巨大ゴーレムを追撃すべく

 巨大ゴーレムを追撃すべく各自は準備に取りかかった。

 クリスピンとハーマンは厩舎に残っていた馬を駆り、すぐにハイリガーレイヒャーのあとを追った。クロエは自分の弓とを取りに収容所の主棟へと戻り、そのあいだにノアはまだ敷地に残っていたウルタンと話をつけにいった。


「あの石の巨人を止める? 正気か」


 ウルタンは目を丸くしてノアを押しとどめようとした。が、ノアは彼にどうしてもやらなければならないと告げた。そして、


「すまんが、あんたにできることはなさそうだ」

「じゃあ生きて帰れたら、イシュラーバードのわしのところへこい。まだ十分な礼をしてない」

「ああ、必ずな」


 そう約束を交わし、ふたりは別れた。

 ノアがワイバーンの獣舎に向かうと、すでにクロエがいた。自分の複合弓を携えた彼女は、奥でワイバーンに鞍を取りつけている最中だった。ノアはこの場所でハイランドオオカミと戦ったときのことを思い出した。あいかわらず、ひどい臭いがする。


「尻尾に毒針があるから気をつけて」


 クロエの言葉に、ワイバーンへ近づこうとしていたノアがあわててあとずさる。

 いまはおとなしくうずくまっている飛竜だったが、それでも見あげるほどに大きい。翼を有し、暗緑色の鱗に覆われた巨獣。体長は八メートルを超えよう。尾の毒針のほか、筋肉質な後脚には鉤爪があるので十分に注意せねばならない。その表情が読めない楕円形の瞳に見据えられては、さしものノアも息をのんだ。


「こいつはどうやって扱う?」

「ほとんど馬と同じよ。ちょっと狂暴で、空を飛べるだけ」


 とクロエ。

 ワイバーンを閉じ込めておく獣房には木で組んだ足場があり、それを使って騎乗する。ワイバーン用の鞍は特殊だ。鞍の後橋が背もたれのような形をしており、転落を防ぐため乗り手は革帯で身体を固定される。鞍壺へはノアが座り、クロエは背もたれの後ろにしがみつくようにして乗るしかなかった。念のため彼女も縄で鞍の背もたれに自身をくくりつけたが、やはり応急措置ゆえ心許ない。ノアがクロエに言われたとおり、長い首の付け根をブーツで蹴ると巨大な飛竜が動き出した。よく飼い慣らされている。コツをつかむと、あとは口輪と繋がった手綱で問題なく制御できた。

 獣舎を出て、クロエがドラゴンの骨で作った笛を吹くと、ワイバーンが翼を広げた。そのまま広場をよたよたと歩き、皮膜の翼で風を捉え、巨体が空へと舞いあがる。冷たい夜風を切って、ぐんぐんと上昇する。見る間に地上は遠ざかった。初めての経験に戸惑うノアは、ふと妙な音が聞こえているのに気づいて眉をひそめた。


「なんの音だ」


 ノアは首と身体をねじ曲げ、後ろのクロエを顧みる。音がするのは彼女が肩にさげている雑嚢からだ。よく見ると、蓋の隙間から白い毛玉が顔を覗かせていた。幼いユキヒョウの、小さな頭。それがさっきから鳴き声をあげているのだった。


「おまえのか」

「そうよ。あげないわ」


 言うと、クロエはユキヒョウを手で雑嚢の底へと押し込んだ。

 ノアは意外に思った。クロエに動物を愛でる趣味があったとは。さきほど、彼女がわざわざ取りに戻った忘れ物とは、あれのことだったのだろう。

 強制収容所から南下しているハイリガーレイヒャーは、もうマッチムト鉱山を通りすぎていた。その先は外輪山だ。移動の速度が思ったよりも速い。おそらく夜明け前には進路上のイシュラーバードへ到達するだろう。ノアとクロエは上空からそれを追う。クロエに〝夜目〟の呪文をかけてもらったノアが地表へ目を落とすと、灰色の荒野に白い点がふたつ並んでいるのが見えた。松明の灯火。クリスピンとハーマンだ。


「いい、聞いて。ハイリガーレイヒャーには近接防衛機能があるの」


 背後からノアの耳元へ口を寄せ、クロエが言った。


「どういうのだ、それは」

「近づきすぎれば攻撃してくるということ」

「だが、近づかなければ排熱孔を狙えない」

「そうよ。だから、ゆっくり慎重に間合いを詰めてちょうだい」


 あまりに巨大なハイリガーレイヒャーは距離感を狂わせる。ノアはとりあえずワイバーンを左に旋回させ、ハイリガーレイヒャーを中心に大きく円を描いて飛行させた。そうして徐々に径を縮めてゆくのだ。

 旋回をつづけるうち、ハイリガーレイヒャーが反応を見せた。その歩みが止まり、じっとこちらの様子を窺っている。まだかなり距離があったため、ノアはさらにワイバーンを近づけた。すると、ふいにゴーレムが垂らしていた片腕をもたげた。手が届かないにもかかわらず、ワイバーンを摑み取ろうとでもするように。緩慢な動きに油断していた。突然、指先が閃光を放ち、そこから火球が発射された。一発、二発、三発――〝火球〟の呪文だ。ハイリガーレイヒャーは、攻撃呪文でその身を守る機構を備えているのだ。

 ノアは反射的に手綱を引いた。ワイバーンがそれに応え、急旋回する。なんとか回避できたが、火球のひとつはワイバーンのすぐ近くをかすめていった。おびただしい熱量の余波が、ふたりと一頭を炙る。あんなものが命中すれば、ひとたまりもなかったろう。

 予想外の攻撃に面食らったノアは、飛び去った火球の行方を見ながら息をついた。


「あぶなかった」

「排熱孔が見えた?」

「いや」


 首を横に振るノア。そんな余裕はなかった。


「じゃあもういちどよ」


 クロエの豪胆さにノアは苦笑いする。ここは覚悟を決めるしかないようだ。

 ふたたび接近を試みる。ワイバーンの飛行高度をハイリガーレイヒャーの頭部に合わせ、今度は先ほどよりも速度をあげた。ハイリガーレイヒャーの左側から回り込み、背後へ。相手はこちらへ正面を向けて対応しようとするが、動きが鈍重なため間に合わない。

 クロエは鞍の背もたれに腕を巻きつけ、ハイリガーレイヒャーの後頭部をよく見ようと身を乗り出した。


「落ちるなよ」


 あぶなっかしい体勢のクロエにノアが注意を促す。


「見えた」


 クロエの銀色の瞳は、たしかに見た。申しわけていどに盛りあがった巨大ゴーレムの頭、そのうなじあたりに、四角い開口部があるのを。図体に対してきわめて小さく、五〇センチ四方ほどしかない。クロエは秘術の射手である。遠方の目標へ死をもたらす弓の名手だ。それゆえの目聡さだった。もし彼女でなかったら見逃していたろう。

 つぎの瞬間、クロエの目はまばゆい光で眩まされた。ハイリガーレイヒャーの両肩にある隆起部から、またしても火球が発射されたのだった。どうやらあのゴーレムには、全身のいたるところに攻撃呪文を放つ砲台が備わっている。

 乱射された火球群がワイバーンへと襲いくる。危険を察知したワイバーンは混乱に陥った。ノアの指示を待たずに、大きく翼をばたつかせて上昇した。そこへ火球のひとつが飛来する。あわや命中という寸前、ワイバーンは身をよじって火球を避けた。しかし片翼が火球と触れ、皮膜の一部が焼け焦げて損傷してしまう。ノアは手綱を使い、暴れるワイバーンを必死で鎮めようとする。


「つかまれ!」


 ノアがクロエに叫んだ。錐もみ状態。天地が逆さまとなり、ノアは上下感覚を消失した。気づけばワイバーンは地表へ向け、一直線に降下している。ノアはあらん限りの力で手綱を引いた。歯を食いしばり、迫りくる地面を睨みつけながら。

 だめだ、墜ちる。ノアがそう思ったとき、ワイバーンが地上に後脚をつけ、踏ん張ってくれた。強い衝撃。クロエが小さく呻いた。ワイバーンはそのまま地を蹴り、ふたたび空へと舞い上がる。

 ノアは顔の冷や汗を拭った。


「無事か」


 後ろのクロエに声をかける。


「ええ、なんとか」

「迂闊には近づけないぞ。なにか方法を考えないと」

「上よ――」


 ひとしきり黙考したあと、クロエがそう言った。


「ハイリガーレイヒャーは、地上の敵を殲滅するよう設計されている。上空への対応には限りがあるはず。その弱点を突くしかない」

「となれば、真上か」

「そう。直上から急降下したのち、ハイリガーレイヒャーの背後で制動をかけて。できるだけ速度を落とすのよ。あとはわたしがやる」


 敵の懐へあえて飛び込む自殺的な策だった。が、いまはそれに懸けるしかない。

 ワイバーンをハイリガーレイヒャーから離れたところへ移動させると、相手はこちらに興味を失ったようにふたたび前進をはじめた。

 ノアはワイバーンを上昇させ、高空から見おろした。その高さからは、もはや巨大ゴーレムは小さな人形のようにしか見えなかった。しかしワイバーンが怖がってなかなかハイリガーレイヒャーへ近づこうとしない。やむをえずクロエが〝精神支配〟の呪文を使い、ようやく従ってくれた。


「準備は?」


 ノアが訊いた。


「いいわ」


 とクロエ。


「こわくないのか」

「いいえ全然」

「失敗すれば地面に激突して、死ぬかもしれない」

「そうなったときは、わたしもいっしょよ」

「悪くない最後だ」


 苦しまぎれの軽口。しかしきっと、そうはならないとノアは思う。根拠のない自信や願望とはちがう、固い予感が彼の胸の内にあった。もしハイリガーレイヒャーを撃破してオーリアへ帰還したら、マントバーンはどんな顔をするだろうか。自分を捨て石としてこの地へ送り込み、マグナスレーベン帝国の秘密をかすめ取ろうと企んだあいつは。きっと度肝を抜かれるにちがいない。そのためにも、必ず還る。

 クロエの竜笛が鳴り響き、ワイバーンが急降下をはじめた。

 速度をあげると、冷たい夜気が嵐のようにノアとクロエに吹きつけた。ひゅうひゅうという風切り音が聞こえる。髪がなびき、目を開けているのが困難になるほどだ。ハイリガーレイヒャーが真上から接近する彼らに気づいた。諸手を掲げて防御態勢に入る。ノアの操るワイバーンはなおも加速しながら、右へ左へと揺れつつ降下。地上からの火球がそれを迎え撃つ。赤く輝いた高熱の火球がすぐそばを通りすぎる。ノアとクロエは、そのたびに命が縮まる心地を味わわされた。

 ワイバーンがハイリガーレイヒャーの頭上へと差しかかった。クロエはぎりぎりまで粘った。ワイバーンが翼を大きく広げ、制動をかけはじめたとき、ようやく彼女は右手の指を組み合わせて印契を結んだ。精神を集中させ、呪文をささやく。

 〝月神の返し矢シュート・ザ・ムーン〟。それはクロエが一日に一回しか使うことのできない強化呪文だ。またひとつ、ワイバーンのそばを火球がかすめた。それのまき散らす火の粉が、クロエの弓につがえた矢と触れた。燃えきらめく小さな赤い点が、矢柄を焦がす。それで、術は成った。弦がぴしりと鳴り、矢が射られる。〝月神の返し矢〟は、けっして狙いをたがわない。術者を攻撃した者へ対し、必中の矢となるのだ。クロエの放った返し矢はありえない弧の軌跡を描き、ハイリガーレイヒャーの後頭部にある排熱孔へと吸い込まれていった。

 どんな魔術師といえど、いちどに唱えられる呪文はひとつだけだ。クロエが〝月神の返し矢〟に精神集中を傾けたと同時に、ワイバーンの〝精神支配〟は効力を失った。途端、空を飛ぶ巨獣が狂ったように暴れ出した。鞍の背もたれに革帯で固定されているノアはともかく、クロエは飛竜の背上で大きく体勢を崩してしまった。そしてこの場にあって、考えうる最悪なことが起こった。ぶつりと、クロエと鞍の背もたれを結んでいた縄が切れたのだ。気づいたノアがクロエの名を叫んで手を差し出すと、彼女もそうした。しかしわずかに届かなかった。クロエはそのままワイバーンの背から揺り落とされた。十数メートルも下の岩場へと。

 ノアはすぐさま固定具の革帯を外して宙へ身を投げた。なんら迷うことなく。空中でふたりの指先が触れた。指を絡ませ、互いの手を握る。ノアはクロエの腕を引っぱると、彼女の頭を胸にかき抱いた。

 重なり合ったふたりが落ちる。あと数秒もせず、彼らの身体は地上の岩肌に打ちつけられて無残なものとなるだろう。

 こんなものか、命の幕切れとは。なんともあっけない。おれはばかなことをしたのか。自分を愛してもいない女のために、身をなげうつなど。ノアの頭のなかに、様々な思いが浮かんでは消えた。


「――背中に翼が生えるとでも思ったの?」


 ふとクロエの声が聞こえた。ノアは自分の腕のなかの彼女が微笑んでいるのに気づいた。


 どういうことだ――


 ノアはあたりへ首をめぐらせた。すると自分とクロエが、ゆっくりと空中を落下しているのがわかった。まるで羽毛か花びらのようにだ。


「おまえがやったのか」


 ノアの問いにクロエは首を横に振る。


「でもわたしたち、助かったみたいよ」


 それからクロエが目顔で横手を見るようノアを促した。ノアは彼女が示すほうを向いた。

 聖なる復讐者が崩れてゆく。それは壮大な眺めだった。動力源となるエーテル炉が停止したハイリガーレイヒャーは、その身を構成する石塊どうしを繋ぎ止めている魔力をも断たれた。数えきれぬほどの石塊が、ただ積み重ねた状態となったのだ。やがて、徐々に均衡が失われ、石の擦れ合う音を立てながら崩壊した。あとには瓦礫の山と、それに埋もれたエーテル炉だけが残った。

 その様子はハイリガーレイヒャーを陸路で追跡中のクリスピンとハーマンも見ていた。彼らは空に向けて火球を乱射するハイリガーレイヒャーが、突然に動きを止めてばらばらに崩れたのを見て、ノアたちがエーテル炉の停止に成功したのを知った。師弟のふたりは馬を寄せ、馬上で歓喜して抱擁し合った。

 さらに、もうひとり。ハイリガーレイヒャーの最期を目撃した者がいた。

 ローゼンヴァッフェである。ランガー総督との対峙を避けるため、強制収容所から逃走した彼だったが、マグナスレーベン帝国の秘密兵器が動き出したと知るや、その魔術的な部分に興味をひかれてのこのこ戻ってきたのだ。ハイリガーレイヒャーの圧倒的な巨体に、彼はいたく感銘を受けた。魔術の偉大さと可能性に心が躍った。それと較べて、あの至上のごとき存在へ、飛竜でまとわりつく者らのなんと矮小なことか。ローゼンヴァッフェは最初、巨大ゴーレムを止めようとしているらしいノアたちを、冷めた目で見ていた。だがしかし、彼らはハイリガーレイヒャーを打ち破った。まるで、小さく無力な人間が巨人を倒した神話のように。そのワイバーンから振り落とされたふたりを助けたのは、ほんの巡り合わせである。偶然に居合わせた結果。いまそれがノア・デイモンと帝国の黯騎士だったと知って、ローゼンヴァッフェはさらに驚いた。

 咄嗟に物体の重量をゼロにする〝無重量〟の呪文で墜死から救いはしたものの、ノアとクロエがどんな経緯でハイリガーレイヒャーへ立ち向かうこととなったのか、ローゼンヴァッフェには知る由もない。彼がこのとき、この場所にいたのは、神の導きとでもいおうか。

 きつく抱き合い、口づけを交わしているノアとクロエがゆっくり降下してくる。ローゼンヴァッフェはそれを見て、いまいましそうに舌を鳴らした。


「くそっ、なにをやっているんだ、あいつらは……」

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