「卿宛てです」

「卿宛てです」


 ハーマンの差し出した書簡は差出人が魔術協会となっていた。

 クリスピンはそのとき、オーリア軍本部の一部を間借りした国王騎士団の事務局におり、領地巡回の人員割り当てに頭を悩ませていた。封筒を受け取ったクリスピンが裏を返して見ると、真っ黒な封蝋で封印されている。捺してある印璽の紋章は五芒星と宿り木。ということは、たしかにそれは魔術協会がクリスピンへ宛てたなんらかの信書だった。

 中身は予想がついた。数日前クリスピンは、魔術協会にヘイル・アインロールとネリー・ゴールデントゥイッグの経歴について、照会を申請したのだ。その返事にちがいない。

 大陸で活動する魔術師は、ほとんどすべてが魔術協会に身許を登録してある。それが地域魔術師であれ、または王宮魔術師であっても例外はない。魔術協会は権威的な組織だ。まさしく魔術に関するすべてを統括、管理しているのだ。魔術師たちの界隈では、協会の息がかかっていなければ、そいつはもぐりということになる。魔術を使うまっとうな仕事にありつけないどころか、呪文を唱えることさえ禁じられる。

 このような既得権益をひとつの組織が独占するのは、ある種の横暴といえた。しかし魔術協会が魔術の振興に貢献してきたのは厳然たる事実である。

 エーテルを源に発現される魔術は人智を超えたものだ。古来より、人はそのことわりに触媒や呪文を用い、制御しようとしてきた。試行錯誤を重ね、理論により体系化し、いくらかは解明された。だがそれでも未知の部分は計り知れない。魔術の黎明時代において魔術師は畏怖の対象だった。当時エーテルを操れる者とそうでない者のあいだには、大きな隔たりがあったのだ。そしてあるとき、相互の不理解が魔術をめぐる論争を引き起こし、やがて魔術師と普通の人間たちによる戦争へと発展した。各地に甚大な被害が及ぼされてから、ようやく人々はばかげた内紛に終止符を打った。以来、その魔術戦争を教訓として魔術協会が設立され、世の魔術と魔術師たちは厳しく管理されることとなったのだ。

 クリスピンは封蝋を割り、魔術協会がよこした書簡を開いた。なかには二枚の書状が入っている。ひとつはアインロールに関した個人情報が記されたもので、もう片方はゴールデントゥイッグの分だった。

 アインロールは北の果てにあるナルクロスの出身で、若いころにそのノーム族の故郷から人間の住む大陸の中央部へ移ってきたようだ。魔術を学んだのは魔術都市として有名なミロワポリス。そこには数々の魔術学校があり、彼は奨学金を得つつ名だたるエリート校で修学した。同じ時期にゴールデントゥイッグも在籍していたため、ふたりはそこで出会ったのだろう。

 魔術学校を卒業後、おどろいたことにアインロールとゴールデントゥイッグは婚姻関係を結んでいた。ふたりは手を取り合い、地域魔術師として大陸を転々と渡り歩いた。いちばん長く滞在していたのは大陸東部のカラソスで、これはクリスピンもアインロールの霊を呼び出したとき耳にした地名だった。

 地域魔術師は人の住む場所の近くに腰を据え、その近辺の住民へ魔術の恩恵を付与するのが仕事である。アインロールとゴールデントゥイッグはそうしながら、ふたりである研究に打ち込んでいた。研究のテーマは、ドラゴンのブレスがエーテルを凝縮した魔術の一種だという仮説で、その成果が魔術学会で発表されていた。彼らの研究は一定の評価を得ており、協会から表彰されてもいる。いまから二〇年以上も前の話だ。

 魔術協会の資料には、以降のアインロールの記録が残っていないとされていた。ゴールデントゥイッグともきれいさっぱりに別れ、ふたりは異なる道を選んだようだ。アインロールがそれを機に協会を脱退したとなれば、彼はこのときにマグナスレーベン帝国と関係を持ち、ハイランドへ移ったのかもしれない。帝国の後ろ盾があれば、魔術協会に頼らなくとも研究の継続は可能だ。


 わたしは帝国にそそのかされ、魔術の使い道を誤ってしまった──


 クリスピンは記憶を呼び起こし、アインロールの言葉を思い出した。いったい、彼の身になにが起こったというのだろう。その後、アインロールの消息はしばらく空白のなかへ消えることとなる。オーリアの辺境で焼死するまでは。

 一方、ゴールデントゥイッグのほうはアインロールと別れてから、大陸の西へ移り住んで地域魔術師をしばらく務めたあと、神聖王国オーリアの貴族に召し抱えられた。そしてオーリアの政変後、マントバーンに招聘され王宮魔術師の地位を得たとのことだった。

 二枚の書状にざっと目を通したクリスピンが顔をあげた。すると彼は、机に両手を着いたハーマンが自分の手元を覗き込んでいるのに気づいた。


「こら。見るんじゃない」


 クリスピンは顔をしかめ、持っていた書状を隠すように自分のほうへ寄せた。


「なんでです? この件に関しては、ぼくも関係者ですよ」


 とハーマン。彼は腕を胸の前で組むと、


「どうやら、あのアインロールという魔術師は、帝国のために働いていたようですね」

「おいばか、声が大きいぞ」


 クリスピンは首をめぐらせて事務局を見渡した。幸い、いまこの大部屋には彼とハーマンしかいない。クリスピンは書状を折りたたんで封筒に戻すと、それを机の抽斗へしまった。だが呑気なハーマンは何食わぬ顔をして、さらに自説をつづける。


「彼がハイランドから逃げたのは、なにかの秘密を知ったからでしょうか? だから帝国に追われ、オーリアの片田舎で殺されてしまった。では、その秘密とはなんなんだ。外に漏らせば殺されてしまうほどの重要ななにか……この前、アインロールのお化けが言っていた〝ハイリガーレイヒャー〟というのが、それなんじゃないですか?」

「もういい。この件はわたしが個人的に興味を持って調べただけだ。おまえは深入りすべきではない」


 クリスピンにぴしゃりと言われ、ハーマンは渋々だったが口を閉じた。

 ここで見聞きしたことは他言無用だ。そうクリスピンから強く言い含められ、ハーマンは室を辞した。

 そうしてひとりきりになると、クリスピンはあらためて一連の件を考え直してみた。もちろんそれは単なる興味本位ではなかった。なにせ、彼の親友であるノア・デイモンが深く関わっているのだ。

 アインロールの殺された理由については、おおよその見当がついた。しかしエルネストを手にかけたのが誰なのかは、まだわからない。クリスピンはその点にいやな胸騒ぎを覚えるのだった。帝国側の仕業ではあるまい。もしそうなら、アインロールを殺したついでにエルネストを始末すればよかっただけの話だ。それをしなかったのは、帝国の暗殺者──おそらくはナーゲル──が、アインロールの遺書めいた手紙の存在を知らなかったからだ。

 手紙を預かったエルネストがオーリアのラクスフェルドへやってきたのは、アインロールが亡くなってから数日後。手紙の内容を確認したのはゴールデントゥイッグと、オーリア上層の一部だろう。それらを鑑みれば、犯人はおのずと見えてくる。

 口封じ。エルネストは、アインロールの手紙の内容が明るみに出るのを恐れたオーリア王国によって、亡き者とされたのだ。国家の前では個人など塵に等しい。となればエルネストは非運だったというほかない。アインロールも、さすがに彼が命を奪われるとは思っていなかったのだろう。

 アインロールが遺した手紙。いよいよその重要性が増してきた。まちがいなく、国家間の関係を揺るがすほどの重大な秘密が書かれてあったのだ。迂闊に薮を突けば、とんでもないものが出てくるかもしれない。

 マグナスレーベン帝国とハイランド、そしてそこへ向かわされたノア・デイモン。彼の地ではいったい、なにが起こっているというのだ。

 いまのクリスピンには、はがゆい思いでノアの身を案じることしかできなかった。

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