄川の顔に注がれる。

 だから兄川がその背中でタヌ子に「しゃべるな。じっとしていろ」と手で合図していることに、誰一人として気が付かなかった。

 当のタヌ子本人を除いて……。

 

「はっはっはー! 滋賀県知事兄川高鳴、よくも我ら誇り高き京都府民をコケにしてくれたな。礼はたっぷりさせてもらうぞ」

「ほう、財政破綻しそうなお前たちを助けてやったのだから、さぞかし素晴らしいお礼をしてくれるのだろうな?」

「ふん、滋賀作は黙って我らに奉仕しておけばよかったのだ。それを援助などとは思い上がりも甚だしい。身の程を知れ!」


 拘束する黒服の力が強まって兄川は顔を顰めつつ、他の乗客の皆さんの邪魔だから早く連れて行けと目で促す。

 その態度がますます癪に触って、黒服たちは強引に兄川を車両の前方出口から連れ出していった。

 

 そんな黒服たちが慌てて車内に戻ってきたのは丁度一分後のことだ。

 

「しまった! 兄川が老人の変装をしていたということは、隣にいた老婆も仲間だということに気が付かぬとは。きっと兄川の秘書、紫香楽タヌ子に違いない! こちらもすぐに身柄を確保しろ!」

「大変です、さっきまで座っていた老婆が見当たりません!」

「なんだと!? 一体どこに行った!?」

「あ、見てください、ホームに若い女性が!」


 大声をあげながら黒服のひとりが窓の外を指差す。

 まさに老婆の変装を解いたタヌ子が物陰に隠れながら、こっそりと兄川を連行する黒服たちの後をついていくところであった。


「おのれ! さてはひっそり後方出口から出て、我らを追跡。隙あらば兄川を奪還しようというつもりだな!」

「そうはさせるか!」


 まんまと取り逃がしてしまったとは言えども、さすがは紳田島助の私設警備員たちである、黒服たちの行動は早い。


「待て! 兄川高鳴が秘書・紫香楽タヌ子!!」


 車両から飛び出るやいなや、タヌ子にむかって大声で怒鳴る。

 その声に兄川を連行していた連中も驚いて振り向き、さらには呼びかけた黒服たちもまたタヌ子へと走り寄っていった。


「うわん! だからグリーン車に乗っていればよかったポコよー!」


 タヌ子の嘆きが米原駅新幹線下りホームに響き渡る。

 説明しよう。米原駅新幹線下りホームにある階段とエレベーターは、まさにグリーン車を降りてすぐそこにあるのだ。

 つまりもし兄川たちがグリーン車に乗っていれば、兄川を連行した黒服たちはエレベーターで上にあがろうとしたことだろう。

 その間にタヌ子はダッシュで階段を駆け上がり、エレベーターよりも先に着くと兄川奪還の作戦を練ることが出来たのだ。

 

 しかし、東京駅で兄川たちが選んだのは自由席であった。

 これはVIPでもないごく普通の老夫婦はグリーン車なんかに乗らないだろうという考察と、二度に渡る鎌倉遠征とニューびわ湖タワー建造で今季の予算がヤバいという切実な理由によるものである。


 そこで新幹線のぞみ自由席12号車に乗り込んだのだが、そのおかげで追跡しているところを見つかってしまった。

 新幹線のホームなんて身を隠すのはベンチとか自動販売機ぐらいしかない。

 それも車両側から見たら隠れているのが一目瞭然である。

 

「……あ、新幹線の中を移動したらよかったポコ」


 それでも誰にも気づかれずに追跡する方法を思いついたタヌ子だが、それも後の祭り。

 背後から黒服たちが新幹線に負けず劣らずのスピードで走り寄ってくる。

 

 まさに絶体絶命! そう思われたその時。

 

「ぐはっ!」


 黒服のひとりが突然、後頭部に強烈な衝撃を受けて倒れこんだ。

 何かと思って見やると、黒服の頭を狙い撃ちした丸い物体が跳ね返って空を飛ぶのが見えた。

 サッカーボールだ。

 さらにその先、新幹線のぞみ13号車の屋根の上に何者かが立っている!

 

「誰ポコか!? と言うか、新幹線の屋根に登っちゃだめポコ!!」


 タヌ子の至極当たり前なツッコミを受ける中、男は跳ね返ってきたボールを足に吸い付くようなトラップを決め、そのまま屋根を飛び降りる。

 

「な、なにぃぃぃぃぃぃ!?」


 次の瞬間、誰もがその光景に驚いた。

 ボールと共にホームに降りてきた男が、なんとそのボールに乗ってホームを疾走し始めたのである。

 

「そ、それは伝説のセグウェイドリブル!? うおっ!!!」


 突然の襲撃、予想だにしなかったセグウェイドリブル、しかもそれが想像するよりもずっと速いとあっては黒服たちに成す術はなかった。

 男はあっという間に黒服たちを抜き去るとタヌ子へ迫る。 

 

「わわわっ!」


 そしてタヌ子をも抜き去ろうとするその刹那、男は彼女の腰へと手を伸ばした。

 

「な、なにをするポコ! 離せポコ!」


 驚きのあまりあっさりと抱きかかえられてしまったタヌ子だったが、しかしすぐさま正気に戻ると男の胸の中で声高に抗議する。

 

「ったく、騒がしいタヌキだなぁ」

「タヌキじゃないポコ! タヌ子だポコ! あれ、このやり取りって……」

「俺は敵じゃねぇ。ほら、このまま一気に兄川パイセンも救出するから、あんたはしっかり俺に抱きついていてくれ!」


 振り落とされねぇようになと、男はさらにセグウェイドリブルのスピードを上げるべくボールを蹴ろうとした。

 が、

 

「ちっ。さすがにこいつは多すぎる、か」


 プラットホームでの異変にいち早く気付いたらしい黒服の控えたちが、次から次へとうじゃうじゃ階段を降りてきては兄川の周りを何重にも取り囲んでいく。

 

「ちくしょう、あともう少しだってのに」

「もう少しって何を言っているポコ! 知事を助けるポコよ!」

「俺も出来るならそうしてぇよ。だが、さすがにあの包囲の中に飛び込むのは自殺行為だ!」

「そんな! 知事を見捨てるつもりポコか!?」

「見捨てはしねぇ! だが、ここで俺たちまで捕まったらそれこそもう終わりだぞ!」

「そんなわけないポコ! 滋賀には多くの知事の味方が」

「そんなのはもういねぇ! みんな、兄川パイセンを裏切った!」


 なっ!? と言葉を詰まらせるタヌ子に、男は「俺たちが最後の希望だ」と冷酷な現実を告げると、新幹線のぞみの向こう、上り方面ホームへとボールを蹴りだす。

 

「パイセンは必ず助け出す。が、今は逃げるぞ!」


 そして次に地面を力強く蹴り上げてタヌ子を抱えたままジャンプすると、先行するボールの上に乗り、そのまま誰もいない上り方面ホームへと逃亡するのであった。

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