第21話:歌の力

「おおー、壮観ポコー!」


 タヌ子が比古と浅井倉を乗せたヘリコプターを操縦しながら、堪らず歓声をあげた。

 眼下に広がる琵琶湖に対してではない。琵琶湖はいつだって壮観で感動的だが、今回はそこから視線をずらしたところ……湖岸線から数メートル、場所によっては数十メートル離れたところに打ち建てられた無骨な鋼矢板シートパイルに対してタヌ子は歓喜の声を上げたのである。

 琵琶湖を囲むようにずらりと並ぶその様子はまるで万里の長城のよう。

 これの建設に最近のタヌ子はずっと関わっていたのであった。

 

「ったく、よくもまぁこんなもんをあの短期間に作り上げたもんだ」

「工事の皆さんが知事の為ならと連日徹夜で頑張ってくれたポコ」

「さすがはター坊、愛されてるなぁ」


 本来であればこんなものを打ち建てようものなら、たとえ増水による氾濫を防ぐためであっても「景観が台無しだー!」「県はもっと県民の声を聞け!」「自然を大切に!」とやたらめったら非難されるものである。

 が、兄川が知事に就任してからそんなことは一度たりともない。

 そう、税金で新安土城なんてものを作ってみたり、戦では大量の鮒寿司や銘菓やサラダパンを消費したりしているが、苦情はほとんどなかったのだ。これも兄川の人望がなせる技である。いつか言わなくてはと思っていたが、ようやく言えてよかったよかった。


「でもこれ、本当の目的は高鳴のPV撮影用だって分かったらさすがに怒られるんじゃねぇの?」

「人聞きの悪いことを言うんじゃないポコ! ちゃんと本来の氾濫防止に使われるポコ!」

「だけどそれって高鳴の言うことがホントだった場合のことだろ? さすがに今回のはウソくせぇって言うか何と言うか……」

「知事の言うことが信じられないポコか!?」

「そうじゃねぇけどよぉ。でもお前、信じられるか、まさか琵琶湖の中に――」


 比古が言いかけて口を止めた。

 浅井倉に「しっ」と戒められたのだ。

 一瞬ムッとした比古であったが、浅井倉が下を注視しているのを見て反論はやめた。

 代わりに比古も眼下――琵琶湖の中からポッコリ顔を出している岩島、通称・沖の白石に立つ兄川を見やる。

 

 沖の白石は琵琶湖の丁度中央に位置する、四つの岩山からなる島である。琵琶湖には四つの島があるが、その中でもこの沖の白石が一番小さい。

 それでも最も大きな岩は湖面から高さが約20メートルもあり、そこに悠然と佇む兄川はさすがと言わざるを得ない。

 

 しかも兄川は今からここで新曲PVの撮影に挑む。 

 さっきから浅井倉があれやこれやとヘッドセット越しにスタンバイしているスタッフに指示を出していたが、どうやら準備が整ったらしい。

 

 俄かに高まってきた緊張感に、比古は喉の渇きを覚えた。

 タヌ子がごくりと唾を飲み込む音が、ヘリの騒音の中でもはっきりと聞こえた。

 

「ねぇ、おふたりさんは僕が過去に撮ったター坊のPVって見たことある?」


 そんな緊張感を浅井倉のいつもと変わらない軽薄そうな口調が削ぐ。

 

「なんだ? さっきは黙れって指示しやがったくせに」

「あれ、もしかして見たことない?」


 浅井倉が続けて口にしたタイトルは、まさにロックシンガー兄川の代表曲のひとつと呼べるものであった。

 兄川と同年代の比古は勿論のこと、歳が離れているタヌ子だって「勿論、見たことあるポコ! 真夏の青空をバックに、煌めく海にステージを作って歌う若い知事がカッコよかったポコ!」と、その内容をしっかりと覚えているほどだ。

 

「うん。あれね、海外の海で撮影したんだけどさ、最初は琵琶湖で撮るつもりだったんだよね」

「へぇ、そうだったポコね」

「だけどター坊が嫌がってさ」

「高鳴が? 琵琶湖を誰よりも愛するあいつなら喜んで撮影しそうだけどな?」

「なんでもお祖父さんに止められていたらしいよ。琵琶湖では歌うなって」


 浅井倉によると、兄川が子供の頃に琵琶湖で溺れかけたことがあったらしい。

 小学生時代の夏休み、今日も今日とて琵琶湖で泳いで遊ぶ兄川少年。泳ぎ疲れた身体を浮き輪に委ね、ぷかぷか気持ちよく浮かんでいたら、ついつい鼻歌のひとつも口ずさみたくなるというもの。そこで最近ハマり始めた洋楽を歌い始めた。


 シカゴの「素直になれなくて」。全米チャート1位も取った、ピーター・セテラの歌声が心地よい名曲である。


 するとだ、それまで穏やかだった波が突然荒れはじめたかと思うと、思いもよらぬ大波が兄川少年を襲った。

 あまりのことにパニックになる兄川少年。浮き輪はどこかに飛ばされ、水の中、空気を求めて懸命に手をもがく。


 結局、たまたま近くにいた大人に救出されたが、あれは一体なんだったんだと兄川少年は疑問に思った。

 そこでその日の夜、祖父に昼間の話をしたら、祖父は真面目な顔で「気軽に琵琶湖で歌ってはいかんぞ」と戒めたのであった。

 

「その時のお祖父さんの表情が忘れられないそうでさ。ずっと守っていたらしいよ」

「でも今回は琵琶湖のど真ん中で歌うポコ。ということは……」

「そうだね。それだけター坊は確信しているってことさ。そして僕も確信しているからこそター坊のPVを撮ってやろうって決めたんだ」

「浅井倉さんは今回のことに気付いていたポコか?」

「んー、さすがに宮内省を誘致するって話は再会してから聞かされたけどね。ただ、ター坊が何かを隠しているのは、今年初めに捕らえられたター坊が湖中大鳥居の傍で踊ってるのを見た時に気付いたよ」

「どういうことだ?」

「だってねぇ、身体を黒テープでぐるぐる巻きにされてるとはいえ、両手は自由だったんだよ? だったら自分で猿轡を外して歌えばいいじゃない。そっちの方が踊りだけよりずっと味方を鼓舞できたはずさ」

「あ!」

「でもそうしなかった。もちろんお祖父さんからの言いつけもあっただろうけど、いやこれはきっと何か隠しているなって僕の勘が囁いたんだよね。で、気になってター坊が知事になってからの行動を調べてみたら、琵琶湖の湖底調査をしてるじゃない。水質調査ならともかく、湖底を調べるってなんか変だなと考えを巡らしていたら……おっと」


 その時、皆のヘッドセットから曲が聞こえ始めた。

 最近の曲にしては前奏が長い。さらには兄川もいつものパワーボイスはなりを潜め、穏やかに歌い始める。どこか『素直になれなくて』に似ているかもしれない。勿論、それに合わせてダンスも緩やかに身体を揺らす程度だ。

 久しぶりの兄川と浅井倉がタッグを組んだにしてはインパクトに欠ける出だしと言える。琵琶湖から突き出す岩山を舞台に、多くのヘリやドローンで撮影するほどのものとも思えない。

 

 しかし、それでもタヌ子たちは聞いた。

 兄川の全てを包み込むような歌声を。

 比古たちは見た。

 沖の白石を中心に波が徐々に大きくなっていくのを。

 浅井倉たちは感じていた。

 ゾクゾクと、これから何かとんでもないことが起こるという絶対的な予感を。

 

「来る!」


 そして同じタイミングで同じ言葉を発した時。

 その時はついにやって来た。

 

 それまで穏やかだった兄川の歌声が猛然とその勢いを加速すると同時に、その体がぐんぐん上昇していく。

 吊り上げているのではない。

 地鳴りとともに岩山が俄かに水面から浮上し始めたのだ。

 20メートルの高さが、30メートル、40メートルと、まるで兄川のパワフルボイスに釣られるようにして天高くを目指していく。

 

 合わせて湖中に隠れていた沖の白石の全貌が見えてきた。

 湖面から顔を覗かしていた四つの岩山がまるで尖塔のように突き立つ細長い山だ。

 その勾配は水深約100メートルという高さの中でほとんど変わらない。山というより塔に近い形である。

 

 激しく水しぶきをあげてなおも沖の白石は兄川の歌声に誘われるかのように上昇していく。

 ただ、もとより細長い岩山であるから、波は思ったほど大きくはならない。

 この時の為に湖岸をぐるりと囲むように打ち建てられた鋼矢板は、打ち寄せてくる波を軽々と跳ね返している。

 

「さて、そろそろサビに突入するね」

「沖の白石の高度も100メートルにもうすぐ達するポコ!」

「出て来るぜ! 人類の宝って奴が!」


 高鳴がひときわ大きく声を響かせ、ついに沖の白石の全貌が姿を現した。

 と、同時にほぼ直角だった勾配が急激に緩やかになっていき、湖面にどんどん領域テリトリーを広げていく。

 それはまるで沖の白石という糸で、大きな島を吊り上げるような感じであった。

 俄かに波が大きな津波となって、湖岸全域へと押し寄せる。

 鋼矢板にぶつかって衝撃音とともに水しぶきが舞う。それでも力強く押し返した。やがて押し返された波が、今度は沖の白石を中心としたこの巨大な島に戻ってくる。

 

 が、その波で岩山が倒れるということはない。

 何故なら岩山が引き上げた島は、不思議なドーム状の透明なバリアのようなもので守られていたのだから。

 

 しかも、しかもだ。

 島には明らかに人工的な建物があった!!

 

「おいおいおい、マジかよ!」

「ひゅー! さすがはター坊、やるねぇ」

「知事の歌声が湖底に眠っていた遺跡を甦らせたポコ!」

 

 タヌ子が遺跡と呼ぶそれは、一見すると平安時代の寝殿造りに似ている

 が、果たして本当にその時代のものなのだろうか? そもそもその時代に島全体を覆うようなバリアを張るなんて技術があったとは到底考えられない。

 

 しかし、今はそんなことなどお構いなしに、兄川は湖底から浮き上がってきた遺跡を見下ろしながらなおもまだ歌い続ける。

 PVの撮影がまだ継続されていたからだ。

 CGで何でもできてしまうこの時代、スケール感だけで言えば今作を凌駕するPVはいくらでもあるだろう。

 が、CGでもミニチュアを使った特撮でもない、それどころか特別にセットを作ったわけですらなく、本当に起こった出来事をそっくりそのまま使ったPVとして今作はまさに前代未聞の傑作マスターピースとなるはずだ。

 

 そしてなにより琵琶湖の湖底から謎の遺跡を発掘してしまった。

 それだけでも歴史的大発見であるのだが……。

 

 数日後、専門家たちが開いた会見に日本中が驚きに包まれることになる。

 

『先日、琵琶湖の海底から突如浮上した謎の遺跡ですが、調査の結果、邪馬台国のものであることが明らかになりました』

 

 

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