カントーニ大使が用意した

 カントーニ大使が用意した隠れ家では、いま数人の男女がじっとなにかを待っていた。重苦しい静寂が土壁で囲まれた室内に満ちている。クリスピン、ローゼンヴァッフェ、ハーマン、そしてササラ。いずれもが神妙な顔つきでひとつのテーブルを囲んでいた。皆、擦り傷だらけな天板の中央に置かれた念話石を見つめている。白い凍石か雪花石膏のように見えるそれは、丸い形をした小さな魔術道具である。エーテルが充填されており、その念話石が一対あれば魔術の心得がない者どうしでも、テレパシーを使って遠隔地との意思の疎通が図れるのだ。

 クリスピンが自分の前にあった椀を手に取り、緑色のチャイをすすった。少し前にササラが淹れた香草茶は、もうすでに冷たくなっていた。

 日暮れが近づいて室内が冷えてきた。ハーマンがストーブの燃料を足そうと席を立った。そのとき、念話石がほのかに輝きを帯びた。

 ローゼンヴァッフェが弾かれたように動いて念話石を手に取った。彼がそれを顔の前まで持ちあげると、イシュラーバードより遠く離れた強制収容所にいるノア・デイモンからの念話が、頭に流れ込んできた。


『おれだ。いるのか、ローゼンヴァッフェ?』

「ああ。話せ」


 とローゼンヴァッフェ。もう何度目かの念話を交わしており、すでに彼らの計画は詰めの段階に入っていた。しかしクリスピンやササラを交えての連絡は、今回が初めてである。


『ドワーフの連中と話がついた。皆、おれたちに協力するそうだ。ウルタンが言うには、ここには十二人のドワーフが囚われている。少々弱ってはいるが武器の数も増やしたし、戦力になるはずだ』

「そりゃいい。こっちの準備も進んでいるぞ。明日の夜には事を起こせるだろう」

『具体的に、どうやるんだ』

「モサラをリーダーとしたドワーフの一団が帝国の総督府へ夜襲をかける。制圧は容易かろう。あそこに配置されている警備は数が少ないからな。そして帝国の職員を人質にして、あいつらにはしばらく立て籠もってもらう予定だ」

『収容所の警備隊はどうやっておびき出す?』

「総督府には収容所と連絡を取る設備があるはずだ。いまおれとおまえがしているように、念話石を用いた即時通信を可能とする設備がな。それを使って収容所に救援を要請すれば、奴らはのこのことイシュラーバードへやってくるにちがいない」

『うまくいくといいが』

「いくさ。それより心配なのはそっちだ。収容所にはランガーがいる。いいか、奴と戦おうなどと思うな。力量が知れん魔術師ほどおそろしいものはないぞ」


 ローゼンヴァッフェが念を送った直後、クリスピンが彼の手から念話石をひったくった。


「ノア、わたしだ。クリスピンだ。おまえ無事なんだろうな」


 念話石を握りしめ、クリスピンは声に出してそう言った。


『リアムおまえ、よくここへこられたな。誰の命令できたんだ』

「命令など出ていない。手を尽くしてようやくこられた。残念だが、向こうじゃ誰もおまえのことを気に懸けていなかったよ。わたし以外はな」

『そいつは手間をかけさせたな。感謝する。また会えたら酒でも酌み交わすか。おれが奢ってやる』

「呑気な奴め。いいか、計画がはじまったら、わたしもすぐそちらへ向かう。それまで死ぬんじゃないぞ」


 その言葉が終わらぬうち、今度はササラがクリスピンの手から念話石を奪い取った。


「デイモン、父さんと会えたんだろ? 元気なの? いまそこにいるの?」

『ササラか。ウルタンは近くにいるが、念話をさせるわけにはいかない。おれはいま見張りの目を盗んで連絡をつけている。だが、おまえの父親は五体満足だ。心配しなくていい』

「よかった……ありがとうよ、あたしの頼みを聞いてくれて。このお礼は必ずするからね」

『いや、気にするな。それは必要ない』


 ノアは以前、ササラが自分に夜這いじみた行動をしてきたの思い出し、きっぱりと断った。

 そこで念話石がササラの手からローゼンヴァッフェへと戻る。


「デイモン、こちらの準備はすでに整っている。決行は明日とする。ドワーフどもにも伝えておけ」

『わかった。手はずを確認するが、警備隊の一部がイシュラーバードの街へ向かったあとで、おまえたち別働隊が収容所に潜入。そして牢を開けたのち、全員が合流して収容所からおさらばする──これでいいんだな?』

「そういうことだ。急ごしらえな計画ゆえ、不確定要素が多いのは仕方がない。いざとなれば臨機応変にゆくぞ」

『ああ。では明日、こちらで会おう』


 念話が途絶える。

 いよいよはじまった。事態が大きく動こうとしていた。その内と外に身を置く、さまざまな思惑を持つ者たちによって。

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