第18話 『信長症候群』4

 一五八二年六月二一日。この世界の暦。

 今日、本能寺という神殿で魔王と呼ばれた織田信長は家臣の明智光秀の謀反によって命を落とす。


 ――となるはずだった


 それが資料にあるこの世界の歴史だった。

 だけど真実は違った。


 本能寺の変は豊臣秀吉によるクーデターだった。


 秀吉は信長の力を全て手に入れ、自らが王となるために明智光秀をそそのかし、クーデターを計画していた。そして主君殺しの汚名を全て光秀にかぶせた後、光秀を切り捨てる計画を立てている。

 これが、少なくともこの世界の歴史の真実だ。


 そして信長症候群の発症者はその「明智光秀」だった。





 先生からの通信は長篠の戦いから一度もなかった。

 先生はとても激しかったという噂の石山合戦で……おそらく……。


 先生がいなくなってしまってもこの世界の崩壊は阻止しなくちゃいけない。

 それが私達がこの世界に来た理由だから。

 私とグレンさんは光秀について回って、多くの戦いで活躍した。おもにグレンさんがだけど。

 そうして光秀の信頼を得た私たちは詳しい話を聞くことができた。


 光秀の中身は未来の世界から来た高校生だった。

 彼は明智光秀の子孫で代々伝わる独自の研究資料の解析によって歴史の真実を知り、先祖である明智光秀の汚名を払いたいという一心でこの時代にやってきたのだった。


 彼は未来の知識とグレンさんの大騎士級の力を使って織田信長に取り入り、他の家臣も羨むほどの大出世を達成した。

 ここまでは歴史通りだ。

 そして、歴史通りに秀吉は光秀にクーデターをともに行うことを持ちかけてきた。


 当然、この光秀は本能寺の変で織田信長を殺すつもりはない。逆に信長とともに秀吉を討つつもりだ。

 だけど、肝心の信長は秀吉のことを完全に信用しきっており、光秀の言うことをイマイチ信用しきっていなかった。


 ――歴史の強制力


 私達がどんなに歴史を変えようと動いても、結果として歴史通りの結果をなぞってしまう。

 秀吉の策略と歴史の強制力によって、結局今日まで決定的な手を打てないままきてしまったのだった。




「今日ここで本能寺の変が起きなければ信長様は死なない。だけど本能寺の変が起きなければ秀吉の裏切りが証明できない。どうすればいいの……」

「やっかいなパラドックスに陥っちゃってるよね。ここまで歴史通りに進めてきたせいで、余計に秀吉に有利な展開になっちゃってる……このままだと全部、秀吉の思い通りになっちゃうよ」

 私とグレンさんは光秀様の居城で最後の軍議を行っていた。すでに何刻も。だけど、いい案は全く思い浮かばず八方塞がりに陥っていた。


 羽柴筑前守秀吉。後の豊臣秀吉。あいつは天才だった。

 私や転生光秀が先の歴史を知っていることをすぐに見抜き、逆にそれを利用してきた。

 秀吉は自分の立場もよく理解しており、私たちがいくら秀吉の出世を妨害しようとしても、結果として秀吉の都合の良い結果を生み、秀吉もまた大出世を達成した。

 もちろん歴史の強制力が後押ししていたと思う。それでも秀吉の機転の良さは尋常ではなく、それはもう一種の特殊能力といってもよかった。

 秀吉は悔しいけれど私達よりも何枚も上手で、未来から来たとか先の歴史を知っているというアドバンテージをもってしてようやく互角に渡り合える、そんな相手だった。




「リコさん、グレンさん、ここまで僕のために動いてくれてありがとうございます。僕は本能寺の変は起こしません。大殿の説得には失敗しましたが、大殿さえ生きていれば歴史は変わる。だから僕は秀吉と戦います!」

 光秀々は私の目をその切れ長の整った瞳で真っ直ぐと見つめて言った。

 カルテではわからなかった、優しくて、それでいて力強い目。

 

「光秀様! それは無茶です! 秀吉は光秀様が軍を動かせばそれを謀反と仕立て上げることでしょう。あいつはそういうのに長けてるんですっ! 大軍を中国へ送ったのはブラフでいつでも光秀様の軍を倒せる準備をして、罠にはめようとして待ち構えているんですよっ!?」


 私は光秀様に泣きながら訴える。光秀様は私の両肩をやさしくつかんで言った。


「ありがとうリコさん。でも、僕はこのためにこの時代に来たんです。たとえ秀吉に滅ぼされようとも、殿を裏切った汚名だけは拭ってみせます!」

「光秀様……」

 私はグレンさんの前なのに耐えきれず、光秀様に抱きついた。光秀々はやさしく抱きしめてくれた。

「リコさん……グス……。こんな、こんな悲しい運命って……ないよ……」

 グレンさんも私も、涙で顔がぐちゃぐちゃになっていた。


 ――絶対に光秀様を救って見せる。私が秀吉を倒して


 ――――光秀様を天下人にするんだ! そして結婚するんだ――――!




(こ ん の バカ助手――――――――――――――――――!!!)


 頭を割るような大声が脳内に響いた。久しぶりの先生からの念話だ。


 ――せ、先生っ!? 生きてたんですか!? 連絡がないから心配したんですよっ!


(当たり前だ! ボクが死ぬわけ無いだろっ! ちょっと力を使いすぎてて連絡ができなかったんだ。そのことは謝るよ。それよりリコくん! 君はいったい何をしているんだ? 今の無駄に力強く漏れていた脳波は正気か!?)


 ――もちろん正気ですよ。私、光秀様を天下人にするって決めたんですっ! 歴史の強制力に打ち勝ってみせます!


(このバカ! その歴史の強制力ってのはボクのことじゃないか! ボクがどれだけ苦労して君たちが引っ掻き回した歴史を元通りにしていると思ってるんだ!)


 なんてことだ。私達が必死に光秀様の運命を変えようとしても、絶対に歴史のとおりの結果になってしまっていたのは先生の仕業だったのか。


 ――先生が邪魔していたんですか!? 光秀様は優しいお方なんですよ。光秀様が天下を取れば信長様だって出来なかった戦のない世をつくれるんですっ!


(アホなのか、アホなんだな君は!? もう時間がない。今日は本能寺の変の当日だ。信長には今日必ず本能寺で死んでもらう。君たちが何をしようと必ずそうなるんだ)


 ――それは秀吉の陰謀なんですよ先生! 大殿も利家殿も、勝家殿も、みんな騙されてたんですっ! 真の黒幕は秀吉だったんですっ!!


(そんな事はもちろん最初から知ってるよ! それがこの世界の運命なんだから!)


 ――だったらそんな運命、私が変えてみせますっ!


(くそう、完全にストックホルム症候群に陥っているな。しかも同時に悲劇のヒロイン症候群まで発症しているぞ、これは。やっかいな……。側に行けばすぐに治療もできるが……今はこちらも手が離せない。しかも、まさかグレンくんまで一緒に感染するとは思っても見なかった。ボクとしたことが……計算を謝るなんて、未来を知っておけばよかったと思ったのはこれが初めてだ!)


「光秀様、私が必ずあなたをお守りいたします。必ずや大殿を救い、秀吉を討ちましょう」

「あたしも協力する! 光秀様に頂いたこの槍にかけて秀吉の首を獲って見せる!」

「リコさん、グレンさん……ありがとう……ありがとうっ!! 僕、最後まで戦うよ!」


 私とグレンさんと光秀様は硬い握手を交わした。

 必ず先生は信長様を殺そうとするだろう。いや「殺させようと」する。光秀様の手で。

 もし信長様が殺されれば、秀吉はそれを大義名分に光秀様を殺しにやってくる。そして全てを手にれるだろう。


 でも、そうはさせない。私がさせない!


 ――敵は、本能寺にあり!


 (誰が敵だ!)


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