近くにいたふたりの

 近くにいたふたりのドワーフを引き連れて、ノアは正門へと走った。

 厩舎の横を通り抜けるとき、ちらりと後ろを顧みると、クリスピンが警備隊を相手に奮闘しているのが見えた。黒く塗られた胴鎧の合間で、銀色の胸当てが躍っている。オーリアの騎士の名に恥じぬ勇猛さ。不用意に近づく者はどいつも手痛い反撃を食らって退くか、あるいは命を落とした。そのクリスピンの背後をハーマンが守っている。彼はまだ若いものの目先が利く從騎士だ。ふたりは申し分のないコンビだった。

 あの場は任せておいても心配ない。ノアとドワーフたちは南西の正門へ急いだ。

 丸太を組んで作られた跳ねあげ式の門は下に降りていた。槍を持つ門衛のひとりが、近づいてくるノアたちを指さしてなにか怒鳴っている。その声に呼ばれ、門の脇の哨舎から武器を持ったふたりが出てきた。

 ノアは走りながらブリスカヴィカを抜いた。鞘を投げ捨てる。身体が火照ったように熱い。戦いを前に興奮しているのが自分でもわかった。

 三人の門衛が横並びとなり、門を守る形で行く手を塞いだ。ノアはかまわず突撃すると見せかけ、槍の間合いに入る手前で歩調を緩めた。あっさりひっかかったひとりが、気合いを込めた突きを繰り出す。ノアは槍の柄を摑むと左の脇に挟んで封じた。そこへ右手から長剣をふりかざした者が襲いかかってくる。ブリスカヴィカで迎え撃つ。剣先が下から上へと斜めに奔った。すると相手の剣を持っていた右腕の手首から先が落ち、さらに顔面をざっくり切り裂かれて、彼は半狂乱となり悲鳴をあげた。

 ノア本人でさえ驚いた。なんという剣だ。まるで小枝を振り回しているほどの軽さなうえ、おそろしい切れ味だった。

 ノアの傍らにいる門衛が槍から手を放し、腰の鞘から短剣を抜く。ノアはすぐに身を引くと、そいつから取りあげた槍の石突で喉を狙って力任せに突いた。げえっと呻いた相手は両手で自分の首を押さえると地に膝を着き、そのままうずくまって動かなくなった。

 あとのひとりはドワーフたちが引き受けてくれていた。地面に倒れた門衛を、ふたりのドワーフは日頃の恨みとばかりに容赦なく足蹴にしている。


「そいつはもういい、門を開けろ」


 ノアに命じられ、不満げながらもドワーフは無抵抗な者をいたぶるのをやめた。どたどたと短い足を動かして、どちらもが正門横にある門を上下させるためのハンドルへと向かう。

 ウルタンとクリスピンたちは、どうなったろう。ノアは広場のほうに目を転じた。

 遠くで聞こえていた剣戟と怒号が徐々に近づいてきている。どうやら蜂起したドワーフたちが優勢のようだ。そのとき正門に近い場所にある官舎から轟音が響いて、ノアは反射的に首を回した。

 官舎は二階建ての小さな建物だ。その二階の窓から、炎の塊が噴き出していた。

 あたりが夕暮れのように赤く染まった。やや離れたノアのところにまで炎の高熱が伝わってくる。いったいなんだ。思いもかけない光景を唖然として眺めていたノアは、爆発的に膨らむ炎を背に官舎の露台から人が飛び降りるのを見た。その誰かは地面に着地すると二度ほど転がってから、ゆっくりと半身を起こした。

 ノアが駆け寄る。すると黒いケープを着た女が足音に気づいて、彼のほうを向いた。


「クロエ!」


 ノアは立ちあがろうとするクロエに手を貸した。


「なにが起こった?」

「こっちが知りたい。あなた、どうやって牢から出たの?」

「説明している暇はない。悪いが、おれはここを出る。もしも、おまえがそれを止めるというのなら──」

「お好きにどうぞ。わたしには関係のないことよ」


 クロエに食い気味に言われ、ノアはぽかんとなる。


「なんだって……」

「わたしがここへ派遣されたのは、イシュラーバード総督のランガーに背任容疑がかけられていたからよ。強制収容所の囚人がどうなろうと、知ったことじゃない。それはそうと、あなたにちょっと甘い顔をして、脱獄の手蔓を与えたつもりだったけれど──」


 クロエはふんと鼻を鳴らしてから広場のほうを見ると、


「ほかにやりようがあったんじゃなくて?」


 広場での乱戦は激しさを増していた。ドワーフと警備隊の激突に、さらに収容所の主棟に残っていた獄吏たちも加わり、もはや蜂の巣をつついた状態になりつつあった。


「ランガーはどこにいるんだ」


 ノアが訊く。

 クロエは官舎のほうを振り返った。ついさきほど、彼女はそこでランガーと対峙したのだ。きっと追ってくるだろう。そうクロエが考えた矢先、官舎の正面口あたりでエーテルの輝きが起こった。人の背丈ほどの大きさをした紡錘形の繭が、ふいに現れる。高レベルな魔術師が使う〝空間転移〟の際に起きる発光現象。光るエーテルの膜でできた繭が、ぱちんと弾けた。内から出てきたのは無論、ランガーである。


「噂をすれば」


 とクロエ。

 ランガーはしばらく広場での騒動に目を瞠ったあと、手近にいた警備隊の襟首を摑んで自分のほうへと引き寄せた。


「なんの騒ぎだ!?」

「一斉脱獄です! ドワーフの囚人どもが、どうやったのか監房を抜け出して、叛乱を!」


 それを聞いてランガーは怒りに顔を歪ませた。警備隊員を突き飛ばすと、自らで騒乱を鎮めるべく駆け出す。

 ノアとクロエもすぐに帝国の魔術師を追った。ランガーが魔術を使えば、確実にいまの流れが逆転する。それだけは防がねばならない。

 ノアに気づいた警備隊の何人かが前に立ちはだかる。有象無象を斬り伏せ、蹴散らしているうち、ノアはクロエとはぐれた。広場では混迷がさらに増している。敵は入れ代わり立ち代わり、きりがない。ノアはいったん味方の後方へさがった。周囲を見渡し、ローゼンヴァッフェの姿を捜す。こっちの魔術師はなにをしているんだ。

 いた。厩舎の陰に錆色のローブが見えた。


「おい、ローゼンヴァッフェ!」


 ノアはこそこそと隠れていたローゼンヴァッフェのところまで走ると、彼の肩を手荒く摑んだ。


「なにをやってる」

「なにとは?」

「ふざけるな。おまえも戦え」

「ばかを言え。荒事はおまえたちの担う役目だろうが」

「そんなことを言っている場合じゃない。ランガーだ。奴が出てきた。おまえが相手をしろ」

「なんだと、ランガーが!?」


 ローゼンヴァッフェの血相が変わった。

 強力な呪文を扱える魔術師は戦闘において重要な役割を果たす。場合によっては一方的に敵を蹂躙できるのだ。その魔術師に対抗できるのは、おなじ魔術師だけ。それゆえローゼンヴァッフェは知っていた。力量の知れぬ魔術師を相手にするほど、無謀なことはないと。


「すまんが、どうやらここまでのようだ」


 言うとローゼンヴァッフェはノアの手を振り払った。


「どういうことだ」

「作戦は失敗だ。時間をかけすぎたな。ランガーが出てきたのなら、おれは逃げる」


 待て、とノアが止める間もなくローゼンヴァッフェの身体がエーテルの膜に包まれた。そのまま彼は消えた。空間転移の呪文によって。

 あいつ、やはりカネ目当ての薄情者だったか。茫然となるノア。すると彼の頭上で、いきなり閃光が起こった。今度はなんだ。

 上を見あげたノアは、まぶしさで目が眩んだ。

 強烈な光。まるで小さな太陽が広場の上に現れたかのようだった。周辺の一面が真っ白なきらめきに包まれ、しばらく誰も彼もが、なにも見えなくなった。

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