仰いだ星空の一部分が、

 仰いだ星空の一部分が、そこだけ切り取られたように黒い。真っ黒だ。見えるはずの星々を、巨大な手が覆い隠しているのだ。宙に浮いたその前腕へは、各々に飛び交う小さな石の塊たちが追従していた。小さいといっても、それぞれがひと抱えを越えるほどの大きさだった。ノアとウルタンたちが石切場で切り出していた立方体の石塊である。やがてそれらは集結し、浮遊する腕の肘や、二の腕の部分を形成しはじめた。

 ひときわ大きな鳴動が聞こえた。ばかでかい腕が出てきた同じ地点から、今度はより巨大なものが姿を現した。のっぺりした石組の構築物が、いきなり地面を突き破って出てきたのである。一見するとすぐ近くにある収容所の主棟と似ていた。しかしそれは建物ではなかった。そもそも建物が地面より生えてくるなどありえない。窓もなく、まるで墓碑のようだ。四角張った石の構築物は一〇メートル以上もの高さがあり、かぶった土砂を滝のように地上へ降り注ぎながら、空中へと浮揚した。その左側から、最初に出現した腕とまるで同じものが出てきた。そして二本の腕が両側に接続されると、それはまさしく人の形を模した巨像の上半身であろうことがわかった。

 巨像の上半身はゆっくりと上昇をつづけた。すると、つぎにその下より二本の石柱が浮かびあがってくる。台座に乗った石柱が地に降り立つ。重いものどうしがぶつかる衝撃音が鳴り、先の上半身を支える恰好となった。それから無数の小さな石塊が、どれも意思を持つかに全体のへこみや構造的に足りない部分を補い、隙間を埋めた。最後に頭となる部位が形作られ、そうして、ついに巨人の全身像がその完全な威容を顕現させた。


聖なる復讐者ハイリガーレイヒャー……」


 立ちすくんだクロエの唇から、かすれた声が漏れた。


「どうして起動したの?」


 クロエの隣にいたノアは言葉もない。さすがに度肝を抜かれた。巨人像は高さが二〇メートル近くあったろう。最後に出てきた二本の石柱──巨人像の脚部となったあれら──には見覚えがあった。ノアが強制収容所に潜入を試みたとき、地下の作業場で見たものに相違ない。思い出してみれば、ローゼンヴァッフェはあの石柱のことを〝脚〟だと言っていた。とすれば、あそこにあった石材やエーテル炉は、すべてこの巨人像の部品だったことになる。


「おい、おまえがやったのか!?」


 ふいに怒声が聞こえた。見ると、クリスピンが地面に倒れたランガーへ覆いかぶさり、その胸ぐらを摑んで揺さぶっている。が、すでに死体の相手からは当然、返事がない。


「もう死んでる」


 クリスピンの背に手をかけ、諫めるようにノアが言う。

 ハイリガーレイヒャーが動いた。巨大な足が一歩一歩を踏みしめ、ごりごりと石がこすれあう音を立てながら、移動をはじめた。

 その場にいた者たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。ハイリガーレイヒャーの脛が進路の先にあった官舎とぶつかった。するとそれは積み木が崩れるかに、いとも簡単に瓦礫と化した。

 ここに留まっていては危険だ。ノアたちも広場のほうへ退避した。警備隊とドワーフの一団が、いっしょになって正門から外に脱するのが見えた。もう敵も味方もあったものではない。

 ハイリガーレイヒャーには足下であわてふためく者らなどを、まるで気にする様子もなかった。ゆっくりと、まっすぐに南西の方角へと足を向けている。


「リアムおまえ、なにか知っているのか」


 ノアが自分の横にいるクリスピンに訊いた。さきほどの様子といい、彼は確実にあれがなにか知っている。

 クリスピンは顎を引いて歯がみしつつ、巨大な石の像が強制収容所の敷地から悠々と出てゆくのを見つめている。少しのあと、彼は重い口を開いた。


「あのゴーレム──あれは、自動報復装置デッドマンズスイッチだ。マグナスレーベン帝国が、なんらかの理由で機能しなくなった場合のな。皇帝の命が起動の鍵となっていたはずだ。しかし実験段階のいまは、ランガーという魔術師がそうなっていたのかもしれん」

「イシュラーバードへ向かってる」


 とノア。


「いや、オーリアだ」

「なんのために」

「知れたこと。あれは敵国に対する動く要塞なんだ。いまマグナスレーベンが最も関心を寄せている国はどこだ?」

「新興国であるオーリアか」

「そうだ。もともとその牽制ために、ここへ配備されたのだからな」

「もしあれがオーリアにたどり着いたら、どうなる」

「そいつは考えたくないな……」


 ハイリガーレイヒャーは行く手にあるものを滅ぼしつつ、最終的に定められた地点へ到達すれば、エーテル炉を暴走させて自爆する。結果、一気に解放されるエーテルの圧力によって広範囲が吹き飛ぶだろう。さらに飛び散った濃化エーテルは土地を汚染する。エーテルの魔術的な作用によって自然法則をねじ曲げられ、何十年か何百年か、オーリアは人が住めない魔境となるのだ。クリスピンはその予測を傍白して、口に出すことをしなかった。あまりにも絶望的であったゆえ。

 突然、ノアが駆け出した。


「ノア、どこへゆく!?」

「あいつを止める」

「おい待て」


 追いすがったクリスピンがノアに組みつき、引き留める。


「あんなデカブツを、いったいどうやって」

「なにか手があるのか? あるのなら、はやく言え」

「わたしが把握しているのは、あのゴーレムの概要までだ。それよりも──」


 クリスピンはそこで言葉を切ると、自分たちから少し離れたところにいるクロエを見やった。


「彼女に訊いてみたらどうだ」


 あきらかに批難の意志が込められているクリスピンの視線を、クロエは平然と受け止めた。彼女は灰色の瞳を微塵も揺るがすことなく、ふたりのほうへと近づいた。


「ハイリガーレイヒャーについては、そのような計画が存在するとしか聞いてない。帝国でも最高機密なのよ」

「うそだ。きみはあれの設計者に関する任務を負っていたはずだ。ナーゲルという名の暗殺者が、オーリア国内でヘイル・アインロールを亡き者にしたとは調べがついている。ナーゲル──きみのことだろう、知らぬはずはない」


 とクリスピン。


「誰からそんなことを?」

「本人から聞いたのさ。彼の死霊をこの世に呼び出してな。だがアインロールは自分の身に危険がおよんだ場合に備えて、保険をかけていた。すでにあのゴーレムの情報はオーリアへ流れたぞ」


 クロエは、生前のアインロールがネリー・ゴールデントゥイッグに残した手紙の存在を知らない。ノアがなぜイシュラーバードへやってきたのかを不審に思っていた彼女だったが、なるほどそのような経緯があったのかと、ここで納得した。

 失態だ。ハイリガーレイヒャーに深く関わっていたアインロール。逃亡者となった彼を始末し、住居の小屋ごと燃やして任務は完遂したつもりだった。が、そうなる前に手を打っていたとは。


 死者があの世で生者を笑う──


 眉宇に苛立ちを滲ませるクロエ。しかし彼女はすぐに肩をそびやかすと、鼻でせせら笑った。


「してやられたってわけ? 迂闊だったわ」

「オーリアに住む無辜の人々が傷つくのは、きみの本意ではあるまい。教えてくれ、どうすればあれを止められる」


 クリスピンへ答える前に、クロエは少し間を置いた。


「……エーテル炉よ。ハイリガーレイヒャー自体を破壊するのは不可能に近い。だから動力源のエーテル炉を停止させるしか方法はないわね」

「どうやる?」


 とノア。


「燃料となるゲルヴァークーヘンを機械的に励起反応させつづけるエーテル炉は、炉内の環境を一定に保つため、排熱しなければならない。その排熱孔が本体のどこかにある。ほんの小さな孔よ。そこから炉のなかへゲルヴァークーヘン以外の異物を挿入すれば、保護機構が働いてエーテル炉は停止するはず」

「排熱孔か」


 クリスピンは言うと、そばにいたハーマンの荷物から羊皮紙を取り出した。アインロールの手紙を詳細に書き写したものだ。ハイリガーレイヒャーの設計図。それを広げ、目と指を使って排熱孔らしきものを探す。


「これだ。いちばん上部。頭のように見えるその後ろに、たしかに小さな孔がある」


 クリスピンの持っている図面を、ノアも横から覗き込んだ。


「弓で狙えないか」

「難しいだろう。この位置では、地上からの射線を確保できない」


 クリスピンの言うとおりだった。ハイリガーレイヒャーは、地上高がおよそ二〇メートルはあるのだ。図面を睨んだノアは、しばらく考え込んだ。


「クロエ、手を貸せ」


 顔をあげ、唐突にノアが言う。


「どうしてわたしが」

「おまえはおれに、借りがある」

「なんのこと?」

「おまえは言ったはずだ。おれはランガーを倒した。だから皇帝に代わって、謝意を表すると。ここで手を貸せば帳消しにしてやる」

「あんっ──」


 さっとクロエの手首を摑んだノアが、そのまま有無を言わさず歩き出す。


「哨戒用のワイバーンが一頭、残ってるはずだ。あれに乗って上から狙えば、いける。おまえの弓はどこだ」

「飛んでいるワイバーンから、針穴を通す曲芸をやれっていうの?」


 足を踏ん張って立ち止まったクロエは、腕を振ってノアの手から逃れた。


「どうかしてる」

「なんでもいい。やるだけやるんだ。それとも無理か。帝国の黯騎士は、そのていどか」


 捲し立てたノアが、ぎこちなく笑った。クロエは驚いて彼を見た。

 あの朴念仁が。必死になって挑発しているのだ。こちらをなんとか引き込もうとするつもりで。

 つくづく不器用な男だ。ノアの稚拙なやりようにあきれて、クロエはばからしくなってきた。だがしかし、このままハイリガーレイヒャーがオーリア王国へ侵攻すれば、国家間の火種となるのはあきらかだ。ハイリガーレイヒャーが起動してしまった責任はランガーに押しつけるとして、それによる被害は最小限にとどめなければならない。次善としてはそれしかない。さもなければクロエが落ち度を咎められるだろう。彼女にしてみると、この場に居合わせたのが運の尽きだった。

 クロエの頭のなかで思惑が駆け回る。そうして、彼女はさも大儀そうに息を吐いた。


「わかったわ。あなたに免じて、今回だけは手を貸してあげる」

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