第7話:東を目指せ
瀬戸内海が琵琶湖化され、滋賀県は西日本に大きな支配権を得た。
もはや西で出来ることはない。となれば次に狙うは東は東京……と言うわけではないが、令和4年の大晦日のこの日、兄川とタヌ子は東海道新幹線ひかり12号に乗って東京へと向かっていた。
「いやぁ、まさか年の瀬を東京で過ごすとは思ってもいなかったポコー」
「俺は滋賀県知事である前に、ひとりのロックミュージシャンだからな」
そう、この度、兄川高鳴は第73回紅白合戦の白組メンバーに選出されたのだ!
もっとも年の初めに京都を支配下に置き、夏には瀬戸内海を琵琶湖化することによって西国の多くを滋賀県化に成功するなど、幾多の話題を振りまいてきた兄川である。選出されるのは当たり前であろう。
もっともタヌ子はそれでも兄川がその出演依頼を受けるとは思ってもいなかった。
「でも、本当に下町小僧さんたちの祭りに出なくて良かったポコか?」
実は下町小僧もまたこの年末に、ここ数年開催を見合わせていた『小僧の使いやあらへんで! 絶対に笑ってはいけない尼崎』を開催することになったのだ。
こちらは予め収録撮影したものだが、紅白の裏番組に当たる為、ふたつとも出演は御法度。だからタヌ子はてっきり兄川がそちらへ出演し、紅白は辞退するものだとばかり思っていた。
「先の会見で言っただろう、タヌ子。俺たちはさらに前を目指すと」
もっとも兄川にとってその選択はさほど難しいものではなかったらしい。後悔する様子をまるで見せず、ノータイムで返答してみせた。
先の会見――すなわち紅白合戦出演決定の会見時に、兄川はついでとばかりに政策キャッチコピーの変更を発表した。
これまでの「高鳴が変える、滋賀を変える!(高鳴 メイクス レボリューション)」から「革命は進化へ(高鳴 メイクス レボリューション エボリューション」、略称「TMR-e」を高らかに宣言してみせたのである。
「そうだったポコ。これからは西から東、つまり東京を狙うポコね!」
「ああ、そうだ」
「今の勢いなら楽勝ポコよー!」
なんせ京都を落とし、大阪府知事選でも大活躍し、見事な策略で瀬戸内海を一気に琵琶湖化してしまったのである。
たとえ首都・東京と言えども、その勢いは止められないとタヌ子は信じてやまなかった。
が。
「……タヌ子、今のうちに甘い考えは捨てておくんだ」
「へ?」
「東京はこれまでの相手とは一味も二味も違う。舐めてかかると酷い目にあうぞ」
その時になって初めてタヌ子は、兄川が膝の上で組んだ両手がかすかに震えていることに気が付いた。
それは武者震いか、それとも……。
ごくりと唾を飲み込むタヌ子を乗せて、新幹線は一路東へ向かうのであった。
翌日。令和5年1月1日。
ふたりはまた新幹線に乗っていた。
ただし方向は逆の大阪方面行き。
そしてタヌ子の気分もどこかウキウキしていた昨日とは真逆に、ずっしりと落ち込んでいた。
そもそも東京に着いた瞬間から「あれ?」と戸惑わずにはいられなかった。
今や時の人である兄川高鳴の行動には、常にマスコミたちが目を光らせている。東京駅に着いても大勢のマスコミが待ち構えているだろうと思っていた。
ところがいざ東京駅のプラットホームに降り立つと、どこにも彼らの姿が見られない。
それどころか行き交う人たちもまた誰も兄川に気が付かなかった。
関西ならどんなに変装していても「あ、兄川高鳴や!」「ホンマや、兄川や!」「兄川のにいちゃん、応援しとるでー」「ほれ、アメちゃんあげたるわー」と、すぐに気が付いて人が集まってくるというのに一体どういうことなのか?
「ふ、
そんな馬鹿なと思うものの、言われてみれば思い当たる節がある。
たとえば関西で力を蓄え、観客をドッカンドッカン笑わせる関西のお笑い芸人が、いざ東京進出を果たしても全く売れずに戻ってくることがままある。
中には下町小僧のように天下を取る者もいるにはいるが、それはあくまで少数派。多くは東京では通用せず、撤退を余儀なく続けてきたのだ。
「だからな、こいつらにとって京都が滋賀になろうがなるまいがどうでもいいのだよ」
「なんたる無関心ぶりポコー」
これだけでも十分に衝撃であったのに、その日の夜の紅白合戦で更なるショックがタヌ子を襲う。
「それではお呼びいたしましょう。滋賀県知事、兄川高鳴さんでーす!」
名前を呼ばれて颯爽とステージの中央へ歩み寄る兄川。
待ち受けるは紅白合戦司会の
その人気の勢いたるや、かの下町小僧すらも脅威に感じるほど。並みの芸能人ではその輝きの前に存在すらかき消されてしまうだろう。
が、兄川は違う。
これまた人気絶大なロックミュージシャンであると同時に、約140万人の滋賀県民を導く県知事である兄川ならば、たとえ巨泉であろうと対等に渡り合えるとタヌ子は思っていた。
「どうもー」
「いやぁ、兄川君! 今年は大活躍だったねぇ、きみぃ」
しかし、それも
「どうも、これも全て皆さんのおか」
「ぼかぁねぇ、兄川君のような人が出てくるのを、ずーっと、すぅぅぅぅっと待っていたんだよー」
「あ、ありがとうご」
「有名人になっても地元のために頑張る! いやぁ、やっぱり芸能人たるもの、そうでなくてはならないとぼかぁ思うねぇ」
「ですよね、巨泉さんも北海道で」
「あ、そうこうしているうちに準備が整ったようです。さぁ、兄川君、思う存分、今宵は
なんということか、兄川がまともに話をさせてもらない!
あの下町小僧とも互角にやりあう兄川なのに、まったくイニシアチブを取らせないとは。さすがは巨泉陽、今一番ノっているチリチリ野郎は伊達じゃなかった。
行きの新幹線の中では「東京なにするものぞ」と意気込んでいただけに、タヌ子のショックは大きい。
東京駅を出てから何度も溜息をついては、駅弁に箸を伸ばすこともなく、ただぼんやりと外の景色を眺めるばかりだ。
ただ、その一方で兄川はと言えば。
「タヌ子、食欲がないなら俺が食っていいか?」
問いかけておきながら、兄川はタヌ子の返事を待つことなく駅弁を横取りするとパクパク食べ始めた。
既に自分の分は食べておきながら呆れた食欲だ。
いや、呆れるのは食欲だけではなかった。
ロックミュージシャン兼滋賀県知事なのに都民からは無視され、巨泉陽にも軽くあしらわれてしまうという屈辱を受けたのに、当の兄川自身はまるで気にした様子が見えない。
凄まじい精神力ポコとタヌ子はその顔を見ながら舌を巻いた。
「……タヌ子、落ち込んでいる暇なんてないぞ」
「え?」
「東京での滋賀の認知度なんてのは所詮こんなもの。例えば滋賀で何かアクションを起こして、テレビの全国ニュースに取り上げられたとしよう。が、東京人はそのニュースを聞いて滋賀県だと認識できない。『滋賀』を『千葉』に聞き間違えるんだ」
「そんな……」
「だからこれからは東京での滋賀の認知度をあげなくてはならない」
「でも一体どうやればあがるポコか?」
百貨店で滋賀の名産展でも開いてもらうか?
それとも信楽焼のたぬきの置物を原宿で売るのか?
どちらも大した効果があるようには思えなかった。
となるとやはり実力行使しかないのだが、京都や大阪と違って東京は遠い。あまりにも遠すぎる!
「ふっ、アンテナショップだ、タヌ子」
「アンテナショップ? でも既に滋賀県のアンテナショップなら日本橋の『ここ滋賀』があるポコよ?」
「うむ。だからもっと巨大な、言うならば滋賀のアンテナテーマパークを作るぞ!」
力強く、そしてなんとも規模の大きい大胆な宣言にタヌ子は目を見開いて兄川を見た。
冗談でも、強がりでもなく、何が何でもやり遂げてみせるという本気の炎が、兄川の瞳の中で燃え上がっている。
本気だ、本気でこの人は成し遂げようとしている!
そう考えるとさっきまで負けタヌキのような目をしていたタヌ子の瞳にも、兄川の炎が燃え移るのを感じた。
「滋賀県のアンテナテーマパーク、いいアイデアポコね!」
「ああ。『遊園地で遊んで、ひと風呂浴びて、宿泊、宴会、飲んで食って大人も子供も楽しさいっぱい!』、そんな滋賀県の良さを詰め込んだテーマパークを東京に作るのだ!」
そのフレーズはかつて滋賀県大津市堅田にあった遊園地・びわ湖タワー(京都タワーを改名しようという浮かれ話の時に出てきたアレだ)のCMで使われていた名文句である。
これを知っている四十代以上の滋賀県民たちはこぞって感涙し、少年時代の懐かしい想い出に浸って心が熱くなるという。
もっとも若いタヌ子はこのCMを見たことがない。フレーズも知らない。故に感動することなんて本来ならありえない。
にもかかわらず、タヌ子は感動した。完全に心に火が付いた。
「やるポコ! そのアンテナテーマパークを絶対に作るポコよ!」
「うむ! だがひとつだけ問題がある」
「何ポコか?」
「アンテナテーマパークである以上、売店には滋賀の名産品を並べる必要がある。毎日数万人もの人が訪れるのだから、それなりの量を常に送り続けなくてはならない」
「なるほど! 生産数をあげなきゃいけないポコね!」
「それはさほど危惧していない。真面目で辛抱強い滋賀県民ならば、必ずや目標の数字を達成できるだろうと確信している。それよりも問題は運送ルートだ」
「滋賀県からだと陸路を使えば岐阜や三重、それから愛知や静岡を通るルートになるポコね」
「ああ。そこまではいい。岐阜や三重は何もしてこないであろうし、愛知とは同じ『たわけ』を使う民として仲は良好だ。静岡も数年前に
「確か静岡は長期政権を誇ったコロスケ知事から、9名の女性によって構成されたアクア知事に変わったポコね」
「問題はその先だ」
静岡を通り越せば東京まであと少し。
だが、東京の前に立ち塞がるのは関東六県の中でも最高位に位置する・神奈川県。かつては人の行き来を厳しく管理していた箱根の関所を有している県である。
「でも今は関所なんてないポコよ?」
「一般的には、な。だが、俺たちに敵対するであろう地区があそこにはある」
「……ああっ!」
しばらく考えていたタヌ子だったが、思いついてつい大きな声を上げてしまった。
幸いにも元旦の新幹線とあって乗客は少ない。近くの席に座っていた数名がちらりと見てくるだけでお咎めは無い。
それでもタヌ子は極力声を小さくすると、青ざめた表情で兄川へ頭を振った。
「や、やっぱり陸路は無理ポコよ。空輸か輸送船を使うか、あるいは北のルートに迂回するしかないポコ」
「ダメだ。無駄なコストはかけられん」
「でもこのルートを使うにはあそことの衝突は避けられないポコ」
箱根は越えられる。
だが、その先に待ち受けるは、巨泉陽が支配する街・鎌倉!
先の紅白合戦でも決してイニシアチブを兄川へ渡さなかった巨泉である。
その敵対心は恐らく自らも故郷である北海道の東京進出を目指すが故であろう。
となればむざむざ滋賀を通してくれるとは思えなかった。
しかも巨泉の本拠地は北海道であるがために鎌倉にはほとんどいないとはいえ、その代わりに
「……だが、それでもやらねばならぬ」
その面々を頭の中に思い描いて震えるタヌ子の横で、しかし兄川の瞳はいまだ轟々と燃え盛るのであった。
《作者より》
ここまでお読みいただいてありがとうございます。
ここから数話『鎌倉殿の十三人』ネタが続きます。もちろん『鎌倉殿の十三人』を知らなくても楽しめるようにはしておりますが、興味ねぇなって方は第11話にお飛びください(公開予定は7月12日となっております)
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