第7話 『悪役令嬢症候群』1


「それで、せ、先生……。その、今日はなぜこんなところに私たちはいるのでしょうか……」

「ここに患者がいるからに決まってるだろう」

 いつもどおりの普段着に白衣を羽織った先生は分厚い過去の症例をまとめたカルテに目を通しながら答えた。今日も本気らしい。


「先生はいったいどんなコネをお持ちなんですかっ!? これって王宮舞踏会ですよね!? 皇族や大貴族、各国の大使や王族しか参加できないやつですよね!?」


 私達の目の前は世界中の贅の限りを尽くしたような豪勢なパーティー会場が広がっていた。


「そうだ。この国の王とはちょっとした知り合いでね。今日はここで症候群の発症が見られそうなんでお願いして入れてもらったんだ」

 国王と知り合い……しかも頼み事が出来る関係だなんて。この間は盗賊とも知り合いだったよね。いったいどんな人脈をもっているのよ先生は……


「あの、ご存知だとは思いますが、私は没落貴族の娘なのでこんな舞踏会に参加するの初めてなんですけど……」

「知っているよ。君の履歴書は目を通してあるからね。君の分の招待状もきちんともらっているから安心してくれ」

「そ、そうなんですね。ならよかったです。でも、こんな場所に狂ってわかってたらもっときれいな格好をしてきたのに……」

 私達の目の前にはきらびやかな衣装に身を包んだ大貴族が優雅に通り過ぎていく。


「あの人は侯爵家の御曹司様にあれは確か王族の……あの、先生? 私、今が人生最大の転機だと思うんです。少しだけお暇いただけませんか?」

「ダメだ。今日は治療のために来ているんだぞ。ほれ、君はいつもどおり記録を頼む」

 先生はいつものボードとペンを渡してくる。メモを取れとおっしゃるんですね! 目の前に素敵な王子様たちが、私の夢がこんなにたくさんいるというのに!


「先生、こんなところでメモとか取ってたら怒られませんかっ!? 王宮舞踏会なんですよ!? パーティーですよっ!? そもそも私達場違いじゃないですかねっ!」

「何を怒っているんだ君は。大丈夫だ。ちゃんと許可も取ってあるし、認識阻害の医術も使っている。君はここにいる人間たちからは見えてはいるが印象には全く残らないから安心してメモを取っていればいい」

 そんなぁぁぁぁぁっ! 私の玉の輿がぁ――――っ!


 せっかくこんな場所に来てるというのに。

 それにしても、認識阻害の医術って何なの? そもそも医術ってそういうものだっけ。

「気になってたんですけど、先生ってもしかして魔法が使えるんですか? この間もいろんな魔法みたいなの使ってましたよね? 先生って実は魔法使いだったんですか?」

「いや、魔法じゃない。それに、ボクは医者だよ。ボクが使っているのは全て医療技術だ。例えば認識阻害は本来は体内組織を可視化するために使う強力な磁場を発生する医術なんだがそれを応用することで光情報を操作して視覚神経に作用する……」

「せ、先生、ストップです。わかりません。わかりませんが、わかりました。とにかく先生は魔法みたいな力が使えて、今私たちは周りから見えていないってことですね」

「そうだ。それより、始まるぞ。面白いものが見れるぞ、よく見ておけよー」

「は、はぁ」


 私は涙目になりながらカリカリとボードに記録を始めた。

 こんな王宮舞踏会の会場で美味しそうな料理と素敵な男性を目の前にしておきながら、白衣を着てカルテにメモすることしかできないなんて。ひどいです、先生。





「アイリス・ド・ラ・ダンデリオン公爵令嬢。お前は私の婚約者にふさわしくない。私はお前との婚約破棄をここに宣言する!」

 おそらくどこかの王子っぽい人が、これまたどこかの令嬢っぽい人に婚約破棄を言い渡した。

 しかも大勢の注目の中で。

 

 これって、こないだの『お前クビな症候群』のひどいバージョンだ。

「記録は取れてるかリコくん。これがあの有名な『悪役令嬢症候群』だ! しかも婚約破棄型だな」

 先生は嬉しそうにペンをくるくると回す。

 有名な、と言われても私は一度も聞いたことがない。というより医学文献にそんな名前はなかったと思う。


「『悪役令嬢症候群』……ですか。それはいったいどんな症候群なんですか?」

「うん、説明しよう。『悪役令嬢症候群』とは大貴族の娘、大抵は公爵や侯爵、伯爵などの上級爵位を持つ家柄の娘の罹患率が非常に高い症候群だ。美しく、家柄も申し分ない娘なのだが、性格に難があったり、または何かしらの失敗をしてしまい、途中から現れる平民のやたらと元気で前向きなことしか取り柄がない娘に婚約者を奪われてしまうんだ。まるでそう、シンデレラのような展開でね」


「シンデレラにそんな嫌な表現つかわないでください」

「これだけならただの因果応報。悪いことをした令嬢がそれを糾弾され没落する物語で終わりだ。だが『悪役令嬢症候群』はその悪役令嬢が実は未来に起きることを知っていたりして運命を捻じ曲げてしまい、没落を回避し、ヒロインの座を奪い王子と結婚してしまうなんてことが起きてしまうんだ。他には王子とヒロインを両方陥れたりして、自分はちゃっかり第二王子あたりとくっついてしまうなんて症例もある。大変恐ろしい症候群だ。そんなチート能力相手ではいくら世界最高の幸運少女ラッキーガールシンデレラであっても勝ち目はない」


「んー、今回はわかるようなわからないような。あれですかね、本当ならシンデレラが選ばれるはずだったのに、継姉たちがうまく立ち回って王子様と結婚してしまう、みたいな結末になるということですか?」

「…………おどろいたな。そのとおりだリコくん。君もわかってきたじゃないか!」

 褒められちゃった! シンデレラは私の大好きな物語のひとつなので。

「でへへ……。ん? でもそれの何が問題なんです?」

 シンデレラはかわいそうではあるけれどそれも一つの結末としてはありなのでは。

「大問題さ! もしシンデレラが王子様と結婚できなかったりしたら―――ボクたちは何を夢見て生きていけばいいと言うんだ!」


 そこですか!?


「不幸な少女が、それでもつつましく真面目に生きていた少女が、真実の愛の力で王子様と結ばれる。こんな感動的な物語を、未来を知っているだの設定を知っているだの訳のわからんことを言って運命を捻じ曲げてしまう悪役令嬢にぶち壊されてしまうんだぞ!?」

 真実の愛……ちょっと笑いそうになっちゃった。先生の口からそんな言葉が出たことに

 先生には似合わなすぎる言葉だ。


「結局公爵令嬢と王子様が結婚してしまう結末なんて、そんなのただの普通の貴族の結婚じゃないか! そんなことは絶対に許されない。悪役令嬢症候群は乙女の敵だ!」

 乙女って……でも……わかるかも! なんとなくだけど。


「わかりましたよ、先生。このリコ・ハートリング、魂で理解しました!」

「さすがはボクの助手だ! よし、じゃあ説明を続けるぞ」

「はいっ!」




「悪役令嬢って、名前からして悪事ばかり働いてそうだけど、実際はそうでもないことが多いんだよ。ライバルとして立ちはだかっているだけで、悪人というわけじゃないし、性格も悪くないことが多いんだ。ただ、ヒロインと対立している立場なので「悪役」と呼ばれることが多いんだね。結局、ヒロインに負けてしまう運命にあることが共通している。悪役というより「負け役」という表現のほうがぴったりだね」

「でも悪役令嬢症候群ではそうはならないってことですよね」

「そうだ。悪役令嬢はすでに予知能力なんかを使って悪事がバレないように細工していたり、糾弾されて王子に嫌われるイベントそのものを回避している可能性もある。悪役令嬢が悪役でなくなってしまえばただの美人令嬢だ。いくらヒロインが美しく健気で良い子だったとしても分が悪い」


「じゃあどうすればいいんですか、先生っ! 助かる方法はないんですかっ!?」と私は先生に詰め寄る。

「大丈夫、落ち着くんだリコくん。そんなに心配する必要はないよ。ボクはこの症例を扱うのは初めてじゃないし、ちゃんと対処策はあるんだ。だが、厄介な症候群であることは間違いない。だからしっかりと経過観察を行って適切な処置が求められる。わかるね?」

「はい」


 騒動の方へと目を移す。

 婚約破棄を言い渡された悪役令嬢はピンと背筋を張ったまま「そうですか」と美しく落ち着いた声で答えた。

「みたか、リコくん。婚約破棄を言い渡されたのにあの余裕だ」

「はい。公衆の面前で、しかもこんな舞踏会で婚約破棄されるっていうのは女性にとっては最大の屈辱だと思います。でも、彼女は落ち着いていたので、こうなることを予想していたのかもしれませんね」

「うん、それが正解だ。これは、余計なプライドが邪魔したとみえる」

「余計なプライド、ですか」

「ああ、これは彼女が悪役令嬢症候群で間違いないと言っているようなものさ。本来なら泣き崩れる場面だが、落ち着いて見せることで婚約破棄の相手を動揺させる効果を狙ったんだろう。それだけじゃない。自分自身のプライドを護ったのだろうさ。悔しがってたまるかってね」

 なるほど。でも気持ちは少しわかっちゃう気がする。だいたい公衆の面前で婚約破棄する王子も王子だ。

「だが同情は禁物だ。このまま放置すればやがてヒロインは悪役令嬢によって凋落させられてしまう。そうなってしまえば手遅れだ」


「先生、どうするおつもりなんですか」

「うん、いくつか処置方法はある。いちばん簡単な方法はヒロインを悪役令嬢以上の貴族にしてしまうんだ。そうなれば悪役令嬢最大の武器アドバンテージである身分の差が使えなくなる。大抵はこれで手詰まりになるものなのだが、それでは再発の可能性が若干残る。ボクとしてはやはり根治を目指したい。となれば悪役令嬢をしっかりと没落または脱落させてしまうのが一番だ」


「そんなことができるんですか?」


「当然だ。悪役令嬢がいくら未来を知っていたところで、所詮はただの貴族のお嬢様だ。医者であるボクにかかれば相手にもならない。まあ、たまに高い魔力をもっている症例パターンもあるにはあるが、それならそれで対処法はいくらでもある。医者をなめてもらっちゃ困るね」

 確かに、先生は英雄と言われるようなパーティですら子ども扱いできるほどの実力を持っているし、謎めいた医療技術は底が知れない。力での戦いなら先生が負けることはなさそう。


「それに、今回は特効薬も持ってきているしな」

 特効薬? 先生は私を見て妖しい笑みを浮かべた。私は何か悪い予感がして、思わず身を縮めた。




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