第19話 『信長症候群』5
光秀様は秀吉の裏切りを公表し、中国へと軍を進めた。
明智光秀が本能寺にいなければ本能寺の変は起きえない。保険でもある。
光秀様の軍は二万弱。対して秀吉軍は四万。戦力差は倍だ。
先生は言った。戦は数だ、と。
でも私たちには意志がある。正義がある。
そして、秀吉は私達が裏切ることを予想できていない! そこにチャンスがあるはずなんだ。
――勝負ですっ! 歴史の強制力っ!
(だから│歴史の
日が落ち、辺りが暗くなった頃、備前国に入った時点で秀吉の軍と衝突した。
やはり秀吉は中国へ軍を進めてはいなかった。中国へ進めたと見せかけた軍はブラフ。見せかけの軍だった。
本体はもっと後方で控えさせていたのだ。
「これが中国大返しのトリックだったのね。最初から光秀様を使い捨てるつもりでっ! あのハゲネズミ、絶対に許せないっ!」
「かかれーっ!」
光秀様が号令を下した。その横顔は今までで最高にかっこよかった。この人のためなら私は命を賭けてもいいと思えた。
グレンさんは馬を駆り、大槍を構え先陣を切って突入していく。
両軍が衝突する瞬間。
私たちは――――――――本能寺にいた。
――どうして!? どうして本能寺に!?
私だけじゃない、隣には光秀様も。
そして、突入していった光秀様の部下たちも全員が本能寺にいた。
「ボクが……転送させんだ」
背後で声がして振り向くとそこには、白衣を着た先生が立っていた。
念話で話すことはあっても先生と直接会うのは久しぶりだ。
「せ、先生!? どうしてここに!? いえ、今はそれどころじゃない、このままじゃ光秀様が謀叛人になってしまうっ!!」
先生は見るからに消耗していて、肩で息をしていた。こんな弱った先生を見るのは初めてだった。
先生は魔法のような力が使えるけれどあくまで治療の延長の力だ。
転移術もきっと当然のように使えるのはなんとなく予想できる。人体の器官などを治療する上で使うこともあるんだと思う、たぶん。だけど、あくまで元は医術で魔法でもスキルでも奇跡でもない。そもそも転送用でもない術を無理やり応用させているのだから体に掛かる負担は普通の転送よりも遥かに大きいはずだ。
人間を一万人以上、しかも数百キロ離れた場所に転送させるというのは、いくらとんでもない力を持つ先生と言えど相当な負担だったようだ。
「はぁ……はぁ……。だから……それで、いいんだよ。それが……歴史の真実なんだ。……はぁ……はぁ……変えては、ダメなんだよ……!」
先生の白衣は裾は汚れて擦り切れているし、髪もボサボサだった。歴史の修正のために先生はずっと駆けずり回っていたんだ。
だけど、私だってそうだ。
光秀様のために運命と戦うと決めて、ここまで命がけで頑張ってきたんだ。
それなのに、いくら光秀様が申開きをしたとて本能寺に軍を展開してしまった以上、秀吉によって本能寺の変の犯人は光秀様ということにされてしまうだろう。
本能寺の変の回避は、失敗だ。
「そんな、光秀様はこの国のために世界のためにあんなに頑張っているのに……!」
「リコくん……」
先生は私にゆっくり近づくと私の肩に手を置いて顔を近づけて、
「目を覚ませ! この大馬鹿――――っ!!」
と耳が壊れるかというくらいの大声で怒鳴ってきた。
「ひぃぃぃぃっ!!」
「はぁ……はぁ……。あのな、どんな理想を掲げたところで、光秀のやってることはただのワガママだ。歴史に│IF《もしも》なんてないんだ。君たちがやってきたことは他人の運命を自分勝手に変えているだけだ」
「でも、光秀様はこの国のために命をかけて……!」
「なにが命がけ、だ。絶対に勝てる勝負、結末のわかってる戦をやっただけじゃないか。どこに命をかける要素があるんだ。安全なところから未来を知らないこの世界の人間相手に好き放題やってるだけじゃないか。それはこの時代を必死に生きた人間たちに対する大変な侮辱だといえる」
それは、そうかもしれない。けど、なにか引っかかる気がする……。
「あなたが先生、ですね」
光秀様。
先生は「くっ」と力を入れて背筋を伸ばす。今にも倒れそうだったのに、いつものように腰に手を当てて、威厳のある――と御本人は思っている――ポーズで光秀様の方へと振り返った。
「そうだ。君はこの世界の人間ではないね。元の世界に帰ってもらうよ」
「すみません……それはできません。僕だって覚悟を決めてこの時代にやってきたんです」
「覚悟? なんの覚悟だよ。ただ明智光秀の子孫と言うだけの君に、明智光秀公がどんな思いで本能寺の変を起こしたのか、本人の『覚悟』が理解できるとでも言うのか?」
破れ散らした服に、肩で息をしつつ今にも倒れそう先生。
それでも言葉の強さは失われていなかった。
「明智光秀は本当は信長を裏切るつもりなどなかったです! 秀吉に嵌められたんだ。公開されていない資料にその証拠があるんだ! それを僕はもっている。これを見ればわかるはずだ!」
「だからなんだ? ボクは君に、明智光秀の気持ちが本当にわかるのか、と聞いたんだ。そんな資料も証拠も真実も、どうだっていい。勘違いしているようだから教えておいてやる。ボクが興味があるのは信長症候群の治療だけだ。本当の歴史も信長のその後も興味がない」
「だったら、僕のことを見逃してもらえませんか。僕にはやることがあります。そのためにこの時代に転生した。そしてここまでようやくたどり着いたんです」
綺羅びやかな武将の鎧を身にまとった光秀様。
先生相手にも引かず信念を語る姿は……やっぱり誰よりもかっこよかった。
「だが、君が今の地位にいるのは君の力でもなんでもない。先の歴史を知っていたから出来たことだ。そうだろう? 楽しかったかい? 周りが命がけで勝てるかどうかわからない恐怖と不安の中必死に戦っている様子を、一人だけ結果を知って高いところから見下ろすのは」
「そ、そんな言い方」
私が割って入ろうとしたけど、先生が手を上げて制止する。
「だが、事実だ。目的も意志もそこには関係しない。君は自分がアクションを起こしたことでここへたどり着いたとでも思っているのだろうが、それは違う。それは明智光秀公の軌跡をただなぞっただけにすぎない。ただ結果を歴史に合わせて明智光秀を騙っただけにすぎない。君は君だ。明智光秀じゃない。その代わりになろうだなんて君には無理だ。君は君以外のものにはなれない。ましてや歴史の真実を捻じ曲げ、自分の思い通りの未来を作ろうとするなんて思い上がりも甚だしいよ」
光秀様も私も返す言葉がなかった。
グレンさんが私の肩に手を置く。グレンさんも同じ気持ちなんだ。
「兵たちは止まらなかった。本能寺には火矢が放たれ、すでに信長は炎の中だ。本能寺の変は達成された。史実通りにね。あとはボクが認識操作で処理しておく。元の世界に帰ろう」
私は光秀様の前にたち、光秀様の手を握る。
暗闇の中遠く燃え上がる本能寺を焼く炎に照らされた光秀様はやっぱりかっこよかった。
「逃げましょう! 光秀様! ――――グレンさんっ!」
「ほいきた! 任せてっ!!」
グレンさんは馬を駆って、光秀様と私をひろうと、兵士の中へと馬を走らせる。
兵士たちが私達を護るように先生の前を塞ぐ。
「お、おい! 嘘だろ!? グレンくん、君ならボクの言っていることが理解できるはずだろ!? 雇い主を裏切るつもりか!?」
先生は限界が来たのか、片膝を付いてしまって、その場から動けない。先生がそこまで消耗していたなんて。本当は先生の側に今すぐ駆け寄ってあげたい。抱きしめてあげたい。でもごめんなさい先生。私は……愛する人のために生きます。
「センセ、私への依頼は『リコさんを一週間護衛すること』ですよね? 今日はまだ契約期間内ですからリコさんを護ります!」
――グレンさん! ありがとう!
「くそ、まさか秀吉を倒すつもりか!? 無理だぞ、十一日後、天王山の戦いで明智光秀は羽柴秀吉に討ち取られる。これは決定事項なんだ!」
先生の声が遠くなっていった。
わかってる。
結果はきっと変えられない。先生がいるのだからなおさらだ。
だけどここまで来たのなら最後までやらせてあげたいんだ。
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