第21話 『信長症候群』結

 私たちは元の世界に還る前に寄らなければならないところがある、と先生に言われてとある宿に連れてこられていた。

 本当は私は心身ともに疲れ果てていたので一刻も早く家に帰って寝たかったのだけど。


「先生、これは?」

「せっかく日本に来たんだ。温泉に入らないわけにはいかないな。これは温泉回症候群と言ってね、ああ、症候群とは言っても命に別条はないので安心していいぞ。むしろ健康になるし、なにより数字が取れるんだ。だいたいこれくらいのタイミングで挟む必要がある」


 数字とかタイミングってなんですかね。

 先生はタオルすら巻かずにさっさと湯船に入っていった。


「すごいですね。こんな大量のお湯をこんなに贅沢に使うなんて!」

「この世界は水が豊富な上に、なんとあちこちの地下からお湯が湧いてくるんだ。だから、こんな風に庶民でも大きな浴槽で贅沢に湯に浸かることができる、というわけだが……まあ特に物語的に意味もなく、ただ女のハダカを見せるためだけに入るという症例がほとんどだ。だがボクたちは違うぞ。今回は特に疲れただろ? これは湯治と言ってね、立派な治療行為のひとつなんだ。ボクは怪我や病気はすぐに治すことが出来るが、疲れたカラダや傷んだ筋肉などを癒やすのは苦手だからね。その、二人には今回お世話になったから……あの、お詫びと言うか、えっと、お礼と言うか……」


 先生のいつもの早口が始まったと思ったら急に減速して、最後は消え入りそうな声になってしまった。


「グレンくん、今回の任務お疲れ様だったね。信長症候群の治療はつつがなく完了した。約束通り倍の報酬を支払うよ」

「やったぁー! センセありがとっ! なんだかんだあったけど、すっごく楽しかったな。また私の力が必要なときは呼んでほしいなー! リコさんも元気だしてね!」

「わ、私は全然落ち込んでなんかないですよっ? 別に光秀様のことなんてなんとも思ってないですしっ!」


 ただ、あの後光秀様が死んでしまったことを思うと、やっぱり胸が締め付けられる。

 変えられなかった運命とは言え。


「さて、リコくん。君には言いたいことが山ほどあるんだが……」

 そうだった――! 今回私は先生に何度も楯突いてしまったんだった! 減給!? クビ!? お仕置き!? 存在ごと抹消される!? それとも実験動物に!?


「まずは、すまなかった。謝るよ」

「ひえっ?!」


 先生が頭を下げてきた。

 怒られると思っていた私はびっくりして立ち上がってしまった。

 グレンさんがちょっと赤くなって私の丸出しになったカラダから目をそらしたけど、先生はもちろん目をそらさなかった。


「患者に入れ込んでしまうのはボクにも経験がないことはないしね。うかつだった。初めての信長症候群の治療中に君のサポートをおろそかにしてしまったボクの責任でもある。本当に済まなかった」

「そ、そ、そんな。頭を上げてください先生! 私の方こそちゃんと考えて行動できずにすみませんでしたっ! 危うく世界の崩壊を招いてしまうところだったんですよね……」

「どうしてもね、治療が長引けば患者に情が移ることもある。だから今回のことで君を責めるつもりはないよ。むしろよくやってくれたと思っている」


 先生のほうこそ、今回の治療はとても大変だったんだと思う。

 あのなんでもできちゃう先生が念話をしばらく出来なかったほどなのだから。歴史の修正のためにあちこちと奔走していたことだと思う。


「ちなみに、あの後なんだが……。明智光秀の『討ち死に』寸前にね、光秀の中にいた高校生は元の世界に戻しておいたよ。あのまま死なせてしまっても良かったんだがね……最後の君たちの会話は君のダダ漏れの脳波で聞こえていたよ。ま、あの様子ならもう光秀くんも同じことは二度とやらないだろうしな。彼も元の時間軸へ戻ってしまえばなんの力も持たないただの高校生だ。少々中身は年老いていることにはなるけどな」


「先生っ!!」


 私は先生に飛びついた。

 やっぱり先生は先生だ。

 初めは治療のことにしか頭にないんじゃないかって思っていたけれど、そうじゃない。

 先生は私のことも先生なりに大切にしてくれているのだ。

 先生は完璧主義で、この星空をひっくり返せるほどの力を持つ医療技術と、この絶え間なく溢れ出る温泉のお湯のように膨大な知識を持っている。けれど、実は少し抜けているところがあって、ちょっと常識がずれてて、かなり不器用で、そして、とても優しい。


 先生と一緒にいるとすごい体験が出来てしまう。

 今回はタイムトラベルに異世界ワープに世界の運命を決める戦い。本当に、すごいとしか言いようがない体験のオンパレード。それに燃えるような恋も。


 温泉はとても気持ちよくて、体と心の疲れがお湯に溶けていくようだった。

 先生はチラチラとこちらの様子をうかがっていたようだけど、私が気持ちよさそうにしているのを見て、ようやく満足そうな顔になった。いつもの先生の顔に。


 信長症候群はしばらくは御免被りたいけれど、温泉回症候群なら毎日でもいいな、なんて思ったのでした。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る