〈夢の国〉亭へ帰ったノアと

 〈夢の国〉亭へ帰ったノアとローゼンヴァッフェは、さっそくマッチムト鉱山への潜入経路を検討しはじめた。ローゼンヴァッフェの部屋は私物で散らかり放題なため、場所はノアの部屋にした。ふたりは小卓をはさんで向かい合い、そこにハイランドの地図が広げられた。

 ローゼンヴァッフェは事前に練っておいた計画の詳細をノアに話して聞かせた。

 イシュラーバードから火山の麓までは五キロほど。そこより少し登った地点にマッチムト鉱山がある。火山へ近づくまではなんら障害はない。が、山を登り帝国の影響下へ入った途端、やけに厳重な警備が敷かれている。そこからしてなにかがおかしいとローゼンヴァッフェは語った。まるで、見られては困るものを隠しているようだと。


「麓から鉱山へゆくには、溶岩隧道を使うのがいいだろう」


 椅子に座ったローゼンヴァッフェは小卓へ身を乗り出し、地図に描いてある火山の麓から鉱山までを指でなぞった。


「溶岩──なんだって?」


 腕組みをして話を聞いていたノアが、聞き慣れぬ言葉に眉を寄せる。


「溶岩隧道。トンネルのことだ」

「そんなものがあるのか」

「トンネルといっても誰かが掘ったわけじゃないぞ。大昔に、自然にできたものだそうだ。火山が噴火すると、どうなる?」


 ノアは虚空を見あげ、少しのあいだ考え込んでから、


「噴火口から溶岩が出てくる、のか……?」

「そうだ。それは山の斜面を伝い、低地へ流れてゆく。火口でなくとも山の中腹から溶岩が噴き出し、同じことが起きる場合もある」


 ローゼンヴァッフェは幼い子供へ話して聞かせるように、手振り身振りを交えながら語を継いだ。


「溶岩は空気に触れて冷えると岩になる。これくらいは、おまえの昆虫並な頭脳でも理解できるだろうな? だが流動している溶岩は、表面が固まっても内側がまだどろどろだ。そうなったとき、溶岩流は地表に新たな岩の地面を築きながら、その下を移動しつづける。結果、火山の噴火がおさまり溶岩の供給が途絶えたあとには、地下に蛇の抜け殻のような空洞ができあがるというわけだ。噴火の規模にもよるが、条件が適えば人だって通れるほどの大きさになる」


 もしその隧道がマッチムト鉱山から麓までつづいているとすれば、理想の潜入路である。


「潜入にはおあつらえ向きだな。しかし当然、警戒もされているはずだ」


 とノア。するとローゼンヴァッフェはにやりと笑った。


「いや、それはない。溶岩隧道のことを知っている地元のドワーフから聞いた話では、あそこには昔からトロールが棲み着いていたらしい」

「トロール? あんな怪物を相手にはできんぞ」


 地図に目を落としていたノアは途端に顔をあげた。

 トロールとは、人型をした怪物の一種である。近縁種にはゴブリンやオークなどがおり、いわゆる悪の勢力といえる。トロールは大柄で、身長は成体ならば人間をはるかに凌ぐ。膂力も相当だ。知能は低いものの、それを補うような狂暴さを持っている。最大の特徴として挙げられるのは、やはり再生能力だろう。トロールは仮に致命傷を負った場合でも、短時間で傷を癒やし活動を再開するという、並外れた生命力を備えているのだ。


「落ち着け。トンネルにトロールはつきものだろうが。だから今回はそれを逆手に取るんだ。危険な怪物がいる溶岩隧道を使って潜入するとは、向こうも考えまい」


 他人事のように言うローゼンヴァッフェ。ノアはそんな彼へ懐疑的な目を向ける。


「無理だ。ひとりではな。どうしてもというのなら、あんたもいっしょにこい」

「実行役はおまえだろう。おれはただの協力者だ。オーリアとも、そういう契約を交わしている」


 ローゼンヴァッフェはそう言って肩をすくめた。

 どいつもこいつも、他人を利用することしか考えていないのか。ノアはあらためて、自分が面倒な事態に関わってしまったのを思い知る。単独でトロールのいるトンネルを通り抜け、さらにマグナスレーベン帝国の施設へ潜入するなど、無謀すぎる。

 ノアは無言のまま椅子から立ちあがり、寝台でごろりと横になった。


「なにもトロールを倒せとは言ってないぞ」


 あきらかに意気を阻喪させたノアを見て、ローゼンヴァッフェは少々あわてた。


「そもそもあれには並外れた再生能力がある。もし出くわして、見つかったなら逃げろ。それにトロールがいたのは昔の話だ。もうどこかほかの土地に移って、いないかもしれない」


 とローゼンヴァッフェ。だがいまのノアにはどんな言葉も気休めに聞こえた。

 さらにローゼンヴァッフェはトロールへの対策として、今日の昼に買った魔術スクロールが役に立つと言った。彼がノアの背嚢から取り出して見せたのは、盲目、透明化、酸の矢といった呪文の効果を封じ込めたスクロールだった。しかし、それらを使ってもうまくトロールを出し抜ける保証はどこにもない。

 これはいよいよ、逃げ出す算段を考えたほうがよさそうだとノアは思いはじめた。もとよりこっちには、オーリアにもローゼンヴァッフェにも従う義理はないのだ。この任務を引き受けたのは、流されるままとなった成り行きにすぎない。


 いや、ちがう──


 ノアは正直に思い直した。オーリアでハートレイ将軍から任務の話を聞かされたとき、それがマントバーンの差し金であるとノアは気づいていた。あの男だけには、弱いところを見せたくなかった。だから、任務を引き受けたのだ。なんとも子供っぽい、ばかげた理由だ。このようなことになるのは予想がついたのに。マントバーンがノアに対して、微塵の情け心さえ持っていないのはわかっていたのに。

 部屋の天井を睨み、自分自身の青さにノアは苛立った。まだローゼンヴァッフェがくどくどとなにか話していたが、それも遠くに聞こえた。


「──あと、これも渡しておこう」


 そう言ってローゼンヴァッフェがノアへ差し出したのは、雪花石膏のようなすべらかな石だった。形状はつぶれた楕円体で、ちょうど手にすっぽり収まるほどの大きさだ。雪のように白く、わずかに透明感があった。


「なんだ?」


 ノアは受け取った冷たい石を興味なさげに眺めた。


「そいつは念話石という。持っていればテレパシーを送ったり受け取ったりできる便利な代物だ。励起させたエーテルを充填してあるから、魔術の心得がないおまえでも扱える。だが、あまり頻繁には使えんぞ。使うのは、必要なときにこちらから出す指示を受け取る場合のみにしろ」


 ローゼンヴァッフェは言うと、大事そうに布きれで包んだ念話石をノアの背嚢にしまった。

 マッチムト鉱山の概要は、あらかじめローゼンヴァッフェがそこで雇われていた鉱夫から話を聞き出していたので、およそ摑んであった。鉱山で働いているのは帝国の強制収容所の囚人を別にすれば、およそ三、四〇人ほど。正規の雇用者向けには宿舎や飯場といった施設がある。しかし強制収容所とは隔絶されているため、向こうの詳細は不明。

 おそらく帝国の動向を探るとなれば、鉱山の強制収容所がある区域に潜入することになるだろう。そちらの情報は少なく、反対に不安材料は多かった。


「マグナスレーベンの奴ら、いったいあの山でなにをやっていると思う?」


 ぼんやりとしながらノアが訊ねた。


「さあな。いけばわかる」

「なにか心あたりは?」

「そうだな……火山といえば、地理的に火のエレメンタルと地のエレメンタルの影響が強い場所だ。おれがまず思い浮かべるのは、ファウンテンヘッドだな」

「ファウンテンヘッド──エーテルの噴き出し口か。あんた、あれを見たことあるのか」


 するとローゼンヴァッフェは首を横に振った。


「ファウンテンヘッドを見たことのある奴なんて、この世にはいない。それがどんな原理なのかさえ解ってないんだぞ」


 極地をはじめとし、火山、砂漠、深海など、物質界では過酷な自然環境となる場所にあるというエーテルの噴出口。それがファウンテンヘッドだ。四大精霊の強い影響下にあり、その周辺では非常に濃いエーテルが確認される。ゆえにこの世界にあるエーテルは、すべてファウンテンヘッドから噴き出て拡散していると考えられていた。


「ハイランドのファウンテンヘッドを独占するのが帝国の目的じゃないのか」


 ふいに思いつき、ノアが言う。


「ファウンテンヘッドはひとつじゃない。海の底とか、砂漠にもあるんだ。ハイランドのファウンテンヘッドを独占しても、それほど利点があるとは思えんが」


 ローゼンヴァッフェの意見はもっともだった。ノアはほかの切り口から答を導き出そうと頭をひねったが、見当もつかなかった。なんにせよ、現時点では情報が少なすぎる。

 結局、マッチムト鉱山へは溶岩隧道を使ってゆくしかないようだ。トロールの問題へは臨機応変に対処する。そう結論づけられ、おざなりなまま話し合いは終わった。

 決行は明日だ。明朝、ノアはイシュラーバードを離れてマッチムト鉱山へと向かう。

 夜にまたササラの店で夕食を済ませると、その日はすぐに寝床へ入った。そして夜更けに、ノアがふと目を覚ましたのは、部屋の扉が開く音を聞きつけたからだった。


「誰だ」


 まっ暗ななかでノアが誰何すると、意外な人物からの返答がきた。


「あたしだよ。ササラ」


 ノアはほっとして緊張を解いた。


「部屋をまちがえてるぞ」

「まちがえてない。あんたに用があってきたんだ」

「おれに? なんの用だ」


 部屋の空気がほんの少し揺れる。ササラが室内へ入ってきたのだ。つづいて、扉が閉ざされる音。


「ほら昨夜、助けてもらったからさ……」


 ノアのいる寝台の横から声がした。


「気にしなくていい」


 とノア。昨夜、マグナスレーベンの連中を手ひどくこらしめたのは、我ながらやりすぎだった。ササラのほうもあんなことは思い出したくないだろう。

 ふたりのあいだに、やや気まずい雰囲気が立ちこめる。ノアはそのまま、ササラが帰るだろうと思って目を閉じた。が、そうはならなかった。彼女は寝台のすぐそば、ノアの枕元までやってくると、


「ねえ、あんた、マッチムト鉱山に忍び込む気なんでしょ?」


 ノアは暗がりのなかで薄く目を開けた。


「なんでおれが、そんなことをしなきゃならない」

「だって今朝、ヨアヒムと話してたじゃないか」


 ノアは舌打ちすると、暗中にいるササラを見つめた。


「やっぱり盗み聞きしてたのか」

「最初に会ったときから、おかしいと思ったよ。あんた山師や鉱山労働者には見えなかったから。なんでこんな人がイシュラーバードへきたんだろうってさ」

「だからなんだ。それを言いにわざわざきたのか」

「あんたが誰で、なにをしようとしているのかは、どうでもいいよ──」


 少しの沈黙があった。しかしやがて、ササラはためらいつつも話しはじめた。


「マッチムト鉱山には、あたしの父さんがいたんだ。あそこじゃ二年ほど前に落盤事故があってね。たくさんの鉱夫が亡くなったんだ……。父さんもあれ以来、家には帰ってこなくなった。でも、へんなんだ。帝国が遺族に返した遺品には父さんの品がひとつもなかったし、ニンゲンならともかく、ドワーフが生き埋めになるなんてありえないよ。道具さえあれば、地上へ戻るなんて簡単さ……」

「それで?」

「父さんはきっと、まだ生きてマッチムト鉱山にいる。だから、あんたに捜してきてほしいんだ。お礼ならするよ。いま、ここで」


 屈んでいたササラはそう言って立ちあがった。

 衣擦れの音がした。不審がっているノアが暗闇に目を凝らすと、ちょうどそのとき月にかかっている雲が晴れた。鎧戸の横木の隙間から、月明かりが室内へ射し込む。するとそこには、青白い月光を浴びたぽっちゃり体型のササラが、全裸で立っていた。

 困惑。顔を歪ませたノアは、ゆっくりとササラから顔を背けた。そうして、彼は胸元の毛布をたぐり寄せ頭からかぶった。


「頼む。服を着て、いますぐ帰ってくれ」

「な、なによっ! ドワーフの女がいやだっていうの!?」


 顔をまっ赤にして憤慨するササラだったが、無理もなかったろう。だが、ノアにも選ぶ権利はあるのだ。こればかりはどうしようもない。

 腹いせにノアが寝ている寝台を蹴りとばし、服を着たササラが部屋の出入口へと向かう。それへ、ノアが声をかけた。


「名前はなんていうんだ」

「え?」

「おまえの父親の名前だ」

「……ウルタン。父さんはしぶといんだ、絶対にまだ生きてるよ」

「余裕があれば見てきてやる。だが、約束はできんぞ」


 ノアには見えなかったが、それを聞いてササラは相好を崩した。戸口にいる彼女は、ノアへ小さくありがとうと言うと、


「あんた、デイモンだったよね? ヨアヒムには気をつけな。あいつ、ずっとこの街で故買商をやってるペテン師だよ。裏でもっとヤバいことをやってるのも知ってる。もしかしたら、帝国と通じてるのかもしれないよ」


 扉が閉じられ、部屋がしんとなった。

 そんなことはわかっている。ノアは目を閉じた。そして眠りに落ちるべく、頭を空っぽにした。

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