光は起こったときと

 光は起こったときと同じく突然に消えた。

 ふたたび夜闇に包まれた広場の群衆は、ほとんどが戸惑っていた。そこへ間髪を容れずに、クロエは精一杯の声を張りあげて叫んだ。


「全員、鎮まれ!」


 鞭を打ち鳴らすような一喝。誰もが動きを止める。さきほどの閃光はクロエの仕業だった。放り投げた石ころへ、光を生み出す〝永続光〟の呪文を込めた、ただの目くらましである。彼女はそうして皆の注目が自分に注目が集まったのを確認すると、右腕をまっすぐにのばした。その指先は、ぴたりとランガーを指し示している。


「聞け! そこにいる男は、もはやイシュラーバード総督ではない。ただいまを以て、皇帝陛下直属、黯の騎士たるわたしの特権により彼を解任する。容疑は背信罪。ランガーは私利私欲にくらみ、わが帝国に対し背反したのだ。造反者を捕らえよ、いますぐに!」


 それを聞いて警備隊の面々は一様に顔を見合わせた。


「く、黯の騎士……」

「うちの隊長があ?」


 警備隊員のあいだに動揺が広がる。ランガーの私曲はなかば公然であったので、驚くにはあたらない。だがクロエの身許はごく一部の者を除いて伏せられていたゆえ、部下の彼らにしてみれば寝耳に水だ。黯の騎士はマグナスレーベン帝国において恐怖の象徴である。決して実態を現さぬ暗殺者、圧政を敷く絶対権力の懐刀──そんな者が、ごく身近にいたとは。


「世迷い言を。誰か、そいつを黙らせろ!」


 ランガーが大声で命じる。が、誰も動こうとはしなかった。


「ええい、この愚図どもが、はやくせんか!」


 狼狽し、周囲へがなり立てるランガー。空しく怒声だけが響く。

 そのうち警備隊のひとりが動いた。しかし彼はクロエのそばまでくると、ランガーへ向けて武器を構えた。それが呼び水となり、続々とクロエの元へ警備隊が集まりだす。

 武装する警備隊は、ひとり残らずクロエに従う意思を示した。あとはどちらつかずの獄吏と、ランガーの息がかかった文官の数名がまごついている。やがて、それらもじきにのろのろとランガーから遠ざかっていった。彼は見捨てられた。


「人望のなさが響いたようね。おとなしく投降なさい。そうすれば命までは取らないわ」


 ほくそ笑むクロエ。彼女の根回しは念入りに行われていた。警備隊の大半は事前に骨抜きにしてあったのだ。女の武器を使って。警備隊の隊長は色情狂、毎晩ちがった男と寝るという噂の真相がこれだ。


「いいだろう……だが、まだ終わりではないぞ。貴様らは所詮、烏合の衆よ。ここにいる連中すべてを始末すればすむ話だ」


 ランガーは腹を据えたようだ。無理もなかったろう。彼がこのまま本国へ連行され、帝国最高会議によって裁かれれば、悪名高き北限の収容所で死ぬより悲惨な責苦を負うことは明らかだった。

 クロエはなにも言わず目を細めた。高位な魔術師を相手とするならば人数での優位はさほど意味がない。向こうはこの一帯を瞬時に焼け野原とする呪文が使える。それとやり合うのなら、相応の損害を被る覚悟が必要である。

 急転直下の事態に、いつしかドワーフたちも固唾をのんで状況を見守っていた。そのなかにいたノアがクロエに歩み寄り、彼女をそっと横に押しのけた。


「おれがやる。あいつには貸しがある」

「ノア……」


 クロエの不安げな声を背に受け、ノアはランガーのもとへと向かった。

 なにも語らぬ夜空の星々が、静まりかえった強制収容所の広場を見おろしていた。ノアはやや距離を置いてランガーと対峙した。


「おまえか。まずはひとり、見せしめとしてやろう」


 単身で出てきたのがノアだと知り、ランガーは片頬を吊り上げて喜色を露わにした。


「なぜ、ひとりで出てきた?」

「おれだけで十分だろう」

「うぬぼれも、そこまでゆくと潔いな。だが愚かだ」

「どうして?」

「勝てると思うのか」

「あんたはどうだ」

「負ける気はせん」

「それだ」

「なに?」

「あんたの、その余裕が気に入らない。面相も、声も、態度も、全部だ。いまから、その鼻っ柱をへし折ってやる」

「ばかが。気に入らんのは、お互い様だ」


 憤ったランガーが呪文を唱えた。

 ずずんと、地鳴りのような音がふたりの周囲で響いた。なにごとかと身構えるノア。すると彼とランガーの周囲で、いきなり地面が隆起した。地中から分厚い石の壁が現れる。厚さがおよそ一五センチ、高さは三メートルほどもある。そして石の壁はふたりを取り囲み、八角形をした即席の闘技場が形作られた。


「誰も手出しは無用。ここから生きて出られるのは、どちらか一方だけだ」


 とランガー。

 凝った演出をしてくれる。だが、そんな酔狂に付き合う気はなかった。ノアは相手の言葉が終わらぬうちに先手を打った。

 魔術師を仕留めるのなら、機先を制するのが定石である。疾駆して一気に距離を詰めたノアが、ブリスカヴィカを繰り出す。ランガーはほぼ不意打ちのそれを魔術仗で受け流した。渾身の刺突をいなされ、勢いのあまったノアがよろめく。すると彼の頭を砕かんと、今度はランガーが杖で突いてきた。ノアは咄嗟に跳び退り、危うく逃れる。


「どうした、わたしを侮ったか?」


 不敵な笑みを浮かべるランガー。ノアは彼の膂力と反応速度が尋常ではないとすぐに気づいた。肉体能力を増加させる強化呪文を使っているのだ。

 魔術師であるランガーとの対決が、予想外の肉弾戦とは。しかし、それならそれで勝ち目はあるとノアは踏んだ。武術の優劣では自分に利があるはずだ。天性と修練の積み重ねによる命のやりとりは、付け焼き刃が通用するほど甘くない。とはいえ、ランガーもそこは承知なはずだろう。よほど剣士を相手に渡り合う自信があるのか。

 ふたりは二合、三合と斬り結んだ。実力は五分と思えた。魔術仗を自在に操るランガーは果敢にノアへ攻撃を仕掛けてきている。それには理由がある。魔術での強化状態を維持するためには、精神集中を切らすことができない。どんなに高位な魔術師でも精神力には限界がある。短時間でけりをつけねばならないのだ。つまりノアが粘れば、いずれ勝機が生まれる。だからといって受け手に回るのは悪手だ。ランガーに主導権を渡してはならない。ほんのわずかでも彼に攻撃呪文を使わせる隙を与えれば、まちがいなくやられる。

 一進一退の攻防がつづいた。その最中、ノアの上段から振りおろしてきたブリスカヴィカを受け止めたランガーが、顔を歪ませた。疲れが見えはじめている。ノアはたたみかけた。フェイントを織りまぜたすばやい連撃。そしてドワーフ製の段平を、意表を衝く角度から横に薙いだ。魔術仗で受けるのを嫌ったランガーは身を引いたものの、彼は壁際に追い込まれてしまう。黒いローブの腹のあたりが、真一文字に切り裂かれる。

 ブリスカヴィカの切っ先が、ほんの少し、血で濡れた。

 歯がみしたランガーの顔に驚きと苛立ちの色が表れる。


「くそっ、棒で殴り合うのはもう飽きたわ!」


 いよいよくるか──


 ノアはランガーの一挙一動を見澄ました。

 触媒、印契、詠唱──これが魔術を発動させる基本的な流れだ。強力な呪文ほど複雑な手順が必要となる。勝負を懸けるのはそのときしかない。

 が、つぎの瞬間ランガーの姿が忽然と消えた。詠唱のみで発動する〝瞬間移動〟で、ごく短距離を移動したのだ。背後に気配を感じたノアが振り返る。すると石の壁が囲う闘技場の反対側にランガーの姿があった。すでに詠唱をはじめている。おそらく必殺の攻撃呪文を放つ気だ。

 ノアは相手のもとへ全力で駈けた。もはや、ランガーの詠唱とノアの脚力との競争となる。

 ブリスカヴィカの剣先が届けばいい。鋼鉄の刃が急所にちょっとでも食い込めば、奴を殺せる。全力で駈けるノアは捨て身である。最後に大きく跳躍し、彼はブリスカヴィカを背負うように振りかぶった。


 しかし──


 わずかに遅かった。ランガーの呪文は完成した。


「死ねえ!」


 空気を引き裂き、ばりばりという炸裂音があたりに響いた。ランガーの突き出した右手から、彼の目前へと迫るノアへ向けて放たれたのは、雷撃。膨大なエネルギーが荒れ狂い、稲妻となってノアに襲いかかった。そのまばゆい雷光に触れれば一瞬で全身が焼け焦げ、絶命するのはまちがいない。

 稲妻の閃光で視力が奪われたのにも構わず、ノアは力一杯に剣を振りおろした。すると、信じられないことが起こった。稲妻の奔流がふたつに断たれたのだ。ブリスカヴィカを鍛えたドワーフの鍛冶師ウルタンが言った通りに。

 マッチムト鉱山を有する火山の噴火口には、ファウンテンヘッドがある。それは魔術の源となる高濃度のエーテルを常に吐き出す大孔だ。ファウンテンヘッドの近傍に眠る鉱石は、はるか昔からエーテルにさらされつづけ、特殊な性質を持つに至った。鉱石内に浸透したエーテルは基底状態で保持される。そしてそれは、励起したエーテルに対し反作用を起こすのである。

 魔術を斬る。いままさにその奇蹟を体現したのは、ファウンテンヘッド近くで採取された鉱石より生まれた一振の刀剣。

 のちに遍歴の騎士ノア・デイモンが携えたとして名を馳せる、魔剣・ブリスカヴィカ。

 左右に断たれた稲妻の合間で、ノアがブリスカヴィカを振りおろす。ランガーは脳天から鼻梁、顎、そして水月までを一直線に切り裂かれた。鮮血が噴き出る。それから一歩、二歩とあとずさり、帝国の魔術師は、朽ち木が倒れるようにゆっくりと地面に仰向けとなった。


「いい様だ……」


 顔中に浴びた返り血を拭い、ノアが言い放った。

 ほぼ同時に、闘技場の石壁が音を立てて崩れた。外から無理矢理に破壊されたのだった。一箇所に大きな穴が開き、槌やハンマーを手にしたドワーフの元囚人たちが、おそるおそるといった様子で内を覗き込んでいる。その穴から真っ先に飛び込んできたのはクロエだった。


「ノア!」


 佇むノアに駆け寄ったクロエは、倒れているランガーを見て息をのんだ。


「やったのね」

「この剣のおかげだ」


 手にぶらさげていたブリスカヴィカを掲げ、ノアが言う。魔術の心得があるクロエには、その剣から漂うエーテルの気配から、普通のものではないとわかった。にしても、あのランガーを打ち破るとは。ノアの無鉄砲は承知だったが、彼はいま手にしている剣の特性を知っていたのだろうか。

 たぶん、知るまい。ノアが理智を基に行動するとは思えなかった。自分本位で、気難しく、前に進むことしか考えない男。だがそれゆえ、運命の神クーデルに愛されているのかもしれない。クロエはそんなノアの横顔を見つめつつ、なかばあきれて相好を崩した。


「ランガーは帝国の魔術師団でも指折りの練達よ。それを、よくもまあ……」

「こいつは裏切り者だったのか」


 とノア。


「ええ」

「じゃあ、おまえたちの皇帝から褒美がもらえるな」

「本気で言ってるの?」


 クロエはノアの真意を測りかねた。が、彼は真面目に言っているのだろう。クロエはさもおかしそうに笑いながら、


「無理よ」

「なんだ、ケチだな」

「どうしてもというのなら、わたしが個人的に謝意を表してあげるけど」


 と、からかうようにクロエ。

 ランガーの周りに人だかりができている。警備隊の連中やドワーフたちが、かつて強制収容所で君臨していた魔術師を取り囲み、しげしげと眺めていた。いずれも、口々にランガーへの不満や恨み節を捲し立てている。

 もはや敵味方の区別も薄らいでいた。そんななか、最初に異変に気づいたのはクリスピンだった。

 足下が揺れている。まもなくそれは地響きをともなう大きな揺れとなった。火山の近いここでは地面が揺れるのはめずらしくなかった。火山活動が激しくなると、よく小さな地震があったのだ。だから誰もがすぐに収まると、たかをくくっていた。


「おい、これは……」


 しかし、クリスピンには気がかりがあった。この強制収容所のどこかには、あれが眠っているはずではなかったか。

 クリスピンの悪い予感は的中した。官舎の向こう、強制収容所の北西。そのあたりで突然すさまじい轟音が鳴り、地中からなにかが出現した。皆がいっせいにそちらへと目をやった。そして、声をなくした。

 巨大な人の手。太い指をめいっぱいに広げて、とんでもない大きさの前腕が夜空へ向かって突き出されていた。まるで、中天に浮かぶ月を摑まんとでもするように。

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