第20話 『信長症候群』6
天王山の上に陣を構える秀吉軍四万。
見下ろされる形で麓に展開する光秀軍二万弱。
先生の横やりが入ったせいで、結局史実通りに不利な形勢のままこの山崎の戦いを迎えてしまった。
歴史ではここで明智光秀は羽柴秀吉の軍に敗れ、光秀はそこで命を落とす、ことになっている。
「光秀様、やはり細川も筒井も動きません。御存知の通り、このまま戦っても勝てませぬ。ここは一旦引きましょう。秀吉の裏切りを伝えれば勝家殿や家康殿もきっと光秀様の味方になってくれるはずです」
降りしきる淡い雨の中。
私たちは山の上に焚かれている埋め尽くさんばかりの篝火を見上げていた。
「いや、ここまでにしよう。僕はこの戦いから逃げるわけにはいきません」
「なぜです!?」
「先日君たちの先生に言われたことをずっと考えていた。確かに僕はどこか思い上がっていたんだと思う。自分の知っている歴史通りに進んでいく様子を目の当たりにして。自分がなにか特別な力を持っているかのように勘違いしてしまった。全ては明智光秀の辿った道だっただけなのに」
それはそうかも知れないけど、先生だってめちゃくちゃに歴史に干渉している。
だったら光秀様が少しくらい干渉したっていいじゃないか、なんてこのときの私はホンキでそう思っていた。
「明智光秀はここで秀吉と、敗けるとわかっていながらも戦った。どんな考えを持っていたのかはわからない。秀吉に裏切られた無念だったかも、本気で勝てると思っていてなにかの策があって。それでも秀吉が上回っていたのかもしれないし、武士として最後の維持だったのかもしれない。僕にはその気持は決して解ることが出来ない。解ったとしたらそれは解ったつもりになっただけだ。どんな信憑性の高い一次資料を元に検証を重ねたところで、本人にしか本当のことはわからないんだ。日記にだって自分のほんとうの気持ちを書くとは限らないだろう。歴史なんてものは結局、後世の人間の創作物にすぎないんだ」
「私は、光秀様に死んでほしくありません……ただ、それだけです」
「ありがとうリコさん。あなたの気持ちはとても嬉しいよ。だけどボクがここで逃げてしまえば、これまでの自分のやってきたことも全て嘘になってしまう。さあ、君たちは元の世界に帰るんだ。そして、先生にもありがとうと伝えておいてくれないか。先生は僕の目を覚まさせてくれた。もう少しで、先祖である明智光秀をも貶めることになってしまったかもしれない。明智光秀が起こした謀反。主君を裏切った光秀の気持ち。やっぱり最後まで僕には理解は出来なかったよ。だけど、明智光秀という存在がたしかにここにあったということだけは絶対になくしちゃダメなんだ」
――ダメだ。光秀様の言葉がまったく頭に入ってこない。
「僕はわかったつもりになっただけだ。それでもこの世界で明智光秀として長い時間を過ごして、ほんの少しでも明智光秀の存在に触れられたような気がする。僕は満足だよ。僕の祖先は決してただの裏切り者なんかじゃない。この戦国の世を駆け抜けた誇り高き武将だ。それだけは誰がなんと言おうと僕は信じることができたんだ。この時代にやってきたことは決して無駄ではなかったよ」
――光秀様はもう本当に覚悟を決めてしまっているんだ
覚悟が決まっていないのは、私の方だ。
私はただただ泣いているだけだった。
止めることも出来ない。救うことも出来ない。私には何も出来ないんだ。
「ありがとう、リコさん。あなたの気持ちに応えられなかったことは心残りだけど、最後にあなたのような女性に出会えてよかった」
――光秀様――! 私はあなたと一緒に死んでもいいです! いっそ一緒に死んでくれと命じてください!
「そして、グレンさん。あなたには言っておきたいことがあります」
「なんだい?」
光秀様はグレンさんに駆け寄ると両手を握った。
「僕はあなたのことが好きです。あなたのその天真爛漫さ、戦う姿はまさに天下無双。その美しい姿に心から惚れました! あなたに最後に気持ちを伝えておきたかった!」
「ふぇっ!? あ、あたし!?」
「これでもう思い残すことはありません。では、ご達者で!!」
真っ赤になったグレンさんの返事を受け取る前に、光秀様は馬を駆り、長髪をなびかせて、戦場へと向かっていった。
ぽかんと放心状態の私。
鬨の声が上がった。大気が震えるほどの。
私が文献を読みあさり、想像していた山崎の戦いとは全く違った。
兵士たちも全員命をかけて未だ見ぬ未来に希望をかけて戦っている。
これが本当の歴史なんだ。
――「歴史なんてものは後世の創作物」
光秀の言葉が頭の中でリフレインしていた。
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