Dead Man's Switch

天川降雪

プロローグ

 オーリア王国の北東にある小村の近くに、ひとりの魔術師が住み着いた。そうやってどこからか魔術師が流れてくるのは、めずらしいことではなかった。実際、そのノームが住み着いた庵には、前にもおなじような魔術師が居を構えていたのだ。

 誰にも召し抱えられず在野で活動する魔術師のことを、一般に地域魔術師と呼ぶ。地域魔術師は近隣の住民にとって害悪ではない。それが国家転覆を企む妖術師や、頭のいかれた死霊術師でない限りは。

 まもなくノームの魔術師は村人のために薬を処方したり、まじないの依頼を引き受けるようになった。相互の信頼関係が築かれると、村人は共同体の一員として魔術師を受け入れた。

 なんの問題もなかった。ただひとつ、そのノームがひどく人づきあいを疎んじる点を除けば。彼は極度に他人を警戒していた。たまに顔を合わせれば、村に見ず知らずの者がこなかったか訊ねたりして、常になにかに怯えているようにも見えた。が、人間から見ればすべてのノームは変わり者だ。そもそも種族として異なる点が多い。

 たとえば亜人種のノームは独自の神話を持っている。それには大陸で広く崇拝されているミロワ、ユエニ、クーデルといったデルトイド三柱神の名はなく、ノームは自分たちが別の宇宙からきた末裔で、エーテルの海に包まれた巨大な泡のなかに住んでいると信じていた。手先が器用なノームは科学と称される学問を編み出し、機械仕掛けの製作でも有名だ。しかし科学と対極にある魔術を使うところからして、村に現れた魔術師はノームのなかでもさらに異端だったのかもしれない。

 村人たちのうちで魔術師と最も親しかったのはエルネストという農夫だった。村の外れで農業を営む彼は、何日かごとに魔術師の庵を訪れ、作物を分けたり日用品を届けたりしていた。そのせいでエルネストは、ほかの村人よりいくらか魔術師のことを知っていた。

 したがってノームの魔術師の庵が火事で焼けてしまい、彼が亡くなったのを村でいちばん悼んだのはエルネストだったろう。

 村人たちによる慎ましい葬儀が終わると、エルネストはすぐに村を離れてラクスフェルドへ向かった。エルネストはノームの魔術師が死ぬ前、彼よりある品を託されていたのだ。それは一封の封筒だった。中身がなにかは知らない。手紙か、もしくはなんらかの証書か。いずれにせよ重要なものにちがいない。エルネストは興味本位から封筒を開封しようとしたが、それには魔術が施されており、どうやっても内を確認することはかなわなかった。こういった術は呪文をかけた者より高位の魔術師でないと、解くことができないのだ。


 自分になにかあれば、ラクスフェルドにいる王宮魔術師のゴールデントゥイッグに封筒を届けてほしい──


 ノームの魔術師は生前、そう言ってエルネストにいくらかのカネを握らせた。さらに約束を果たせば、ゴールデントゥイッグから報労が支払われる手はずだとも言っていた。

 エルネストは魔術師の言葉を信じた。村の南西に位置するラクスフェルドまでゆくとなれば、小旅行となるほどの距離だった。オーリアでは三年前に大きな政変が起こり、いまやあの街が新王国の首都である。

 しばらくのあいだとはいえ畑の仕事を放り出すことになるので、エルネストの妻は難色を示した。けれども、これは死んだノームとの約束だからとエルネストは出立を敢行した。彼は生まれてから、いちども村の外へ出たことがない。よって正直なところ、ラクスフェルドの街を自分の目で見てみたいという好奇心もあったのだ。

 村からラクスフェルドまでは、乗合の馬車を使って片道四日の道程となる。エルネスト家にとっては少なくない出費だった。見合うだけの報労がいただければよいが。最初は不安もあった。それでもなかば物見遊山の馬車の旅に、エルネストの心は徐々にほぐれていった。

 出発してから四日目の昼過ぎ、ラクスフェルドへ到着した。ラクスフェルドはオーリアの神聖王国時代にあった街とは別に、新しい区画が定められてそちらが新市街となっていた。大きな街だった。街全体を市壁が囲う城郭都市だ。とはいえ市壁はほとんどが完成しておらず、街にもまだ建物がそれほど多くない。

 さて、まずどこへゆけばよいのか。お上りさんのエルネストは、さっそく村とは比較にならない大きな街で途方に暮れた。そして考えたあげく、市街へ入る門のところにいた衛兵に事情を話すと、保安隊本部の場所を教えられた。保安隊はラクスフェルドの治安を守る組織で、市民の苦情なども受けつけているらしい。門衛に言われたとおり、エルネストはそこに足を運んで、保安隊の人間にノームの魔術師の件を洗いざらい話した。

 あまり仕事に熱心でなさそうな保安隊の職員は、その封筒を預かるから明日またここへこいと言った。

 拍子抜けだった。まさかマントバーン国王が直々に出迎えて褒賞を与えられるとは思っていなかったものの、遠路はるばるやってきたこちらの誠意を袖にされた気分だった。

 とはいえ役人がそう言うのならば仕方がない。エルネストは気を取り直し、その日はラクスフェルドの街を見て回った。街は建設途中なため、どこもかしこも人夫や奴隷ばかりだ。おかげできちんとした商店は見あたらなかったが、それでも露店で品を売っている商魂たくましい者たちがいた。エルネストは妻への土産として地味だがきれいなスカーフを一枚買った。それから安宿を見つけて、今夜はそこで泊まることにした。

 宿は一階が飲食もできる酒場で、二階に宿泊する客用の部屋があるという標準的な宿酒場だ。

 エルネストが酒場で夕食を摂っているときだった。そこへ数人の保安隊が現れた。リーダーらしき男が宿の主人となにやら短く会話した。つづいて腰に剣を吊り下げたものものしい保安隊員たちが、エルネストのテーブルまでやってきた。


「おまえがエルネストか?」


 保安隊のひとりがエルネストを居丈高に見下ろし、そう訊ねる。


「はい。そうですが……」

「いっしょにきてもらおう。昼間、おまえが持参してきた封筒について話がある」


 エルネストはぽかんとするばかりである。保安隊は、そんな彼を引っ立てるようにして酒場から連れ去った。

 昼に訪れた保安隊の本部へ着くと、エルネストはとある一室へ案内された。執務室のような、なんの変哲もない部屋。大きなテーブルと椅子があり、そこでは洒落たウエストコートを着た男がエルネストを待っていた。口髭を生やす彼は、魔術院からきたゴールデントゥイッグの代理人だと名乗った。


「急に呼び立ててすまなかった。保安隊の連中が無礼を働いてなければよいのだが」


 椅子を勧められたエルネストが長椅子に腰掛けると、男は柔和に話を切り出した。まずは遠くからやってきたエルネストの足労をねぎらい、それから例の封筒は、たしかにゴールデントゥイッグの手に渡ったと告げた。


「それで、あの封筒の中身のことだが、きみも見たのかね?」

「いいえ、とんでもありません」


 高貴な役人の前でかしこまるエルネストは、ぶるぶると首を横に振って事実だけを述べた。


「そうか。ならばよい。なに、たいしたことはない。封筒のなかには、ゴールデントゥイッグ殿へ宛てた手紙が入っていたのだ。どうやらおふたりは旧知でな。あの魔術師が亡くなったあと、彼の財産をどう扱うかが書かれてあったそうだ」


 なんだ、そうだったのか。知ってみれば、どうということのない顛末である。エルネストは素直に納得した。


「しかし他人のためにここまで手間を惜しまぬとは、殊勝というほかない。これは褒美だ。受け取るがよい」


 言って、魔術院の男が差し出したのは小さな革の巾着だった。

 コイン袋だ。最初、エルネストはその大きさにがっかりしたものの、手に持ってみるとずっしり重い。口の紐を解き、なかを確かめると、そこには想像した以上のオーリア金貨がぎっしり詰まっていた。ざっと見て二〇万オリオンは軽くある。

 意気揚々と安宿へ帰ったエルネストは、自分の善意が報われたことをユエニ神に感謝した。

 翌日の朝、エルネストはすぐに帰途へ着いた。ラクスフェルドはまだ街の様子が整っていないし、人の多い場所は彼の肌に合わなかったのだ。だが、ここには労働者としての仕事がたくさんあるようだ。冬場、出稼ぎにくるのもいいかもしれない。村のみんなに教えてやろうとエルネストは思った。

 村を離れてたった数日。それでもエルネストはもう家族が恋しくなっていた。そして停留所で馬車を待つあいだ、エルネストはふと末の娘のことを思い出した。あいつにもなにか買っていってやろう。姉のおさがりばかりだった彼女は、靴がだめになっていつも裸足だった。そうだ、サンダルがいい。

 しかしラクスフェルドでは品物がどれもおどろくほど高値だった。ほとんどのものが村にくる行商の倍近くする。そういえば、ラクスフェルドに着くひとつまえの宿場にも商店があった。あそこまで歩いて買い物をして、馬車はそこから乗ることにしよう。

 エルネストはラクスフェルドをあとにすると、整備された街道を歩いて東へ進んだ。

 春先の陽気が心地よい。広大な開墾地を横切ると、やがて深い木立が見えてきて、行く手は川沿いのゆるい登りとなる。

 薄暗い木立のなかを歩むエルネストは、背後に馬の足音を聞いた。振り返った彼の横を、馬がすれすれに追い抜いていった。

 危ないな、なにをあわてているんだ。外套を着た馬の乗り手の背に向けて、エルネストは顔をしかめた。その直後、また馬の蹄が地を蹴る音が聞こえた。エルネストは身の危険を感じて道の端に寄った。右手はアレチウリが繁茂する斜面で、その下に川が流れていた。

 足下に気を取られたエルネストは、後ろからくる馬の乗り手が手斧を持っているのを見なかった。鋭く研がれた手斧の刃が、木漏れ日を反射してきらりと輝いた。それはエルネストの首の後ろから差し入り、彼の頸椎を容易く切断した。途端、エルネストの身体がびくんと硬直し、そのあと彼は棒きれのようにばたりと地に倒れた。

 もの言わぬ死体となったエルネストが、ずるずると斜面を滑落してゆく。しかしアレチウリの固いツルが絡まって川へ落ちるには至らなかった。

 さきほどの二頭の馬が戻ってきた。片方の乗り手が馬を降りて斜面へと向かった。道に残ったほうは周囲を見張っている。斜面をくだった男はエルネストが事切れたのを確認してから、彼の携えていた雑嚢をあさった。すぐに金貨の入っているコイン袋を見つけて、それを取り出す。

 二頭の馬は西へ、ラクスフェルドの方角に走り去っていった。

 急にあたりが静かになる。川のせせらぎと、木々の葉擦れ。人影の消えた街道では、それしか聞こえなかった。

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