「あきれちゃいますね──」

「あきれちゃいますね──」


 馬上のハーマンが言った。


「そんなことで百人隊長の地位を棒に振るとは、軽率すぎやしませんか?」


 するとハーマンの隣で同じく馬に揺られているクリスピンは、常と変わらぬ涼しい顔を自分の従騎士へと向けた。


「かまわんのだ。ゴールデントゥイッグ殿に会いにいったときから、わたしはそのつもりだった」


 晩春の朝。陽は暖かく、風は少し冷たい。澄み切った空は高いところがほんのりと薄紫に色づいていた。ノスリかミサゴか、一羽の腹の白い鳥がふたりの頭上を渡ってゆく。

 ラクスフェルドの街をあとにしたクリスピンとハーマンは、いま北へ向かっている。一路ハイランドへ。つい先刻、クリスピンは国王騎士団において降格を申し渡された。団長のグリムによれば、それはクリスピンへの制裁らしい。理由は国王陛下への忠誠義務違反。どうやらゴールデントゥイッグからマントバーンへなされた進言によって、クリスピンが内々で進めていたノア・デイモンに関する調査の件がばれてしまったのである。そのうえ、死霊術師を使ってオーリアでは禁忌とされている交霊術を行ったのがまずかった。本来なら騎士身分の剥奪となる逸脱行為だとグリムは言っていた。そうならなかったのは、彼がクリスピン家の子息だということと、おそらくはゴールデントゥイッグが手を回してくれたのだろう。

 そこで晴れて下級騎士となったクリスピンが最初に申し渡された任務は、外交郵袋の運搬である。他国に置かれた大使館へ本国からの文書などを運ぶ仕事だ。

 クリスピンは伝書使としてイシュラーバードのオーリア大使館へ赴くことを命じられた。きっとこれもゴールデントゥイッグが取りまとめたのだろう。うまいやり方だった。イシュラーバードへ合法的に入り込めるし、もはやほとんど失うものがなくなったクリスピンは、そこですきに行動ができるというわけだ。


「呑気だなあ、うちのマスターは……」


 馬上で身をのけぞらせ、天を仰いだハーマンがぽつりと言う。


「なにか言ったか?」


 とクリスピン。


「いえ、主人が下級騎士となった従騎士の未来はどうなるのかな~と思っただけです」

「騎士はわたしだけではない。ほかの誰かに師事すればいいだろう」

「いやですよ、そんなの」

「だいたい、どうしておまえがここにいるんだ。わたしはついてこいなどとは、ひとことも言ってないぞ」

「うわあ、それをおっしゃいますか。ぼくはマスターひと筋で浮気などせず、あなたの薫陶によって国王騎士になりたいだけなのに」

「おまえがそんなに律儀だったとは、知らなかったな」


 笑いながらクリスピンが言う。するとハーマンはしゅんと肩を落として、


「イシュラーバードで助けを待っているのは、マスターの古いご友人なんでしょう。ぜひ手伝わせてくださいよ」

「おまえでは荷が勝ちすぎる。下手をすれば、生きて帰れるかどうかもわからんぞ。それでもいいのか」


 たじろぐハーマン。しかし彼はすぐに気を取り直した。


「お、お供しますとも!」


 ふたりがハイランドまで辿り着くのには五日を要した。道中は滞りなかった。正式な使節ということで、イシュラーバードへもすんなり入ることができた。

 そして旅の埃をかぶったまま、クリスピンたちがまず向かったのは、街にあるオーリア大使館である。といってもそこは近隣の住宅と大差はなく、日乾煉瓦で建てられた砂色の四角い建物だった。ほかとの相違らしきものは、三つの丸い点を組み合わせたオーリア正教会の紋章を掲げてあるくらいだ。神聖王国時代は国外でユエニ神の教えを広めるための教会だったそれが、現在では大使館として使われているのである。

 大使館のなかへ入ったクリスピンは、外交郵袋の搬送手続をハーマンに任せて自分は大使と面会した。応接室で待っているとオーリア大使であるカントーニがすぐにやってきた。彼は大使ということだったが、オーリア正教会の紫紺の法衣を身にまとっている。たくましく上背のある男で、外交官や聖職者の印象ではなかった。

 軽い自己紹介のあと、ふたりは応接室の低いテーブルをはさんで向かい合わせに座った。


「名家のご子息が、こんな辺境までご足労とは」


 と、にこやかにカントーニ。


「諸事情が重なりまして」

「ならば、深くは聞きますまい」

「いや、ぜひとも聞いていただきたい。わたしが足を運んだ理由は、イシュラーバードにあるマグナスレーベンの租借地で起こっている件のことです」

「あの、降って湧いたような懸案ですな」


 説明の手間が省けてクリスピンはほっとした。


「それではノア・デイモンのことも?」


 神妙な顔で肯くカントーニ。


「聞き及んでおります。わたしの管轄区域で起こったことですからな。どうやら秘密的な任務に就いていたところ、姿を消したらしいと」

「彼はわたしの友人なのです。で、行方のほうは?」

「いいえ、残念ながらそこまでは」


 カントーニはすまなそうに首を横に振った。


「やはり……。ここまできては隠す必要もない。ノア・デイモンは帝国に捕らえられた可能性が高い。わたしの目的は、彼を救うことです」

「そうでらしたか。どうりで、なにか思い詰めた目をしておいでだった」


 クリスピンの話にカントーニは膝を乗り出し、先をつづけるよう促した。


「しかし解せないのは王宮の対応です。陛下はなぜ帝国のゴーレムを破壊しようとされないのか。カントーニ大使のほうへは、ラクスフェルドからなにか指示が?」

「静観せよとのことで、ほかにはなにも。いまはオーリアもまだ国内の統制が十分でない状況です。迂闊には動けないのでしょう。南方の諸侯の一部が、密かに反体制の同盟を結んだとも聞きます。陛下は、そちらへ睨みをきかせるために軍を差し向けるおつもりのようだ」

「遠く離れた地にいながら、よくご存知で」


 意外だった。オーリア南方のいざこざはクリスピンも承知だった。彼は僻地で閑職に追いやられたと思っていたカントーニへ、ちょっと驚きの目を向けた。


「オーリア正教会の情報網を甘く見ないほうがよいですな。各地にある教会と巡礼者を利用すれば、こんなところでも大陸の情報はいくらでも入手できます」


 とカントーニ。

 なるほど。クリスピンは納得する。オーリア正教会が隆盛のころ、カントーニは布教のほかに国外で諜報活動もやっていたにちがいない。侮れない男だ。きっと彼はそこを買われて大使を任ぜられたのだろう。


「ところで、今回の帝国の目論見に対してドワーフ族の動きはどうなっているのです? ここは彼らの土地だ」


 クリスピンが訊いた。


「たしかにドワーフによるイシュラーバード議会も、あらかたを察知しているでしょうな」

「ならば協力して帝国を追い出すことができるのでは。この地で帝国がのさばって困るのは彼らとて同じなはずだ」

「それは難しいですな」

「どうして?」

「イシュラーバードのドワーフたちが、帝国の援助を受けているからですよ」


 クリスピンは困惑した。


「わたしが知っているイシュラーバードでは、セイラム回廊をめぐってマグナスレーベンとドワーフが争っているはずだったが……」


 それを聞いてカントーニは静かに笑った。そうして、


「貴卿は、ここのドワーフ族と関わりを持たれたことがないようですな」

「ええ」


 と、素直に肯くクリスピン。


「ドワーフ族は地下の鉱石を採掘して暮らしています。彼らは地下資源を、信奉するクーデル神よりの賜り物として、生涯地面を掘りつづけるのです。そして何年か、あるいは何十年かして掘り尽くせば、ほかの土地へ移る。ドワーフはそうやって部族単位で分かれ、大陸の各地で生活している。しかしイシュラーバードのドワーフは、特別といえるでしょう」

「というと」


 講説のようになってきたカントーニの話を、クリスピンは興味深く聞いた。


「ドワーフは排他的で自主独往を好みます。しかしイシュラーバードは殊のほか地下資源が豊富だ。さらにマグナスレーベン帝国とオーリア王国の中間地点にあり、人の往来も多い。たしかに昔はそのせいで当地のドワーフ族と帝国が衝突しました。だがいまはちがう。イシュラーバードのドワーフは人間と交易することを学んだのです。結果、人が集まり交易地として栄えたはよいが、街の運営には手間とカネがかかる。帝国はそこに目をつけた。援助と称して大金をばらまき、ドワーフたちを骨抜きにしています」

「懐柔策による親帝国化……」

「そうです。現状は過去の緊張状態がやわらぎ、もうかなり帝国寄りへ傾いているといってよい」


 予想外の事実にクリスピンは口を閉ざした。イシュラーバードのドワーフ族を巻き込み、それでオーリアから見捨てられたノアを救う。当初、クリスピンはそう考えていたのだ。が、彼の思惑はあえなく崩れ去った。


「なんとか、ドワーフ族をこちら側へ引き込めないでしょうか」 

「無理ですな。もともとドワーフは地上のことにまるで興味がない。人間どうしの諍いとなれば、なおさらだ。わたしも布教のために長らく心を砕いたものの、彼らは頭が固いのです。それこそ岩のようにね」


 カントーニに言われ、クリスピンはドワーフが岩を食べるという話を思い出した。いや、それはトロールだったか。


「一計を案じて乗り込んできたつもりでしたが、こうも分が悪いとは」


 力なく自嘲するクリスピン。

 思えば、ラクスフェルドの王宮もいやにすんなりとイシュラーバード行きを認めてくれたが、おそらくはこうなるのを見越してのことだったのかもしれない。

 もはや一介の騎士が立ち入れないほどに問題は大きくなっている。クリスピンは自らの無力さを感じた。こんな王国から遠く離れた場所まできて、とんだ徒労だ。

 消沈したクリスピンへカントーニが気の毒そうな目を向けた。


「唯一の救いは、マグナスレーベン帝国があのゴーレムをすぐには使おうとする気配がない点ですな。おそらくいまはオーリアの──特に新王であるマントバーン陛下の──反応を窺っている段階だと思われます。あれが強力な兵器であるのは事実。しかしそれだけに使いどころが肝要だ。将来的には抑止力としてイシュラーバードに据え置くつもりなのでしょう」


 カントーニの冷静な言葉を聞くごとにクリスピンの気持ちはさらに沈んだ。そして最後に、オーリア大使はクリスピンを労るような口調でこう言った。


「悪いことは申しません。ラクスフェルドへお帰りになるのがよい。ここであなたができることは、なにもありません」


 クリスピンが応接室を出ると、廊下でハーマンが彼を待っていた。


「いかがでした」


 自分のところまでやってきた従騎士にクリスピンはかぶりを振って見せた。


「困ったことになった」

「なんです、それ」

「おまえに話しても詮ないことだ。わたしは少々疲れた……それに、腹が減った」

「じゃあ、どこかでご飯でも食べましょうよ」


 クリスピンとハーマンは大使館を出た。時刻は昼を回ったころだ。今日はふたりとも、朝にお茶と携行糧食を口にしたきりだった。

 しばらく、街を見て回った。埃っぽい雑踏を歩く。クリスピンはぼんやりとして足取りも重かったが、ハーマンのほうは旅の疲労が積もっていながら、異国情緒あふれる街の様子に興味津々といったふうである。

 ふと、クリスピンは誰かが自分のマントを引っぱっているのに気づいた。歩みを止めて後ろを振り返る。すると傍らに、民族衣装を着たドワーフの子供が、ぽつんと立っていた。


「あの、騎士さま、これを……」


 異国の騎士がめずらしいのか、ドワーフの少女はクリスピンをまじまじと眺めつつ彼になにかを差し出した。

 クリスピンは腰を屈めて小さな手から折り曲げてある紙片を受け取った。胸にオーリア正教会のメダリオンを提げたドワーフの少女は、くるりと身をひるがえして、その場から走り去っていった。


「どうかしましたか」


 とハーマン。

 クリスピンは紙片を開き、それに書かれてある文字を読んだ。まもなくして、彼はマントの隠しに紙片をしまった。そうして、鋭い視線であたりを見回す。


「ハーマン、この近くに夢の国亭という宿があるらしい。いまからそこへ向かうぞ」


 いましがたとは打って変わったクリスピンが、足早に歩き出す。ハーマンもあわててそれにつづいた。

 クリスピンが受け取った紙に記されていたのはカントーニからのメッセージだった。その内容は〈夢の国〉亭にヨアヒム・ローゼンヴァッフェという男がおり、彼はイシュラーバードでノア・デイモンが最後に会った人物であるというもの。カントーニが大使館の外でクリスピンにそれを知らせたのは、人目をはばかったのだろう。事情を知ったとて、さすがに表立って協力はできまい。立場のある彼なりの、苦肉の策だ。

 クリスピンはカントーニに感謝した。そして彼は紙片に記された場所へ足を運び〈夢の国〉亭を見つけた。亭主の男に訊ねると、ローゼンヴァッフェは二階の部屋にずっと前から逗留しているという。ふたりは取りも直さずそちらへ向かい、クリスピンが押し入るように部屋の扉を開けた。

 水煙管の煙が充満する室内。寝台で寝そべり魔術書を開いていたローゼンヴァッフェは、突然に現れたクリスピンとハーマンを見て目を丸くする。


「おい、誰だ。なんだいきなり」

「おまえがローゼンヴァッフェだな」

「そうだが」


 とローゼンヴァッフェ。

 クリスピンは散らかった部屋へずかずかと足を踏み入れ、寝台に近寄った。


「ノア・デイモンはどこにいる?」


 低めた声で問いつつ、クリスピンが腰の剣帯からアーミングソードを抜いた。その剣先を鼻先に突きつけられ、ローゼンヴァッフェは息をのむ。度を失った彼は手に持っている魔術書を盾のようにして自身の前で掲げると、


「ま、待て。いったん落ち着け。な? おれは──」

「御託は無用! 偽りを述べればこの場で斬り捨てる」


 その血相を変えたクリスピンの背後から、ハーマンがひょっこり顔を出す。


「おとなしく話したほうがいいと思います。この人、本気ですよ」


 見知らぬふたりを前にローゼンヴァッフェは呆然とするばかりである。いったいなんなんだ、こいつらは。

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