「誰と話してたのよ」

「誰と話してたのよ」


 ロベルトに声をかけられる寸前、ノアは手に持つ念話石を山になっている洗濯物のなかに押し込んだ。それから顔をあげ、自分と同じく強制収容所に囚われている男へと目をやった。


「いや、誰とも。独り言だ」

「あらそう」


 ノアから少し離れたところに立つロベルトが、つまらなさそうに言う。

 ふたりは水場にいた。昨日、ノアがここへ隠しておいた念話石は誰にも見つかっていなかった。それで彼は今日、ひとりになる機を窺ってローゼンヴァッフェと連絡を試みたのだが、念話に気を取られすぎたようだ。あぶなかった。念話はどうも慣れない。知らずに声が出てしまっていたらしい。

 ロベルトにこちらを不審がる様子はなく、ノアはほっとする。しかしこの男、いつもは洗濯の仕事をほとんどこちらへ押しつけているくせに、なにをしにきたのだ。


「なにか用か」


 ノアが訊いた。


「あんた、洗濯はもういいよ。石切場のほうで手が足りなくなったから、そっちに回されるんだってさ」

「石切場?」

「収容所の北にあんのよ。坑道のほかに、囚人を奴隷みたいにこき使う場所がね。正門の詰所までいきな。そこにいる奴が連れてってくれるよ」

「洗濯は誰がやるんだ」

「あたしに決まってるでしょ。いやなのよねえ、手が荒れるし」


 ぼやくロベルト。

 ノアは洗濯物の山を整えるふりをして、さっきその下へ潜り込ませた念話石をふたたび取り出した。こいつを置いてゆくわけにはいかない。念話石は手で握ると、ぎりぎり目立たない大きさである。そうしてから、ノアはロベルトに言われたとおり正門の詰所へと向かった。

 詰所は正門の内側に設けられた小屋だった。常時、数名の獄吏と警備隊員が配置されている。すぐそばには監視砦がそそり立ち、収容所からの出入を厳重に見張っていた。

 詰所の警備隊員にはすでに話が通っていた。ノアは足枷をかけられたのち、収容所の外へ連れ出された。鎖で繋いだ鉄の環を見たとき彼はどきりとしたが、足枷でよかった。手枷ならば、持っている念話石が発見されていたかもしれない。両足首を鎖で繋がれるあいだ、ノアは念話石が見つからないよう手を掻くふりをしてごまかした。いや、実際に痒いのだが。何日も冷水による洗濯で酷使された彼の手は、あかぎれで皮膚が脂分を失い、ひび割れてひどい状態だったのだ。

 警備隊員に先導されて強制収容所から北へと向かう。登りの山道。足枷をつけているので歩きにくい。もたもたしていると後ろにいる別な警備隊員に尻を蹴られた。相手はふたりなうえ、武器を持っている。刃向かうのは愚挙である。ノアはおとなしく我慢するしかなかった。

 やがて山道の先に、あきらかに人為的に地面を削り取ったと思える妙な場所が見えてきた。一辺が五〇メートルほどの四角い窪みがある。深さも相当なもので一〇メートルはあったろう。そこが石切場だった。人間とドワーフの囚人が多数おり、火山岩を採石しているのだ。

 巨大な四角い作業場の傍らには帆布の天幕が張ってあった。そちらへ近づくと内には囚人の監視役と思しき者が二名。休憩中だ。乾燥させた家畜の糞を燃やすストーブで暖を取っている。それぞれ手には椀を持ち、おそらくバター茶を飲んでいた。香ばしい匂いにノアは空腹を覚える。毛長牛の乳から作った牛酪入りの真っ黒な茶は、ノアもイシュラーバードの街で飲んだことがあった。


「よう、こいつはどうするんだ」


 ノアを伴う警備隊員のひとりが言った。


「ウルタンのところへ連れてゆけ。あいつが親方だ」


 天幕にいた監視役の男が四角い窪みのほうを指さし、そう答える。

 ノアは作業場となる窪みのほうまで連れてゆかれた。作業場には一カ所だけ梯子がかけられ、下へ降りられるようになっている。その広い場所では二〇人から三〇人ほどの囚人たちが作業中である。随所に散らばって、ハンマーと鑿で硬い石壁や地面に小さな穴を掘っている。等間隔に穿たれた矢穴と呼ばれるそこへ楔を打ち込み、石材を割り採るのだ。あたりでは矢穴を掘るために鑿とハンマーを使う音が、途切れることなく響いていた。


「おーい、ウルタン」


 警備隊員が上から呼びかける。まもなくドワーフの囚人がひとり、作業の手をとめて梯子のところまでやってきた。


「補充の囚人だ。仕事を教えてやれ」


 そのまま警備隊員は消えた。ノアの足枷は外してもらえなかった。彼は梯子の踏桟から足をすべらせないよう気をつけながら、作業場の下へ降りた。


「なんだ、おまえか」


 ノアの姿を見たウルタンが言う。数日前、ノアとともにワイバーンの獣舎でハイランドオオカミと戦ったドワーフは、彼のことを憶えていた。


「あんたがここの親方なのか」


 とノア。


「そういうことになってる」

「人望が厚いようだな」

「ほかにやる奴がいないからな」

「おれはなにをすればいい?」

「ほかの連中と同じことだ。石切の仕事はきついぞ。最初は石の運搬をやってもらう」


 ついてくるよう手で促し、ウルタンが歩き出す。ノアは彼の横に並んだ。


「ウルタンあんた、ここは長いのか」

「二年ほどいる」

「おれはまだ一週間くらいだ。いますぐにでも逃げ出したい」

「奇遇だな。わしもそう思ってる」

「これまで脱獄に成功した者は?」

「いない。──いや、ひとりいたか。ノーム族の魔術師だ。ここに囚われてなにかの研究をしていたようだったが、噂では魔術を使ってとんずらしたらしい」


 ウルタンの身長は一五〇センチほどだろうか。ノアの胸あたりに彼の頭があった。ノアは歩きながら、さりげなくウルタンの耳元で囁くようにして、


「外と連絡がつけられる」


 ウルタンは足を動かしつつ、ちらりとノアを見あげた。


「どうやって?」


 ノアは手を開いて、ずっと持っていた念話石をウルタンに見せた。


「念話石。魔術を使ってテレパシーを送ったり受けたりできる代物だ」

「おまえ、外に仲間がいるのか」

「イシュラーバードに。名前はヨアヒム・ローゼンヴァッフェ」

「ああ、そいつなら知ってるぞ。カネに汚い小悪党だ」

「ほかにローランドからきた、おれの友人。あとはドワーフ族が二〇人ほど」

「なにを企んでる?」

「近いうち、イシュラーバードにある帝国の総督府がドワーフたちに襲撃される。こいつは陽動だ、収容所の警備隊を外へおびき出すためのな。おれはその混乱に乗じて、ここから連れ出してもらう予定だ」

「警備隊が収容所を空にするとは思えん。いくらかは残るだろう」

「だから、あんたに頼みたい。事がはじまったとき、ここのドワーフたちにも蜂起してもらいたい。そうすれば皆で逃げられる」


 石切場の監視体制は緩かった。しかし数名いる監視役たちは時折、窪みの上から囚人たちの様子を確認していた。とりあえず作業している姿を見せなければならない。

 ノアとウルタンは作業場の隅にある差し掛け小屋へ向かった。囚人の休憩所を兼ねた採石道具の置き場となっており、ノアはウルタンに言われてそこへ念話石を隠した。それからふたりは、切り出されたまま近くに転がっていたひと抱えほどもある石材のところまで歩いた。ウルタンはまずそれを梃子で持ちあげ、下に縄を通した。つづいて石持棒という長い丸太と石材を縄で結びつける。重量のある石材はそのようにして石持棒で吊り下げ、ふたりがかりで運ぶのだった。

 ノアが前方、ウルタンが後方となり、石持棒を担いで縦に並んだふたりは、石材を作業場の南にある集積所へ運びはじめる。

 肩に丸太が食い込み、ノアは思わず呻きを漏らした。足下がふらつく。収容所の粗食にしかありつけていないせいだ。体力の低下が自分でもわかった。


「おまえは信用できる。いっしょに戦った仲だからな。だが、やめておけ。さっきの話は無謀ってもんだ」


 と、ノアの背に向けてウルタン。


「あんたもここから出たいだろうに」

「もちろんだ。しかし、いちどきりの勝負にすべてを懸ける気はない」


 ノアにはウルタンが情に厚く、責任感の強い人物であるのはすぐにわかった。それゆえ自分はともかく、軽々しく仲間の命を危険にさらすことはできないのだろう。豪毅なドワーフ族にしては用心深いといえる。収容所生活で気弱になっているのか。しかし、ここにいるドワーフたちの協力があれば心強いことこのうえない。なんとかウルタンを奮い立たせる方策をノアは思案した。

 思いあたったのは、ササラだ。イシュラーバードにいるウルタンの娘。彼女の話を持ち出せば、こちらの提案に乗ってくる可能性がある。


「言いそびれていたが、イシュラーバードでササラに会ったぞ」

「ササラに?」


 ウルタンの声音がやや高くなった。


「街で偶然に知り合った。あんたのことも聞いていたんだ。彼女は、あんたがまだ生きていると信じてるようだった」

「……元気だったか?」

「十分すぎるほどに。じゃじゃ馬だな。ドワーフの女は、みんなああなのか」

「わしの娘だからな」


 ノアからは見えなかったが、ウルタンはうれしそうに相好を崩す。そして彼は、


「ひとつ訊きたい。おまえ、いったい何者なんだ。どういう理由でここへくる羽目になった?」


 ノアにしてみれば素性を明かすことにはためらいがあった。が、ウルタンの信頼を得るためには仕方がない。


「おれはローランドのオーリアからきた。マグナスレーベン帝国がここでなにをやっているのか、調査しにな。ところがドジを踏んでこのざまだ」

「ニンゲンどうしのいざこざか……」

「そのとおりだ。しかし、あんたと仲間にとっちゃいい機会だろ。どうする? やるのか、やらないのか」


 ウルタンは悩ましそうに吐息を漏らし、口を閉ざした。家族の話をされて心が揺らいだのだろう。

 ふたりは集積所に石材を降ろし、差し掛け小屋へ戻った。そこでウルタンは石切用の手道具を取ると、なにを思ったか地面に置いた鑿の先端をハンマーで叩いた。鑿は刃が欠け、使い物にならなくなる。


「ついてこい」


 とウルタン。どういうつもりなのかわからなかったが、ノアは彼に従った。

 ウルタンは作業場の梯子がかかっている場所までゆくと、上にいる監視役へ声を張りあげた。


「道具が壊れた。もう予備がない。新しいのを鍛冶場まで取りにいかせてくれ」


 まもなく監視役のひとりが窪みの縁から顔を覗かせる。


「よし、あがってこい」

「この新入りも連れてゆくぞ。鍛冶場での仕事を教えておきたいからな」

「ああ、わかった」


 許可を得て、ノアとウルタンは梯子を登った。それからノアはふたたび警備隊員に連れられ、ウルタンとともに強制収容所へと帰った。

 収容所に着くと、警備隊員は用事が済んだらここへこいとふたりに言い含めて、暖かい詰所のなかへ入っていった。職務怠慢というより、どうやらウルタンは獄吏からもあるていど信用されているようだ。

 ノアを伴ったウルタンは敷地の南端に沿って歩き、厩舎のほうへ向かった。鍛冶場は厩舎のすぐ隣にあった。なかへ足を踏み入れる。誰もおらず、炉の火も消えていた。この鍛冶場はノアが数日前、ランガー総督と警備隊員によって拷問されそうになった場所だ。ノアの脳裏でいやな思い出が甦った。


「おい、手を貸せ」


 鍛冶場の奥へ進んだウルタンがノアを呼んだ。彼の前にはずんぐりとしたばかでかい素焼きの水甕がある。ふたりは重いそれを押して、横へずらした。すると水甕の下に穴が掘られている。その土中には、ぼろ布で包んだなにかが隠してあった。

 ウルタンが膝を曲げ、汚れた布をめくって包まれているものをノアに見せた。手斧、短剣など、小ぶりで簡素な作りだが最低限の働きには耐えられそうな武器の数々だった。


「わしらも黙って座していたわけじゃない。いざというときのために備えはしてあった。坑道や石切場で使う道具の手入れをするのに、鍛冶場での作業は許されていたからな。隙を見て、こっそり用意しておいたのさ」


 ウルタンが言って、にやりと笑う。相手の意図を理解したノアは肯いた。


「なら、こいつをおれに見せたということは──」

「おまえたちに協力する。くわしい計画を聞こうじゃないか」

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