クリスピンとハーマンは
クリスピンとハーマンは収容所の三階でノアを探した。三階は全体が監房しかない作りだった。暗く、先の見通せぬ長い通路がつづく。片側には均等な間隔で鉄格子の扉が並んでいた。そのどれかにノアはいるのだ。念話石でもたらされた彼からの情報によれば、東側寄りの房らしい。
ローゼンヴァッフェにかけてもらった〝夜目〟の呪文は効果がもう切れていた。牢番の部屋から持ってきた手燭の、ごく小さな灯火だけが頼りである。ふたりは監房の扉の鉄格子から内を覗き込み、囚人の姿を確認していった。
いくつ目かの独房にノアと似たような背格好の男が寝ていた。
「ノア、おまえか?」
クリスピンがひそめた声で呼びかける。石床に筵を敷いただけの寝床にいた者が、のそりと身を起こした。
ちがった。そいつはノアではなかった。クリスピンはすぐにつぎへ移ろうとしたが、囚人が鉄格子の扉に駆け寄って彼を呼び止めた。
「待ってよ! あんたたち、ノアの仲間なの?」
ノアの名を聞いてクリスピンは足を止めた。身体の向きを変え、用心しつつ鉄格子へ近づく。
クリスピンが手燭をかざすと、相手は蝋燭のまぶしさに目を細めた。生っ白い、女みたいな顔の男だった。
「そっちは?」
「あたしはロベルト。ノアの友達よ。彼がここにきてから、ずっと面倒をみてやったのよ」
ロベルトは鉄格子に顔を押しつけて矢継ぎ早に語を継いだ。
「逃げる気ね。そうなんでしょう」
「あいつはどこにいるんだ」
とクリスピン。だがロベルトはその問いに答えず、
「ここの鍵は?」
「持ってる」
「じゃあ、あたしを先に出して。そうすればノアの居場所を教えてあげる。ぐずぐずしてると、ほかの囚人が騒ぎ出すよ」
不測の事態にクリスピンは舌を鳴らした。計画ではノアとドワーフたちだけを逃がす予定だったのだ。が、いまは時間が惜しかった。
「いいだろう。だが、妙な真似はしてくれるな」
鍵束からロベルトの監房と合った鍵を見つけるのに、やや時間を要した。クリスピンは鍵を開ける前にハーマンへ目配せした。彼は肯くと腰に下げた剣を鞘から抜いた。
監房から出てきたロベルトは、クリスピンとハーマンを見てちょっと驚いた顔をする。
「あらなによ、ふたりだけできたの?」
「ほかにも仲間はいる」
「へえ……おかしいと思ってたのよ。ノアったら、こそこそ隠れてなにか企んでる様子だったし。やっぱり脱獄する気だったのね」
「いまそんな話はいい。さあ、奴はどこだ。案内してくれ」
クリスピンが焦れた口調で言う。するとロベルトは、はたと気づいたように自分の頬に右手をあてた。
「ああ、そうね。こっちよ」
腰をくねらせ通路を進みはじめたロベルトに、あとのふたりもつづいた。
ノアの房は端に近い通路の奥だった。ロベルトが指し示した鉄格子を越して、外からクリスピンが呼びかけた。
「ノア、いるのか」
すぐに房内の暗がりから反応があった。
「遅かったな」
手燭が照らす範囲に現れた旧友を見て、クリスピンはほっとした。髭がのび、少々窶れてはいたが、たしかにノア・デイモンだった。
「外が騒がしいので少しばかりあせったぞ。見つかってないだろうな」
「心配するな。ここまでは順調だ」
と、手元の鍵束から正解のものを探しながらクリスピン。それを彼の後ろにいるロベルトが急かした。
「はやくして。こんなところ、さっさとおさらばよ」
「おい、なんでこいつが」
ロベルトの姿を見たノアが、あからさまに眉をひそめた。
「仕方なかろう。ゆきずりでな」
鍵を探しあてたクリスピンが房の扉を開けた。ノアは苦々しげにロベルトをちらりと見やったが、なにも言わなかった。
四人はそのまま通路の果てにある階段へと急いだ。階下に降りる。二階の階段の降り口ではウルタン以下の、大勢のドワーフとローゼンヴァッフェがすでに待っていた。それにノアたちが加わるのだから、総勢で二〇人以上の大所帯となる。
「ちょっと待ってよ、こんな大勢で逃げるつもり!?」
言ったのはロベルトだった。するとノアは彼を冷ややかな目で睨んだ。
「声が大きいぞ。最初から、そういう手はずだ。おれたちはこのまま収容所を脱して、すぐ近くのマッチムト鉱山へ逃げ込む。あそこは坑道が網の目になっているうえ、地上への出口がいくつもあるからな。追っ手から逃れるにはそれしかない。だからドワーフの水先案内が必要なんだ」
「なによ、髭もじゃのチビどもといっしょだなんて、聞いてないわ……」
ロベルトは顔を歪ませ、そうぼやいた。どうやら彼は偏狭な思想を持つ民族主義者のようだ。元来、帝国人にはその傾向が強い。
「いやなら残るんだな。もともと、おまえは頭数に入ってなかった」
ロベルトの信用のなさを知っているノアは辛辣である。その彼のところへローゼンヴァッフェが近寄ってきた。
「デイモン、無事でなによりだ」
「礼を言うべきだろうな。あんたがここへきた理由はともかくとして」
とノア。
「どういう意味だ」
「察するに、おれたちに協力して、オーリアから追加の報酬でもせしめようという魂胆なんだろう?」
「おまえは本当に可愛げのないやつだな」
苦虫を噛みつぶした顔となるローゼンヴァッフェ。彼はそうして、
「これを牢番の部屋で見つけた。おまえの荷物のようだ」
ノアはローゼンヴァッフェが携えていた大きな背嚢を受け取った。なかには収容所へ潜入するときに持ってきた細々としたもののほかに、ノアの着ていた服とブーツ、それに革鎧が詰め込んであった。
「さあ、急ごう。イシュラーバードに向かった警備隊は、いつ戻ってくるかわからんぞ」
クリスピンが率先してその場を仕切った。強制収容所の敷地内は所々で篝火が焚かれ、常とは異なる様子だ。武器を持つクリスピンとハーマンが行く手の安全を確認し、それから少人数ごとに主棟から外へ出た。まず目指すのは、広場をはさんだ南側にある鍛冶場だ。あそこにはウルタンたちが密かに用意していた武器が置いてある。
広場を避けて暗がりを選び、東のエーテル精製所の裏を回った。クリスピンは脱獄に浮き足立つドワーフたちへ注意を促しつつ、慎重に進んだ。陽動によって警戒が手薄になっているとはいえ、監視塔にはやはり警備隊員の姿が見えた。
まもなく全員が鍛冶場にたどり着いた。なかに人がいないのを確認して、ウルタンと数人のドワーフが武器を取りに入った。そのあいだにノアはハーマンの手を借りて革の胸当てと手甲を身につけた。途中、ハーマンがなにかに気づいて、ふと手をとめた。
「あれ、あの人がいません……」
「誰が」
ノアが訊いた。
「ぼくとクリスピン卿が牢屋から出してあげた人です」
「ロベルトか。あいつのことは放っておけ」
とノア。いまは収容所から無事に脱出することが先決だった。余計者に気を回している余裕はない。
たくさんの武器を抱えたウルタンたちが鍛冶場から出てくる。どれもこれも急ごしらえで粗雑なものばかりだったが、ないよりはましだ。我先にと武器を手にしたドワーフたちの目に輝きが戻った。だがもし警備隊と戦うことになった場合、収容所生活で体力が落ちている彼らは戦力になるだろうか。ノアは危惧したが、そのときはドワーフが持つ戦士としての天性に懸けるしかなかった。
「ウルタン、おれにも武器をくれ。余っているやつでいい」
ノアがそう申し出る。するとウルタンは持っていた細身の剣を彼に差し出した。
「おまえの腕前は知ってる。これを使え」
やけに長さのあるドワーフ用の両手剣だった。人間が持つのならば、片手半剣として使えそうなサイズである。
「長剣か。それでいい、借りるぞ」
「いや、くれてやる。脱獄の手引きをしてくれた礼だ」
ノアはウルタンから渡された長剣を手に取り、目方を確かめた。そしてその軽さに驚いたのち、鞘から引き抜く。
暗いなかで、ぎらりと青白い輝きが閃いた。わずかに反った片刃剣は異国の刀剣に似ていた。ノアは星明かりの下で冷たく光る刀身の美しさに束の間、息をのんだ。
「わしが特別に、手間と時間をかけてこしらえた。銘は──そうだな、ブリスカヴィカだ。こいつはとっておきだぞ。なんでも斬れる。稲妻だってな」
ウルタンの言葉に嘘はないように思えた。なぜなら、ドワーフ族の冶金術に匹敵するものはこの世に皆無だからだ。ドワーフに武器を作らせれば、軽いうえに頑丈な最高級品が生まれる。ノアがいま手にしているブリスカヴィカも、柄や鞘は急造で無骨だったが、切れ味が鋭い名剣であるのはすぐにわかった。使い手に勇気さえ与えてくれる、類い希なる逸品だ。
突然、どこかで呼び子の音が響いた。その場にいる全員が周囲を見渡し、瞬時に緊張が走った。監視塔の警備隊に見つかったか、それとも空になった監房を発見されたのか。とにかく、ノアたちの脱獄が露見したようだ。
「みんな、武器を持て!」
ウルタンが声を張りあげる。ほかのドワーフたちが同間声でそれに応えた。
まもなくもせず、鍛冶場の隣にある厩舎の陰から松明を持った警備隊の一団が現れた。
「貴様ら、いったいどうやって!?」
先頭にいた警備隊のひとりが、いかめしい顔つきで喚いた。彼の背後には手槍を携えた部下が十数名。ノアはそのなかに、ロベルトが混ざっているのを発見して歯がみした。
「あのばか野郎……」
やはりロベルトを仲間に引き込むべきではなかった。ずる賢く機を見た彼は、わずかな短時間でもう鞍替えしたようだ。きっと脱獄の密告をする代わりに、収容所での自分の待遇をよくしてくれとでも頼んだのだろう。
こうなっては計画も流動的に変更せざるをえない。つまりは、力ずくで押し通るということである。
ドワーフたちが鯨波とともに警備隊へ襲いかかった。乱戦がはじまる。ノアもそれへ加わろうとしたが、クリスピンが彼の腕を取って引きとどめた。
「待てノア、まずは正門を確保だ」
「わかってるが、ドワーフたちは弱ってる者が多い。ここで封じ込まれるとまずい」
「ああ。だから雑魚どもは、わたしとハーマンが引き受ける。おまえは正門へ向かえ」
そう言い残すと、クリスピンとハーマンは敵味方が入り乱れる最中へ突っ走った。
ドワーフたちをかき分けて、いきなり前に出てきたクリスピンを迎え撃とうと、警備隊のひとりが槍を突き出した。クリスピンはなんなくその攻撃を剣ではねのける。一瞬後、相手は自分が持っていた槍の穂先が失われていることに気づいた。しかし彼はそれに驚く間もなく、クリスピンが無造作に薙いだ剣の先によって喉笛を横に斬り裂かれた。
ひとかけらの容赦もない、あざやかな手並み。警備隊の最初の犠牲者が地に倒れた。
「帝国の弱卒よ、おまえたちは運がいい──」
血振りした剣を胸の前に掲げ、クリスピンが言った。
「心配は無用だ。ユエニ神は寛大である。きっとあの世で異教徒の面倒も見てくれよう。よって今宵、ここにいる全員、わたしの剣により以て瞑すべし!」
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