扉がせわしなく叩かれた

 扉がせわしなく叩かれたあと、秘書官がランガーの私室へ転がり込んできた。

 秘書官は薫物の匂いが漂う薄暗い室内を見渡した。ランガーの姿は窓辺の執務卓の向こうにあった。彼は燭台が立てられた卓に向かい、魔術書を紐解き、閲読に耽っている。この官舎にいるときはいつもそうなのだ。昼も夜も。誇張でもなんでもなく、秘書官はランガーの下について以来、いちども彼が眠っているところを見たことがなかった。

 いきなり部屋を訪れ、あまつさえ度を失っている秘書官の醜態にランガーは辟易した。いったい何事だというのだ。秘書官は就寝していたところを大急ぎで駆けつけたのだろう。くたびれたコットンの肌着に制服の上着をはおっただけの姿である。見苦しいことこのうえない。


「総督、危急の報です! さきほどオットー政務官から連絡があり、総督府が何者かによって襲撃を受けたようです」

「襲撃だと」


 不穏な言葉とは裏腹にランガーは表情ひとつ変えなかった。

 こうなることは予想がついていた。だから言ったのだ。イシュラーバードのドワーフたちは抜け目がない。あそこは軍事力で統治せねばならなかった。不可能ではないはずだろうに。しかし、皇帝は及び腰でドワーフのイシュラーバード議会と和平を以て対話の道を推し進めた。資金援助したあげく、いずれは不可侵条約さえ結ぼうとしている。現地の土着民を甘やかした結果がこれだ。そのツケを払うのは誰だと思っている。わたしではないか。

 ランガーのなかで苛立ちが募った。黙ったままの彼に秘書官は固唾を飲んでいた。が、そのうち、


「……いかがなさいますか」

「うろたえるな。賊は何人だ」

「オットー政務官によると、三十人以上のドワーフ族が押し入ってきたと」

「目的は?」

「なにやら反帝国を主張しているようですが、くわしいことは皆目……」

「ほう。いまどき気概のある連中ではないか」


 ランガーは鼻を鳴らし冷笑した。


「警備隊のシャルパンティエ隊長にもお伝えしました。現地へ向かわせますか、おそらく準備しているころでしょう」

「それでは時間がかかりすぎる。わたしがゆこう」


 言って、ランガーが立ちあがった。

 黒いローブの巨漢。およそ魔術師とは思えないランガーの体躯に、秘書官はあらためて目を瞠った。

 いくら由々しき事態とはいえ総督が自ら出向くとは。どういう酔狂かと秘書官は当惑する。彼はランガーの操る魔術がどれほどのものか知っていた。あれは超巨大ゴーレム・ハイリガーレイヒャーの建造のため、石切場の集積所から資材を運ぶときだった。ランガーは、おびただしい量の石材を地下の作業場へ魔術を使って移動させたのだ。小山ほどに積んであった重量のある膨大な石の塊が、いっせいに宙に浮いて地下への搬入口に消えていった。人力では何日もかかるだろう作業が、あっという間に終わったのである。いま思い出しても信じられない光景だった。


「すぐに戻る。留守を頼むぞ」


 とランガー。その窓辺に立つ魔術師の手が印を結び、呪文の囁きが聞こえた。

 つぎの瞬間、ランガーの姿が煙のごとく消える。〝空間転移〟の呪文。ふたつの離れた空間を同等の範囲だけ切り取り、それらを置換させる高等呪文だ。

 ランガーの私室にひとり残された秘書官は呆気にとられたあと、身を震わせた。あの強大な魔力を持つ冷酷な男が向かったとなれば、ただではすむまい。

 総督府では、なにが起こるというのだろう。

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